大陸中国と台湾中国

推薦図書  『「中国人」になった私 不思議の国のウラとオモテ』 松木トモ著、PHP研究所刊
         大陸中国の混沌と、それを補ってあまりある人情の厚さを、納得のいく筆致で伝えてくれます。

       著者の松木さんは、国際結婚をします。たまたま相手の人は大陸中国の人でした。
         


 李登輝氏へのビザがもたらした新たなる「常識」

 台湾中国の李登輝 Lee Teng-hui氏にようやく来日査証が発給された。来日目的は、「来日」だ。
 「人道上の理由」という錦の御旗があれば、積年の障壁が乗り越えられることも分かった。大陸中国の理不尽ぶりを、日本国民に強烈にアピールできた宣伝効果は大きい。

 現代の常識を体現する李登輝さんの勝利か。
 
 さて次は「政治的活動」なるものについての「解釈権」が誰にあるかの争いになる。

■30年にわたる洗脳

 「1つの中国」と言われる。
 《日中関係の基礎である72年の日中共同声明の「1つの中国」の原則》(平成13年4月21日『朝日新聞』社説より)という具合に使われる。

 いったい、「1つの中国」は、日本の立場なのか?

 実は、そうではないのだ。

 世の中には、さきの朝日新聞のようないい加減な省略形がまかり通っている。よっぽど気を確かにもっていないと、洗脳されてしまう。

 先に答を言おう。
 「1つの中国」は、中華人民共和国政府の立場である。
 また、「日中共同声明」には、「1つの中国」という言い方はどこにもない。

■「日中共同声明」をよく読んでみよう
 この問題、いろいろと読めば読むほど、「私きれい?」と言って擦り寄ってくる2人の女性を見るような気がしてくる。
 
 昭和47年9月29日、今から30年近く前の「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」には、こう書いてある。

《3.中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、
この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基く立場を堅持する。》

 日本は、ポツダム宣言を受諾して、結果として台湾への国家主権は放棄している。だから、「台湾」のあり方について決定する権利はない。
 「台湾は中華人民共和国の一部だ」と言いつのる権利は日本にはないのだ。

 だから、共同声明にもあるとおり、「台湾は中華人民共和国の領土の一部」と主張しているのは、ひたすら大陸中国政府だ。
 この大陸中国政府の立場を「十分理解し、尊重」する、というのが日本の立場なのである。

■「十分理解し、尊重する」というファジーな世界
 共子
ともこと民子たみこという2人の美人がいたとしようではないか。
 共子にうるんだ目で見つめられて、和夫
かずおは言ってしまったのである。
 「美人は共子だけ、と君は言う。君の言い分を十分理解し、尊重するよ」。

 さて、和夫さんは何をしなければならず、何をしてはいけないでしょうか?
 これが設問である。

 共子の宣伝業者と化して「民子はブスだ」と触れて回る必要はない。民子を見て、美人だと思うのも自由だ。
 美人のごとくに民子を礼遇するのもよかろう。「君は美人だね」は禁句だが。
 もちろん、そんな和夫の姿を見て、共子の心は穏やかならず。

 共子が「美人は私だけ」と言っているときに表立って反論しない、というのが約束だ。
 しかし、第三者の花子が「民子は美人だわ」と言うときに反論する必要もない。
 民子自身が「わたしは美人よ」と言い出したときが微妙だ。

 共子と民子を美人コンテストの出場者として招くことも許されよう。当然、共子は騒ぐだろう。「ブスと分かっている民子を何で美人コンテストに参加させるの?」
 しかし、民子に美人賞を与えない限り、約束破りではない。

 問題は、民子が客観的にどう見ても美人で、美人賞を贈りたくなったときだ。
 いよいよ、共子と話をつけねばならない。
 「ねえ共子、君の言い分を十分理解し、尊重してきた。しかしね、客観的に見て、民子は美人なんだよ」。

■「民間及び地域的な往来を維持する」
 さて、李登輝さんへのビザは上の喩えでは何に相当するのか。
 民子への美人賞ではない。
 民子ファンクラブの会長への招待状、というところだろうか。

 これをもって共子は「約束を破ったわね! うそつき!」と詰
なじるのだが、はたから見ると共子は何とも見苦しい。

 平成10年11月26日の「日中共同宣言」にはっきりとうたわれている。
 《日本は、引き続き台湾と
民間及び地域的な往来を維持する。》
 李登輝氏は、「民間」である。李登輝氏が「民間」であるかどうか解釈する権利は双方の国にあると言うべきだ。大陸中国がどう解釈しようと勝手だが、自分の解釈を日本に押し付ける権利はない。
 主権国家どうしというのは、そういう関係ではないか。

