9・11事変

    
9月11日の事件のとき、コラム子はフロリダにいました。
     そのときから、米国の新聞を浴びるほど読んで書いた6本のコラムです。
     新しいものを先に掲載してあります。

  目次  
  平成13年10月22日  普通の日々よ、もう一度
ど根性で支えるマンハッタン文化 ― また1つの冷戦の終結 ― 「おとぼけ」と「傲慢」 ― 軍事を「汚れ役」と忌避する差別意識 ― イスラム圏をとりまく業 ― 普通の日々よ、もう一度
  平成13年10月4日  アフガニスタンの戦後構想
反戦論者が勝手に思い描く「都市爆撃」 ― 「タリバン」対「反タリバン」の内戦は民族紛争だ ― ドラえもんの登場人物論
  平成13年9月25日  英仏が産み捨てたアラブ国家群
日系二世と写真に収まってみせた大統領夫人 ― イラク攻撃こそ日本の真珠湾攻撃の愚と同じ ― アラブ人に欠如する「大局観」 ― まことに不便な「聖地」の概念
  平成13年9月21日  主権国家への不信と信頼
「反米病」から自由であることの幸運 ― お笑いを一席… ― 知恵くらべ ― 第2の国歌 ― 休戦記念日に大ヒットした歌 ― 大国のそれぞれの罪深さ ― "God Bless America!"
  平成13年9月17日  これは「国際紛争」か?
鬼弁護士の涙 ― グローバル非政府組織の恐ろしさ ― 警察と軍隊の棲みわけが通用しなくなった ― イスラム極論主義諸国の影 ― 魔性の国 ― アフガニスタン北部の政府がどこまでもつか ― 「テロリストの真珠湾」
  平成13年9月12日  日本は自国のことのみに専念するか?
「国家」が見えるアメリカ ― 「われわれは1941年12月8日にいる」 ― 日本は「自国のことのみに専念」するか? ― 日本がようやく米国側につく日
   普通の日々よ、もう一度 (平成13年10月22日)

 10月10日にフロリダ州オーランドからニューヨークへ移動し、一仕事して12日にJFケネディー空港から帰国の途に就いた。

 オーランドではスーツケースの中身をとことんチェックされた。洗面道具の袋を開き、髭剃りクリームの缶のフタを開けるほどの念入りぶり。
 ケネディー空港では、背広を脱いでX線検査機を通すように言われた。
 ワイシャツ姿で金属探知器を通り抜けようとしたら、
「ズボンのベルトも外してください。X線検査をしますから」。

 検査をする人々から、アメリカ人らしい快活さが失われていないのが救いだった。

■ ど根性で支えるマンハッタン文化 ■

 ニューヨークでは、仕事を終えるや45丁目のマーティン・ベック劇場へ駆けつけ、ミュージカル Kiss Me, Kate の切符を買った。
 9月11日のテロで客足が落ち込み、公演中止が発表されたときはショックだった。昨年8月に見て以来、ぜひもう一度見たかったコメディーの名作だ。
 劇団一同が給料大幅カットをのんで続演が決まり、ニューヨークタイムズも改めて劇評を載せて応援していた。

 開演の1時間半前に切符売り場に立つと、
「あぁら、お客さん、ものすごぉくいい席があるわ! あなたラッキーよ」
と言って、何と舞台中央に面し前から6列目という最高の席をプレゼントされた。91ドルは何ら惜しくなかったが、客の入り具合が心配だった。

 開演30分前は閑散としていた客席が、開演直前の10分で見る見る埋まって満席となった。名優たちの表情が生き生きとしていて、すばらしい舞台だった。

 コラム子の席は、直前キャンセルの特等席だったようだ。
 舞台を見た翌11日のウォールストリート・ジャーナルに曰く、「観光客の落ち込みに悩む劇場を盛り立てよう」というキャンペーンが効を奏して、Kiss Me, Kate はテロの前に比べて切符の売れ行きが5割アップなのだという。
 そう言えば、観客の年齢層もいささか高くなっているように思えた。ニューヨークの文化を絶やしてなるものかという地元の人々の心意気だろうか。

 劇が果てて、45丁目に面した扉が開かれ、観客はマンハッタンの街路へ吸い込まれていった。
 東京で言えば「渋谷駅ハチ公前」あたりに相当するタイムズスクエア。
 夜11時の人通りはもっと多かったのにと思うのだが、これはさすがに観光客が減ったあおりか、めっきり寂しかった。

■ また1つの冷戦の終結 ■

 11日のウォールストリート・ジャーナルは、小泉政権のテロ対決外交政策を高く評価する、マイケル・ジャッジ  (Michael Judge) 論説委員の論評を掲載していた。

 そのなかで興味深かったのは、大陸中国が自衛隊の海外派遣に異議を唱えなくなったことをもって、「日本とアジア諸国のあいだの冷戦が終結した」と言っていることだ。

 たしかに1つの冷戦が終結したと思う。
 しかし終結したのは、「日本」と「アジア諸国」のあいだの冷戦ではなくて、実は
「日本」と「米国」のあいだの冷戦ではないか。
 日米の冷戦をはからずもようやくにして終結させたのが、今回のテロだったのではなかろうか。
 またまた逆説的言い方をさせてもらったが…。

 吉田 茂 総理以来の日本の対米政策は、
なしうる限りの「おとぼけ反米」だったとも言える。
 ほんらい、再軍備するには憲法第9条第2項を改正するべきなのだが、吉田 茂は憲法改正を政治課題からあえて外した。

 吉田 茂は、米国の身勝手が許せなかったのだろう。
 「軍隊を廃せ」と言って特異な憲法を日本政府に押し付けた数年後には「軍隊を復活せよ」と言う米国。あと数年後には「日本軍を米国の傭兵として遣わせ」と言うのではないか…。

 米国が身勝手な派兵要請をしてきたときは、米国製憲法を楯に「おとぼけ半兵衛」を決め込もう。
 吉田 茂はそう考えた。吉田流の対米「冷戦」だった。
 そして、吉田学校の生徒たちも、それを忠実に実行してきた。
 超大国ソ連との巨大な冷戦のもと、このささやかな対米「冷戦」は、なかなか有効に機能するように見えた。

■ 「おとぼけ」と「傲慢」■

 平成2〜3年の湾岸戦争のときも、日本は「おとぼけ」で乗り切れると考えた。
 クウェートの石油の最大の輸入国日本。そして、米国の石油資本に幾度か悔しい思いをさせられた日本。

 「イラクからクウェートを奪回するとしても、それは所詮米国の石油資本のためではないか。クウェートをイラクが占領したとて、石油はイラクから買えばよい…。何で自衛隊が 米国資本のために 苦労せねばならぬのか。石油代ならお支払いしましょう」
 そう呟
つぶやきながら、日本は総額135億ドルの拠出金を供与して、米国との冷戦を継続した。

 さすが日本は平和国家だ! と誉められるかと思っていたら、 現実世界のルールはそうではなかった。
 
 日本は「傲慢だ」と言われてしまったのである。

≪小泉首相が反テロリズムの戦いに何としても参戦しようとしていることを評して、ガイアツに屈したにすぎぬと識者ぶる向きもある。しかし、見過ごしてならないのは、1991年の対イラク戦において日本がその傲慢を批判され、「小切手外交」と酷評されてしまった、国家としての恥辱の経験だろう。≫ (マイケル・ジャッジ論説委員)

 軍事力を使用せぬことが絶対善であると信ずる向きは、湾岸戦争における日本の対応を「傲慢」と評されて、卒倒しそうになるだろう。

■ 軍事を「汚れ役」と忌避する差別意識 ■

 対タリバン戦に 日本はどう対処するのか。 テロ対策特別措置法の成立で、いちおうの結論は出たが、議論はくすぶり続けている。

 「不慣れな自衛隊の派遣など愚の骨頂。日本はひたすら経済構造改革に専念して、世界的経済恐慌の回避に貢献する方が、よほど感謝されるはずだ」と論ずる某銀行の幹部がいた。

 たしかに、「経済構造改革に専念させてほしい」とは、およそ全ての外交課題に頬かむりするための 名答弁と言えるだろう。 暗愚の田中外相には、オウムのようにこれだけ言わせておけばいい。
 しかし、名答弁も3度
たび使えば迷答弁である。4度使えば嫌われる。5度使えば憎まれる。それが世の中というものではないか。

