歴史教科書のありかた
「何が普通のことだったか」をまず書いてほしい
Japanese Society for History Textbook Reform という会が提案した中学生用の日本史教科書が検定に合格し、大きな話題になっている。
他人事ではない。
わが小学校5年生の娘も、来年にはまず小学生版の日本史を学び、数年後には中学生版の日本史を学ぶのだ。
一体、何が教えられて、何が教えられないのか。
「犬が人間を噛んでもニュースにはならないが、人間が犬を噛めばニュースになる」という言葉がある。
新聞の社会面の記事にするなら、人間が犬を噛まねばならない。フツーでないことを書くのが新聞・雑誌記事だ。
人間が犬を噛む話ばかり新聞に載っていても、まあ問題はないのである。隣近所を見れば、犬を噛んでいる人間はどこにもいないではないか。
犬を噛む人間がいたとしても、そういう人間の比率がどれほどか、常識として知りつつ我々は新聞を読むのだ。
今日ただいま、犬と人間が平和共存していることは知り尽くしているし、犬が人間を噛むこともままあることだって知っている。
それが暗黙の前提となっているから、新聞・雑誌は人が犬を噛む話だけを取り立てて書けるのだ。
■歴史教科書は新聞記事のスクラップ帳でよいか
では歴史教科書はどうか。
新聞みたいに、人間が犬を噛む話ばかり載せたら、たいへんなことになってしまう。
「ああ、なるほど、この時代には犬が人間を噛むのではなくて、人間が犬を噛んでいたんだ! とんでもない時代だったんだ!」と思ってしまうではないか。
歴史教科書は、三面記事のスクラップ帳では困るのだ。
時代時代に人がどう生きてきたのかを知るのが歴史の教科書だ。だからまずは、人々のごく普通の生活の姿がどうだったかを書いてもらわねばならぬ。人間と犬が共存し、ときたま犬が人間を噛む、そんな人間世界のありさまを。
たかが200〜300ページの通史なら、その時代時代に「何が普通のこととされたのか」を書くべきだ。
その時代時代に、人々が何を夢み、何を恐れ、何に喜び、何に悲しんだのか。
それを書き込んでいって始めて、生きた人間の物語が出来上がるだろう。
ところがこれが一番難しい。その時代時代の「普通のこと」は、えてして記録に残りにくいからだ。
■伝記コラムが歴史教科書を救う
そこで登場するのが、歴史上の人物の生きざまを記述するという手法だ。
時代に翻弄されつつも、必死で立ち向かっていく人間の姿に、おのずとその時代の「普通」と「異常」が見えてくる。
一橋出版が出している高校生用の『世界史B』という教科書がある。平成5年2月に文部省の検定を通過したもの。
この教科書、なかなかユニークなのである。
各セクションが16ページから成っている。
まず最初の4ページで通史的記述をする。暗記すべき用語が太字で散りばめられ、いろんな出来事の暦年も書いてある。いわゆる教科書的な文章のページだ。
そのあとに、4ページもののコラムが3本続く。このコラムの多くが、面白く読める。
コラムは全部で66もあって、その多くは、社会人のウイークエンドの読書にも十分耐える内容になっている。
編集方針としては大賛成である。
歴史好きを育てるには、歴史教科書はこういう編集方法のものがもっとあってもいいだろう。
もっとも、あくまで内容がしっかりしていれば、の話だが。
■単なる反日英雄にされてしまった安重根あん・じゅうこん
日露戦争後、韓国併合により日本の統治を受けることになる大韓帝国(韓国併合後は朝鮮)についても、4ページのコラムがある。
コラムは題して「植民地にされた朝鮮」。
「愛国の義士、安重根」という中見出しで、約1ページが朝鮮人安重根の生涯の紹介に当てられている。安重根の肖像を描いた、韓国の200ウォン切手の写真入りである。
本文358ページの世界史の教科書で、1ページまるまるを当てているのだから、破格の扱いである。
この教科書は、伝記的コラムが売り物で、仏陀(ブッダ)やイエスには3ページ、マホメット(ムハンマド)には4ページを費やしている。リンカーン(リンカン)やヒトラーにも4ページを充てている。
1ページもらっている他の有名人といえば、マルコ・ポーロや孫文など。
本国の韓国の高等学校の『国史』教科書を見ると、上下巻合わせて本文426ページのなかで、安重根について触れてあるのはわずか2行である。
