反日暴動に立ちすくむ中国
  

 平成17年4月の同時多発反日暴動。なぜか中国公安は本気で取締ろうとしなかった。
 平成元年4月から5月にかけての北京の学生デモのことを思い出した。あのときも、天安門広場を占拠する学生たちを中国公安は本気で取締ろうとしなかった。様子見をしていた。背後で権力の暗闘があったから、それが決着して趙紫陽
ちょう・しようの敗北が決まるまで、中国公安は本気で動かなかったのだ。
 今回も、胡錦濤
こ・きんとう政権を揺るがす権力の暗闘が進行していたのではないだろうか。
 

目次
反日暴動の根っこにある文化コンプレックス
中国への投資をピエロに煽らせる日経
絶妙のタイミングだった領海侵犯


  反日暴動の根っこにある文化コンプレックス
 
【平成17年4月11日配信】
  北京や広州で、4月9日に官許(かんきょ = 政府が許した)デモが起き、一部の参加者がスポーツ感覚で暴徒と化した。
 
  かねてから、中国の「動乱リスク」について書いてきたコラム子ですが、
「ほォら、言ったとおりでしょ」
などと鼻をうごめかす気にはならない。
 
 「ごく一部」のはずの暴徒さえ、ちゃんと取締れなかった中国政府。
  中国共産党がきちんとした方針を出し切らず、様子見をしているということは、権力基盤の弱さを自覚しているということだ。
  こういうときはたいてい「内部で権力闘争が進行中」なのである。
 
  デモは、「尖閣列島領有権」のことや「日本側の歴史認識」のことを表向きのスローガンにしているけれど、それが本質ではない。
  若い世代の「対日コンプレックス症候群」が爆発したというのが正確だと思う。
 
 ドラコン感覚の投石者  
 
  ニュース報道を見ると、この反日暴動、妙にヘラヘラしていた。 
  日本大使館への投石は、ほとんどゴルフ競技のドラコン(第1打で飛距離を競う遊び)感覚だった。
  そして、大使館の前に並んだ中国側の武装警察(日本でいう「機動隊」)は、一向に投石者を捕まえようとしなかった。
  いったいどういう指示を受けて大使館の警固(けいご)にあたったのやら。
 
  ふつう暴動というと、人々の顔にはもっと思いつめたところが出ているものだ。ところが中国の反日暴動はそうではない。
  むしろコスプレ感覚といったらいいだろうか。
  中国の歴史教科書に出てくる前世紀の「排日運動」デモ。その参加者を演じてみる、「ロールプレー」する陶酔感を楽しんでいたのだと思う。
  暴動に参加したこれらの人たち、べつに日本によって個人的な不利益を蒙(こうむ)っているわけではないのだから。
  家に帰ればパナソニックのテレビで日本のトレンディドラマの海賊版DVDを見ている人たちかもしれないのだ。
 
 「かわいい中国」がなぜ豹変(ひょうへん)
 
  この配信誌で何度も書いてきた。
  中国という空間の独特の感覚。
 
 「たらッ」としていて
  ぴんとした緊張感にとぼしい
  無重力状態のなかに放り込まれるような感覚の
  ふしぎな空間。
 
  不便なことも多いのに、ふしぎに解き放たれた気分になってしまう。
  そういう中国、コラム子も好きだ。
 
  鹿鳴館のようなダンスホールで、みんな着飾って踊っている。
  よく見るとステップがばらばらで、目をこらすと美人ちゃんにかわいい腋毛(わきげ)が見えてるよ、というような。
 
  ちょっとズレてる世界が、いとも真面目くさって進行している
面白さ。
  そういう中国、けっこう好きなんです。
 
  なんでそういう「かわいい中国」が、突然はげしく暴動しちゃうんでしょう。
  突然の変貌ぶりに戸惑ってしまうんですね、日本人は。
 わけが分からないから、生真面目な日本人は「何か反省しなきゃいけないのかしら…」と思って対応してきたわけですが、さすがに最近の「尖閣列島領有権」「国連安保理常任理事国入り」の件は、「反省」する余地もない。
  あきれて、ぽかんとして見てるわけです、日本人は中国を。
 