 「イスラム原理主義は、絶対的貧困がもたらしたものだ。アフガニスタンの戦後復興のための経済援助こそ、日本が果たすべき役割である」という論者。
 たしかにその通りだが、ではアフガニスタンに飛行機の上からドルの札束を大量投下すれば、復興はうまく行くのか。
 国連軍などの軍事組織で秩序を維持・再構築しつつ民生の安定を図らねば、経済援助も生きないはずである。

 「軍事という汚れ役は、海の向こう側にいる人たちにやらせればいいでしょ。われわれは百姓であり、町人ですよ」
と、これら論者は言いたいのだろう。
 小泉政権が これら論者の言いなりになっていたら、 日本は唾棄すべき
「百姓・町人の傲慢」に支配された国家になっていただろう。

 「日本は非軍事面でのみ貢献を」とのたまう論者は、「国家」と「非政府組織(NGO)」の区別が分かっていない。
 「非政府組織」は、 一点集中の機能集団として がんばればよい。しかし、「国家」はおよそ森羅万象のすべてに関わらざるをえないのだ。それが「国家」というものだ。
 
■ イスラム圏をとりまく業(ごう) ■
 
  英国が米国とともにテロ勢力掃討作戦に乗り出した。英国の派遣兵のみならず、英国本国にも犠牲者が出かねないことは覚悟の上である。
  こういう論評をすると、 ひいきの引き倒しと 批判されるかもしれないが、英国の本格参戦は ある意味で ひとつの「贖罪
しょくざい」の行ぎょうのようにも見える。業ごうの深さのようなものを感じる。

  アフガニスタンやパキスタン、インドの不自然な国境線は、ある意味で英国植民地政策のとんだ置き土産である。
  パキスタンというイスラム国家がインドから分離したのは、英国がインド植民地支配時代にインド国民内部の宗教間の対立を意識的に煽
あおりつづけた結果でもあった。
  そのパキスタンが、国家のアイデンティティ確立のために飼育したイスラム極論主義が、フランケンシュタインのように暴走しはじめた、とも言える。
 
  ほんらい、イスラム文明圏のなかの問題はイスラム諸国が力を合わせて解決してもらえぬものかと思う。
  「貧困がイスラム極論主義を生んでいる。貧困国の経済自立のために先進国の援助が必要だ…」という議論にはまったく賛成なのだが、しかしそれでなくても我々は、イスラム諸国に湯水のごとく石油代を払っているではないか。
  イスラム圏の富裕国もまた、ともに先頭に立ってアフガニスタン復興のための資金拠出をしてほしい。

  アラブ首長国連邦のドバイのゴルフ場。
  砂漠の中に、海水淡水化装置で作った高価な水を撒いて、米国や日本のゴルフ場とまったく同じような緑の大平原を作ってある。
  きれいな芝生がひろがるフェアウエー。両側に生い茂る樹木…。
  砂漠のまっただなかのこの贅沢(ぜいたく)を、すこし我慢することが
必要かもしれない。
 
■ 普通の日々よ、もう一度 ■

  米国は、「普通の日々」を取り戻すために戦っている。

  5月28日「メモリアル・デー(戦死者・退役軍人らへの感謝の日)」にニューヨークタイムズに掲載された社説を思い出した。
  その社説の最後の部分を引用させていただく。

≪ふりかえってみれば、戦争が始まるとともに、国家・国民は突如としてその身の丈に余る決意を帯びて輝き始めたものだ。ときにその決意は、単に平和を勝ち取ろうということにとどまらなかった。

映画館で、ライアン二等兵の救助作戦や真珠湾攻撃を見たり、かずかずの戦記ものを読んだりするにつけ、それに比べて我々自身の生活は色あせて見え、現代があまりに普通の日々のように見える。

しかし、退役軍人と膝をつき合せ、その言葉に耳を傾けたことがある人ならば分かると思うが、いずれの物語にも変わるところのない教えがある。

それは、「普通の日々こそ、恵まれた日々なのだ」 ということだ。 そして、過去に軍人たちが戦ってきたのも、まさにこの普通の日々を再び勝ち取るためだったのだ。≫

  Ordinariness once again. という言葉で、社説は結ばれている。

  いまこの社説を読むと、遠い昔の文章のように思える。それだけにせつない。
 
  普通の日々よ、もう一度。 

アフガニスタンの戦後構想 (平成13年10月4日) 
 9月25日に前の号を出してから しばらくは、毎朝祈るような気持ちでテレビをつけた。
まさかとは思うが、ひょっとして派手な空爆など始めていはしないだろうかと、やはり心配だった。
 最終段階の戦争はほとんど不可避だと思うが、その前にやるべきことが まだまだたくさんある。
 今のところブッシュ政権の舵取りはみごとだと思う。
           
 アフガニスタンの民族分布を見ると、南部の「タリバン」と北部の「反タリバン」との紛争は、典型的な民族紛争であることが分かる。戦後のアフガニスタンは民族間の深い憎悪に苦しもう。
 戦後経営が、すでに世界の重要な関心事となっている。
           
 読者の方々からメールをいただいている。
 米国と日本の国柄についても少し考えてみたい。

■ 反戦論者が勝手に思い描く「都市爆撃」 ■

  CNNをつけると、画面左下に America's New War(米国の新たな戦争)というフレーズが入った。宣伝から番組に戻るときには、陣太鼓さながらの音楽が挿入された。
  他のチャンネルは まったく普通の番組編成なので、 CNNの戦時モードには、さすがのコラム子も違和感を覚えていた。

  これが10月2日から変わって、Target: Terrorism(標的はテロリズムだ)というフレーズとなった。陣太鼓ぶりの音楽も多用されなくなった。
(後記: その後、アフガンへの本格的攻撃が始まり、陣太鼓モードは復活する。)

  9月21日号にこう書いた。
≪アフガニスタン周辺に集結する、米軍その他の多国籍軍の巨大な通常兵力の目的は何か? 
  周辺の主権国家に にらみをきかせて、ビンラーディン 一派の側へ寝返ったり、一派を密かに支援したりさせないようにする、ということだろう。
  今回の戦争を主権国家間の本格戦争にしないために、「主権国家群」結束の維持が必要だ。だから米国・多国籍軍の強力なにらみが必要なのだ。≫

  こんなことを書いた手前、米国軍が早々に むやみな爆撃や砲撃を始めたら、コラム子の読みは大外れということになる。

  世の中のいろんな論評を見た。明らかに
洗脳を意図したものもあった。  論者自らが勝手に 都市爆撃や 一般民衆罹災(りさい)を 想定 して、読者の脳裏に「爆撃に逃げまどう母と子」といった伝統的な戦争イメージを喚起し、「だから軍事行動には絶対反対だ」という類の議論だ。
  ある特定の陰惨な戦争イメージを意図的に膨らませておいて、「だから戦争には反対だ」と結ぶ。
  その論評だけを読めば、なかなか 説得力ある反戦論に 仕上がっていたりする。

  米国でいろんな論説を読んで、「都市爆撃」や「一般住民居住地への大規模攻撃」は、米軍としては何としても避けようとするだろうと、コラム子は確信している。
  だから長期戦となる。それも織込み済だ。

  それを 逆手にとって、タリバン勢力は 一般民衆の中に「便衣兵
べんいへい」となって紛れ込むだろう。
  国際法上、兵士は明らかに兵士と分かる服装をして一般人と区別がつくようにせねばならない。兵士でありながら一般人を装う「便衣兵」は、国際法違反なのだが、今回の戦いの後半はこの「便衣兵」に大いに苦しめられるのではないか。
  日本軍が南京陥落時に苦しんだのも、この「便衣兵」である。

■ 「タリバン」対「反タリバン」の内戦は民族紛争だ ■

  ニューヨークタイムズの10月2日号に、アフガニスタンの民族分布の図解があって、興味深かった。

  タリバン側の圧倒的多数派は、パシュトゥン人。同国人口の38%を占めていて、アフガニスタンの南半分に居住している。

  一方、反タリバンの筆頭タジク人は、同国人口の25%を占めていて、同国北東部の タジキスタン 国境付近に集中している。ちょうど現在の反タリバン「北部同盟」の支配地域にあたるところだ。

  国の中央部にまとまっているのがハザラ人。これが人口の19%を占める。
  さらに、北部のウズベキスタンやトルクメニスタン国境付近にはウズベク人がいて、これが人口の8%を占める。
  ハザラ人、ウズベク人とも、反タリバンである。

