「広島・長崎」をアメリカ人はどう見ているか



青森県八戸市の読者の方から平成13年9月28日にこんなメールをいただいた。
 
≪日本への原爆投下について、米国の軍・政権上層部と、一般大衆の素朴な心情の間には、相当の乖離があるのではないかと思うのですが、米国の現代のベスト&ブライテスト(エリート層)はこの問題をどのように理解しカタを付けようと意図し、あるいは無視もしくは等閑視すべく決心したのでしょうか。「そんなこと全く念頭に無い」という可能性が、選択肢の1つでなければ宜しいのですが。≫
 
「広島・長崎については、改めて書かせてください」とそのときコラム子は約束した。
いくばくかでも、そのお約束を果たさせていただきたい。
 
米国の著名人にインタビューを… というわけにもいかないので、米国の歴史教科書を読んでみよう、と思いついた。


   アメリカの中学生にとっての「原爆」




【平成14年2月3日配信】
 中学生用教科書 The American Nation (US$ 79.50)
 高校生用教科書 The American Journey (US$ 86.67)
 いずれも米国で定評のある教科書で、Prentice-Hall, Inc. という専門出版社が出したもの。米国の書店 Barnes & Noble にインターネットで注文した。
 
 アメリカの歴史教科書は日本と比較にならぬボリュームだと聞いていたが、注文時には値段に驚き、現物を取り寄せてみてさらに仰天した。
 
 The American Journey は、付録も入れると 1,133 頁ある。
 28 cm x 22 cm x 4.3 cm と百科事典サイズだ。
 重さを台所の秤で量ろうとしたら、針が振り切れてしまって、やむなく体重計で量った。3 kg 近くある。
 
 本文33頁目にして、すでに西紀1600年のあたりである。そのあと現代に至る400年間の躍動を、およそ1000頁かけて記述していく。
 いったいどういう授業をするのだろう。
 
■ 原爆投下にいたる「物語」 ■
 
 中学生用の The American Nation も 940 頁ある。
 1冊1万円以上する教科書を、政府が無償配布するわけはない。生徒は貸与されるのだ。
 表紙を開けると、生徒の名前と「貸与前」「貸与後」の本の状態を書く欄が8行ある。8人が使うことを想定した本なのだ。だから、「書き込み厳禁」と書かれてある。
 
 さて、これらの教科書で「原爆投下」のことがどう書かれてあるのか。
 
 まず、中学生向けの The American Nation から。
 
(本文751頁)
≪1945年4月になると、米軍は日本本土を繰返し攻撃できるところまで進出した。米国の爆撃機が日本の工場や市街地をたたいた。米国の戦艦は沿岸部を砲撃し、艦船を沈めた。
日本国民はひどく苦しんでいた。それでも指導者たちは、連合国に対する栄えある勝利をおさめることを語り続けていた。≫
 
≪米国軍指導者たちは、秋になったら日本を侵攻するという計画を立てた。
侵攻によって、米軍には15万から25万の犠牲が出るであろうと、軍指導者たちは警告した。≫
 
≪1945年7月下旬、連合国の指導者であるトルーマン、チャーチル、スターリンは、ドイツのポツダムで会議を行った。ポツダムのトルーマンに、本国から驚くべきニュースが飛び込んだ。
アメリカの科学者たちが秘密の新兵器、原子爆弾の試験に成功したのだ。
新兵器の威力はすさまじく、たった1個の爆弾で1つの都市を破壊できる。
使用するにはあまりに危険だと考える科学者もいた。≫
 
≪ポツダムから連合国指導者たちは日本に対して、降伏せねば「ただちに徹底的な破壊」が行われるであろうとの警告のメッセージを送った。
日本の指導者たちは原子爆弾のことを知らなかった。
彼らはポツダム宣言を無視した。≫
 
≪1945年8月6日、米国の爆撃機エノラ・ゲイが、日本の広島に原子爆弾を投下した。
爆発によって少なくとも7万人が死に、同人数が負傷した。
市の大部分が破壊された。≫
 
≪1945年8月9日、米国は第2の原子爆弾を、今度は長崎に投下した。
約4万人の居住者が即座に死んだ。
その後、長崎でも広島でも、さらに多くの人々が、爆弾が放った致死の粒子、放射能によって亡くなった。≫
 