 「傍若無人」日・中の差
 
  傍若無人。 ぼうじゃく「ぶ」じん、と読みます。
  「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)し」。
  そばに、人がいないみたいにふるまう。
  もともとは、気をつかわず「たらッ」とした状態を意味します。
 
  ところが日本語では、乱暴狼藉(ろうぜき)をはたらく、という意味に使うのが通例になっています。 
  コラム子愛用の『新潮現代国語辞典』を見ると、『たけくらべ』の用例が引いてあって、
≪当るがまゝの乱暴狼藉、土足に踏み込む傍若無人≫。
 
  中国語では、もともとの意味が生きていて、香港で買った『朗文 (Longman) 中學生中文新詞典』にこんな例文があった。
≪這幾個人在看電影時大聲説笑,旁若無人。≫
(この数名は、映画を見ている間、大声でしゃべったり笑ったりして、まわりの人のことなどお構いなしだった。)
 
 「自己保存」本能の大法則
 
  たしかに「気をつかっていない」ことを意味する用例。
  (こんな例文が辞書に出てくるのは、中国語だけでしょうなぁ。)
 
  まあこれが中国空間でして、気をつかわない人たちに教養の裏打ちがないと、自分勝手丸出しの喧騒(けんそう)の世界となります。
  で、ここに損得勘定がからむと、「附和雷同」の世界に突入するわけです。
 
  中国にかつて文化大革命という内戦があり、あまりに問題が深刻でいまだに歴史の総括がまともにできていませんが、あの文化大革命のとき中国じゅうの職場で何を争ったかご存知ですか。
  中国じゅうの工場や会社の職場で、人々が2つのグループに分かれて、
「どちらのグループが毛沢東主席に対して忠誠を尽くしているか」
ということで争ったのです。
 
  勝ち負けが決まると、負けたほうは存在が抹殺される、情け容赦のない乾いた世界。
 「たらッ」とした世界は、乾いてるんですよ。
 
  常日頃、みごとなまでに「たらッ」としてる人たちは、突然に「自己保存」の本能に目覚めて、なんとか <勝ち組> に就(つ)こうとしたわけです。
 
  趙紫陽は <勝ち組>? <負け組>?
 
  平成元年の6月4日に、いわゆる天安門事件がありましたね。
  コラム子は、そのころ北京に駐在してました。
  職場のあるビルの屋上から天安門広場が見えて、5月には昼休みになると屋上に行って、学生たちが広場で座り込んでいる様子を見ていました。
  午後になると、市内でデモがありそうだから早退してよろしい、と所長室からお許しが出て、嬉々として家路についたものです。
 
  あのころの中国人の盛り上がりぶり。
  けっこうお花見感覚だったのです。
 
  世の人々は「中国民衆が民主化を求めた動き」と呼ぶかもしれません。
  わたしには、あれは「時代の変わり目が予見されるなかで、中国人が <勝ち組> につくために右往左往した時期」にすぎなかったのではないかと思えます。
  だから、あれだけの盛り上がりぶりが、あっさり収まってしまった。
  趙紫陽(ちょう・しよう)が <負け組> だと決まった途端に。
 
  6月4日まであれほど盛り上がった中国人は、<勝ち組><負け組>が決まった途端に、実にドライに「自己保存」本能を丸出しにして、何ごともなかったかのような日々に戻ってしまった。
  少数の先覚者たち(これも所詮は自分なりの <勝ち組> に賭けただけという人が多かったと思いますが)が亡命し、何ごともなかったかのような日々が戻った。
 
  「傍若無人」×「自己保存本能」=「附和雷同」
 
 「傍若無人」の人々は、<勝ち組> <負け組> の岐路(わかれめ)を目前にすると、突然に「自己保存」本能をかき立てられて、人が変わります。
  「お前は何でデモに参加しないんだ?  ちゃんと附和雷同しないと、あとで <負け組> になってもしらないぞ」
  そう呼び掛けられているような恐怖感に突然襲われて、それまで何も考えて無かった人たちがパニック状態になる。
 