  久しく続くアフガン内戦は、旧ユーゴスラビア諸国の民族紛争と同じく、文明の辺境地域の悲劇と言えるのではないか。
 
 
パシュトゥン人たちは、アフガニスタン国内の他の民族を圧倒して全国を掌握すべく、錦の御旗としてイスラム極論主義に走ったのではないか。
  何かの極論への忠誠を競い合う病的な競争は、国民国家が形作られる過程で何れの国民も必ず苦しむ病のように思える。

  アフガンの戦後を、反タリバンの北部3民族主導に任せてしまったら、またきっとぶり返しが来る。
  パシュトゥン人たちが、不遇に苦しむ怨念の民族となって、将来の紛争の火種とならぬようにせねば。
  場合によっては、
アフガニスタンを「パシュトゥン人国家」「タジク・ウズベク人国家」 「ハザラ人国家」に3分して、 連邦国家制にする手もあると思う。
 
  この連邦国家構想、コラム子のオリジナルなのだが、どこかで似たような論をご覧になった方がいらしたら、ぜひご一報のほど。

===
■ 反響 ■

千葉県柏市
にお住まいの読者の方から9月25日にメールをいただきました。

自衛隊の後方支援については、さすが小泉首相はきちんとした判断をしてくれたと思います。ちょうどその頃、TBSの視聴者アンケートで、後方支援反対が60%、賛成35%という結果が出ていて驚きました。

「報復合戦になってはいけない」という気持ちはわかりますが、同盟国としての米国に見放された時の日本が 丸裸状態 であることを認識すれば、解は明確だと思うのですが…。

後方支援決定に対する各党首の反応として、社民党・共産党はもうどうでもいいとして、小沢一郎氏が反対していたのは意外でした。彼は正論を述べていると思いますが、今回は拙速も必要だと感じます。
「敢えて批判して、今後の議論につなげる」という作戦なのでしょうか。

それにしても、テロの犠牲にならなくて良かったですね。
これからも身体に気をつけて、いいコラムを書いてください。≫

【コラム子】
  その後の世論調査を見ると、テロ関連の特別措置法案への支持率は飛躍的に上昇しました。アンケートに答えた人たちが、何をもとにして判断を変えたのか、非常に興味があります。

  日本のメディアには、「不偏不党」の建前を巧妙に乱用して、みごとな偏向報道をする術があります。
  自民党系1000名の大集会と、社民・共産系20名の集会に、同じスペース・時間を割いて報じる類です。

  米国でも反戦デモが散発しはじめたようですが、米国メディアはあのニューヨークタイムズでさえ実に冷ややかな取り上げ方です。他は推して知るべし。
  八方美人のクリントン大統領も、反戦デモに一定の理解は示しつつ、「
テロに社会が屈すれば、デモをする自由はなくなってしまうだろう」と皮肉たっぷりにコメントしています。
  日本のメディアが針小棒大に報じていないか心配です。

  社会の主流がどう動いているのか、どう動くべきなのか ―― 米国のメディアは、そういう基本をしっかりおさえつつ報道しているように思います。
  記者にもよりますが。

  我が国日本が、パキスタン領内の難民対策で先頭に立って貢献できることを願っています。
  財政面での援助(物資供給)や医療協力もさることながら、自衛隊による治安維持は必要な役割分担です。悲劇を生まないためにも、武器使用が国際水準並みに認められることが不可欠です。
  現地に向かう自衛隊員の皆さんを、ごく自然に、わが国の名誉ある代表者としてたたえつつ、安心して送り出すことができますように。
==

青森県八戸市にお住まいの読者の方から 9月28日に メールをいただきました。
≪この半年程、貴方の発行されるメールマガジンを心待ちにしている者です。
 
9月25日号で、エクアドル在住の方のコメントを拝見して、色々連想せざるを得ないことがあり、これについてもし宜しければ貴方の御意見を伺いたく、メールを差し上げる次第です。

あの方は、米国人の反応を「子供」と評しておられましたね。私も以前から同様の感想を抱いていました。
自分では正義漢と思ってはいるが、その実態は、体が大きく力も強いので、だれも正面切って反論しないだけの金持ちのボンボン。基本的に確かに善良で涙もろいところも大いにあるのだろうが、それ以上に我がままな気分屋なところが困り者。
ドラえもんに登場するジャイアン(ただし家はもっと金持ち)のイメージでしょうか。ちなみに日本は、やっぱりスネ男にあたるのでしょうか(苦笑)。

ところで、日本への原爆投下について、米国の軍・政権上層部の議論と、一般大衆の素朴な心情の間には、相当の乖離があるのではないかと思うのですが、米国の現代のベスト&ブライテスト(エリート層)は この問題を どのように理解しカタを付けようと意図し、あるいは無視もしくは等閑視すべく決心したのでしょうか。「そんなこと全く念頭に無い」という可能性が、選択肢の1つでなければ宜しいのですが。≫

【コラム子】
  もし
かりにアメリカを「子供」と評するなら、日本はひょっとしたら「痴呆老人」ではないかと思いますね。
  私なら、「痴呆老人」より「子供」を選びますが。

  米国が、くだくだしいシガラミにとらわれず、少々粗削りでも機敏に進路を選択していく姿は、みごとな子供ではないでしょうか。

  そしてまた、この子供は勉強好きです。
  今回のテロ関連でも、新聞の報道・論評は膨大で、商社マンの私ごときにはとても読みきれず、机やソファの上に紙の山ができています。
  「なぜ米国は嫌われるのか?」といったテーマも、いろんな論者が論じています。

  米国のメディアは、自分たちが何のために生き、誰によって生かされているのか、といった「人間の基本」に誠実であろうと努めているように見えます。
犠牲となった消防士さんたちを英雄として精一杯にたたえるメディアには、すがすがしさを感じました。

  さて、
ドラえもんの登場人物論に移りましょうか。

  意表をつくたとえかもしれませんが、私ならこう言います。
  ロシアがジャイアン、中国がスネ男、日本がのび太(+ドラえもん)、そして米国がしずかちゃん。

  え? と意外に思われるでしょうが、女盛りになった しずかちゃんを想像してください。ジャイアンやスネ男やのび太など、ものの数ではないでしょう。
  いろんなシガラミと約束ごとでごそごそと動く男社会に、直線的に切り込んでいく パワフルで魅力的な正論派女性こそ、米国です。 困るのは、その「正論」が時として身勝手な書生論であることなのですが。
  そして、IQの高い女性の常として、時にとてつもなく淫
みだらで…。
 
  のび太の日本は、太平の惰眠
だみんをむさぼるのが大好きです。それだけだったら、ただの三流国ですが、優秀なドラえもん(経済力と技術開発力)と一緒にいるから、何とか一流国でいられるわけです。

  ジャイアンとスネ男が しょっちゅう群れて のび太をいじめようとするところ。のび太のしずかちゃんへの片思い。しずかちゃんも意外にのび太を大事にするのですが、のび太の善意の「こだわり」が裏目に出て、「もォ、のび太さんなんて嫌い!」と、しずかちゃんを怒らせてしまうことも…。

  …… と書いていくと、けっこうこの たとえ、使えそうに思えるのですが、いかがなものでしょう。

  広島・長崎については、改めて書かせてください。

===
■ 後記 ■

  日本の新聞を見ていると、一般報道記事の1つ1つがあまりに短く、これでは若い新聞記者たちが育たないのではないかと心配になります。

  米国の新聞の 長文記事を読み慣れると、日本の新聞記事は まるでイントロ(導入部分)だけ読んでいるみたいです。
  短い記事では個性も発揮できません。いろいろ取材しても紙面に書けることは骨と皮だけ、となれば、記者根性も退化していきはしないでしょうか。

  各新聞社は、中堅以上の記者にはそれぞれにホームページを与えて、紙面上の記事の補足を思う存分に書かせたり、紙面に載らないような長文記事・評論などを書かせるべきだと思います。
 写真なども、インターネットなら思いきり掲載できるでしょう。
  そして読者は、ごひいきの記者の報道・言論をインターネットでフォローする、というわけです。

 英仏が産み捨てたアラブ国家群 (平成13年9月25日)
 アフガニスタン国境封鎖と援助物資差止めによって、600万人が飢餓線上をさまようという説もある。(総人口2,700万人足らずの国で。)
 わたしも2人の娘の父であってみれば、娘たちと同じ歳の子供たちが あのアフガンの荒野を食糧と住み処を求めてさまよう姿を想像するだけで、かぎりなく切なく、胸が締め付けられる。
           