≪日本の内閣における激しい議論の末、日本の天皇は1945年8月14日に降伏を発表した。
正式な降伏は、9月2日に東京湾でミズーリ号の艦上においてなされた。≫

 
■ 「生ける怪物」としての核兵器 ■

 
 電柱に張り渡した電線も残ったままの廃墟(ということは、爆心地から相当離れている)のわきを、無傷のもんぺ姿で歩く2人の老女の写真。
 これが、The American Nation の伝える被爆地の様子である。
 
 ≪トルーマン大統領は、どういう理由で原子爆弾を使うことを決めたと思いますか?≫
という設問がある。
 
 その2頁後の、章末の復習欄。
 
≪戦争のあと、トルーマン大統領は、原子爆弾使用に同意したことについて、「それは戦争の苦しみを早く終わらせ、何千人もの米国の青年たちの命を救うためだった」と語りました。
大統領の決定は正しかったと思いますか? 
あなたの意見の根拠を述べなさい。≫

 
 さらに、その2頁後には、「一次資料を使って」というコーナーが設けてある。
 
≪日本に第2の原子爆弾を投下した飛行隊とともに飛んだ記者が書いた報告を読んでみよう:
 
『機の後ろを向くと、まるで地球の奥深いところから立ち上るように、巨大な火の玉が見えてきた。すさまじい大きさの白い煙環が噴出している。そして今度は、巨大な紫の火の柱が、1万フィートもの高さまで、すさまじい速さで天へ突き抜けていく。
…… 我々は茫然としてこれを見ていた。白い雲を突き抜け、天へ伸びていくその姿は、まるで生きているようだった。もはや、煙でも、ホコリでも、火の雲でもなかった。
何かの生き物、新種の存在物が、我々の目の前で誕生したのだ。我々は、自分の見ているものが信じられなかった。』
 
(1945年9月9日『ニューヨーク・タイムズ』ウイリアム・L・ローレンス記者)≫
 
そして設問がある。
 
≪さまざまな視点があることを知ろう。
(a)文章から、記者のどういう気持ちを感じますか? 
(b)原子爆弾の爆発の結果を、記者は何かの恐ろしい怪物に例えているのでしょうか? あなたの見方を述べなさい。≫

 
■ 実際の授業が見てみたい ■

 
 思いのほか詳しく書かれているのに驚かれた読者も多いのではなかろうか。
 原爆を投下したことの是非について執拗に自問しつづけていることだけは確かだ。
 この教科書にはマッカーサーの戦後日本の占領政策については実質的には1行も書かれていない。日本の歴史教科書には相当詳しく書かれる部分なのだが。
 その教科書にして、原爆投下についてのこのこだわりは大変なものだ。
 
 トルーマン大統領の言をそのまま良しとして授業を終えることもできるだろう。
 「米軍の犠牲を少なくするために原爆は必要だった。日本へは、ちゃんと警告も与えたのだから、我々はフェアだった」 ― そんな薄っぺらな授業も可能である。
 もちろん、それと異なる展開も可能だろう。
 米国でどんな授業をやっているのか、日本のテレビで紹介してもらえないものだろうか。
 
 教科書でこれだけの行数を原爆にさくことができることを、日本の執筆者はうらやむに違いない。行数が多いので、いろんな視点を盛り込めて、それなりにバランスのある記述ができた。
 
 今日にいたる核兵器がもつ底知れぬ恐ろしさを、ニューヨーク・タイムズ記者の文章に読み取らせようという部分など、教科書のあり方として高く評価してよいのではないだろうか。
 
■ コラム子に設問を書けと言われれば ■
 
 さて、教科書用の設問を書いてみよと言われれば、コラム子ならどう書くか。
 
「原爆は、対日戦争を終結させるために、どういう役割を果たしましたか。
次の4つのなかから選びなさい。
(a)日本の軍事基地や軍需工場に壊滅的な打撃を与えた
(b)日本人を大量に殺害することで、日本人の戦意を喪失させた
(c)日本がとうてい対抗できない新兵器を米国が保有したことを知らしめて、抗戦不能を悟らせた
(d)原爆によって日本の戦争指導者が死に、平和主義者が日本の新たな指導者となった。」

 
 いかがだろうか。米国の生徒たちにぜひ解かせてみたい。
 いや、米国といわず、日本の生徒たちにも。
 
 広島・長崎には、造船所があり港もあったわけだが、これらの施設は原爆ではほとんど被害を受けていない。(だから、三菱重工長崎造船所など、戦後復興で大いに活躍することになる。)攻撃されたのは、市街地である。
 だから、(a)は間違いだ。
 