  そして「附和雷同」モードになるんです。
 
 「附和雷同」して中国共産党から褒められているあいだは、どんどん附和雷同する。
  そして、あるとき流れが変わって <負け組> のレッテルを貼られそうになると、附和雷同モードは

さーーーーーーァァ
                    ッ

と消える。
 
  そしてまた何ごともなかったような「傍若無人」の超ドライな日々が繰り返される。
 
  いつのまにか「日本の亜流」になることの不快
 
  今回のデモ・ブーム。
  根が深いだろうなぁ、と思います。
 
  今回のは、日本への文化的コンプレックスにも根ざしているからです。
 
  一般の中国人は、教養不足のため、こう信じているわけです。
「日本の文化というのは、すべて中国から流れたものであり、中国の亜流である」。
 
  ところが現実の生活では、近代化が進めば進むほど、中国社会の様子がテレビの向こうの日本に似てくる。
  別に「日本に学ぼう」なんて、意識してもいないのに。
  不愉快。
 
  日本の商品がひたひたと生活のなかに入ってくる。
  Jポップスから村上春樹作品まで、なぜかかっこいい日本に比べて、なぜか中国流は古臭かったりセンスが落ちたり。 
  日本のほうが「亜流」であるはずなのに、気がついてみたら中国のほうが「日本の亜流」化しているように思える……。
 
  こんなはずでは! という思い。
  日本に対して絶対的優越感を持ちたいのに、現実がみごとにこれを裏切る。
  閉塞感。
 
タイの反日はどう克服されたか
 
  むかし田中角栄内閣のころ、タイで反日デモが続いた時期がありましたね。
  日本商品排斥運動がおこった。
 ちょうど、タイにひたひたと日本商品が押し寄せて、「このままではタイはタイでなくなっちゃうんじゃないか。日本に呑み込まれてしまうんじゃないか」とタイ人たちはあせってしまった。
 「自己保存」本能に火がついてしまったわけです。
 
  今日、バンコクはすっかり現代都市に変貌し、タイ製のトヨタや いすず の車が走り回り、日本商品や日本風商品が店頭を埋め尽くしていますが、タイ人にアイデンティティ危機の切迫感はまったくありません。
 
  磐石(ばんじゃく)の王室。
  生活に根づいた仏教。
  心底から楽しさを求める、地についたユーモア。
  ………。
 
  大陸中国の場合、不毛の社会主義化から文化大革命に至る過程で、伝統文化を圧殺して薄っぺらな社会になってしまったことが、大いに災いしていると思えます。
 
  中国人が、失われた文化の発掘と振興に懸命に取り組んで、中国社会が本来持ち前の「ふくよかさ」を取り戻したとき、反日コンプレックスも薄れていくのではないかと期待しています。
 
  あせらず半歩退こう
 
  ところで、日本企業にとっての中国市場はどうなるんだ!?
  俺たち、悠長なことなんか言ってられないんだよ。
 
  日本の会社の社長さんたち、無理しないでください。
 「いま中国市場を確保しないと、わが社の将来がない」 なんて、思い詰めないでください。
 
  中国人は即物的なんです。
  憧れの先進国で売れている一流品を、中国人は「附和雷同」しながら買ってくれます。
  中国人は露骨に白人崇拝ですが、「バランス発注」しようという意識もちゃんともっている。
 
  中国人がそういう人たちだということを日本人がもっと理解していたら、昭和十年代にあそこまであせって中国大陸を占領することはなかったかもしれない。
  あの戦争は、
「中国市場をいま英米に取られたら、日本の将来はない」
という誤った思い込みから始まったのですから。
 