《義兵として活躍した安重根は、満洲ハルピン駅で韓国侵略の元凶である伊藤博文を射殺した。》
ちなみに、この『国史』教科書、コラム子の勤務先の総合商社のソウル支店の現地社員に送ってもらった。
年齢からいって、この現地社員本人が使ったものではないと思うが、色とりどりのマーカーを引いて使い込まれた教科書だ。
「韓国侵略の元凶」というところには鉛筆で下線が引いてあり、欄外に「なぜ他の国は黙って見ていたのか?」とメモが書いてある。
1990年(平成2年)発行のものだが、その後1996年に改訂版が出ているようなので、その版では2行では済まさず、もっと記述が増えているかもしれない。
いずれにせよ、本国の『国史』教科書で数行しか充てられぬ人物に、『世界史』の教科書で1ページを充てるのだから、たいへんなものだ。
1ページ使うに値する人物だとは思う。
しかしその描き方が、せっかく1ページも使った割には、単なる反日の英雄で終わってしまっている。これがつくづく残念なのだ。
■書かれなかった3つのポイント
一橋出版の教科書の安重根についての記述は、生い立ちから書き出している。
《黄海道の名門の両班ヤンバンの家に生れた安重根アンジュングンは、1906年に鎮南浦チンナムポで石炭や米国の取り引きをはじめたが、大きな資金と特権にものをいわせる日本人商人にたちうちできず、商売は長続きしなかった。その後かれは、経営のゆきづまった学校の校長をひきうけ、青年たちの民族意識を高めようとして愛国啓蒙運動にのりだした。》
これで全体の約4分の1なのだが、一読されていかがだろうか。
はっきり言って、世界史の通史にしては、どうでもいいようなことに字数を使いすぎている。ああ、もったいない。
1ページ使うなら書いてほしいポイントが3つある。
まず、安重根が敵を間違えたということ。
伊藤博文は、当時の日本政府の指導者たちのなかでは、もっとも開明的な人だった。韓国併合に最後まで疑問を呈していたのも、実は伊藤博文だったのだ。
伊藤博文を「善玉」に仕立てよというのではない。当時の日本政府の政治思想のバランスを正しく理解するためにも、教科書の伊藤博文像にもっと深みを持たせるべきだと言いたいのだ。
伊藤博文が暗殺されずにいたら、日本の韓国統治の最初の10年の強行策は、かなり違ったものとなっていたのではなかろうか。
■多くの人に知ってほしい『東洋平和論』
次に、安重根が単なる反日運動家ではなかったということ。
天皇親政が行われれば理想の政治になると夢想して、君側の奸臣を殺害せんとした日本の青年将校たちの一途いちずさに似たところがある。
安重根は獄中で『東洋平和論』という未完の論文を書いていて、コラム子もこれを日本語訳で読んだことがある。
要点は2つに集約される。
1. 日本、韓国、清国は、手を携えて欧米列強のアジア植民地化に対抗すべきである。
2. 日露戦争にあたり、天皇は韓国の独立確保を戦争目的として掲げた。にもかかわらず、君側の奸臣によってこの大義が踏みにじられている。これを正さねばならない。
この第2点はさておき、第1点を「日本、韓国、台湾」と置き換え、「欧米列強」を「独裁政権国家群」と読み換えれば、今日でも立派に通用するテーゼではないか。
安重根を反日英雄に祭り上げるのは、安重根の志からもっとも遠い行為と言わざるをえない。
■知られていない大韓帝国の対日謝罪
第3のポイントは、安重根の伊藤博文暗殺後の、大韓帝国政府の対応だ。
韓国の『国史』には当分書かれることはないであろうが、実は大韓帝国は国を挙げて日本に謝罪しているのである。
謝罪のための使節団も東京に派遣している。
謝罪によって、一応は一件落着してはいたのである。
今日の教科書を見ると、韓国の教科書は当然として、日本の教科書までが安重根による伊藤博文暗殺をなかば正当視している。
当時の大韓帝国の人々が、死ぬほどの悔しさと苦渋のなかで、日本に謝罪したことを無にしてよいのだろうか。
やはり伊藤博文の暗殺は、韓国が国として謝罪すべき出来事であり、そしてその謝罪を韓国は立派に行ったのだ。そのことを静かに称たたえるべきである。
もしあのとき韓国が、自国の国籍をもつ国民が隣国の要人を暗殺しても頬かむりしているだけだったとしたら、大韓帝国はその時点ですでに国としての体をなしていなかったということになるだろう。
安重根に1ページ割くなら、こういうポイントを書いてほしいのだ。
■「つくる会」の教科書は?