 アフガニスタン人口の42%が、14歳以下の子ども。
 平均寿命46.24歳という。

 「軍事的手段によらず、国際世論や経済制裁によって、テロ集団を孤立させることだ」と説く人が多い。
 アフガニスタンは朝鮮国以上に疲弊しきっているから、兵糧攻めにすればまことに効果的だが、その結果もまた とてつもなく荒涼とした世界ではないか。

 そして米国は、決死隊をアフガニスタンに送るための、国家としての巨大な宗教儀式のさなかにある。
                         
■ 日系二世と写真に収まってみせた大統領夫人 ■

  Time 誌(米国版)9月24日号に  Doris Kearns Goodwin さんが「戦争時の生きざま」と題したエッセーを書いている。
  日米開戦後のカリフォルニア州を訪れた大統領夫人エレノア・ローズベルトのことを取り上げていた。

  真珠湾攻撃直後の米国では、サンフランシスコも空爆されたとか、ロサンゼルス爆撃を日本軍が計画中とか、恐怖心が生んだ噂が飛び交ったのだという。
  西海岸の日系人に向けられる偏見のヒステリーの荒波。それにあえて逆らって、大統領夫人は寛容を訴え、日系二世たちとともに写真に収まってみせた。

  当時の ロサンゼルス・タイムズは激怒し、大統領夫人を今後 公的な場には出させないようにせよ、と社説に書いたのだという。

  これにきっぱりと答えたエレノア・ローズベルトがみごとだった。

「フェアでありつづけようという我々の日頃の信念を、この困難な日々になお守り続けることが できる、そういう国民であることを 我々が立証することこそ、我々にとって最大の務めと言って過言ではありません」。

  残念ながら、大統領夫人の思いは かなわず、その後 日系人たちは資産を没収され、収容所に送られる。
 
  今回の大規模テロの後の数日は、「真珠湾奇襲」への言及が続いてうんざりしたが、週が替って アラブ系米国人への いやがらせ事件が起き始めると、今度は「日系人収容所送り」の誤りを教訓にせよという記事や投書が目立った。
 
  大きな書店に行くと、 Japanese Americans の棚もあって、「収容所送り」の歴史を書いた本も数冊並んでいる。
 
■ イラク攻撃こそ日本の真珠湾攻撃の愚と同じ ■ 

  9月22日夕方のCNNを見ていたら、「イラクを攻撃の対象にするかどうか」で、ある上院議員がインタビューを受けていた。
 
  議員によると、国務省と国防省で意見の対立があるのだと言う。
  国務省は「イラク攻撃には反対。そこまで行くのはやりすぎ」という意見。
  これに対して国防省は「この際イラクも叩くべきだ。サダム・フセインを政権から追い出そう。湾岸戦争のときにそこまでやっておくべきだった」という意見なのだそうだ。
  思い切り単純化して言えば、ということだろうが。
  テレビに出ている議員は、国防省の意見に賛成だと言っていた。

  コラム子は、穏健な国務省の方針に賛成だ。
  大規模テロ関連のこれまでのコラム3本を読まれた読者なら、分かっていただけると思う。
 
  アフガニスタンだけでも、気が滅入るほど難しい戦場だ。
  国民党と共産党の軍隊が抗日ゲリラ戦を展開する大陸中国を彷彿とさせる。
  ここにまともな政権を樹立させ、民生を安定させるだけでも大仕事である。
  だから、主権国家は結束し、主権国家どうしの本格的戦争をできる限り避けるべし、というのがコラム子の主張である。
 
  イラクへも同時に戦争を仕掛けるなど、大陸中国の泥沼に苦しむ日本が、米国へも宣戦布告した愚に等しい。
  かつてわが国が犯した愚を、コラム子は「スカッとさわやか症候群」と呼んでいる。
  テロリスト集団すべてを「スカッとさわやか」に一掃することなど、できるわけがないではないか。米国は、危険な症候群に絶対にはまらないでほしい。

■ アラブ人に欠如する「大局観」 ■

  今日の中東問題というと、「産油国クウェート」と「孤高の宗教国家イスラエル」をめぐっての紛争が焦点だ。
  それ以外の もろもろの紛争は中東の内部問題だが、この2つだけは 石油資本・ユダヤ人資本国家アメリカとして絶対に放っておけない。

  そこで、アメリカ悪玉論、となる。
 
  歴史を遡ると、もともとクウェートもイスラエルも、さらには今日の問題児イラクもシリアも、数世紀にわたりオスマントルコ帝国の一部だった。

  第1次世界大戦のとき、オスマントルコはドイツ・オーストリア側につく。
  敵国となった英・仏は、オスマントルコ弱体化を目指してアラブ人の独立運動を煽(あお)り、これが(英・仏から見れば)みごとに成功する。大正11年には帝国そのものが崩壊してしまう。
 
  トルコ人がこれを怨みに思っている様子も感じられない。
  案外アラブ人統治の重荷から解放されてほっとしたのかもしれない。

  独立したアラブ人が団結して大国を創ったかというと、これがそうではなくて、部族どうしの大同団結が成立せず、小国が分立することとなった。
 
  そうなるように、英・仏に 仕組まれた面も 確かにあったかもしれないが、21世紀の今日、そこまで先進国の罪にするのはあまりに子どもじみていない
だろうか。
  今日のアラブ世界の混乱は、アラブ人たちが相互に譲り合うことを知らず、大局を見据えることができずにいることにも、大きな原因があると思う。
 
  分裂が好きなアラブ人と、統一が好きな中国人の、中間くらいがちょうどいいのだが。

■ まことに不便な「聖地」の概念 ■

  イスラエルの存在はまことに悩ましい。
 
  昭和23年のイスラエル建国のとき、ユダヤ人の人口はわずか65万人だった。
  それも大多数がロシア・ポーランド・ドイツからの移民である。

  「2000年前に先祖がここにいた」というのが建国の理屈だが、こんな理屈につきあっていたら、地球の陸地は今の3倍くらい広くないと、各民族のわがままな主張を満たせないだろう。 

  本当は、米国のネヴァダ州かユタ州あたりの、イスラエルに気候風土がよく似ているところに、ユダヤ人国家を作ってしまえばよかったのである。
  大英博物館よろしく、パレスチナの地にあるユダヤ関連の遺跡をそっくり運んできて、実物の遺跡からなる「ユダヤテーマパーク」を作ってしまえばよかった。

  …… と日本人のコラム子など思ってしまうのだが、いかんせん 中東に発する宗教は、その発祥地の風景があまりに単調なためか、「聖地」の概念にこだわる。

  日本人など、神武天皇東征の言い伝えを史実扱いにしていたころも、宮崎県に巨大な神宮を建てて聖地にする、といった発想はついに生まれなかった。

  日本人の発想は、せいぜい甲子園の土を袋詰めにして持ちかえるくらいのものだ。
  日本人にすれば、「エルサレムの土を貨物船1隻分持っていけば気が済みますか?」と聞きたくなるのだが、それでは済まないというのだから厄介だ。

  語学マニアのコラム子は、ヘブライ語も勉強した。
  聖書その他の教典の語彙をベースに、現代生活に対応する膨大な語彙を作って実用するイスラエルは、壮大な言語実験のドラマの舞台だ。

  建国時、イスラエルの国語を英語にしようという意見も有力だったらしい。
  もし英語を国語にしていたら、米国の植民地であることが見え見えで、イスラエル国は 早々に 国際世論に見捨てられていたかもしれない。

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■ 反響 ■
 
 
エクアドルのキト市にお住まいの読者の方から、9月21日にメールをいただきました。

≪泉さんのメルマガは2ヶ月ほど前に見つけたのですが、掘り出し物を見つけたような思いで読ませて頂いております。
 
南米エクアドル在住の私も、いちおう商社マン(商社ウーマン)です。
ちなみに私は、商社マンの仕事は、「何もないところに何かを(無理やり)作り出す事」だと思っています。物流とかプロジェクトとかですね。

ところでアメリカの連続テロ事件のことですが、アメリカはこの事件が起こってしまった原因を、なぜもっと考察しないんでしょうか。
今回のテロ事件は、いきなりどこかの気違いが起こしたわけではなく、原因があるはずです。
過去・現在の色々な紛争が複雑に絡み合っていますが、元をただせば、アメリカが宗教も文化も違うテリトリーに、無神経に入りこんで干渉、果ては軍事行為をおこしたのが原因ではないでしょうか。