  ここしばらくは、中国市場からは半歩退いて、

「原材料・半製品と高級品の輸出販売」

に特化していくのが、得策だと思います。
 
  中国以外の場所で「一流」であり続ければ、中国人はあなたをほうってはおかないのですから。
 
 
 中国への投資をピエロに煽らせる日経
 
【平成17年2月14日配信】
 『日本経済新聞』が、昨秋から中国報道の軌道修正を始めたのをご存知だろうか。
 
  平成12年ごろから中国の経済成長を礼讃し続けた日経。
  米国の新聞・雑誌を読んでいると、中国経済がかかえる問題点が過不足なく語られているのに、日経はなぜこんなに幼稚なのか。
  そういう不満が、辛口の配信誌(メールマガジン)を出し始めた動機でもあった。
 
  日経が予感した中国危機
 
  「実態見えぬ中国経済」(平成16年10月29日・ビジネス面)
  「中国ビジネス変調の現場」(平成16年11月・企業総合面の連載企画)
  「逆流・胡錦濤の中国」(平成17年1月・国際面の連載企画)
  「中国内陸大開発の光と影」(平成17年1月・国際面連載企画)
  「中国過熱経済の底流」(平成17年1月・国際面の連載企画)。
 
  さてさて。
  中国礼讃の連載企画は、待遇よろしく1面連載だったんじゃないかな、と思うのだが、こんど確かめてみたい。
 
  いずれにせよ、日経もさすがに「やばい」と思い始めたのである。
  「中国礼讃、ちょっと煽りすぎたかな」。
 
  中国さまの逆鱗(げきりん)に触れないよう、警鐘記事は1面には載せず、国際面や企業面に載せる。
  いざ中国経済がほんとにおかしくなったとき、
「ちゃんと警鐘は鳴らしてました」
と世間さまに対して言い訳できるようにしておこう……。
 
  では、中国礼讃記事は載せなくなったかというと、そうではない。
  社外のピエロに書かせろ。
  中国礼讃記事を書くなんて汚(けが)れ役は、社外の人間にさせておけ。
 
  今さら「対中投資を積極化」??
 
  これにまんまと乗っちまったのが、「みずほ」のエコノミストだ。
  平成17年2月1日の日経27面「経済教室」は、いまどき珍しい「中国への投資礼讃」記事だった。
 
≪日本企業が今後、中国国内市場の本格的攻略を目指して直接投資を積極化すれば、対中輸出の増加にけん引され、日本経済も持続的成長が可能になる。≫
 
≪だが、輸出基地化が主眼の従来の対中投資が続けば、2010年度までの日本の平均成長率は1%程度にとどまるだろう。≫
 
  大見出しのタイトルが「対中投資  積極化の岐路」とあるので、てっきり「対中投資にうかれるのはそろそろ止めにしましょう」という記事なのかと思ったら、さにあらず。
 
  「中国市場開拓  日本は出遅れ」
  「期待成長率  大きく左右」
  「抑制なら成長鈍化」
  「輸出・設備の伸びに格差」。
 
  「普及品を含めた市場全体でのプレゼンス」
 
  中島厚志  みずほ総合研究所チーフエコノミスト。
  伊東祐弘  みずほコーポレート銀行産業調査部長。
 
  記事を書いたこの2人がいかに中国の現実に無知か、端的に示しているのが、これ。
 
≪組み立て加工プロセスを中心とした輸出基地化のビジネスモデルから脱却し、日本ブランドの確立を狙った内需獲得戦略への思い切った転換が求められよう。≫
 
  ここでいう「内需」とは、もちろん「中国国内の内需」を指す。
 
≪そのためには、日本産業が比較優位を持つ高付加価値品のみならず、普及品を含めた市場全体でのプレゼンスを増す方向での戦略が求められる。≫
 
≪必ずしも採算性の高くない普及品への先行投資が、ひいては高付加価値製品の市場浸透力を増すことにつながると考えられる。≫
 
 「みずほペア」が言っているのは、こういうことだ。
 「ローレックスの時計は、まだ中国に浸透していない。ローレックス社が広く中国でブランドを確立するには、数十万円する高級品の時計を売るだけではなく、中国に工場を作って1〜3万円ていどのローレックスの普及品を製造し、広く売り出して、市場全体での存在感を示すべきだ」
 
