政治の論理・没論理



  素人信仰の落とし穴

 歴史を振り返ると、一定の周期で「素人しろうと信仰」とでも言うべき現象が見られるように思う。
 典型的な悲劇が大陸中国の文化大革命で、専門家否定の狂乱の末路はご存知のとおり。
 横山ノック氏や田中康夫氏が人民の選挙で県知事になってしまったのもまた、この「素人信仰」のゆえである。

 本当の「素人」なら救いがあるが、実際には「素人」をウラであやつる玄人
くろうと集団がいるものだ。玄人がそう簡単に素人に権力を渡すものか。
 
 マニラから東京への日航の朝便に乗ったら、前日の『中日新聞』を配ってくれた。この飛行機、3月9日に名古屋から到着してマニラに一泊したのだろう。

 来
きたる4月の名古屋市長選挙の、現職に対抗する候補の擁立頓挫を報じていた。その内容が、いわゆる「革新」とか「市民団体」を名乗る集団の一面を白日の下にさらしていて、興味深かった。
 東京の新聞では詳報されていないが、全国ニュースにする価値があると思う。

 名古屋市長選挙は、現職の松原武久市長が独走態勢。対立候補を立てるべく、
学者グループ「愛と希望の市民自治名古屋をつくる会」(何と胡散臭い名前!)が、「予備選」なるものを実施。1位になったのが、愛知県議の梅村忠直氏(50歳)。中日によれば、「保守派論客でならした自民の梅村氏」だそうだ。
 この梅村氏を、この「市民団体」が市長候補に擁立しようとした。

 そもそもこの学者グループの発端はというと、昨年12月8日の中日新聞報道に曰く
《来春の名古屋市長選に向け、
政党に属さない学者や文化人らが「名古屋市政を語る市民の集い」を発足させることが7日、決まった。共産を除くオール与党態勢で出馬する現職の松原武久氏(63)に「相乗りでいいのか」という問題を突き付け、市長選の在り方について、無党派などの市民に広く訴える。市民団体や、共産系の「名古屋・革新市政の会」にも協力を求める。オール与党相乗りの現市政に批判的な勢力や市民にとって、対立候補の擁立に向けた「中核」となりそうだ。》

 いわゆる「玄人の政治」とは一線を画したつもりの、この「市民」ナントカの会。その意気や良し。
 だが、結論から言うと、「名古屋・革新市政の会」という玄人集団の、みごとな餌食になってしまったのである。

 この「革新市政の会」は、愛知県労働組合総連合や自治労の組織などを集票マシンにした団体で、政党としては日本共産党愛知県委員会が入っている。
 さきの「愛と希望の市民自治名古屋をつくる会」と組んだ「革新市政の会」は、梅村氏に3月7日付けで「市長選挙メモ」なるものを突きつけた。署名せよ、と言うのだ。

 以下、中日新聞3月9日の報道から。
《その中には、与党県議時代の発言などについて「改憲論のような誤解を与えかねない」「長良
ながら川河口堰ぜきの予算に賛成し、消費税5%引き上げ反対請願に、反対したのは、誤った態度」などの表現が。さらに「共産党に敬意を表する」ことを求めていた。過去の政治活動を否定し、自己批判を迫る内容。「こんなバカなものをのめるか」。梅村氏は激怒し、決裂を通告した。》

 この「市長選挙メモ」の一部が紙面に写真掲載されている。第1項が憲法第9条についてで、
《1. 1994年9月定例県議会で発言した憲法問題について、改憲論のような誤解を与えかねない発言をしたが、わたしは弁護士であり、法によって国民生活を守る立場にある。その根幹をなす憲法、とりわけ第9条を含む平和主義を守るのは、当然の責務と考えている。》
という具合。
 ひょっとして、昭和前期の「転向」声明の文書も、こんなふうだったのだろうか。

 この「メモ」は、日本共産党の中央組織の指示によるものらしい。中日新聞報道の引用を続けると
《出馬表明直前の土壇場で「
党の意向」として示されたメモが、すべてをご破算に。「政策なら妥協できるが、譲れない政治信念に土足で入り込まれた」。しかも、公表しない約束の非公式文書。「情報公開を掲げる私に、こっそり調印しろという対応も不誠実。これでは共産のロボットになれと言っているに等しい」》

 梅村氏もよく踏み止まったものだ。ここで日本共産党の口車に乗っていたら、政治家としては廃人となっていただろう。
 梅村氏は「政治の玄人」だったから、別の「玄人集団」の思惑と結末が一瞬にして理解できたのである。

