皇室が「藤原王朝」でない理由
 
 

旧正田邸の取り壊しは、
平成15年6月の今になっても手がつかないらしい。
皇室のことは、皇室の歴史に全ての答がある
と最近思うようになった。

  

【平成15年1月14日配信】
 旧正田しょうだ邸取り壊し。粛々と進められればと願っていたのだが、騒動になってしまったのは残念だった。「公」を阻止しようとする側が国旗をかざすという異例の光景が、ワイドショーのネタになってしまった。
 国旗も国歌も、使い方を誤ると醜態となる。街宣車で使う馬鹿どもはそれこそ論外として、今回の旧正田邸前の人々も、いささかの履き違えがありはしないか。
 
 歴代の天皇の妃きさきとなった人の生家が、ことさらにそれとして保存されたり、ましてや「観光名所」となったりしてはいないことを思い合わせるべきだと思う。
 皇室に娘を嫁がせた家を、ことさらクローズアップすることがあってはならないのだと思う。国家元首の家系は、そういう「私わたくし」の部分をできるかぎり拭ぬぐい去った姿であり続けていただきたいのだ。
 
 皇室には、1500年を超える「時の試練」を経て、さまざまの型ができあがっている。それが、皇室への安心感・信頼感の源と言えるだろう。皇后ゆかりの私人宅をことさらに特別扱いするというのは、皇室の型、国の形に反しているのである。
 
■ 武家の時代も、藤原氏の入内じゅだいが指定席 ■
 
 ところで、歴代の天皇の母となった方々のご出身を調べてみて驚いた。
 圧倒的に、藤原氏出身で占められている。
 
 藤原道長みちながが3人の娘を天皇家に嫁がせ栄華を誇ったのは、小学6年生も習う有名な話である。道長の子、頼通よりみちも娘寛子を入内じゅだいさせたが、皇子誕生ならず、藤原氏の絶頂期は頼通をもって終る ―― ということになっている。
 院政期を経て、平氏と源氏が歴史の主人公となり、藤原氏の名は歴史教科書の本文からは消えてしまう。
 
 ところが、藤原氏は皇室をしっかりおさえていたのである。
 
 試みに、鎌倉時代から今日にいたる歴代の天皇の母となった方のご出身を調べてみよう。
 後鳥羽天皇から今上陛下まで、49代の天皇の生母は46名。そのうち、藤原氏の流れでない方は9名にすぎない(うち6名が源氏の出身)。つまり、46名のうち37名は、藤原氏(その流れをくむ中山家、柳原家、九条家をふくむ)の出身であられる。
 角川書店『日本史辞典』(平成8年刊)の付録の「天皇表」を見て知った。
 
■ 藤原色を消し去ったところに生れる皇室の公おおやけぶり ■
 
 これだけ藤原氏の血が濃いのであれば、皇室といってもほとんど「藤原王朝」ではないか。
 
 だが、皇室のすごいところは、そして藤原氏の実に賢いところは、藤原氏という存在を皇室の表舞台から極力消し去っているところにある。
 皇室への当てつけを目にすることはあっても、皇室につながる藤原氏へのことさらの非難を目にした記憶がない。Yahoo! で「藤原氏」を検索しても、圧倒的に平安時代のことばかりで、現代の藤原氏は話題に上って来ない。
 
 このみごとなばかりに控え目な藤原氏のありかたが、皇室の公おおやけぶりを支えているのだろう。
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【平成14年11月11日付のメールマガジン(配信誌)より】
 
 昔、松山市に父が苦労して建てた家があった。冬には いささか寒い造りの家だったが、狭いわりに味のある庭もあった。家族の思い出がつまった家だった。
 両親が亡くなり、松山に残った弟が相続したが、その弟も亡くなり、ある事情から人手に渡った。
 そしてある日、知らされた。かつてのわが家が、更地さらちにされ駐車場になると。買い戻そうかと一晩考えあぐねたが断念した。
 
 更地にされて一年後に、行ってみた。
 
 小さな土地だった。
 脳裏のわが家の映像が急速に溶解しはじめるのが分った。
 「ああ、来るのではなかった」と後悔した。
 
           *     *
 
 皇后陛下が旧正田しょうだ邸の移築保存を固辞された。
 
 旧正田邸を財務省が取り壊すというニュースをコラム子が以前はじめて聞いたとき、なんと無粋ぶすいなことをと不満に思った。
 旧正田邸ひとつ残せなくて、何の経済大国か。
 だから地元住民の保存運動を心強く思ったし、軽井沢町移築の話にも拍手したかった。
 そして、それでも皇后陛下が固辞されたと知り、ようやくコラム子も不明を恥じた。
 
 軽井沢町で旧正田邸が一般公開されたとしよう。
 入館料を払って邸内に入り、「この部屋で皇后さまは幼い日々を過ごされました」などとガイドさんの説明を聴くのだろうか。いまは皇室の歴史のなかに身を置かれた方の思い出に、われわれが土足で上がり込んでよいのだろうか。
 
 この特異な「観光スポット」によって、正田家に光が当りすぎることになるかもしれない。
 皇室は、すべての私人から超然としてあるべきで、皇后陛下が皇后としてあるのも正田家のゆえではない。
 
 皇后陛下も、思い出多き旧正田邸の取り壊しは、私人としてはさぞや名残惜なごりおしく思われよう。
 もしも皇后陛下が望まれるなら、旧正田邸を保存することなど、簡単にできただろう。極論すれば、皇居内への移築すら可能かもしれない。
 しかし、限りなく公の人となられたいま、皇后さまには「徹底的に私情を排し、私と公を峻別したい」と、そういう強い倫理観・歴史観がおありなのだ。
 
 私人の延長としての権力者のうちには、自らの生家を記念館として残そうという人も多い。
 そんななかで、皇后陛下は皇室の歴史の継承者として、潔癖なまでに私情を排された。
 
 われわれ日本人は、すばらしい皇后陛下を戴いた。