 広島と長崎における原爆による死者の数は、昭和20年末まででそれぞれ約14万人、7万人とされている。日本側でよく引用される数字である。
 昭和20年3月の東京大空襲の死者が約10万人。恐らく、爆撃当日の死者数を比べれば、東京大空襲のときの方がむしろ多かったのではないか。
 原爆投下の翌日も相変わらず、新聞の社説がひたすら戦意高揚をうたっていたことはご存知のとおり。
 (b)でもないのである。
 
 常識ある日本人で(d)を選ぶ人はまずいないと思うが、案外米国では(d)を選ぶ人がかなりいるのではないか。
 
 コラム子の設問意図としての正解は、
「(c)日本がとうてい対抗できない新兵器を米国が保有したことを知らしめて、抗戦不能を悟らせた」
である。
 
■ 東京湾に原爆を投下していたら… ■
 
 そしてその次にこんな設問も書きたい。
 
「日本に、米国が強力な新兵器を保有したことを知らしめるために、原爆の投下地点としてはどこがふさわしいですか。
(a)戦争指導者の居場所である東京から650km離れた都市の市街地
(b)東京の中心部の市街地
(c)東京湾の中央ないし東京近郊の農地・山間部」
 
 設問意図は分かっていただけるだろうか。
 犠牲が少なく、宣伝効果の大きい投下地点は、(c)であったはずだ。
 なぜ実際には(a)だったのか、というのが次の問いになってくる。
 (米国の中学生に「広島・長崎は人体実験だった」と教えるのは、あまりに酷なのかもしれない。高校生向け教科書にどう書かれているか、このあとで触れたい。)
 
 さて、ここまで読まれて、憤慨される方もおられるかもしれない。
「東京湾のド真ん中に原爆を落とせばよかったというのか? それでは、まるで原爆投下を肯定するようなものではないか?」
 
 日本の戦後史は、2つの神話を懸命に奉ろうとしてあがいてきた。
 1つは、「日本国憲法は曲がりなりにも日本国民が選択したものだ」という神話。
 いま1つの神話は、「原爆投下は戦争の早期終結に貢献したわけではない」という神話。
 
 後者について言えば、原爆投下が終戦の決定へ大きな影響を与えたことは認めたうえで、その投下地点の選択のありかたについて米国側と論争すべきだというのが、コラム子の考えである。
 
■ 投下地点選択の議論にもっていくべきだ ■
 
 終戦の決定に大きく影響したのは、第1にソ連参戦、第2に原爆連続投下の悪夢だった。
 
 昭和の戦時社会主義政権が、同じ社会主義国のソ連の仲介による円満なる終戦をあてにしつつ戦争を継続したのが、昭和20年の日本の姿だった。
 その親愛なるソ連に攻めて来られたというのが、霞ヶ関の官僚にとっては最大の打撃だっただろう。
 
 わずかに2日をおいて立て続けに原爆を投下されたことの打撃も大きかった。
 実際には米軍が昭和20年8月に保有していた原爆は3発しかなかった。長崎に次いでもう1ヶ所に原爆を投下したとして、4発目の原爆が完成するのは11月の予定だった。
 日本政府は、そんなこととは知らず、日本中の都市という都市が次々に地獄絵と化していく悪夢を見た。
 
 必要があれば、米国人とはこういうふうに議論すべきだというのがコラム子の考えだ。
 
 You could have dropped the atomic bombs in the center of Tokyo Bay to let the Japanese know that you had developed a powerful weapon. How would you defend your position that Hiroshima and Nagasaki were the right choices?
(新兵器開発を日本人に知らしめたければ、原爆は東京湾の真ん中に投下すればよかったじゃないか。広島・長崎という投下地点が正しい選択だったとどうして言えるのか。)
 
これに対する反論は、たぶん、
How could yellow monkeys have ever recognized the significance of the new weapon if dropped over Tokyo Bay?
(東京湾なんかに投下して、黄色い猿どもが新兵器の意味するところに気がつくもんかね?)
という下品な暴言しかありえないだろう。
 
 米国の中学生用教科書にも、「投下地点の選択は正しかったか?」という視点がほしい。
 そこまで望むのは無理というものだろうか。

 

  アメリカの高校生にとっての「原爆」






【平成14年2月20日配信】
 米国の、定評ある高校生用歴史教科書 The American Journey に、「広島・長崎」のことはどう書かれてあるだろうか。
 