 こういう「公表しない約束の非公式文書」が、日本の数ある選挙でどれほどあるのか知りたい。まさか今回の名古屋市長選が初めてではあるまいて。
 やれ
「市民グループ」だ、「無党派」だ、と持てはやされる勢力も、実はこういう玄人の「選挙メモ」で巧妙な縛りを掛けられているのではなかろうか

  長野県の田中康夫知事。
下諏訪ダムに反対する「市民団体」に属する2人の医師から500万円ずつ、合計1000万円借り入れていたことが分かった。知事は、下諏訪ダム中止の判断に「影響することはない」と言っている。
 さて、読者諸賢なら、いかなる疑問を抱かれるであろうか。

 どこのお人よしが
「キャー、田中サンすてきー」
と言って1000万円貸すだろうか。何かのお約束があるのがフツー、と「素人」信者も思うだろう。ひょっとしたら、田中知事が知らないことになっている「選挙メモ」があるのではないか。
 たまたま田中康夫氏は当選もして1000万円のうち800万円は返した。(残りの200万円は2人の医師が「寄付」、すなわち返済を辞退した。)しかし、落選すれば返ってこないリスクの高い金である。フツーの人が1000万円貸すか?

 そもそもこの2人の医師といい、下諏訪ダムに反対する「市民団体」といい、どこかの玄人がバックにいると考えた方がいい。
素人集団なら、動く金は1桁少ないのではないか。

 田中知事の腹心の特別秘書が、4月早々に辞任する。杉原佳尭
すぎはら・よしたか氏、35歳。この人、何かの事実をつかんだのに違いない。暗愚の帝王を放って長野県を去る決意をしたのは、このまま田中知事に付き合っていては、自分がどこかの玄人集団のロボットにされてしまう、と悟ったからだろう。

 この杉原氏、経歴を見ると実にまともな人で、無責任に任務を投げ出す人とは思えない。日経東京本社3月16日夕刊によれば、《同志社大学を卒業後、米ペンシルベニア大大学院で行政管理学を専攻し、いったん自民党本部に勤務。その後ロンドン大学に再び留学。帰国後の1996年に官僚や政党職員などとネット上の仮想政党「ザ・フェデラリスト」を結成した。政治に関する著書もある。知事とは神戸での住民投票運動で知り合い、選挙を支援。その流れで長野県初の特別秘書となった。》
 知事の任期中だけでも踏ん張ればよいのに、早々に知事を見限ったのは、何かあると思うのが自然だろう。

 それにしても、この杉原氏のような人に、玄人の政治家として大成してほしい。
 玄人の政治家は、別の玄人集団を見抜けるからだ。

 素人の田中康夫氏には、玄人集団が見抜けなかった。だから、魂を売るハメになったのだ。
 「無党派」「市民」の末路がこれである。
 (平成13年3月18日)


       「右」だ「左」だという用語の呪縛

 世の中には、「右」だ、「左」だ、という便利な言葉がある。
 「イスラエルの右派政党リクード」と言えば、何となく分かったような気になってしまう。
 「四国4県の地方紙の中では、高知新聞がいちばん左。次に左なのが愛媛新聞ですね」と言って済ますこともできる。それでコミュニケーションが成り立ったという錯覚。

 
『明日の四国』では、この便利な「右」「左」は極力使わないようにしてきた(今週号だけは、わざと多用しているが。)これを使った途端に、思考停止に陥ってしまうからだ。

 米国とソ連が張り合っていたころは、いずれの陣営に付くかで 「右」 「左」 を言うことができたかもしれない。レーニン流の社会主義を本気で信奉している人も大勢いた時代である。
 日米安保に賛成か反対かで、「右」か「左」かを言う時代もあった。親ソ連勢力が国際情勢に疎い民衆を煽動して引き起こした安保騒動で国がおかしくなりそうになったとき、日本のマスコミは「不偏不党」を改めて確認した。要は、「私は右でも左でもありません」という宣言なのだが、この「不偏不党」、要すれば「日米安保を支持するとはあえて言いません」ということだから、今日から見れば依然として相当に「左」である。

 平成のいま、社会主義流の経済を推進しようとしているか否かで 「右」か「左」を決めようとするなら、土建国家万歳の自民党こそ「左」の最たるものだろう。中小企業万歳で、実は無策の共産党が、意外にも自由主義経済を実現する「右」派かもしれない。

 王党派が「右」、とはよく言われることだ。皇室という日本の王統をどれほど大事にするかが「右」か「左」の分かれ目か。
 では『朝日新聞』はどうか。同紙が皇室敬語を廃止したのは、皇室がより一層国民にとって近しいものになるようにと願って、というのが朝日新聞の公式説明だ。とすれば、朝日こそ「右」の最たるものということだろうか。
 
