アラブとトルコ
「PLO善玉論」が和平を阻む
NHKのニュースを見ていると、「PLOが善玉でイスラエルが悪玉だ」と映像付き解説をしているのだが、そろそろお涙頂戴は卒業したらどうか。
イスラエル国内で暴動が一向に収まらないのは、PLOに「独立国家樹立」を語る資格なしと自ら世界中に宣言したようなものなのだ。
停戦合意が新聞の一面を飾ったのは束の間だった。PLOのアラファト議長はパレスチナ側の暴動を放置した。暴動させてガス抜きをしないと、自分が暗殺されかねない、のだろう。
結局苦しむのは民衆、というべきか。江戸時代よろしく問屋制家内工業で細々と生計をたてる暫定自治区住民は、仕事が来なくなって収入の道が途絶えた。暴動に加わる予備軍がますます増えてゆく。悪夢のような世界だ。
イスラエル政府とPLOの交渉を見ていると、アラファトに「譲歩する力」がないことがよく分かる。
「譲歩する」には大変なエネルギーが要るのだ。
ぶん取れると思ったものをぶん取れないのだから、下からの突き上げは激しい。これを強権で抑える力を、おそらくアラファトは持っていない。
ここで思い出すのが、明治10年の西南戦争のことだ。大久保利通の明治政府は、利通のかつての盟友、西郷隆盛の率いる軍を討った。私情を言えば身内でも、国家という公に反すれば討つ。これを行ったことで、明治政府は国家となった。
隆盛も立派だった。大義に乏しく、勝利の分のない旧薩摩の士族軍を、何故率いる気になったのかと訝いぶかる。しかし、何故にと訝るのは、答えを知っている20世紀の我々だからだ。ひょっとしたら、旧薩摩軍は破竹の勢いで全九州を征圧したかもしれない。しかし、本州は無理だ。どこかで夢は潰ついえ、妥協が必要となる。苦渋の譲歩も必要となる。
そのとき、旧薩摩軍という暴力集団を誰が纏まとめるのか? 纏められる者がいなければ、暴力は拡散し、無意味な悲劇を増幅するだけだ。
だから隆盛は起たったのだと思う。
残念ながらPLOには、公の論理で敢えて身内を討つ大久保利通もいなければ、異議申し立てに秩序の一線を残そうとした西郷隆盛もいない。独立国家がいかなる責任を伴うものか認識に乏しい「万年梁山泊」のアラファトしかいないのだ。
このPLOを正すには、「PLO善玉論」をメディアから追放する必要があるのではないか。PLOを世界は甘やかしすぎた。PLOにもっと大人になってもらう必要があるのだ。
平成12年10月25日に米国下院本会議はパレスチナの指導者たちを非難する決議を圧倒的多数の賛成で採択した。曰く 「暴力挑発の側に回り、これを止めさせることに手をこまねき、意味なく人命が失われる結果となった」。
フフン、どうせユダヤ人ロビイストの暗躍の成果でしょ、と鼻で笑ってはいけない。
PLOは、善玉となるか悪玉となるか、剣けんが峰みねに立たされていることを十分認識するべきなのだ。米国下院のメッセージは正しいと思う。
(平成12年10月29日)
アラブへの恋に破れたヨーロッパ
英国 Daily Telegraph 紙のコラムニスト Daniel Johnson 氏が、対アラブ政策を見直すべきだとして、興味深い論評を書いている (The Asian Wall Street Journal 平成12年10月20日)
「ヨーロッパとアラブの情事は、一世代以上も続いてしまった。それがあまりに長かったので、さてさて昔はヨーロッパがイスラエル側についていた時代もあったことを、思い出せない人がほとんどだ」
ヨーロッパがイスラエルを袖にしたのは、1967年だ、と Johnson 氏は書く。昭和42年。東京都に美濃部知事が出現した年。ミニスカートが流行したころだ。
イスラエルはアラブを相手に勝ちすぎて、胴元たちのデリケートなバランス感覚を逆なでしてしまったのだ。これに石油危機が決定打となって、コラム子に言わせれば、言論の闊達かったつさが失われ、アラブ批判が実に書きにくくなったのではなかろうか。
そもそも中東のあの場所に、白人を中心とするイスラエルという国があるというのは、現代の偉大なる虚構だ。インドのお釈迦様が生まれたあたりに、突然タイ人かカンボジア人の国ができるようなものだ。しかし、その虚構をいったん認めてしまったのだ、この世界は。虚構の国は、ちょっとしたゆり戻しに数百万の命が懸かってしまう。
「アラブとの情事の果てに、結局アラブはいまだに独裁国ばかりで、ヨーロッパが目指す倫理性とはほど遠い。あの地域でまともな民主主義国はイスラエルだけではないか。すなおに考えれば、イスラエルの方が自分たちの感覚にはるかに近しい。アラブ寄り政策は、大衆受けしないし、賢明とは言えない」と Johnson 氏は続ける。
これが白人社会の本音というべきか。
今後の白人の本音の噴出が楽しみだ。
(平成12年10月29日)