ボストン・グローブ紙への手紙

平成13年に配信したコラム。
戦後賠償についてのコラム子の考えの集大成となっている。
ぜひご一読のほど。

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  戦後賠償の意味するもの
【平成13年7月17日配信】
 ボストンはすてきな町だ。
 こじんまりした街並みは、英国風を残している。
 ボストン美術館のすばらしい日本コレクション。日本人も立ち会った電話の発祥の、その地でもある。
 
 はじめてボストンに来たのは平成13年5月30日だった。翌朝、The Boston Globe紙を見て仰天した。
 
「日本にしかるべく説明させ、ツケを払わせよ」
 
 米国人捕虜虐待への補償を求める大特集で、1面トップと14面全面、15面1段を使った長文の記事だった。
 
 とても放ってはおけない。
 反論を書いて平成13年6月4日に同紙に送った。
 遅ればせながら、読者の皆さんにご紹介したい。
 
■ キャンペーンの道具とは一線を画す米国の新聞 ■ 
 
  日本の新聞は、朝日新聞から産経新聞まで、みんな「キャンペーン」が大好きだ。
 社の上層部へのお追従ついしょうの構造があるのか、読者は新聞社の編集方針に従って、これでもかこれでもかと1面連載特集や連日のフォローアップ記事を読まされる。
 
 The Boston Globe 紙の5月31日の大特集を見て、
「ボストンの読者は、これから反日言論の嵐に毎日のように曝さらされるのだろうか」
と暗澹あんたんたる気持ちになったのだが、さすがにそれは杞憂きゆうだった。
 
 その後、機会があれば同紙を買たのだが、この反日特集は単発に終わってくれたようだ。
 
 新聞社が一丸となってのキャンペーンや連載企画記事は、米国の新聞にはほとんど見られない。
  記者個人なりコラムニストがそれぞれに頑張るスタイルだ。
 
■ 自称「第二次世界大戦秘史」 ■
 
 「日本の犯罪はすさまじい。医学実験がらみで言えば、ドイツ人のやったことよりもひどいかもしれない。」
 米国法務省 ナチス追及担当チーフの Eli Rosenbaum さんのコメントが目を引く。
 (ドイツ系アメリカ人としては、何としてもそう言いたいのだろう。)
 
 1面見出しは Calling Japan to account. 
 account の「説明」と「勘定」の2つの意味を掛けているのだろう。
 
  「日本にしかるべく説明させ、ツケを払わせよ」。
 
 1面トップに、縦12センチ、横17.5センチに大きく掲げられたセピア色の写真は、丸刈りの白人捕虜がずらりと並び、ミシン作業をしているところ。
 
 「この写真は、1944年に日本側が発表したもので、連合国の捕虜に対していかに日本が『好待遇』をしているかを示そうとしたもの」
と、皮肉たっぷりの説明入りだ。
 これを一般紙の1面トップに掲げられると、ひどくおどろおどろしく見えた。
 
 The Boston Globe 紙は、The Secret History of WWII(第二次世界大戦秘史)という企画で、月1〜2回のペースで異なるテーマの長文記事を掲載している。
 その企画の第3回が、マーク・フリッツ (Mark Fritz) 記者のこの記事だった。
 (これまたドイツ系アメリカ人である。)
 
  非常に長文だが、インターネットで読める。
http://www.boston.com/globe/nation/packages/secret_history/index3.shtml
(↑これをクリックしてうまく行かないときは、↓をトライしてください。
ここから The Secret History of WWII をクリックし、Part III をご覧ください。)
http://www.boston.com/globe/special_sections.htm
 
■ 1951年の講和条約を敵視する記者 ■
 
 反日記事と言えばつきものなのが、虚実不明の猟奇的なストーリーなのだが、フリッツ記者の記事も例外ではない。
 
≪日本人が収容所に入れた米国の民間人・兵士は、柔道訓練の道具にされたり、理不尽な致死的医学実験に使われたり、拷問に遭ったりした。残酷なことを思い付けばつくもので、指の爪の下に竹串を刺したり、宣教師の喉にホースを突っ込んで水を無理やり飲ませ腹を膨らませたあと、そこをぶっ叩いたりした。≫
 
 そういう被害者のグループが日本側の補償を求めているのに、日本政府はおろか米国政府までが、「1951年の講和条約があるため、法的には補償の要求は不可である」と返答するのみで、まことにけしからん、とフリッツ記者は書く。
 
 駐ワシントン日本大使館の佐藤サトルさんと、駐ボストン日本領事館の山本タダミチ総領事もインタビューされている。
 (カタカナで書かせていただいたのは、漢字が分からないためです。英文記事からいただいたお名前ですので。)
 
 恐らくおふたりとも、わが国のために精一杯の発言をしてくれたと思うのだが、フリッツ記者は片言寸句を引用するのみで、わが国の外交官たちはみごとな悪役に仕立てられている。
 
 日本国民として、とても黙ってはおれない。
 週末1日、ホテルにこもって反論を書いた。
 その和訳をご覧いただきたい。<<英文原文は、ここをクリックしてお読みください>>
 
■ パンドラの箱を開けたら、困るのは米国の方ではないか ■
 
≪編集長殿
 
ザ・ボストン・グローブ紙5月31日の1面記事についての、私の投稿(全198語)を添付いたします。(注:同紙は、投稿の長さ制限が200語)
 