 「1〜3万円ていどのローレックスの時計を売っても採算は良くないだろうが、安物のローレックスを売りまくれば、ひいては高級品ローレックスの市場浸透力を増すことにつながる」。
 
  この世の中は、そんな原理で動いてはいない。
  ローレックスは安物時計を作らないことでブランドを維持して、高収益を得ているのだ。
 
  中国の総合力をなぜ侮(あなど)るのか
 
  中国、台湾国、韓国、インドは、アジアのその他の国々と根本的に異なる。
  中国やインドでは「普及品」は地場の企業の独擅場(どくせんじょう)だ。外資に頼らずとも、それなりの製品を経済の全分野で作れる。
 それだけの総合力をもっている、すごい国々なのだ。
 
  だから、「普及品」を作っている外資の工場は、やがて中国資本に取って代わられるだろう。それがあるべき姿だからだ。
  中国の「普及品」市場にまで日本企業が進出しようなどというのは、身の程知らずの、完璧な誤りだ。
 
  付和雷同の国「中国」では、普及品市場に中国企業が ひしめいて、売上高のわりに低い利益率と滞貨の山に喘(あえ)いでいる。
  補助金的な融資を得て生き長らえている中国企業に対抗して、国際市場で資金調達する日本企業が投資し、高コストの日本人を投入しつつ、中国の「普及品」市場で競争すれば、敗北は目に見えている。
  あげくの果てに、日本企業が事業を放棄しようとするなら、工場設備は二束三文で中国企業に売り払うしかないのだ。
  高笑いするのが誰か、お分かりか。
 
  「ポスト団塊世代」の経済の指針は
 
  利益率よりも売上高優先で、「高付加価値品」から「普及品」まで売りまくれ、という「みずほ」の教えは、団塊の世代の人口圧力に苦しんでいた頃の日本の発想だ。 
  団塊の世代に仕事を与えようと無理をして、利益率の低いことにまで手を出し景気が上向かなかったのが、平成不況の実相だ。
 
  この古ぅぅぅいパターンの経営を、平成17年の今ごろ中国くんだりに工場作って、やり続けなさいというのが「みずほ」の教えだ。
 
  コラム子の意見は、「みずほ」とは異なる。
 
  中国へ売るべきものは、
「中国で作っていない特殊素材や部品」
「中国の上流階級が喜ぶ <舶来> の高付加価値品」
だ。
 
  普及品巨大市場は、中国企業ブランドが独占すればいいのだ。
  その中国企業へ、日本企業でしか作れないものを高く売りつける。
 
  完成品は厳しい市場原理にさらされるが、高付加価値の素材や部品は、中国人の附和雷同がたかってこない永遠の穴場なのだ。
  ここだよ、おいしいのは。
 
  高付加価値品を日本の工場で作り、製品の技術・ノウハウ流出
を防ぐ。売上高至上主義を捨てて、高利益率を追求する。
  これこそが、団塊の世代を下野(げや)させた後のスマートな日本経済の生きる道だ。
 
  にじみ出し
 
  「みずほ」の中島(チュンタオ)・伊東(イートン)ペアの結びの言葉を聞いてやってほしい。
 
≪様々なアンバランスを抱えつつ急成長を続ける中国にとっては、日本の直接投資に伴う技術、ノウハウのにじみ出し(移転)が、経済・産業基盤高度化に寄与すると期待される。≫
 
  何ですか、この「技術、ノウハウのにじみ出し」というのは。
 
  「にじみ出し」ねぇ。
  「にじみ出し」、ですか。
 
  みずほ銀行では、技術やノウハウは「にじみ出す」ものなんですか。
 
  ふ  ざ  け  ん  な 

  技術やノウハウのひとつひとつには、高い値札が付いてんのが分かんねぇのかよ。
 
  みずほの中島(チュンタオ)・伊東(イートン)という、国籍不明の2人の言い分に従うなら、技術・ノウハウはタダで呉れてやり、売上高至上主義を目指した挙句に「普及品」商戦に敗退して、虎の子の工場までも中国企業に二束三文で呉れてやることになるだろう。
 
