伊澄航一俳句館
  
  

≪作 品 集≫

新年                

 
 
 育てていきたい「正岡子規国際俳句大賞」
 
 
 愛媛県がセンター前ヒットを飛ばした。いや、ホームランと言うべきか。
 「正岡子規国際俳句大賞」の創設。
 
正体不明の英語三行詩作家を誉めそやす偽善の固まりのような賞になっては悪夢だ、と心配していたのだが、全くの杞憂だった。四国の誇りとして
この賞を大事にだいじに育てていこう。
 
 世の中に俳句の賞は数多い。そこに愛媛県が殴り込みをかけた。
 大賞の賞金は500万円。これを愛媛県が計上したので、世間はあっと驚いた。昨年の話である。
 そして、今年(平成12年)9月10日が第1回の授賞だ。
 
 賞というのは偽りが通用しない。賞の権威とは、賞金の多寡では決まらない。授賞側がいかに偉いか、というのもあまり関係ない。結局、賞を受けた側がいかに立派か、ということが賞の品格を決めていくのである。
 
 さて、正岡子規国際俳句大賞は、いったいどんな人に贈るつもりなのか?
 
 現代日本の実力派俳人で、作品が比較的多く英訳されているのは、金子兜太
とうた氏、鷹羽狩行たかはしゅぎょう氏あたり。このクラスの俳人に賞を贈れば、格としてはよろしいが、何の意外性も面白みもない。話題性ゼロだ。(というわけで、というべきか、このお二人とも選考委員の側に入られた。)
 
 さまざまな国に、日本の俳句を翻訳紹介する人がいて、自国語でハイクを作る詩人がいて、それを盛り立てる編集者がいる。まあ、そういう人たちから選ぶのだろうなぁ、と誰もが想像したのではなかろうか。
 
 外国語のハイクという三行詩を評価しないわけではない。いい作品はいくつもある。しかし、「普及第一」で、定型は無視されている。歳時記のような蓄積もない。要すれば「総じて種田山頭火ばかり」という状態だ。子規や虚子の句が訳されても、その結果は山頭火張
りの自由律ハイクだ。いや、三行詩になっているところに注目すれば、石川啄木張りというべきか。
 
 さて、この混沌からいかなるハイク関係者を「大賞」に選びうるものであろうか。
 
 ところが、ハイク実作者でも翻訳者でも編集者でもない人に大賞が贈られたから、これには本当にあっと驚いた。
 
 
フランスの詩人、イヴ・ボンヌフォア Yves Bonnefoy 氏。大正12年生れ。
 
 ノーベル文学賞の候補にもなった人。しかし、この欧州の文人は、自分でハイクを作っていたわけではない。40歳代で芭蕉の『奥の細道』の仏訳を読み感銘を受け、俳句についての論考を著した、というのだが、試みにインターネットでボンヌフォア関連ページを読んでも、ハイクのハの字も言及がない。ご自身は日本語ができないから、俳句は当然翻訳で読んだのだろう。
 
 たとえて言えば、「北斎国際浮世絵大賞」をアンディ・ウォーホル Andy Warhol に贈るようなものだろう。
 
 だから大ヒットなのだ。この発想の転換が。
 
 「国際俳句」賞は、下手をすれば「外国語三行詩オタク」の賞に終わりかねなかった。世の中に渦巻く「弱者もてはやし」の風潮と微妙に共鳴して、二流の英語ハイクをもてはやす、悪夢のような賞になったかもしれない。
 
 ところが、大賞受賞者に世界レベルの超一流の詩人をもってきた。これで、賞の世界が大きく広がった。選考委員には、現代詩人の白石かずこさんや宗左近氏、フランス東洋語学研究所所長のジャン=ジャック・オリガ Jean-Jeaques Origas 氏も加わる。一地方の文学賞でも、好事家たちの賞でもない、普遍性のある賞になった。
 
 授賞式に相前後して、シンポジウム、ワークショップ、子規特別展、国際ハイク句会など盛りだくさんの文化イベント。フランス大使がシラク大統領の祝辞を携えてくれば、スウェーデン大使もストックホルム商科大学欧州日本研究所の特別賞を比較文学者の佐藤和夫氏に贈った。わが松山市が心の通った文化外交の場となった。文部省出身の加戸守行
かともりゆき愛媛県知事と、俳人としても著名な有馬朗人ありまあきと文相の、みごとな連係プレーであった。
 
 授賞式挨拶で加戸知事が、愛媛県という単位でこれだけの規模の賞を創設するのは相当思い切ったことであり、今後とも広く県民の支援を、と訴えていた。まったくそのとおりだと思う。
 
 
「賞」というのは育てるものである。正岡子規国際俳句賞、大事に育てていきたい。
 がんばれ、四国愛媛!