米国は、日本がこれまで得た最良の同盟国であり、私は日米軍事同盟および両国の長きにわたる友好を強く支持するものです。
遺憾ながら、フリッツ記者の記事は公正を欠き、非常に扇情的な調子で貴紙の読者を重要なアジアの同盟国との感情的戦争へと駆り立てております。
 
第二次世界大戦の勝者が、軍事裁判を行って何百人もの日本軍人を捕虜虐待の罪に問い処刑したことは、ひろく知られていることであり、決して秘密ではありません。
確かに、米国人捕虜にとっての悲劇は存在しました。
 
しかしながらその一方で、こういう話もよく知られております。
罪に問われたある日本軍人の唯一の咎(とが)が、「米国兵に木の根を食べるよう強制した」というものだった事案です。
実はこの軍人が与えたのは牛蒡(ごぼう)であり、これは日本食においては普通の材料ですが、西洋人にはなじみのないものでした。
この軍人の訴えはフェアに取り扱われず、結局絞首刑にされてしまいました。
 
米国の公文書館には、米国人が日本人捕虜をいかに取り扱ったかについての文書もあるはずです。
多くの場合、日本人捕虜のうち生き残れたのは、英語をしゃべり協力的で米国軍に「役に立つ」捕虜で、それ以外の者は殺されたとも言われています。
殺された捕虜たちのために、米国から補償をもらうことはできません。
なぜなら1951年の講和条約があり、それによって金勘定は清算されてしまったからです。
 
中国人捕虜に対して悲惨な「医学」実験を行った日本軍の731部隊の指導者たちは、最高刑に値したにもかかわらず、マッカーサー将軍の手になる軍事法廷においては罪を問われませんでした。
なぜなら米国は、日本との秘密の合意のもとに、731部隊関連文書の全てを自ら利用するために獲得したからです。
フリッツ記者は、このような秘密文書を米国の公文書館でお捜しになり、それが米国においていかに利用されたかをお調べになってはいかがでしょうか。
 
フリッツ記者および貴紙の読者のために、書こうと思えば1冊の本が書けるでしょう。
しかし、今回は添付の投稿を受け付けいただければと存じます。
 
もしもパンドラの箱が開かれ、新たな「感情の戦争」が勃発したなら、わたしはその全人生をかけて、米国からの補償をできるかぎり多く日本のために勝ち取ろうとするでしょう。
東京・広島・長崎、そしてその他 京都を除く全ての大都市において 民間人が被こうむった悲劇のための補償を求めるのです。
日本はまだこれらについて何も金銭的補償を得ていませんから。
 
50年前に起きたことについてのこれら全ての論争のために、何千人もの人が、何百万時間も費やすことになるでしょう。
これが果たして日本にとっても米国にとってもよいことなのでしょうか。
 
われわれは時間と金をもっと建設的なことに使えるはずです。
だからこそ、「戦争」という巨大で複雑な事象の金勘定を清算するために、国家は講和条約を結ぶのです。
 
== 
 
<投稿>
マーク・フリッツ記者の5月31日の記事(「日本にツケを払わせる ― 第二次世界大戦秘史」)は、1951年の講和条約の廃棄を支持して、日本に対するさらなる補償要求を突き付けるべしと、貴紙の読者に呼びかけております。
思うに、もしパンドラの箱が再び開けられたなら、1940年代の出来事のために途方もない金額を支払わなければならないのは、日本人ではなくて米国人の方でしょう。
 
住宅地への爆撃は第二次世界大戦の頃でも違法でしたが、そのような爆撃によって殺された日本の民間人と米国の民間人と、いったいどちらが多かったでしょうか。
フェアに比べてみてください。
真珠湾においては、日本は米国の軍事基地を爆撃したのです。
米国人は、東京・広島・長崎において、いかなる場所を爆撃したでしょうか。
 
日本は、戦争の敗者として、海外における巨額の資産をすべて放棄しました。
とくに中国において放棄した資産は巨額でした。
そしてその他の周辺諸国へは、国民の税金により多額の補償が支払われました。
 
戦後の軍事法廷においては、千人以上の日本軍人が処刑されましたが、その多くは捕虜虐待を責められてのものです。
米国の公文書館で見つかった「秘話」の数々をフリッツ記者が取り上げていますが、それらは1951年の講和条約調印以前に決着したものと信じます。
 
マッカーサー将軍は、それらすべての事案を問い質すことなしにうっかり公文書館にしまい込んでしまうほど軽率ではなかったはずです。
 
日本・東京   泉 幸男 ≫
 
===
■後記■
 
 わが「力作」、結局 The Boston Globe 紙には載りませんでしたが、編集部とフリッツ記者には届いたはずです。
 フリッツ記者には、みずからの勉強不足と考え違いを少しは分かってもらえたかなと期待しています。
 
 言うべきことはどんどん言っていかないと!
 米国と不毛の戦いに突入せずに済むよう、日頃から論理的な訴えを発信していく必要があるのです。
 
 フリッツ記者は、「慰安婦」の悲劇にも言及していますが、それならなぜ、醜いケロイドに苦しんだ妙齢の「原爆乙女」のことに言及しないのか。
 
 慰安婦さんたちを下品にも「性奴隷」と呼んではばからない朝日新聞に、「原爆乙女」のことが最後に言及されたのは、いつのことでしょうか。