何か問題を解決するには、まず原因を追求し、それを根源から改善しないと、どんな問題だって いつまでたっても うわべ以上の解決は出来ないはずです。
病気の治療と同じですね。

この世に陰と陽のエネルギー(愛と憎悪)がある限り、戦争行為はなくならないかもしれませんが。人類が、精神的に更に上のレベルに進化出来るのは、まだあと1000年くらい待たないといけないんでしょうね。
もっと成熟した解決方法があると思うのですが、昨晩CNNで大統領の国会での宣戦布告めいた演説を聞いていて、「アメリカはまだまだ子供だな」と思いました。

今回 軍事報復に訴えないとして、それでもテロ行為は続いて行くと思うか。
軍事報復をした場合、どんな反響が考えられるか。
さまざまな選択肢を想定しつつ、これから起こりうる結果を見極めてほしい。

「原因」と「結果」を見極める能力が十分に備わっていてこそ、そういう評価作業も可能になると思うのですが、今の米国人にその能力があるのかどうか。

こんなことを言うと、「外野は黙ってろ」なんて、アメリカ人に言われますか
しらね。≫

==
■後記■

  「米国で高揚するナショナリズム」といった論評を、最近よく目にします。

  さて、いかがなものでしょうか。

  このコラムでも何度か書いてきましたが、米国はもともと、極めてナショナリズムの強い国なのです。そして、極めて特殊な国です。
 
  わたしなど逆に、「ニューヨークとワシントンDCであれだけの惨事があって、よくぞこれだけ落ち着いていられるものだ」と、米国人の余裕ぶりに感心しているほどです。
  日本で報道されている「高揚した」米国の姿なるものは、わたしには米国のごく普通の日常の延長に見えます。
  だから、ある意味で、安心して見ていられます。
 
  これから中東・西アジアに対してどういう軍事作戦を展開していくのか、米国政府では多面的な議論が繰り広げられていることでしょう。
  願わくば、これまで米国が犯した様々のあやまちを教訓にして極論が陶汰され、犠牲となる人が最小限で済みますように。
  過去の教訓と、現代世界の価値観を、米国政府が精一杯に汲み取ってくれるよう、祈るような気持ちです。
 
  日本は、と言えば、米国に対して意見できるような国になれることを目指して、10年計画を立てるべきでしょう。

  諜報・情報分析機関の格上げと拡充、戦時法制を整えて通常の自衛は米軍なしで対応できるだけの体制を作ること、内閣法制局の立法サービス機関への格下げ ―― やるべきことは一杯あります。

  それがなっていない今、米国に対する日本の発言力はゼロと思うしかないでしょう。
 
  そういう日本の姿を選択してきたのは、われわれ自身です。
  そして、そういう日本を変えていけるのもまた、われわれ自身しかいないではありませんか。

 主権国家への不信と信頼 (平成13年9月21日)
 ウサマ・ビンラーディンは、さびしい地球人である。
 昭和32年にサウジアラビアで生まれた。
 建設王の養父から3億ドルの資産を受け継ぎ業容拡大。
 抗ソ連のアフガニスタン ゲリラ戦では英雄だった。
           
 イラク軍南下に対して、サウジの国防をどうするか。
「イスラム圏の問題はイスラム圏諸国間で解決すべし」というのが彼の持論だった。
大局観としては正しい。
 米国駐留軍なしのサウジ防衛は 今は非現実的だが、長期的には 米国が撤退可能な状況を作っていくべきだ。
 もしサウジアラビアが言論の自由のある国だったなら、有力な野党政治家として大成していたかもしれない。

 ところが、祖国サウジアラビアは彼を追放する。
 主権国家への強烈な不信感に性格が歪みきった彼は、見境
みさかいを失い、主権国家の王者への戦いを挑んだ。
          
■ 「反米病」から自由であることの幸運 ■               

  商社マンって、どんな仕事をするんですか? というご質問を いただいたことがある。
 
  「他の人が しないことをするのが仕事です」 とお答えした。これ以上の答は、いまだに見つからない。

  現在も、ある案件の契約交渉をしているのだが、それぞれの当事者が米国人の弁護士を擁
ようしている。当然われわれも。
  白兵戦は弁護士どうしがやる。理詰めで来てるなと思っていたら、次の瞬間とてつもないハッタリを噛ましてきたり、恫喝
どうかつ、脅おどし、嘲あざけり…と、何でもありの世界だ。

  コラム子など、黙っているのが癪
しゃくで、日本人としてはわりあいに白兵戦に参加する方だが、返り血を浴びてみたり、あわや討死うちじにというところを味方の弁護士に救われたりと、けっこうハードなのである。

  ありがたいことに日本人も豊かになって、米国人弁護士を雇える身分となった。
  もしも日本人だけで あの とんでもない米国人軍団を相手にしていたとしたら、コラム子なども、ものすごい米国人嫌いになっていただろう。性格がゆがむほどの反米派になっていたかもしれない。
  米国人をあるていど余裕をもって観察できるのも、敵方のみならず味方にも米国人がついていてくれるからだ。

■ お笑いを一席… ■

  米国を牛耳っているのは、「弁護士」階級である。驚いたことに、国会議員のほとんどが弁護士資格を持っているらしい。
 
  日本で東大卒が何かと冷やかしの対象となるごとく、米国に弁護士をネタにしたジョークは数多い。

  今回の大規模テロで飛行機が飛べなくなり、旅客が列車・長距離バスに殺到した。
  日頃はガラすきの列車の切符が、満席でなかなか取れなくなった。
  さっそくこんなジョークがインターネットを飛び交った ――

≪弁護士3名と技師3名が、長距離列車に乗った。
弁護士は切符3枚をなんとか工面したが、技師たちは1枚しか工面できなかった。
それでも技師たち3名は列車に乗った。
(米国では、地下鉄を除き、列車に乗るまで改札はなく、プラットホームも自由に入れる。列車に乗ってから車掌が検札に来る。)

技師3名は、検札の車掌が来そうになると、3名連れ立ってトイレの個室に入り込んだ。
車掌がドアを叩く。
「検札でーす。切符を出して!」
切符を握った腕が1本、ドアのすきまからニョキッと出た。
車掌は切符を検札すると、そのまま持っていった。
(米国では、車掌が検札時に切符をそのまま持っていくことが、ままある。列車を出ると、改札の場所はもう無い。)
技師3名は、無事に目的地に到着した。≫

■ 知恵くらべ ■

≪帰りの列車は、切符が売り切れで、弁護士3名は切符が1枚しか工面できなかった。
「えい、ままよ!」

ところが、技師3名に至っては、切符が1枚も工面できず。それでも技師たちは意気揚々と列車に乗り込んだ。
「馬鹿な技師たちめ。あいつら、いったいどうする気なんだ!?」
と弁護士たちは いぶかるが、技師たちは意に介さず。

さて、いよいよ検札の時間が近づいた。
弁護士3名と技師3名は、それぞれ別のトイレの個室に3名ずつ連れ立って入り込んだ。

……すると、技師の1名がトイレを出て、弁護士3名がもぐっているトイレの個室のドアを叩いた。
「検札でーす。切符を出して!」≫

  このジョーク、著作権料がいくらなのか聞き忘れた。
  著作権者が凄腕の弁護士でないことを祈りたい。

■ 第2の国歌 ■

  CNN以外の通常テレビ局で、テロ関係報道にもっとも力を入れていたのがNBCテレビだった。そのNBCも、17日月曜日には通常の番組編成に戻った。

  11日、12日とニューヨークのブロードウエーも灯が消えたが、13日の木曜日にはミュージカルも再開した。
  「オペラ座の怪人」「美女と野獣」など数々の舞台で、キャストが観客とひとつになって God Bless America を歌った。

≪神よ、わが愛する国アメリカを護(まも)りたまえ。
この国を見守り、導きたまえ。
夜を行くときも、天より照らしたまえ。
山々から大草原へ、そして白く飛沫(しぶ)く海原に至るまで
わがふるさと、心のふるさとアメリカを、神よ 護りたまえ。≫

  「うさぎ追ひし かの山、小鮒釣りし かの川」で始まる「ふるさと」を何となく思い起こさせる。
(だから最後の my home sweet home を「わがふるさと、心のふるさと」と訳した。訳しすぎだろうか。)

  正式な国歌のほかに、こういう国民歌があるのはたいへんいいことだ。日本も「ふるさと」など十分その役目を果たせる歌だと思う。
 
  この God Bless America が、大規模テロ以降 いろんなところで歌われている。
  英米戦争にはためく星条旗を歌った国歌では、ちと重過ぎるのである。