 日本の「平和教育」なるものは、情緒に流れて、ほとんど「宗教」の領域に達しているのだが、米国の歴史教科書はどうだろう。
 
■ 「なぜそうなったのか」「なぜそうしたのか」 ■
 
 日米戦争の最終段階、本文845頁を読んでみよう。
 
≪トルーマンはポツダムで、日本占領は米国が主導するつもりであることも明らかにした。日本の政治体制を民主化し、日本を国際社会に再び引き入れようと考えた ―― そしてその政策は成功することになる。
7月26日のポツダム宣言は、米国の方針を列挙して示し、日本に降伏のチャンスを与えた。
しかし、ポツダム宣言は、裕仁天皇が戦犯として裁かれることはないとまでは保証していなかった。
日本側の回答が前向きのものでなかったことから、米国側はポツダム宣言が拒否されたものと解釈した。≫
 
≪そこでジェームズ・バーンズ(James Byrnes)国務長官は、トルーマンに対し新兵器の原子爆弾の使用を力説した。原爆は、数週間前に試験を経たばかりだった。
日本人は死をいとわず徹底抗戦するのではないかと、米国側は恐れていたが、沖縄における日本側の凄まじい防衛戦がこれを実証した。
米戦艦に自機をぶつけようというカミカゼ飛行士たちの自爆出動は数千回にのぼり、これが日本人の狂信ぶりをあらためて証明しているように思われた。
米国の著名人たちは、無条件降伏をもたらすために、さらに6ヶ月ないし9ヶ月も苦しい戦いを続ける価値があるのかと疑問をもちはじめていた。
一方、もし原爆を使って戦いを早期終結させられれば、きっと米国がソ連の参画なしに 日本を占領できようし、 原爆がスターリンを震撼
しんかんさせることにもなろう。
要すれば、核兵器不使用は、1945年夏の時点において、とうていまともに考えられる選択肢ではなかったのである。≫
 
 ここまで読まれると、あまりの米国「正当化」にうんざりしてしまうかもしれない。
 しかし、米国にもその時代なりの理由があり、その時代の人々が思い至ることのできる選択肢にも限界があった ―― とまず記述するのは、歴史の書きぶりとして正しいことではないか。
 
■ 原爆による犠牲者の数 ■
 
 本文を読み続けよう。
 
≪8月初旬に米国は、当時完成していた3つの核爆弾のうち2つを日本に投下した。
8月6日に広島で最初の原爆によって少なくとも8万人が死に、さらに数千人が放射線によって苦しむこととなった。
第2の原爆はその3日後に長崎に投下され、さらに4万人の命を奪った。
日本は8月14日に戦闘を中止し、9月2日に正式に降伏した。≫
 
≪以来今日にいたるまで、米国は原爆という手段を使うことなしに日本を打ち負かせたのではないかとの疑問の声は、世界的に存在する。
しかし、最近の研究によれば、死にいたるまでの徹底抗戦を望んだ軍の指導部を、天皇と和平派が抑えることができたのは、原爆という衝撃があったがゆえだった。≫
 
 広島で「8万人」、長崎で「4万人」とは、死者の数がずいぶん少なく書かれていはしないか。
 原爆投下直後の死者数、ということなのだろうが。
 
 日本で広く引用される死者数は、広島「14万人」、長崎「7万人」である。
 いずれも、昭和20年12月末までの死者数。原爆の被害は、放射能・放射線に冒されて亡くなった人たちを数えねばならないから、米国式の数え方では実態から乖離(かいり)してしまう。
 
 ご参考までに、広島の原爆死者数についての考察 ―
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/peace/07/shisya.htm
 長崎の原爆死者数について ―
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/m2-2.html
 
 さて、教科書に戻る。
 
 次の頁をめくると「歴史は今日にどうつながっているか ―― 核兵器」というコラムがある。
 第二次大戦後の核兵器拡散・核軍拡と、これを抑制しようとする一連の動きに触れている。
 
 頁の右下には、「原爆投下後の広島」と題した写真がある。外形のしっかり残ったモルタルの家屋の向こうに、黒煙が見える。服が焼けてぼろぼろになった被爆者が20人ばかり、寄り添うように立ったり、うずくまったりしている。
 爆心地から相当離れた場所の写真だろう。
 