 世襲制度が「右」ならば、朝鮮国は「右」の国ということになるのだが、外国を見るまでもなく、日本共産党はどうか。宮本―不破―志位の権力継承こそ、世襲以外の何ものでもない。
 世襲の本質は、前任者の墓暴
あばきが行われないというところにある。後任者を若年のうちに大抜擢して親も敵かなわぬ大恩義を与え、後任者が熟年に至る数十年のギブ アンド テイクで雁字搦がんじがらめにすれば、血のつながり以上の効果が発揮できよう。
 日本共産党こそ、王朝原理に基づく「極右」と言えるだろう。

 国旗への愛着ぶりで「右」か「左」かを言うのならば、ニューヨークのマンハッタンに行ってみよ。平日でも、これぞというビルの入り口には巨大な星条旗が翻っている。さすればニューヨークは右翼に占領されたのであろうか。三色旗のパリや、太極旗のソウルは、さしずめ極右の街であろうか。

 冒頭に挙げた「右派のリクード」。では「左派の労働党」が労働者の党かというと、実はそうではなくて、リクードこそが労働者階層を支持基盤として票集めに成功したのだと言う。そこだけとって見れば、リクードは左派政党ではないか。
 他民族との同居に寛容か否かで「左」「右」を言うのならば、PLOはどうか。リクードが「右派」だとしても、イスラエル存続を容認するアラブ人は排除しない。しかしPLOはどうなのだろう。パレスチナの地から、ユダヤ人は排除する、というのが基本思想ではないのか。とすれば、リクードよりも「右」の「極右」ということになるのだが、さてさて、PLOを「極右集団」と紹介するマスコミをついぞ知らず。

 『明日の四国』では、マルクス主義政党の流れをくむ野党のことを「革新」とは呼ばず、GHQ憧憬派のことを「進歩的文化人」とは呼ばない。いったい彼らのどこが「革新」で「進歩的」なのか。
マスコミが国民の洗脳のために巧妙に作った『1984年』流のニュースピークは、もうお払い箱にしようではないか。彼ら「革新」「進歩派」こそ、思考停止の化石の典型なのだから。せいぜい「何となくニヒリズム、何となくアナーキズム集団」というところか。
 ちなみに日本のマスコミ用語では、「極右」はいても「極左」はいない。「極左」は「過激派」と呼ばれる。はてさて。

 政党、勢力、運動等々には、さまざまの側面があるはずだ。それに「右」か「左」かいずれかのレッテル貼りをすれば、分かりやすいし便利だ。要すれば、「敵味方がはっきりする」のである。
 
 しかし、こんな「右」だ「左」だは、しょせん太宰 治著『人間失格』で行われる 《喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこ》 の類ではないか。
 《これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ。たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、…》(『人間失格』より)
 この『人間失格』の主人公が、世の中のもろもろの事象を喜劇名詞と悲劇名詞に分けるように、我々も世の中を軽々に「右」と「左」に分けようとしていないだろうか。浅はかにも。

  
「軍国主義」というのも便利な言葉だ
 勝った戦争は軍国主義ではないが、負けた戦争は軍国主義の産物ということになる。
 「昭和10年代に吹き荒れた軍国主義の嵐」などと言えば、これまた人々を納得させるのであるが、『明日の四国』ではこういう便利な用語は使わない。

 そもそも昭和の前期に日本
道を誤ったのは、「軍国主義」のためだろうか。
 「軍国主義」なる実態不明のものに罪を押し付けることから、
思考停止が始まるのだ。

 昭和前期に日本
米国道を誤った理由は、まず大陸中国の市場価値の過大評価にあった。そして、他国の主権を蔑ないがしろにするボーダーレスの気分が拍車を掛けた。
 国内政治を言えば、
政党政治への極度の不信が、議会制民主主義をおかしくした。明治憲法が首相の権限と責任を明確に規定しなかったために、まるで鎌倉時代のような複数権力の並存状態を生んだことも不幸だった。
 そして、
反日・排日勢力をスカッとさわやかにきれいにしてしまいたいという潔癖症が軍を動かした。

 何ということはない。ある意味でこれらをそのまま継承しているのが、『朝日新聞』をはじめとする日本のマスコミ主流派ではないのか。
 大陸中国への幻想を煽り、ボーダーレス化を讃美する。政策論よりも党派間の勢力争いのことを専ら報ずるマスコミ政治部が、政党不信を増幅させる。批判の矛先が野党に向かうことは少なく、野党各党はスポイルされきって思考停止の化石と化している。
 歴史の歩みをまじめに顧みることもせず、周辺諸国の言い分を吟味することもなく、思考を停止して「謝罪」をすればスカッとさわやかに反日は消えていくのだという単細胞的発想も、至極日本人的な潔癖症から来ている。民族間のせめぎ合いの
複雑さに耐える忍耐が欠落している。大局観なしに中国大陸を席捲した日本陸軍の単細胞的潔癖症に相通じていないか。