  もちろん日経記者たちは、国際面でちゃんと警鐘を鳴らしてました、ハイ。
 
  車は急にとまれない
 
  貿易と投資は、抱えるリスクが大違いだ。 
  貿易は利益・損失の度合いが、わりと明らかだ。赤字の輸出を何年間も続けることは、まずない。
 
  しかし投資は、さにあらず。
  製品を出荷し売上は上がっているのに、帳尻は赤字で、それでも工場をたためない、という悲劇は、企業の広報部が新聞社にニュースとして持ち込まないから、新聞記事にはなりにくい。
 
  そういう対中投資の何と多いことか。
  新聞記事にならない失敗事例を、日本の実業界はメンツを捨てて真剣に研究しあうべきだ。
 
 
  絶妙のタイミングだった領海侵犯
 
【平成16年11月14日】 
 法学部の学生時代に「国際法」の教科書を読んだ。 
  潜水艦が国旗を掲げて、普通の船のように水面を航行するようすを描いたペン画の図解があったのを、今でも覚えている。
 
  他国の領海を航行するとき、潜水艦が水面に浮上して航行しなければならない、というのは、国際法の入門書にも必ず書いてある常識である。
  学生ふぜいが習うことなのだから、海軍にとってはイロハのイに属する。
 
  能天気な学生だったコラム子は、せっかく造った潜水艦が何で浮上航行せねばならないのか、よく分からなかった。実際にやられてみると、実に不愉快なものですねぇ。
 
  日本人が書いているのか疑わしくなる社説
 
  沖縄には、『琉球新報』(明治26年創刊)と『沖縄タイムス』(昭和23年創刊)の2つの地方紙がある。沖縄県では、ほとんどの家庭が2つのうちいずれかの新聞をとっている。 
  日本の最果ての地方新聞は、『北海道新聞』といい『高知新聞』といい、社民党路線一直線なのだが、沖縄の2紙も例外ではない。
 
  さて、「平和の海」沖縄を侵犯されて、この2紙がどれほど怒りの社説を書いているかと思いきや……。 
  全然怒ってませんね、この人たち。
 
≪事実が不透明であるほど、今回の事件が「中国脅威論」を高めることにつながろう。このことを中国政府も知っていてもらいたい。≫
(沖縄タイムス11月12日社説)
 
  これが、沖縄タイムスが中国政府に呼びかけた唯一のことばだ。
  日本に潜伏する中国人スパイが本国に「ちょっとやりすぎですぜ」と打電するメッセージみたいだ。
 
  自衛隊の活躍に期待するかと思えば
≪国境の島の緊迫を解く道は、軍事的な備えではなく、国家間の信頼関係である。そのための外交努力こそ政府に求めたい。≫
(沖縄タイムス11月12日社説の結び)
 
  コラム子なら、せめてこう赤鉛筆を入れますね。
 
≪国境の島の緊迫を解く道は、軍事的な備えを土台とした、国家間の信頼関係回復の交渉である。そのための総合的な施策を政府に求めたい。≫
 
  「据え膳」のような先島(さきしま)諸島
 
  それにしても、今回の領海侵犯は絶妙のタイミングだった。 
  じつは、防衛庁(防衛省のこと)が、平成16年11月末に向けて新防衛大綱策定の最終準備をしている時期なのだ。
 
  防衛庁の素案としては
 
(1) 沖縄に配備している陸上自衛隊第一混成団を増強して旅団に格上げ。
 
(2) 宮古(みやこ)島、石垣島、西表(いりおもて)島などの先島(さきしま)諸島には、現在のところ宮古島にレーダーが設置されているだけで、自衛隊の部隊がいない防衛の空白地帯になっているが <驚!>、これを改め宮古島にも陸上自衛隊の部隊を配置する。
 
(3) 那覇基地所属のF4戦闘機部隊を、機動力の高いF15戦闘機部隊に変更する。
 
(4) 下地島(しもじしま)空港(宮古島の西の下地島にある3,000 メートルの滑走路のある空港で、平成6年7月以来 定期便発着なし)に戦闘機を移駐させ、 南西方面の態勢強化を図る。
 