■ 原爆投下の是非を生徒たちに考えさせる ■
 
 847頁の「まとめ」が圧巻と言える。
 頁の上半分を使って、原爆投下の是非論をまとめてある。
 
≪          まとめ
       原子爆弾使用の決定
 
日本の広島市・長崎市で原子爆弾を使うことが、戦争を終わらせるために必要だったのかどうか、長いあいだ米国人は議論してきた。新兵器使用の決定をトルーマン大統領が下すには、いくつかの要因があったと思われる。
 
【軍事上の必要性】
原子爆弾の使用によって日本上陸・侵攻が不要となり、数十万人の命が救われたと、トルーマンは後に語っている。
米軍は、フィリピン・硫黄島・沖縄に上陸する際に、日本兵たちの自殺的戦法に遭遇した。日本の本土防衛にあたって、日本兵はこれと同様のすさまじい抵抗をするであろうと、米国側の戦闘立案者たちは考えた。
近年の歴史家の議論によれば、当時日本軍は崩壊寸前であり、日本を上陸侵攻したとしても日本側の抵抗は想像よりはるかに少なかっただろうとも言われている。
 
【核兵器外交】
トルーマンが原子爆弾を使ったのは、ソ連を威圧して、ヨーロッパや東アジアに勢力を広げすぎないようにさせるためだったのではないかと考える歴史家もいる。
原爆がソ連の指導部にいかなる衝撃的効果をもたらすかを、トルーマンと側近たちは十分認識していたであろう。
 
【米国国内政治】
ローズベルト大統領とその軍事補佐官たちは、原爆の秘密計画のために何十億ドルもの資金を使ったが、これは米国議会も一般大衆も全く知らないことだった。
マンハッタン計画の指導者たちは、原爆の軍事的価値を証明しないかぎり、批判が高まり、巨額の資金投入も正当化できないと考えたであろう。
 
【戦争の勢い】
すでに米国・英国は、ドイツ・日本を攻撃する戦術として、都市の徹底破壊を行っていた。
原子爆弾の使用は、焼夷弾
しょういだんによる攻撃の変形ていどに思われ、底知れぬ大量破壊の新時代の始まりを意味しようとは思われなかった。
事態がこのような流れであったことから、トルーマン大統領の選択は当然
であり予期されるべきことであったと論ずる歴史家もいる。≫
 
■ 「戦争犯罪」という視点の欠落 ■
 
 ずいぶん淡々と分析してあるのに驚いた方もおられるのではなかろうか。
 「巨額の資金を秘密裏に使って開発した原爆ゆえに、実際に使ってみせないと、政権がもたなかった」
とは、よく言われる話なのだが、これを高校生用の教科書に書いてあるのにはちょっとびっくりした。
 
 さまざまな視点が存在することを生徒たちに伝えようとしている点は、高く評価したい。国が違えば視点は自ずと異なるにせよ、この次元まで踏み込んで記述する教科書が日本に存在するだろうか。
 
 それでも、広島・長崎市街地投下が壮大な「生体実験」だったことには触れられていない。
 代りに、「原爆を使うまでもなく、絨毯じゅうたん爆撃はすでにやっていましたからね」と書く。市街地・住宅地の爆撃が戦争犯罪だという視点が、まったく欠落している。
 
 それと、そもそも第二次世界大戦は日本を叩きすぎたのではないか、という国際政治戦略からの観点も欠落している。
 
 日本は、朝鮮や中国大陸に投入した資産とそれにまつわる重荷をひと思いに捨てて、日本本土における経済投資に専念することで、戦後の繁栄を勝ち得たとも言える。
 そして、米国からすれば、日本を中国大陸から駆逐しすぎたために、けっきょく中国を共産党に奪われ、朝鮮戦争に苦しみ、ソ連とも直接に対峙たいじする羽目になった、とも言える。
 
 その意味では、米国の視点からすれば、「日本を叩きすぎず、米国のためにもっとうまく利用すればよかったのではないか」という設問が教科書に登場してもおかしくないのだが。
 
■ マッカーサーの占領政策に言及せず ■
 
 日本の歴史教科書では、マッカーサーの一連の占領政策はかなり詳しく書かれる。
 しかし、 今回読んだ The American Nation も The American Journey も、マッカーサーの日本占領の政策内容についての記述はゼロだ。
 