■ 休戦記念日に大ヒットした歌 ■

  God Bless America の作者、アーヴィン・バーリン (Irvin Berlin) は、明治21年ロシア生まれ。
  5歳のとき米国に渡り、大正7年にミュージカル用にこの歌を作ったが、さすがにミュージカルには不向きで採用されず、お蔵入り。
  その後昭和13年になって、風雲急を告げるヨーロッパの戦況を憂い、祖国アメリカの平和を祈って、お蔵入りの歌を若干改作。同年11月11日の第1次大戦休戦記念日にラジオで発表したところ、全米で爆発的にヒットした。

  そういう由来の歌である。

  ごく普通の平和を大事にしたいという、この歌を歌っている米国人を見ていると、変に眦
まなじりを決したようなところはなく、健全な余裕が感じられる。

  今回の軍事作戦は、最近の典型的戦闘に見られる都市部の巡航ミサイル爆撃中心の展開とは異なるだろう。

  アフガニスタン周辺に集結する、米軍その他の多国籍軍の巨大な通常兵力の目的は何か? 
  周辺の主権国家に にらみをきかせて、ビンラーディン 一派の側へ寝返ったり、一派を密かに支援したりさせないようにする、ということだろう。
  「主権国家群」対「グローバル無政府組織」の戦いなのだから、主権国家がグローバル無政府組織の側に寝返っては困るのだ。

  ソ連侵攻後のアフガニスタンのゲリラ戦が長期化したのも、ソ連とアメリカという主権国家どうしの代理戦争になってしまったからだ。
  今回の戦争を主権国家間の本格戦争にしないために、「主権国家群」結束の維持が必要だ。だから米国・多国籍軍の強力なにらみが必要なのだ。

■ 大国のそれぞれの罪深さ ■

  巨大犯罪の捜査・掃討は、特殊部隊 と 情報機関の裏ワザが中心になると思う。
  民衆を多数巻き添えにするような攻撃は最小限に止めないと、米国の指導力が保てないと思う。無辜
むこの民が犠牲となっても、タリバンの高笑いが響くだけだ。

  いつもながら悲しいことに、周辺の貧しい諸国の兵士が傭兵的に前線に駆り出されるという図式もまた再現されるだろう。あるていどは不可避かもしれない。
  そうやってまた新たな憎悪の組合せが生まれることだけは、ほんとうは何としても食い止めたいのだが。
 
  アフガニスタンとその周辺を翻弄してきた大国はそれぞれに罪深い。
  ただ、翻弄された側にも、幕末・明治維新の 日本人並みの 品性があったなら、ずいぶん違ったろうにとも思う。

  「無限の正義」という、日本人なら考えもしないような作戦名。願わくば、その「正義」が、中東・西アジア和平の百年の大計を考えるものでありますよう。
  それは、戦いおわった後、米国の軍事的関与がより少なくて済むような世界を作る、ということだ。
  その逆に なってしまったら、「無限の正義」という名は どうか返上してもらいたい。

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■ 反響 ■
 
  9月17日号「これは『国際紛争』か?」について、
オランダのアムステルフェーン市にお住まいの読者の方から9月18日にメールをいただきました。

≪いつも、単刀直入、大変わかりやすいコラムをありがとうございます。

テロ事件後、アメリカからの報復を危惧する意見や、小泉さんが「アメリカを支援する」と 発言したことに 対する 批判などを 読むことが多いのですが、その中にあって、今回の配信は はっきりと それも無理なく、日本の取るべき立場を言明していらっしゃるので、なぜか胸の つかえが すっきりしたような気分です。

私は、「戦争は絶対悪」と思っています。多くの罪のない人たちの命を犠牲にし、更に殺し合いを続けようとすることには絶対反対です。
どんな人にも生んでくれた母がいます。そして、どの母親もわが子を戦争で失う悲しみは味わいたくないはずですから。

でも、今回ばかりは、そんなこと言っていられないのではないかという気がしていました。

昨日テレビに映ったアメリカ人女性。
妻であり母である彼女自身が、予備役召集を受けてためらいもなく、「アメリカのため」と語っている姿。
「自分の命よりも大切なものがある」ということを自然に受けいれているその姿に、わたしたちが失いかけている崇高な精神を感じました。

世の中の仕組みがこれまでの体制ではうまく機能しなくなっていることは確かでしょう。これまで通りの方法論では、最終的な解決は望めないのかも知れません。

それでもなお、現在の枠組みの中でアメリカが守りたいものがあるなら、それはとりもなおさず日本にとっても守り抜きたいものであるはずです。

できることなら、犠牲者を一人も出さずに、無血で解決して欲しいと心から願っています。

アフガニスタンの反タリバン勢力を率いていたマスード氏が暗殺されたのは、衝撃的な事件でした。
幾多の艱難(かんなん)辛苦を乗り越えて、アフガニスタンをソ連の手から取り戻し、更にタリバンの執拗(しつよう)な攻撃から逃れてきた彼。
その彼が、なぜまた、ジャーナリストになりすました下手人によって命を落とさなければならないのか。

こんな大事なときに、と残念でなりません。

これからも新鮮なコラムを楽しみにしております。≫

==
■後記■

  「インターネット上で悪性のウイルスが発生した」などと、まるで自然現象であるかのように呼ばれる「ウイルス」。

  わがコラムでは、この言葉は使いません。
  わたしは、「加害プログラム」と呼んでいます。

  すべての「ウイルス」は、不心得者が人知を尽くして作成したものです。愉快犯の究極の姿です。
  これを自然発生するものであるかのように報ずるマスコミ、そしてその用語法にからめとられてしまう私たち。
==

 
God Bless America 歌詞の英文原文をご紹介しておきましょう。(句読点の付け方は、テキストによっていろんな流儀があるようです。)

≪God bless America, land that I love.
  Stand beside her, and guide her,
  Through the night with a light from above.
  From the mountains, to the prairies,
  To the oceans, white with foam.
  God bless America!  My home, sweet home.≫

  この歌を紹介しているホームページもいくつかあるようですが、今頃テロリストたちが、密かに加害プログラムの埋め込み作業をしているかもしれませんよ……。

    
 これは「国際紛争」か? (平成13年9月17日)

 ビンラーディン一派の投降に一縷の望みはあるにせよ(と一応は書くにせよ)、米国軍展開は不可避でしょう。
 わが日本国憲法をよくよく読んでみるときです。
             
≪われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。≫
≪自国のことのみに専念して他国を無視してはならない≫
≪日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。≫

 日本の進むべき道は明らかではないでしょうか。
 日本が攻められたときに同盟国の支援を受けたいなら。
             
■ 鬼弁護士の涙 ■

  「きょうは早く帰らなきゃならないんだ。近所のホッケーコーチの子供たち4人をうちで面倒を見ていてね」
  ニュージャージー州にいる我が方の鬼弁護士が、電話の向こうでそう切り出した。

 「ホッケーコーチは、マンハッタンでまだ消息が無いんだ。奥さんが八方手をつくして探しているんだが…。状況を聞くと、ものすごく厳しいんだけど、奥さんは絶対にあきらめないと言ってる。…」

  鬼弁護士は、涙声になっていた。
  テロから2日後の、13日木曜日夕方のことである。

  実はコラム子も11日火曜日の夕方6時半発の便で、フロリダ州からニューヨークに向かう予定だった。
  もちろんこれは、テロ発生後、即キャンセルとなったのだが、1日違っていればマンハッタンにいたところだった。

■ グローバル非政府組織の恐ろしさ ■

  それにしても、今回の戦争は敵がいまだによく見えず、敵の要求もはっきりしない。どこを叩けばよいのかもよく分からない。
  仮面ライダーの悪の軍団「ショッカー」あたりを連想させる。
  主権国家の枠をはずれた、
あたらしい「グローバル非政府組織」タイプの強敵である。

  オウム真理教なども、 下手をすれば こういう存在になっていたかもしれない。
  比較的早いうちにサリン事件などを起こして、ほとんど撲滅されたかに見えるが、サリン事件のころ既にロシアに触手を伸ばしていた。

  ロシアから中央アジアへとネットワークを広げ、今回の首謀者視されている ウサマ・ビンラーディン (Osama bin Laden)  等と組んで、一気に国際テロをぶちかます ―― といった恐ろしいことだって可能だったはずだ。