などなど。
 
  地図を広げてみていただきたい。 
  沖縄本島から国境線まで、約500キロにわたって広がる沖縄の海に浮かぶ、美しい宮古島、石垣島、西表島を防衛すべく駐屯するわが国の部隊が、今のところ存在しないというのだ。
 
  普通こういうとき、隣国は
「据え膳食わぬは男の恥」
という俗諺(ぞくげん)に従って行動するのである。
 
  せっかく日本が膳を据えてくれた厚意を無にしてはなるまいて。
  それが中国にとっての「国家間の信頼関係」であろう。
 
  世論の力強い追い風を生かせ
 
  パブロフの犬のような沖縄2紙は、もちろんいかなる自衛隊増強案にも反対である。 
  11月9日には、琉球新報の社説がこの新防衛大綱策定を取り上げている。
 
≪小泉純一郎首相の諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書も、日本への攻撃が想定される事態の1つとして「島しょ占拠」を挙げている。テロなど「新たな脅威」と並ぶ、脅威というわけだ。≫
 
≪その脅威は本当に存在するのか。あおりたてているのではないか。≫
  
  あのね。
 世の中にはね、確率は低いが、かならず存在するリスクというものがあるのよ。 
  我々がビジネスをやるとき、備えの議論の中心となるのは、きまってそういう「低確率だが確実に存在するリスク」についてだ。
  
  国の防衛は、そういう議論の極限の部分である。
  
  脅威はかならず存在する。確率は低くても。
  琉球新報の論説委員たちは、もしも島嶼(とうしょ)占拠があったときには、自ら決死隊に志願してくれるだろうか。
 
  わが政府は、「確率」と「リスク」の区別もつかないような論者の反対論にひるむことなく、世論の追い風を生かして、常識的な防衛態勢の確立に邁進(まいしん)してもらいたい。
  
  「経済への悪影響が心配だ」?
 
  今回の領海侵犯で、中国はなかなか謝罪しないだろうが、我々日本人は大陸中国のネチッこい流儀を見習って、一を十と言い、十を百と言う勢いで、中国政府の対応を非難し続けるべきである。
 
  そうすると「日中の経済関係に悪影響を及ぼしかねない」などと、自分がビジネスマンでもないのに、経済のことまで心配してくださるバカがいる。 
  余計なお世話である。
 
  発電プラントを中国に売るべく、フランス企業と競り合っていたことがあった。
  ちょうどそのとき、フランスが台湾に武器輸出をしてくれた!
  表面上、中国とフランスとの関係は極度に悪化したように見えた。
 
  (小泉首相が靖國神社を訪問するのと、日本企業が台湾に武器輸出するのと、どちらのほうがインパクトがデカイか、5秒ほど考えていただきたい。フランスから台湾への武器輸出というのは、相当強烈な事件のはずである。)
 
  当時、我々のオファー(価格見積・売込条件)はフランス企業の条件に若干劣ってはいたが、さほどの差はなかった。
  中・仏関係の悪化で、受注間違いなしと思った。
  ……。
 
 甘かった! フランス企業が堂々と受注しました。
 
 買いたいものを買う
 
  あのね、政治と経済は別です。あの国は。
  買いたいものを買うのです。あの国は。
  もちろん、断るときには、いろんな理由をつけますけどね。
 
  だから、中国ビジネスをやったこともない評論家が、デカイ面(つら)して「日中経済関係への悪影響」を心配したりしないでほしい。 
  そんなことで売れなくなるようなチンケなもの、作ってません、日本企業は!
 
  「小泉首相が靖國参拝をしているから、わが社の案件が受注に至らなかった」
という痴呆社長がいたら、その会社の株は直ちに売り払ったほうがいい。
 
  え?  勤務先の社長だったりして?
  会社の役員として政治発言をするのは、社規で禁止されてますから、たぶんないと思いますよ。