韓国と朝鮮国
推薦図書  『暮らしがわかるアジア読本・韓国』 伊藤亜人著、河出書房新社
        韓国の民俗を総合的に紹介しています。理知的に淡々と書いてあるところがいい。
        この伊藤先生の授業で開眼して、コラム子も学生時代に韓国人の友人の案内で
        ソウル郊外へ巫女さん(シャーマン)の儀式を探訪しに行ったりしたものです。
          



         異文明圏韓国の小学生用国語辞典

 外国語学習のために、いい教材がある。現地の小中学生用の国語辞典だ。注釈の書きぶりも分かりやすいし、文字も大きく、挿絵もたのしい。
 中国語(北京語)、フランス語、スペイン語、朝鮮語の児童用辞書を買い求め、折々使っている。


 さて、韓国で出版された小学生用国語辞書を読んでいて、驚くべきことに気が付いた。
 日本でいう「放送禁止用語」が堂々と見出し語になっているのだ。


 日本のテレビで評論家が「チャンコロ」という言葉を使ったら、その人の評論家人生は終ったと思ったほうがよい。政治家なら平謝りだが、大臣職は即座に辞めねばなるまい。

 1億総お坊ちゃま・お嬢ちゃま化の無菌社会では、ことばの浄化も進んでいて、「チャンコロ」「アメ公」「露助
ろすけ」といった差別語は表に出なくなった。日本社会そのものに余裕ができてきて、差別語にストレス発散のはけ口を求める必要がなくなったこともあるだろう。

 ところが、韓国はそうではない。
 『産経新聞』3月20日号「談話室」に、コラム子の投稿が載ったので、引用させていただく。

 《
残念なことだが、いずれの言語にも「アメ公」とか「露助」のような、他民族をさげすむ言葉がある。
 英語の「ジャップ」はよく知られているが、朝鮮語にも「ウェノム」という単語がある。「ウェ」は「倭」の音読み、「ノム」は「奴」というほどの意で、「日本人野郎」といったところか。


 《
日本では「アメ公」「露助」は、成人用の国語辞典でも収録はまれだ。ましてや、小中学生用の国語辞典には収録されていないといってもよいのではないか。

 《
ところが、韓国の小学生用国語辞典には、この「ウェノム」が堂々と収録されている。
 教学社の『初等学生学習国語辞典』と 斗山出版の『東亜初等新国語辞典』で、いずれにも「日本人のことをののしって言う言葉」と注釈がある。
 成人向けの辞典ならいざ知らず、児童向けの辞典に載せる神経が理解できない。


 これらの辞書の出版社は、日本でいえば小学館や三省堂に相当する大手。ソウルの書店の児童書のコーナーで平積みにして売られていたポピュラーな辞書である。

 
問題の「ウェノム」ということば、投稿では「日本人野郎」と訳語を付けたが、ニュアンスとして言えば「チャンコロ」に倣って「日コロ」といったところかもしれない。
 「初等学生」とは「小学生」のこと。韓国では小学校のことを、ごく最近まで「国民学校」と呼んでいたが、この名称が日本統治の残滓だという批判があり「初等学校」に改められた。

 たかが1単語のことで何を目くじら立てて投書に及ぶのか、と思う人もいよう。
 実は、問題の収録語はこれだけではないのだ。
 以下、見出し語と注釈を引用する。<教>は教学社の辞書、<斗>は斗山出版の辞書の注釈である。

「ウェグ
 倭国」 <教> 「日本」を見下していうことば
           <斗>  同上
「ウェグン 倭軍」 <教> 日本の軍人
           <斗> 「日本の軍隊」を見下していうことば
「ウェノム 倭―」 <教> 日本人の男をおとしめ、ののしっていうことば
           <斗> 「日本人」または「日本人の男」のことをののしっていうことば

「ウェラン 倭乱」 <教> (収録されず)
           <斗> (1)倭人らの起こした騒乱。 (2)「壬申倭乱」の略。
「ウェビョン 倭兵」 <教> 日本の軍人を見下していうことば。
            <斗> 「日本の兵士」を見下していうことば
「ウェソン 倭船」 <教> 日本軍の船
           <斗> かつての「日本の船」を見下していうことば
「ウェイン 倭人」 <教> かつて、「日本人」のことを見下していったことば
           <斗> 日本人を見下していうことば
「ウェジャン 倭将」 <教> 日本軍の大将
            <斗> 「かつての日本の大将」を見下していうことば
「ウェジョク 倭敵」 <教> 敵国たる日本
            <斗> 「かつての日本」を敵国としていうことば


 「倭敵」は、21世紀版の「鬼畜米英」か。それにしても、「敵国たる日本」という語釈が隣国の小学生の使う辞書に出ているとは、いまどきちょっと信じられない話だろう。よくぞワールドカップの共催にこぎつけたものだ。