  オウム真理教の首謀者たちのIQがもう少し高ければ、もっとしっかりグローバル・ネットワークを作ってからサリン事件を起こし、自分らはちゃっかり高飛びし、今ごろビンラーディン一味と仲良く暮らしていたかもしれない。

  今回の戦争は、ある意味では「主権国家群」対「グローバル非政府組織」の戦いと言ってよい。
  「国際共産主義運動」という強力な「グローバル非政府組織」との戦いが終焉したかと思ったら、別の敵がモグラ叩きのモグラのように顔を出してきた。

■ 警察と軍隊の棲みわけが通用しなくなった ■

  それでも、これまでの世の中では、主権国家が圧倒的に強力だった。
  わずか1時間で1000億ドルの被害と5000人の民間人殺戮をやってのける悪の軍団というのは、SF映画にしか存在しなかった。
  だからこそ、これまでは安全保障においても警察と軍隊の棲(す)みわけができていた。 主権国家を相手にする戦いは軍隊、 非政府組織相手の戦いは警察、ということになっていた。

  この
棲みわけが通用しなくなったのが、今回の空恐ろしい出来事だ。

  「宗教国家」日本らしく、さっそく日本には「今回のテロへの報復はさらなる報復を呼ぶ。戦争は止めるべきだ」と禅僧みたいなことを言っている政治評論家と評論政治家がウヨウヨしているらしい。

  宗教的コメントはまことにありがたい限り。
  それらの論者は、オウム真理教が事件を起こしたときも、「報復はさらなる報復を呼ぶ。警察が下手に捜査や犯人逮捕をして、その報復に第2、第3の地下鉄サリン事件が起きたらどう責任を取るつもりだ!」と言って、事件捜査・犯人逮捕に反対したのだろう。(まさか!!)
  そう言えば、オウム真理教の組織をついに日本政府は非合法と認定せず、解散もさせなかった。
  「グローバル非政府組織」を甘く見ると、主権国家はとてつもないしっぺ返しを受けることになるのだが。

  軍隊を動員せざるをえないのは、警察ではとても手に負えない相手が出現してしまったからだ。
  日本の禅僧評論家たちよ、今回の相手が警察で太刀打ちできる相手とお思いか。
  もちろん、作戦は周到に準備する必要がある。高度な外交と情報機関の裏ワザをも総動員した、これまでとは全く異なる戦争となるだろう。

■ イスラム極論主義諸国の影 ■

  大規模テロが起きてから、当地の新聞記事を浴びるほど読んだ。
  ニューヨークタイムズなど、本編28ページを全部テロ関係報道に充てて詳細報道し続けている。フロリダ州で印刷する全国版でこれだから、地元ニューヨークではもっとページを費やしているだろう。
  社会ネタはほとんど無視するウォール・ストリート・ジャーナルも、今回は本編20ページのほとんどをテロ報道に費やした。

  ビンラーディンの非政府組織が首謀としても、そのバックにやはりよほどしっかりした主権国家がいなければここまではやれまい、というのがほぼ一致した見方だ。
  アフガニスタンのタリバン政府は確実として、そのさらに後ろにいるのは、イラク、イラン、シリア、スーダンか…。合わせて人口1億6千万人の国家群だ。
  まさかこれらの国すべてに侵攻し占領するつもりではなかろうな、と、ニューヨーク・タイムズも9月15日の社説で釘を刺している。

  タリバン「征伐」に表向きは協力を表明させられているパキスタンとて、軍部や宗教界のタリバン支持層はあなどれない。
  そもそも「イスラム極論主義」集団であるタリバンの発祥は、パキスタン北部のテロ養成機関だ。表向きは宗教学校ということになっているそうで、この辺、オウム真理教の「サティアン」を彷彿(ほうふつ)とさせる。
  ビンラーディン一派のテロ集団を動員して、国境紛争の絶えないカシミールでインド軍と戦わせたりしているらしい。
  人口1億4千万人のパキスタンもまた、タリバン政府とドロドロした「持ちつ持たれつ」の関係にある。
この大国パキスタンまでイスラム極論主義の国になったら、大変なことになる。

■ 魔性の国 ■


  それにしてもアフガニスタンは、「国じゅうが硫黄島のようなところ」とでも言えばいいのだろうか。
  人口の拡散した山岳地帯。ゲリラ戦闘員にとっては夢の国だ。
  都市はすでに相当破壊されているから、都市を絨毯爆撃しても無意味だ。都市から逃げる先すらない民衆が苦しむだけだ。

  19世紀には、かの大英帝国が植民地化を試みて2度攻めて、2度とも完敗している。ロシアがアフガン経由でインドへ攻めてこないように先手を打ったのだが、アフガニスタンがかくも難攻不落なら、放っておけばよかったのに、というところ。

  22年前にはソ連が侵攻した。当時のアフガニスタンの共産主義政権の後ろ楯となるべく、実は「平和的進駐」を目論んだのだが、誇り高きゲリラとの泥沼の10年戦争に突入してしまう(昭和54年〜平成元年)。

  ウォール・ストリート・ジャーナルの 9月12日号のコラムで、Mark Helprin 氏が 「ヒトラーを倒した我々なら、この敵も倒せる」と題して書いている。
  爆撃だけでは 勝利は不可能で、地上部隊展開が必要。 航空母艦も20隻投入。通常軍はもちろん、特殊部隊を10万人投入する必要がある。……

  それでも戦わねばならないと、うめくがごとくに語り続ける論者が多いのがウォール・ストリート・ジャーナル。
  それに対して、あれこれ論じた挙げ句、禅問答のようになって結論が見えない文章が多いのがニューヨーク・タイムズだ。

■ アフガニスタン北部の政府がどこまでもつか ■
 
  戦争をするにしても、戦後の相手国をどう経営するか構想がはっきりしていなければ危険だ。

  日本など、米国にとっては非常にやりやすかったに違いない。

  米国が目指した「民主主義」「実質主義」は、日本にもしっかり存在していた。なにしろ、米国は敵を間違えただけなのだから。
  欧米流の政治を体現している官僚集団がいた。国民を明治維新の御一新の気分に戻せば、それでよかった。
  そして、米国が正義で、日本の「軍国主義」が悪だ、という宣伝に、外部からの雑音は一切入らなかった。

  アフガニスタンは難しい。

  実は、日本はじめ 世界のほとんどの国が承認している アフガニスタン政府は、首都カブールを占拠する狂気のタリバン政権ではない。平成8年にカブールから北へと追われた旧政府こそが、国連に議席を持っているアフガニスタンの正統政権なのである。
  この北部の正統政権がもっと強ければ、これを支援してタリバンを打ち負かそう! ということになるのだが、これが実は 国土の10分の1を支配するのみの 風前のともしびのような政権だ。
  しかもその内実たるや、ソ連軍とそれぞれに戦ってきたゲリラ集団の集まりに過ぎない。これを何とか束ねてきたリーダーのアフメド・シャー・マスード(Ahmed Shah Massoud)
国防相は、9月9日に暗殺者の手にかかり重傷を負い、9月14日に死亡が確認された。政権内には根深い部族間対立がある。……

  ビンラーディン一派やタリバン政権を打ち負かしたとしても、次にアフガニスタンを支配する政権が二流三流では、またもやイスラム極論主義の餌食になりかねない。
  そもそもイスラム極論主義は、部族間対立を止揚するためのイスラム式グローバリズムなのだから。

  最近の世界の病気は、どこを切っても「グローバル」がキーワードだ。
 
==
■後記■

  Islam fundamentalist ―― 「イスラム原理主義者」。
 
  このコラムでは、「イスラム極論主義者」という用語を使っています。
  自称「原理主義者」たちは、本来のイスラム教の豊かな文化的世界とはほど遠いところで、「われこそはイスラムの正統原理を護る者だ」と称してのさばり、イスラム教への偏見を振り撒いています。
  その輩を称して「原理主義者」とは、お追従
ついしょうにも程があるのではないでしょうか。

==

  A Terrorist Pearl Harbor (テロリストの真珠湾)とは…。
 わが愛読紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』の9月12日号の社説タイトルには参りました。

  さすがに9月13日にもなると、テレビや新聞でも「真珠湾」への言及はほとんどなくなってきました。主権国家の正規軍が軍事基地を攻めた真珠湾と、グローバル無政府組織の民間人へのテロとの違いに、米国人も思い至ったからでしょう。