 代りにこんな記述があって、泣けてくる。
≪日本の降伏が突然だったので、米国の政府官僚たちは驚いた。軍事予算は2年間かけて徐々に減らし、兵士たちを平時の国内経済の場に吸収していこうと考えていたのだが。もはやそんな計画は通用しなくなった。…≫
(The American Journey, 852頁)
 
 湾岸戦争で、自衛隊をペルシャ湾に派遣してくれないか、と米国に言われたとき、日本人ならその政治信条の如何を問わず、こう思ったに違いない。
 「何を言ってるんだ。それができないような憲法を占領下の日本に押し付けたのは、米国よ、お前たちではなかったか。」
 
 そして、次の瞬間、社会党(当時)・共産党の支持者たちは、
「おっとっと、日本国憲法は日本人が自主的に作ったことになってるんだったよな」
と思い出して口をつぐんだ。
 
 一方、自民党の支持者たちは、
「米国はね、調子良すぎるんだよ。まずモノの順序として、マッカーサー憲法の誤りについて一言詫びてくれないか」
とつぶやきつつ、
「いやいや、独立国の国民がそんなことを言うのも恥かしい話さ」
と思い至って口をつぐんだ。
 
 ところが、当の米国の一般人たちは、植民地統治のための暫定憲法として日本国憲法を米国人が起草したことなど、知りもしないのだ。
 何せ、1000頁を超す米国史の教科書に、一行も触れていないのだから。
 
 戦中の日系米国人への差別待遇については、反省をこめて詳しく書かれてある。
 この辺が逆に日本の教科書ではあまり触れられないポイントである。
 
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■参考資料■
 
コラムで取り上げた米国の歴史教科書は、Prentice-Hall, Inc. 社の出版。
 
The American Nation
(James W. Davidson, Pedro Castillo, Michael B. Stoff 編著)
 
The American Journey - A History of the United States, 2nd Edition
(David Goldfield, Carl Abbott, Virginia D. Anderson ほか編著)
 
それぞれ 79.50 ドル、86.67 ドルと高価ですが、ペーパーバック版や、分冊版、ダイジェスト版など、比較的求めやすいものもあります。ちなみにわたしは、米国の Barnes & Noble 社のホームページから注文しました。
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■ 反響 ■  

 
 米国ロサンゼルス市にお住まいの読者の方から平成14年2月4日にメールをいただきました。
 
≪いつも興味深く拝読しております。
 
昨年5月からロサンゼルスに住んでおります。
 
娘は私より1年前に来て、私立の女子校に入りました。10年生(高校1年)で世界史を学び、原爆のことも習ったようです。そこの学校は世界から生徒をリクルートしており、外国人に対して非常に思慮ある授業をしてくれていたようでした。
 
今日は娘が出かけていて、授業の詳しい内容について聞けないのですが、アメリカ人の生徒が日本について否定的意見を出しても、先生が日本の立場も説明していたように聞いています。
 
現在は近くの公立高校にかわり、アメリカ史をとっています。まだ現在は南北戦争の後あたりをやっていて、原爆にはたどり着いていません。
実際にどんな授業が行われたかについては、また連絡させていただきます。
9・11以降しばしば行われる討論の様子から察するに、歴史の先生はリベラル派のようでした。
 
ところが娘が教わった英語(いわゆる国語)の先生は、非常に国粋的な人のようです。
英語の授業に使われる文法問題の内容に歴史関連のものがあり、原爆のことを「戦争を終わらせるためには必要なものだった」と言及していました。
20年以上教師をされているらしく、ずっとこのような文を使って授業をされているのだと聞いて驚きました。娘は先生に何か言おうと思っていたようですが、その後、先生が休みだったりして言いそびれているようです。
 
このように歴史の授業と言わず、色々なところで、ある一定の見方をアメリカ人は擦り込まれ続けているようです
私が通っているアダルトスクールの先生も、愛国心の強い方です。まあ、しかしこれは生徒が外国人の大人たちなので、話は割り引いて聞いていることでしょう。
ある年齢以上の人は、歴史の授業ではアメリカの良い面についてしか聞いていないようですね。
 
そういうアメリカの歴史教科書が変わったのは、ベトナム戦争が終わってからだったようです
ネイティヴ・アメリカンのことなども大きく取り上げ、先生によってはアメリカの暗黒面もかなり教えるようになってきたのではないかと思います。 
しかし暗黒面を見ようとしない大人も大勢いますし、良いところを誉めそやす文化では、なかなか自己批判は難しいのかもしれません。≫