「新しい歴史教科書をつくる会」の日本史教科書が文部科学省の検定を通過した。
この会が発足したのは平成8年12月。そのころは産経新聞を除き大手マスコミはほとんど黙殺していたが、今では日韓・日中の外交問題にもなる始末で、世の中とは変われば変わるものだ。
中学生用の歴史教科書は、この教科書を含め全部で8社から種々の新教科書が出される。どれを選ぶかを決めるのは、市町村の教育委員会や国立・私立学校の校長先生だ。
この「教科書採択」の結果が分かるのが今年8月。来年の4月から新教科書が使われる。
さて、この「つくる会」の教科書、安重根にまつわる人間模様についてはどう書いてあるのだろう。
楽しみだ。
(平成13年4月15日)
昭和が見える古本の楽しさ
足立区竹ノ塚にカンパネラ書房という古本屋さんがある。思わぬ掘り出し物がある。店主のセンスの賜物か。
昭和9年刊の三省堂『学習百科辞典』も、そんな掘り出し物の一つ。今日とはやや趣きを異にする率直な記述で楽しませてくれる。
とても気に入っているのが「ニュートン」の記述。全文引用するわがままを許してほしい。(漢字は常用漢字の字体とした。)
《凡およそ二百余年前のイギリスの偉い数学者で、且かつ物理学者。名をアイザックといひ、幼い頃は身体からだが弱く、物覚えが悪くて、低能児ていのうじと嘲あざけられたが、長ずるに従って次第に天分を発揮し、数学や物理学上の色々の法則を発見した。
ケンブリヂ大学教授・貴族院議員・王立学会長等の要職につき、「ナイト」といふ爵位を賜はり、西暦1727年、86歳で歿した。
有名な「万有引力」の法則を発見したのは、少年の頃庭の林檎りんごの木から実が落ちるのを見て、何故なぜ林檎が下に落ちるかといふ疑問を起おこし、色々研究をした結果である。
その他「運動」の法則、「光」に関する研究、及び数学上の色々の発見等、学問上に遺した功績は非常に大きい。》
いやはや、「低能児と嘲られた」などとは、今どきの事典では決して書けまい。
それはさておき、やっと長年の疑問が氷解したのが、この林檎の実にまつわるエピソードの解説である。
今日でもなお、世間には、大人になったニュートンが林檎の実が落ちる光景を見てハタと万有引力の法則を思いつく、という図式がまかり通っている。しかし、昭和9年のこの辞典を見れば、万有引力発見の所以ゆえんがよく分かる。
子供のときの「こだわり」を失うことなく、努力を積み重ねた成果が、科学史に残る大発見だったのである。なるほど、子供が「ねえ、林檎の実はなぜ下に落ちるの?」と周囲の大人に聞けば、「この低能児め」と嘲られたこともあったろう。
■「天照大神史観」を克服しようとした国語教科書
この辞典、「縄文時代」も「弥生時代」もない。代わりに「神代かみよ」がある。
小学校の国史は、明治・大正・昭和前期を通じて天照大神あまてらすおおみかみから始まっていた。『古事記』では、上巻が神話、中巻が神武天皇に始まる歴史時代で、神話と歴史時代をはっきりと区別していたのだが、小学校の国史はこれを一緒くたにしてしまっていた。
神話を国民の財産として受け継ぐのは重要なことだが、せめて『古事記』の著者並みの科学精神がほしかった。
ではこの時代に石器や土器のことが小学校で教えられなかったかというと、決してそうではなかった。(戦前は「国民学校」と言ったはずだ!という人がいるかもしれない。小学校のことを「国民学校」と呼んだのは、昭和16年から22年までである。)
昭和13年刊の小学国語読本全12巻。これをノーベル書房が昭和56年に復刻したものを、件くだんの古本屋で買った。