 辞書の貴重な紙面をここまで割いて差別語の数々を載せているのは、日本人に対してだけだ。
 韓国人がこの対日本人コンプレックスを乗り越えないかぎり、「植民地時代」といわれる日本統治時代にはケリがつかない、というべきだろう。
 この小学生用辞書の例を見ると、対日本人コンプレックスを一生懸命に再生産して次の世代に引き継いでいるのは、韓国人自身ではなかろうか。こういう観念的コンプレックスは、どうすれば払拭できるのだろうか。

 さて、コラム子の新聞投書は、こう続く。
日本の歴史教科書をうんぬんする前に、韓国政府・国民は自国の児童生徒向けの国語辞典をしっかり監督してほしい。在日韓国大使館のコメントがぜひ聞きたいものである。
 
 これを読むと、この「倭なんとか」語の数々を削除せしめよ、と韓国人に対して訴えているようでもあるが、実のところを言わせてもらえば、そんなことはどうでもいいのだ。
 むしろ日本人に、
韓国と日本の文明のありさまがいかに異なるものかをしみじみと知ってほしかった。

 たとえば広島市の教育委員会なり出版社なりが、原爆投下を恨
うらんで米国人を侮辱する用語の数々を児童の使う教材に盛り込む、といったことが想像できるだろうか。日本の文明のありようとして、ちょっと考えられないことである。

 ところが、それに相当することをやっているのが、韓国ソウルの大手出版社の辞書である。
 出版社が悪いわけではない。良い悪いで判断すべきではないのだと思う。文明のありようが違うと思った方がよい。

 
かくも異なる文明圏である日本と韓国の間の国境を廃するなど、考えただけでぞっとして鳥肌が立ちそうだが、明治43年8月にそれが行われた。日韓合邦、いわゆる韓国併合である。

 当時は、列強が植民地獲得のために地球を巡った、
究極のグローバリズムの時代であった。日韓合邦も、その時流に乗った重大な誤りであったと、しみじみ思うのだ。
(平成13年3月25日)


    韓国人と漢字
 
 仕事で韓国電力の人たちとお付き合いがある。さすがに五十代の人たちは漢字も読めるのだが、「同僚の皆さんの名前は漢字で書くとどう書きますか」と聞くと、もうお手上げである。「日頃、同僚の名前を漢字で書くことなんてないからねえ」。
 
 韓国の学校教育では、中学校で900字、高校で900字、あわせて1800字の「基礎漢字」を習うことになっている。これ以外に「人名用漢字」が1162字ある。合計2962字なり。
 日本の場合、小学校で習う「教育漢字」が1006字、これを含む「常用漢字」が1945字。これ以外に「人名用漢字」が284字ある。合計2229字なり。
 日本人の場合、2500字ていどは読めねば恥だ。しかし、韓国の場合、本来読まれうるべき漢字は多数潜在しているのであるが、日常生活で触れる機会がない。
 新聞も書籍も基本的にハングルだけで書かれているからだ。

 「新聞の見出しだけでも努めて漢字を多用して、振り仮名ならぬ振りハングルを振ってはどうか」
 「テレビのニュースの字幕は、どうせアナウンサーが音読するのだから、思い切り漢字を使ってはどうか」
 韓国電力の旧人類たちにそう話すと、いちいち頷
うなづいてくれる。日常生活のなかに漢字に触れる機会がもっとないと、韓国で漢字は復活できないだろう。

 霞が関の国会図書館へ行くと、大正時代の『東亜日報』の縮刷版がアジア資料室の開架の棚にあってすぐ読める。読めば決して御用新聞ではなく、日本の対中政策への批判あり、独立運動関連記事ありで、びっくりさせられる。明らかに、現在の大陸中国よりも言論の自由を謳歌している。
 ただし、文章は漢字がてんこ盛りである。
 最終面だけは、漢字をほとんど使わずに書かれてある。連載小説などが載っている。漢字を使わぬハングル専用の文章にもそれなりの伝統があった、ということだ。これが戦後の朝鮮国・韓国を席捲してしまった。
 
 韓国電力の若手たちと話していると、曰く 「漢字は中国の文字である。漢字を使うと民族のプライドが傷つけられる。日本人はそういうことを感じないんですかねぇ?」
 答えて言った。
 「日本には、漢字を使った日本語文献の膨大な遺産がある。これは民族の宝。これを受け継げぬとすれば、それ以上の悲劇があるだろうか。日本人が漢字を捨てることは絶対にないですよ」。
 座の話題はその後、何となく他に移ってしまった。
 
 先の『東亜日報』がいい例だが、日本統治時代の朝鮮のナマの資料を、今日の韓国人にも読んでみてほしい。その能力を身につけてほしい。
 日本人の私が読める朝鮮語を、あなたが読めないとは情けない ―― とソウルの若い人たちに言えば、少しは発奮してもらえるだろうか。