 
真珠湾については、幾人かの読者から「開戦時の日本大使館の失態」のことでメールをいただきました。
  それぞれに内容は少しずつ異なりますが、総合すれば
「奇襲となってしまったのは、日本大使館が日米交渉打ち切り通告を米国政府に渡すのが遅れたためで、日本の本意ではなかったことを、もっと米国人に知らせるべきだ。真珠湾攻撃じたいは必ずしも不当ではないのに」
というような趣旨かと思います。

  そのとおりだとは思いますが、光の当て方を変えてみたいと思います。

  日本大使館の失態そのものは、日本外交史の大汚点であり、日本人の常識として高校の歴史教科書に記述する必須事項とすべきです。

  しかし、日本大使館の あの失態が あったことすら知らぬ海軍は、「奇襲成功!」と喜び、新聞も「奇襲成功」を大見出しにしました。外交上は「奇襲」を意図していなかったにせよ、軍事的には「奇襲」が意図でした。

  東京からの指示通り、真珠湾攻撃の30分前に運命の電報を米国政府に届けたからとて、ローズベルト大統領が「日本人は正々堂々と宣戦布告してから攻撃してきており、まことに立派な国民です」などと議会で日本を弁護してくれたはずはないでしょう。
 
  日本にも米国にもそれぞれの理由があっての戦争でした。だから、真珠湾攻撃が不当だとは言いますまい。
  しかし、限りなく愚かな攻撃だった、と申し上げぬわけにはいかない。

  9月16日付のニューヨーク・タイムズで、David M. Kennedy 氏が 「つかまえどころのない敵との戦い (Fighting an Elusive Enemy)」と題した論評を書いています。
  そのなかで、日本の真珠湾攻撃について的確に総括しています。

日本海軍が真珠湾の軍事基地を攻撃したのは、極めて伝統的な軍事・外交上の目的のためだった。
米国の太平洋艦隊を機能不能の状態にし、厭戦気分に満ちているように見える孤立主義の米国と あわよくば 政治決着に持ち込み、それによってインドネシアの石油を確保し、さらにはアジアにおける勢力圏を軍事力によって思うがままに拡げていけるようにしたい、というものだ。
それは、日本にとっては絶望的な賭けだった。しかし、狂気の賭けではなかった。
数ある戦争・政治絵巻を見れば、似たような理由の開戦はざらにある。


  だから、真珠湾攻撃を「不当」とは言いますまい。
  しかし、日本人として省みて、限りなく愚かな攻撃だったことが悲しい。

  ジャズに浮かれる軽佻浮薄の徒に見えた当時の米国人1億3200万人が、いかに誇り高く、愛国心に満ちた国民か、思いのほか保守的で他国からの干渉をいかに徹底的に嫌う国民か(今でもそうです!)――
  真珠湾攻撃が、米国国民にいかなる火を付けるか、当時の日本人は分析しきれなかったのです。

  今回の米国の「高貴なる鷲」作戦に必要な支援を日本が拒んだならば、大陸中国は大喜びでしょうが、米国をはじめとする西側諸国がどういう反応をするか、日米同盟はどうなるか ―― 平成の日本人の的確な判断に、わが国の運命がかかっています。
 
 日本は自国のことのみに専念するか? (平成13年9月12日)
 9月11日 朝9時半ごろ。小会議室に こもっていた。
 ニューヨーク郊外の Newark にいる弁護士からの電話が鳴った。この弁護士の電話を待っていたのだ。
             
 「あ、おはよう。昨日もらったメールの件だけど…」
  「イズミサン、知らないのか? 世界貿易センタービルがやられたのを! 黒い煙がもうもうと上がっているのがここから見える!」             
             
 マンハッタンから電車で15分の弁護士事務所からは、摩天楼のスカイラインがきれいに見えていたものだ。世界貿易センタービルはひときわ高かった…。
  びっくりして大会議室に行くと、オフィス中の人がテレビに釘付けになっていた。

■ 「国家」が見えるアメリカ ■
           
  今も、このコラムを書きながら、NBCテレビを見ている。
  映画やマンガの専門放送局は別として、一般放送局は朝から一切コマーシャルなしで今回の同時多発テロのことを報道し続けている。

  ニューヨークから遠く離れた、ここフロリダ州のオーランドでも、夕方のローカルニュースによると病院に献血志願者が殺到して、献血するのに2時間待ちなのだという。
 
  ワシントンD.C.で 与野党の主要国会議員が集まっての 記者会見があった。
  会見が終わるや、誰が歌うともなく、与野党の数十人の議員たちが共に歌い始めた。

  God bless America, my home, sweet home!
(神よ、わがふるさと、心のふるさと、アメリカを護りたまえ)

  みごとな国民、みごとな国家である。
    
■ 「われわれは1941年12月8日にいる」 ■

大西洋艦隊司令長官 Robert J. Natter 海軍大将 ――
「このような形で攻撃を受けたのは真珠湾以来のことだ」
(We have been attacked like we haven't since Pearl Harbor.)

  ニュースを聞いていると、ほとんど 15分おきに Pearl Harbor(真珠湾)の語が聞こえる。
「真珠湾以来60年ぶりの米国の領土への攻撃だ」
「日本が真珠湾を攻撃してきたときは、軍用機が軍事施設を攻撃したが、今回は民間機を使って民間施設を攻撃するという実に卑劣な攻撃だ」
という具合に。

  単なるテロではなく、戦争を仕掛けられたのだ、という受け止め方だ。

  ブッシュ大統領は、米国11日 夜8時半からの談話で
「テロ行為を行った者らのみならず、それらテロ行為を行う者を匿
かくまっている者らへも制裁を加える」
と表明した。
  この発言が重く受け止められている。
  湾岸戦争と似た戦争に発展していくかもしれない。

■ 日本は「自国のことのみに専念」するか? ■

  ひょっとしたら、敵はアフガニスタン、ということになるのかもしれない。
  米国11日夕方6時から7時ごろ、アフガニスタンのカブールでの爆発多発をCNNが中継していたが、その後カブールは画面から一切消えてしまった。

  今後どうなるのか分からないが、もしも仮に相手がアフガニスタンなら、かのソ連軍が手を焼いた相手であって、泥沼の戦争になりかねない。

  日本政府としては、湾岸戦争以上に距離を置きたいだろう。たとえ今回のテロによる日本人犠牲者が多数確認されたとしても…。
 
  しかし、米国は必ずや同盟国にテロ撃滅戦争への参戦を呼び掛けるだろう。
  そして、今回の多発テロで自国民が1人でも犠牲になった他の西側諸国は、何らかの形で参戦するだろう。

  わが政府も国民も、米国からの参戦呼び掛けに備えておいた方がよい。
  わが日本国憲法前文も言っているではないか。
≪いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、…≫
 
■ 日本がようやく米国側につく日 ■

  日本がこれに参戦すれば、「真珠湾で米国を奇襲した日本は、今やようやく米国側の国となった」と言われるだろう。
  少なくとも、米国のメディア的には。

  さきに訪米した田中外相は、米国が日本に対して犯したもろもろの戦争犯罪を語ることなく、ひたすら日本軍による連合国軍捕虜虐待を謝罪した。
  すでに半世紀以上も前に、多数の(冤罪も含む)B級・C級戦犯の処刑によって贖
あがなった罪を、半世紀後に改めて謝罪する不見識と屈辱!
  この屈辱のアンバランスがようやく解消されるかもしれない。

  それとも日本国民は、またまたいつもの「宗教的諦念」にはまり込むのだろうか。
  広島・長崎の日にも米国糾弾の声が誰からも上がらない、このみごとな「宗教国家」日本のありようそのままに。

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■後記■

  多発テロについての米国のテレビ局の報道を見ていて、気がついたこと。

  日本なら、死亡が確認された人の名前を片っ端から読み上げるとか、病院ごとの収容者の名前を読み上げるとか、そういう番組が必ずあると思うのです。
  身内を亡くして悲嘆にくれる遺族にマイクを向ける愚劣なレポーターも、日本なら必ずいます。

  それが米国では皆無。
  あまりに犠牲者の人数が多く、また、全身やけどの犠牲者たちの姿があまりに悲惨だからでしょうか。

  次々に爆発しては崩れ落ちるビルの下で救助作業にあたっていた消防士さんたちも200人以上が犠牲になったと聞きます。

  重傷・大火傷とたたかう人々、瓦礫のなかで捜索を待つ人々を、神よ、護り給え。
  アメリカ、がんばれ!