マレー世界とASEAN



     四国が追いつけない中進国マレーシア
     
 はじめてマレーシアへ行った。いやはやつくづく資源国というのは幸せなことである。クアラルンプールは、街中が「お台場」だ、とでも言えばよいだろうか。センスのいい現代建築群に圧倒された。そして、とにかくゴミが落ちていない。同じマレー系の国であるマニラとついつい比べてしまうが、

 88階建ての高層ビルが2棟並んで立つ ペトロナス ツイン タワー。当国の石油公団が建てた。市内に近づくにつれ、ゴシック建築のような尖塔が見えてくる。夜は晧々と美しい。これが大陸中国だと、近づくにつれてとんだ安普請であることが知れて、密かに鼻白むことになるのだが、
このペトロナスタワーはさにあらず。細部に至るまで立派なものだった。

 高層建築が適度に個性を主張しつつ、中間色を多用してしっくりとまとまっている。マニラのワッサワッサしたところがなく、余裕が感じられる。
 大陸中国など、小学生の夏休みの工作をそのまま巨大化したような悪趣味な建物が必ず目に付くのだが、これがクアラルンプールには皆無である。

 …と言いたいのだが、犯罪と言ってよいほど無粋な建物が街の真中にあった。3階か2階建ての白いビル。飾り気ひとつない、長方形の連なり。どう見ても病院か刑務所だ。白地に赤の旗を赤十字に変えた方がお似合いか。
 マレーシアに莫大な経済援助をしている日本国の大使館である。
 斜向かいは米国大使館で、褐色を基調とした富豪の別荘のような造り。これが街の風景にはみごとに溶け込んでいる。

 クアラルンプールから車で1時間のところにある巨大な空港を見よ。日本の借款で建設された。遠くから見たら万博のパビリオンだ。床という床はピカピカの石張り。かの関西空港でさえチンケに見えてくる。成田から飛んできた我々から見ると、ため息が出る。

 何で経済援助でもって、本国にもないような豪華な施設を作ることが許されるのかしら。
 金の使い方を間違っているとしか思えないのだが。
 日章旗が翻る白い建物が気違い病院に見えてくるのは、そんな瞬間である。

 ペトロナスタワーの上から街を望むと、まだまだ空き地だらけでうらやましい限りだ。
 そもそもマレーシアというのは、人口希薄な地域だった。そこに労働力として中国・インドからの移民を入れた。民族間の軋轢
あつれきもあり、それを口実にちゃっかり中国人たちがシンガポール島をぶん取ってしまった。マレー人、中国人、インド人という3頭の馬をどう御するかが、マレーシアの為政者の課題である。

 国土33万平方キロ、人口2,200万人。街に余裕があるのも当然か。車から街を見ても、とにかくゴミが落ちていない。このきれいさも、人口が相対的に少ないところからくるのだろうか。
 この人口を、あと20年で一気に7,000万人台に持っていこうというのが政府の計画だそうだ。そういう無理をすると、きっと歪
ひずみが出てくるのだが。

 クアラルンプールの繁栄には、四国のいずれの都市も決して追いつけないだろう。高松の臨海再開発とて、クアラに比べれば舞台の書割りみたいなものだ。

 そんなことを思いながら、新開地そのままの街を見ていて、何か足りないな…と思った瞬間、ふと松山城の勇壮な姿を思い出した。緑なす山に静かにましますあの城は、質実にして優美に、時の流れを、人々の営みを、じっと見ていてくれたではないか。異国で突然そんなことに思い至って、涙が止まらなくなった。
(平成12年12月10日)



      情報化社会の創造力

 フィリピンのマニラ。地元のテレビでは、数年前に比べると随分タガログ語を使うようになった。しかし、街角の看板は英語がほとんどだ。新聞も、一流紙はみな英語であって、タガログ語の新聞は おざなりな大衆紙である。中等教育以上は英語に頼っている。
 それに比べると、マレーシアのクアラルンプールは、街の隅々までしっかりとマレー語を使っていて好感が持てる。見るからに格調のあるマレー語の新聞がある。大学教育にもマレー語が使われているという。

 ヨーロッパの波が押し寄せる以前から、通商用語として広く使われてきたマレー語。スペイン語・英語という大言語の便利さに慣れた国民に、なかなか浸透しないタガログ語。
 ではマニラ人の方がクアラ人より英語がうまいかと言うと、これがそうとも言えない。正直言って訛りのない英語をしゃべるのはクアラ人の方だ。英国風のきれいな英語である。マニラ人は、日常生活で英語を使うために、かえって社会全体としてフィリピン英語を作り上げてしまった。この辺、インド人がRの音のきついインド英語に染まっているのと、似たような状況と言えるかもしれない。

 1週間ほどの滞在だったが、マレーシアのテレビを見ていると、マレーシアらしい番組というのをきちんと作っていて、これまた好感がもてた。
 朝6時40分に放送が始まると、国歌のあとはコーランの朗誦が延々と流れる。深夜も1チャンネルはコーランである。民族舞踊や恋愛ものの歴史ドラマもあった。歌謡番組を聞いていると、インド旋律の歌が流れる。
 こういうお国振りというのが、マニラのテレビにはない。何かフィリピン製の米国チャンネルという感じだ。
 それでいて、諸外国の一流のソフトを流しているのは、マレーシアの方だ。木村拓哉
たくやの話題のドラマ『ビューティフルライフ』も、日本語のままマレー語の字幕付きで放送していた。「土日の8時半はポケモンのアニメを見てね」と、新聞に全面広告。米国や香港のテレビ映画も多い。深夜、コーランの朗誦から別のチャンネルに変えると、クリスチアン ディオールのファッションショーをやっていたが、パンティーやブラジャーが透けて見えるファッションも、そのまま放送していた。

 クアラで本屋に行きたかったのだが、伊勢丹に出店した紀伊国屋と空港の書店にしか行けなかった。マレー語の本というのがどのていど出版されているのか見たかったのだが、どちらの書店にもマレー語の本は字引しか置いていなかった。

 マニラでは、街の大きな書店でも、タガログ語の本は学校の教科書とハーレクインのような大衆恋愛小説のタガログ語版ていどしかなくて、がっかりさせられる。さて、マレー語の本の出版状況というのはどうなのだろうか。現地社員に聞くと、教科書会社に教科書販売で収益を上げさせ、その代わりに(おそらく採算のとれない)マレー語の一般書の出版も請け負わせているのだそうだ。
 
 マレーシアは、あと20年で先進国入りを目指すのだという。
 街並みも民度も、首都クアラを見る限り、すでに先進国の顔である。
 しかし、本当の先進国になろうとすれば、力を入れるべきは、広い意味でのソフトの創造・開発力だろう。

 自国語でどれだけの出版が行われているか。視聴率の高い時間帯を、どれだけ自国制作のテレビ番組で占めているか。新聞の記事がどれほど面白くためになるか。ずいぶん初歩的な領域かもしれないが、案外この辺が、真の先進国か否かを見分けるイロハではないかとコラム子は思う。
 そしてもちろん、独自の科学技術開発にどこまで乗り出していけるか、ということも。

 マレーシアの10年後が楽しみだ。
(平成12年12月10日)