 この共同宣言の「地域的な往来」というのも含蓄が深い。
 「国家的でなく地域的」と解釈すれば、国家でなく地域である「東京都」の知事が、「台北市」という地域の代表者を正式招聘することは、すでに認められたというべきだろう。

■自民党内の派閥抗争だったビザ発給可否騒動
 このコラムを書いてきて分かったことがある。
 日本で「外交」がホットになるときというのは、実はこれが内政問題化したときだ。

 今回のビザ問題、実は自民党の「旧福田派」と「旧田中派」の争いだったらしい。
 なにやら日清戦争前の朝鮮の独立党と事大党の争いを彷彿とさせる。

 4月21日の各紙を読むと、これを詳述しているのが『毎日新聞』だ。

《首相や福田氏
(康夫官房長官)の所属する森派は旧福田派以来、伝統的に親台派の系譜にある。
 日中国交正常化を果たした田中角栄元首相以来の親中派が旧田中派であり、その流れをくむのが橋本派。
 李氏へのビザ発給問題には
日本政界の長年の路線対立と力関係とが、複雑に影を落としていた。》

 あまりに分かり易すぎて、高校の日本史の教科書にそのまま転載できそうな文章だ。
 
 『日本経済新聞』も同じく4月21日の記事で曰く。
《自民党森派は岸信介首相以来の親台湾派の流れをくむ派閥で、李前総統が主席を務めた国民党とのパイプも太い。》

■日本政府は橋本、野中の私物か?
 なまなましいのは『産経新聞』。同じ4月21日の記事に曰く。
《森喜朗首相ら官邸サイドが李登輝氏の訪日容認に踏み切ると踏んだ外務省の槙田邦彦アジア大洋州局長は、「親中派」の実力者、野中広務前幹事長に窮状を訴えた。
 関係筋によると、
野中氏は「絶対降りるな」と槙田氏を励まし、腹心の古賀誠幹事長を通じて17日、官邸に「慎重に対応するように」とメッセージを伝えたという。》

 いったい日本「政府」とは何なんだろうと考えさせられる。

 『毎日新聞』に戻ると、曰く
《外務省で発給反対に回った阿南惟茂
あなみ・これしげ中国大使は、橋本氏の強い推薦により「飛び級」で就任した経緯がある。
 槙田国彦アジア大洋州局長は、対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)外交での野中氏の腹心と目されている。阿南、槙田両氏の抵抗には、橋本、野中両氏の政治的な後ろ盾があったとみられている。》

 もっとも、阿南大使について、日経・産経の書きぶりは異なる。

 まず産経から。
《首相は…中国大使に今年1月、阿南惟茂氏を起用した理由について、周辺に「中国側にきちんとモノが言えるからだ」と述べ、李氏訪日のための<布石>の一環であることを示している。》
 書いていることが毎日新聞とは逆だ。

■何が欲しくて「親中共派」?
 さすが日経は、この辺が詳しい。
《「次期駐中国大使は様々な問題で中国の反発に動じず、強く出られる人物でないと」。
 昨年10月31日、首相は都内の料理屋で外交最高顧問の中曽根康弘元首相、橋本龍太郎元首相と会談し、こう心中を明かした。
 この席で外務省内の中国専門家の年次順送りの慣例を破り、中国に厳しい姿勢も取れるとされる当時の阿南惟茂内閣外政審議室長の中国大使起用が固まった。》

 森首相も、立派に政治をやっているではないか。

 それにしても、野中広務氏の親「中共」ぶりは、何なのか。
 この御仁、日本共産党撲滅を存在理由に生きてきたような人である。「公明党」べったりぶりも、単
ひとえに反共のための止むを得ぬ選択肢と許されもした。
 
 その同じ御仁が中国共産党大好き派。
 南京のプロパガンダ施設も詣
もうでてきた。
 学生ではあるまいし、好き嫌いだけで、中国共産党のためにここまで頑張るか。

 これまで大陸中国で、野中氏はいったい何を約束し、何を取引してきたのか。ぜひ明らかにしてほしいものだ。

■これから政治はどちらを向くべきか
 『朝日新聞』は4月21日の社説で書いている。
《李氏を淡々と迎える。もしも、約束に反して滞在中に政治的な活動をするようなことがあれば、今後はビザを出さない。》
 日本政府はそうせよ、と言うのだ。

 朝日にお願いしたいが、貴殿らこそ「李氏を淡々と迎え」てほしいものだ。
 
 産経4月21日夕刊によれば、李登輝氏の代理人としてビザ申請した彭栄次氏曰く
《「日本政府と李氏の間で条件に関するネゴシエーション(交渉)は一切行われなかった」
 「われわれの側で日本政府の厳しい状況をくんで、自主的に日程や訪問地を制限したことはある」。》
 朝日の社説に言う「約束」などない、と李氏側は言っているのだ。