この第12巻(すなわち小学6年下巻)を見ると、第1課が明治天皇御製ぎょせいと昭憲皇太后の御歌おうた、第2課は平易な文語文で出雲大社の由来を綴っている。
そして第3課が、注目の「古代の遺物」の一文だ。石器・土器時代から古墳時代に至る時代のことが、8ページにわたって客観的に記述されている。今日でも十分に通用する内容だ。
最後の一段落をそのまま引用しよう。(漢字は常用漢字の字体とした。)
《元来昔の歴史を知るには、其の頃に書かれた物をもととして研究するのであるが、かういふ石器・土器を始め、古墳などから出る古代の遺物も尊い材料となるのであるから、私たちはどこまでもこれを大切に保護し、後世に伝へなければならない。今日これらのものが、或は博物館に保存され、史蹟や国宝などに指定されてゐるのがあるのは、かうしたものを永遠に保存しようといふ精神であることを忘れてはならない。》
思うに、昭和前期の文部省の官僚たちも、最新の研究成果をもとに国史の構成を何とか変えたかったのではなかろうか。しかし、天照大神から始まる国史では、石器や土器のことがどうしても書けないのである。
そこで別働隊となったのが、国語の教科書だった、というべきか。
これを哀れと笑ってはいけない。
今の子供たちが使う教科書も、昭和前期の誤りはすべて「軍部」なる悪魔の仕業だと教え、米国は救世主扱いだ。
マルクス主義を掲げる勢力が、戦後数十年いかに見当はずれの主張をし、国政をミスリードしてきたかは、いまだに学校では教えられない。
石器・土器の記述がない国史の教科書のことを、平成の今、いったい誰が笑えるか。
(平成12年11月5日。『カンパネラ通信』平成12年2月10日号に掲載のものに加筆)
北千島の第六方面軍
日本にとっての第二次世界大戦は、昭和20年8月15日に終わったと思われている。終戦の詔書しょうしょが発せられた日、だからである。あの混乱の時期に、詔書を占領地の隅々にまで徹底させたのは、みごとというしかない。
しかし、「8月15日」に幻惑されて、その後に始まった本当の意味の「祖国防衛戦争」を忘れてはいけないと思う。
8月18日から22日まで北千島で続いた戦争がこれだ。
北海道占領を目指して、ソ連軍が千島列島の北の端から攻めてきた。8月18日午前1時半のこと。
そのあとどうなったかは、佐治芳彦著『現代史への挑戦』(平成9年、KKベストセラーズ刊)に詳しい。「なにが日本を分割の悪夢から救ったのか」(45〜55ページ)に、淡々と書いてある。
第一報を札幌で受けるや、「自衛戦闘」を指示した樋口ひぐち季一郎中将。これに応えて、ソ連軍に猛烈な逆襲を繰り出した池田戦車連隊。この戦車隊は、当時の精鋭部隊だったそうで、よくもまあ、昭和20年8月に虎の子を残しておいてくれたものだ。
戦車隊の戦闘は、大勝利だったのである。
この守備隊が頑張って時間稼ぎをしてくれたおかげで、北海道本島の占領は辛くも免れた、というべきだろう。さもなくば、どうなっていたことか。
北海道はさしずめ「アイヌ社会主義共和国」とでも名を変えて、ソ連の傀儡かいらい政権が支配したことであろう。青森県は日米の軍事基地で埋め尽くされたであろう。
…と想像をたくましうすればキリがないが、この大変な国民的英雄のはずの樋口中将や池田連隊長のことを、佐治氏の著を読むまで知らずにいた。
いや、そもそも8月15日以降に日本の領土において戦争が継続していたこと自体、知らずにいた。
8月15日に靖国神社を首相が公式参拝するか否かが、毎年政治の1アイテムとなるのであるが、思い切って8月22日に公式参拝することにしてはどうか。「なぜ8月22日なのか」を首相が語り、国民がこれを聞けば、日本人はずいぶん変わるのではないだろうか。
(平成12年10月9日)