 昭和前期は、ほんとうに「軍国主義」だったのか。
 昭和12年の、南京事件が起きた12月の世相を実感したくて、国会図書館で当時の新聞を読んだことがある。この月の『読売新聞』『朝日新聞』『日本工業新聞』の全ページを繰ってみた。
 時代はよほど人間臭く、ナントカ主義が跋扈
ばっこしている風ではないのだが…。そこにいるのは、今日と同じく、大小さまざまのことに喜び悩む、ごく普通の日本人である。
 
 その翌年の昭和13年に、近衛文麿内閣は国家総動員法を議会に提出する。これが結局承認されるのだが、このときこの法案の推進派に回ったのは誰か。

《財界や立憲民政党・立憲政友会のあいだでは、国家総動員法案が、自由主義にもとづく資本主義経済を否定し、議会の立法機能をそこなうもので、憲法違反であるとして反対する声が強かった。一方、
社会大衆党は、同法案をつうじて社会主義を実現しようとして、法案を積極的に支持した。》(山川出版社『現代の日本史』)

 この高等学校向け文部省検定済教科書、よくぞ書いてくれた。
 社会大衆党とは、戦後の日本社会党につながる政党だ。
終戦に至るまでの約7年間の日本は、「軍国主義」というより「社会主義」に侵されておかしくなった、と言ったほうが正しいのではないか。 挙句の果てに、同じ(!)社会主義国のソ連が救いの手を差し伸べてくれると錯覚して、浅はかにもソ連の仲介に国運を賭けてしまったのが、昭和20年の日本の外交だったのではないか。

 「軍国主義」を言うなら、当時の中国(中華民国)そしてその後の両中国(中華民国・中華人民共和国)こそ、軍国主義の典型と言えるだろう。なんとなれば、中華民国の国民党政府にせよ共産党勢力にせよ、またその他の軍閥にせよ、要すれば政府とは事実上は軍そのものだったからだ。
 それに比べれば、日本の方がまだしも文官と武官がはっきりと分かれていた。
 
 日華事変・第二次世界大戦時の犠牲と、その後の国民党・共産党間の内戦の犠牲と、何れが多かったのかいまだに定かでないが、とにかく多数の中国国民の死傷の末に、昭和24年に政権が交代した大陸中国。ごく最近まで、その大陸を統治した政治家は、「人民解放軍」で活躍した党員ばかりであった。現在も、軍を御
さえることが、中国共産党の指導者の権力基盤となっている。こういう国こそ「軍国主義」の国というべきなのだ。ところが、北京の政権がマスコミから「軍事政権」と呼ばれたことは恐らくなかろう。

 ミャンマー政府は「軍事政権」と呼ばれ、なぜ大陸中国や朝鮮国の政府は「軍事政権」でないのか。お化粧の巧拙の差であろうか。
 
「軍事政権」は「右」というのがマスコミの相場になっているから、「左」のはずの大陸中国の政権を「軍事政権」とは呼べぬのではないか。

 
結局、用語の呪縛が人々の現実認識を狂わせているように見えてならないのだ
 
 思考停止を拒絶しよう。そのためには、用語の呪縛から自由になるのがいちばんだ。 
(平成13年3月4日)
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反響 (いずれも引用はご本人の了解をいただきました): 

柏市にお住まいの読者の方から3月7日にメールをいただきました。
《冷戦が終わって「右」「左」がぼやけてきているというのは、多くの人が何となく感じていることだと思います。それが、いろいろな例で突っ込まれていて「なるほどね。こういう見方はあるな」という感じで興味深かったです。結局、「右」と思われていたのが「左」と説明できたり、その逆があったりするということは、
あらゆる組織と人は右的側面と左的側面があって、それぞれもっとも居心地の良いバランスを選択しているということですね。》

札幌市にお住まいの読者の方からも3月7日にメールをいただきました。
《第20号のコラム、一番心に響いたのは「民族間のせめぎ合いの複雑さに耐える忍耐が欠落している」という部分でした。まさにそうですよね。右とか左とか謝罪とか、そう簡単に割りきれることではないと思います。最近教科書問題などの議論を読むにつけ、そのことを痛感します。世の中には割りきれることより、割りきれないことの方がはるかに多くって、その
割りきれないことを我々が各自で思考停止せずに、どう受けとめるか? ということが問われているんだと思います。》