 李登輝氏の日本滞在中の行動を箸の上げ下ろしまで監視して、「あ、あれは政治的な活動だ!」と大陸中国政府が言ったとて、それが何だというのだろうか。

 そもそも、「1つの中国」じたい、壮大な茶番ではないか。

 台湾中国の軍隊が尖閣列島を占領したとしようか。
 そうしたら、日本政府は北京にある「中国の唯一の合法政府」(日中共同声明より)に抗議するのだろうか。
 もちろん、大陸中国政府は抗議に即座に応じて、義勇軍行進曲を響かせながら、大艦隊を尖閣列島に派遣するであろうが。
(平成13年4月22日)


  押しつぶされる専門家

 大陸中国が「普通の国」っぽくなってから、もう10年以上になる。
 国営企業間の不良債権ジャングル、二重価格構造を悪用した官僚の蓄財、などなど、不安材料には事欠かず、いつかは崩壊すると言われつつ、外国資本の導入で何とかもってきた。
 
 10年前に、北京の若い人たちのあこがれの職業のアンケートがあって、たしか1位と2位は、タクシー運転手と外資系ホテル勤務だった。職業に貴賎はないにせよ、タクシー運転手があこがれの職業では、大陸中国はいったいどうなるのか、と思ったものだ。
 なぜあこがれの職業だったかというと、どちらも「外貨兌換
だかん券」を入手しやすい職種だったからだ。当時は、外貨に交換できる「外貨兌換券」と、外貨に交換できない「人民元」の、2種類の紙幣があって、輸入品の買い物や外資系ホテルでの飲食は、「外貨兌換券」オンリーだった。

 今は、欧米系の会社にローカルスタッフとして就職するのが憧れナンバーワンだという。
 コラム子の勤務先の会社の北京事務所で、かつて部下だった中国人社員も2名、欧米系企業に移った。そのうち1人の女性は、個室をもち、秘書がつき、専用の車までつく身分になったというからすごい。日本企業なら「常務並み」の待遇だ。
 突然首を切られぬよう、厳しい競争にぜひ勝ち抜いてもらいたいものだ。待遇並みの付加価値を彼女がどう創造していくか。祈るような気持ちになる。

 この10年間で、大陸中国の製品の質はずいぶん向上した。中国人へのちょっとしたおみやげをカタログで選ぼうとすると、手ごろなものは軒並み「中国製」と書いてあって、ほんとに困ってしまう。
 
 「娘のためにバッグを買いたい」という中国人のお客さんがいて、新宿のまちで一緒に物色すること30分。「これがいい」と選んだバッグの中を見るたびに、MADE IN CHINA と書いた札がついている。これが数回続くと、困惑と落胆が入り混じる。
 「デザインは日本だと思いますよ。輸出専用で、中国では売ってないかも」と言ってあげるのだが、東京みやげが MADE IN CHINA ではサマにならない。結局その人、バッグ探しを諦めたのだが、さてさて、中国人にとって悲しむべきか喜ぶべきか。

 このバッグが一つの典型だ。マスコミでもてはやされる大陸中国の新興工業。その実態は海外の設計・デザインとノウハウ、輸入の生産ラインの産物というのがほとんどのように見える。
 大陸中国のショッピングモールに行っても、家電から玩具に至るまで、オリジナリティーを感じさせるものがないのはどうしたものだろう。

 中国の新聞を読んでいても、「独創的技術」の紹介記事になかなかお目にかからない。海外の技術の吸収どまりなのである。コラム子がある程度事情に通じている、大陸中国の発電プラント業界を見ても、然り。
 
 宴会のたびに新しい料理の発見がある中華料理。出張のたびに新製品にめぐりあう漢方薬。この辺の分野では、独創性は十分に発揮されるのだが、どういうわけか、そこから先に広がらない。

 大陸中国人が独創能力に劣る、というわけではなかろう。
 ここから先はコラム子の独断の想像なのだが、「専門家が職人として専門に徹しつづける」ことがなかなか許されない大陸中国の社会の仕組みが問題なのではないだろうか。
 
 職場である程度秀でると、共産党員に抜擢されて、党の仕事も忙しくなる。数多くの会議を始め、あらゆる雑務、決裁の仕事がやおら集中し始める。たんなる職人としてとどまることは、周りが許してくれないのだ。
 全的人間として全てに関与し、専門の技を極める暇もない。気がついたら、接待宴会漬けだった、なんてことにもなろうか。
 そしてその周囲にいるのは、相変わらずタラッとして他人に無関心な人々の群れである。
 職人が職人として分をまもり、技術を共有しつつ技を磨くことを称える日本の美意識は、大陸中国には無縁のように思える。