(平成12年5月 月刊『正論』「編集者へ・編集者から」掲載。11月12日加筆。)


  金正日きんせいじつ後の朝鮮国はどうなるか

 朝鮮国の金正日政権は、あとどのくらい続くのか。飢饉で崩壊するかと思いきや、この体制、予想外のしぶとさ。だから米国も、金正日政権の継続を前提に政策を立てるようになった。世界各国右へならえである。

 しかし、人間には当然ながら寿命というものがあるから、いつかは金正日政権は終わる。その後どういう政権が朝鮮国を握ることになるのだろうか。
 
金正日なき後の朝鮮国はどうなるのか、これをどう予想し、いかなる期待をするかが、対朝鮮政策を左右するカギなのだ。

 世の中では、「統一朝鮮」なるものを語れば無難ということになっている。金大中
きんだいちゅう大統領のノーベル平和賞受賞が、この少女漫画的幻想に拍車を掛けている。
 しかし、コラム子
の予想は違う。
 ずばり、
大陸中国在住のエリート朝鮮人集団が乗り込んでくるのではないか。金正日の政権基盤だった朝鮮軍に対しては、大陸中国軍が睨にらみを利かすに違いない

 朝鮮国の領土は、昭和25〜28年の米中戦争で大陸中国が分捕った勢力圏である。マシンガンにも鉄条網にも地雷原にも、ひたすら人海戦術で挑み、血で勝ち取った土地である。
 考えてもみよ。韓国と朝鮮国の競争は、圧倒的な韓国の勝利に終わった。「統一朝鮮」とはソウル主導で朝鮮半島全体が米国・日本圏に入るということを意味する。こんなことを大陸中国が許すはずがない。

 
大陸中国はしたたかだ。金正日政権がある程度西側の援助で立ち直ったところで、首を挿げ替えるつもりだろう。自力で朝鮮国を立ち直らせるのは、とんでもない経済負担となるからだ。
 万々一、韓国の政権が反米のあまり大陸中国になびいてくれれば、それこそ願ったり叶
かなったりのタナボタで、さっそく釜山プサンに中国軍港を作りましょう、ということになるだろう。
  
 米国をはじめとする各国は、大陸中国に朝鮮半島の北半分を委ねるべきか否かを議論したことがあるに違いない。「大陸中国に朝鮮国を売る」という方針が決まれば、金正日政権崩壊も時間の問題となる。拉致された日本人の解放も見えてくるのではないか。
 しかし、おそらく各国は大陸中国を甘く見て、ソウル主導の「統一朝鮮」、いや「統一韓国」に賭けたのだろう。金正日政権は曲がりなりにも北京から距離を保っている。大陸中国の傀儡
かいらい政権が平壌ピョンヤンにできるくらいなら、ハチャメチャ男の金正日にやらせておいた方がマシ、という判断だ。

 コラム子に言わせれば、これは外交政策の大きな誤りである。
朝鮮国、つまり古代の高句麗国は、大陸中国の勢力圏として国際的に認めてやるべきだ。逆に、古代の三韓の地は、大陸中国およびロシアの勢力圏外であることを中・露に認めさせる。

 こう言うと、「分断国家を認めるのか」と非難囂々ごうごうなのは間違いない。しかし、どこが悪いのか。朝鮮国が現在の大陸中国レベルまで開放的になれば、ひとまずよしとすべきではないか。少なくとも、南北に分かれた肉親たちは自由に交流できる。
 今の大陸中国と韓国並みに人と物が往来できれば、それで十分ではないか。
ドイツとオーストリアのように2つの国として共存すればいい
 
「統一まずありき」の発想は、「統一」を錦の御旗にした軍事行動を誘発しかねない。極論すれば、「危険思想」とも言えると思う。
 日本人が逆立ちしても1票しか持てない国連の票を、韓国・朝鮮国は合わせて2票持てるのだ!と思えば、「分断国家」も悪くない。

 朝鮮国の経済復興は、米中戦争の当事者たる大陸中国に責任をもってやらせるべきだ。「文化大革命」を朝鮮国に輸出した
大陸中国は、償いをすべきだし、きちんとした後始末をするべきだ。
 金正日後の新政権は、政権の正当性確保のために金正日の誤りを徹底的に白日のもとに曝
さらそうとするであろう。その一環で、拉致された日本人たちもようやく解放される、というのがコラム子の読みだ。

 だから、金正日政権に対して、日本は何ら媚びる必要はないのだ。
米国を見よ。隣国キューバとあれほど仲が悪いではないか。米国大統領とカストロが握手した写真が存在しないというのだから、相当なものだ。日本も、金正日政権との交渉は何らあせるに及ばない。
(平成12年10月22日。11月6日加筆)