 現在、大陸中国が世界に誇れる技術の1つがロケット技術だ。ロシアから導入し、アメリカから持ってきた技術に、どれだけ独創技術を加えているかは定かでないが。このロケット技術、最優秀の技術者を四川省の山奥に集めて研究させている。みんな貧しかった10年前は、これでよかったのだが、今の若者からすると極めて魅力のとぼしい職場環境と言えよう。

 わが国でもバブル絶頂のころ、理系の学生が証券会社に続々就職するというのが一種の社会問題となったが、さて、今の大陸中国の理系の優秀な学生さんたちはどういう仕事につこうとし、どう育っているのだろう。NHKあたりで、ぜひ取材してほしいものだ。
(平成12年11月25日)

 それぞれの危機、それぞれの傍観者

 大陸中国と仕事で付き合って15年。いまだに思う。
 社会部と整理部の新聞記者を100名ほど日本から大陸中国に送り込んで、日本の感覚そのままで記事を書かせれば、どんな紙面ができるだろう。
 
おそらく、明日にも国が崩壊するといわんばかりの、おどろおどろしい紙面に違いない。
 口では「地球市民」を標榜する、ダブル・スタンダードの朝日新聞など、一度試みていただけぬものか。


 大陸中国・広東
カントン南部の経済特別区。私の勤務先の会社は、ここに小さな事務所があるのだが、ふと見ると壁に50元札と100元札が画鋲で留めてある。
 「ねえ、林
リンさん、これ一体どうしたの?」
 「それね、偽札
にせさつなんですよ。この間、市場でおつりをもらって、帰ってよく見たら偽にせだった」
 偽札でも、すかしがちゃんと入っている。
 これが日本なら、1枚発見しただけで社会面を飾り、林さんはテレビ局にインタビューされて、その日一日は時の人だ。

 ところが、林さんはこの偽札を警察に持っていく気もないのである。市場
いちばにもっていっても、引き取ってくれない。そこで、壁飾りとなった。

 平成12年11月11日の日本の各紙が、外報面のベタ記事で大陸中国の偽札流通の実態を報じている。捜査当局が集中摘発したら、額面総額4億7千万元(約62億円)の偽札を押収。これが、年間の通貨発行量の実に0.3%に相当する、というのだ。押収量だけでこれだから、実際の偽札流通量はいかばかりか。逮捕者は1万4千人近く、だそうだ。
 
 昭和62年から平成元年まで北京
ペキンに駐在していた。
 「四川省の山林で、暴力団組織と武装警察(日本でいう機動隊)の銃撃戦が起こっているらしい。機関銃まで繰り出して、警察側も数十人が死んでいるらしい」。
 製鉄プラント担当の同僚が、四川省から帰ってきてそう言うのだが、北京では何の報道もない。
 これが日本なら、一面、二面、三面ぶっちぎりの大報道だ。各テレビ局のヘリが出て、上空から一日中実況中継をやるに違いない。
 そこまでの規模のものかは知らぬが、銃撃戦は現在とみに増えているらしく、平成11年に広東省広州に行ったら「武装警察の皆さん、ガンバって!」というキャンペーンをやっていた。あまりに武装警察側の犠牲が多く、社会の声が支えなければ士気にかかわる、ということらしい。

 と、ここまで書くとまことにおどろおどろしいのだが、大陸中国に足を踏み入れた途端に、何かしらタラッとした空気にフッとなごんでしまうのも事実だ。

 あの、タラッした緊張感の欠如は何なのだろう。
 他人への無関心と割り切り。
 その辺の気分に「はまる」と、みごとな大陸中国ファンになる。
 「自分が1個のモノと化してしまった」ような、妙な軽さ。

 その軽さはまた、人の命の軽さでもあるのか。高層ビルの立ち並ぶ一見近代的な都市、その歩道のマンホールの蓋がないのに何度も出くわした。鉄くずとして売るために持っていかれる、という話だ。持っていく輩もひどいが、これを引き取る業者も業者だ。大雨で水浸しになると、不注意者が穴に吸い込まれて消えることもあるョ、などと実
まことしやかな話も聞いた。
 ガラス細工のような仕組みを互いの緊張感でもって支える日本社会とはずいぶん異質である。
 
 陰陽思想というのが大陸中国で生れたのは、よく分かる。泥のなかに咲く蓮の花、というのがピッタリの人たちに、これまた幾度も出くわした。だからあの国は何とかもっているのだ。

 大陸中国の新聞を読んでいると、日本の新聞に比べて、いわゆる「美談」話が目につく。ではそういう美談を通じて社会がすうっと変わっていくかというと、これまたそうでもなくて、蓮の花はあくまで孤軍奮闘である。
 よくも悪くも、周囲の人々はタラッとした傍観者である。
 
 日本の社会部・整理部の新聞記者を、大陸中国に送り込んで修行させてみたい。帰国後、どんな紙面を作ってくれるようになるか、楽しみだ。

(平成12年11月25日)