遥かなるイラクについて書いたこと
 

 
平成14年秋以来、イラクについて何度か書いた。
正直言って、「イラク」は到底コラム子の守備範囲ではない。でも、政治がいかにあるべきかを平成15年に語るとき、イラクから逃げることはとてもできなかった。
その軌跡がこれだ。
今から見ると平成15年3月配信のコラムなど、何の変哲もないもののように見えるが、当時はこの「イラク戦役支持論」を書くのにそれなりの勇気が要った。 

目次
   
手術途中の患者を棄てて引揚げられようか(平成16年4月19日配信)
イラク戦でイスラエルが変わる、そのダイナミズム(平成15年12月15日配信)
トーマス・フリードマンという座標軸(平成15年10月6日配信)
「フリードマン」コラムへの反響(平成15年10月6日)
イラクは「マレーシア流」でやれないか(平成15年4月20日配信)
NATOの新しき戦線(平成15年4月7日配信)
「バランス感覚」という生き物(平成15年3月11日配信)
「イラク国民」の誕生(平成14年10月16日配信)
    
  

 

 手術途中の患者を棄てて引揚げられようか
   
 
【平成16年4月19日配信】
 日本国籍保有者たちがイラク人ヤクザに誘拐されたニュースを聞いて、同僚が言った。
 
  「どこの坊ちゃん、嬢ちゃんなんか知らんが、ああやってイラクに出かけて行くなんて、普通のサラリーマンじゃぁできないよ。よほどの金持ちか、金づるがあるのか…」。
 
  いわゆる「我々庶民にはとても及びもつかないところですが」の世界である。
  あの人たちは、金銭感覚が「我々庶民」とは全然違うところにあるのだろう。
 
  さすが、金づかいが荒いのはピカ一だった。
 
  あの坊ちゃん・嬢ちゃんの解放のために働いた国家公務員のコスト +政治のコスト + アルファは何億円になるのだろう。
  おそらく今年度の1人当たり国税浪費グランプリに輝くのではないか。
 
 悪辣ならぬ「善辣」なる人々の残酷 ■
 
  イラクから自衛隊を撤退させよという人々がいる。
 
  それを言う人たちは、自分のことを優しい善人だと信じきっている。
  自分の言っていることがどんな残酷なことを意味するのか、考えもせずに。
 
  比喩を一人歩きさせる危険をあえて犯して言うならば、イラク攻撃は
「麻酔なしで胃癌(いがん)の手術をする」
ようなものだった。
 
  これは痛い。
 
  ほんとに痛い!
  ものすごく痛い!!
  死ぬほど痛い!!!
 
  だから、「漢方薬で治せ」と言う人とか「放射線照射で治せ」と言う人とか、いろんな説があったのだ。
 
  だが、肝心の患者が医者の言うことを満足に聞かないから、強硬措置で手術台に縛りつけて開腹手術をしてしまった。
  患者は絶叫する。
 
  胃癌と思ってメスを握った医師団だが、胃癌は一向に見つからない。
  しかし膵臓(すいぞう)癌や肝臓癌を見つけて切除し、癌細胞の元凶も退治した。
 
  痛がる患者の手足を押さえつけて、傷口を縫い合わせているのが今の状況だ。
 
  手術した患者を医者が放り出すか ■
 
 いま日本軍が撤退し、もしかりにタイ軍・韓国軍や米・英軍まで撤退するとすればそれはもう、傷口がパックリ開いた患者を手術台に置いたまま引き揚げる医師団のようなものだ。
 
  麻酔なしの手術も凄惨だが、手術の途中で患者を遺棄することのほうがもっと残酷だと思う。
 
  いまこの患者を放棄したら、イラクの地は宗教をかたるヤクザたちの天下になってしまう。
  ヤクザを取り締まることのできる近代的な警察・軍隊が、憲法の枠内で機能し始めるのを見届けないと、医師団はイラクを離れることができないのだ。
 
  麻酔なしの凄惨な手術を非難するのには、まだしも一定の正当性があると思う。
  患者はすさまじい痛がりようだ。
  「漢方薬を飲ませていればよかったのに」と言うのは楽だ。
 
  しかし、開腹手術をしてしまった今、医師団が傷の縫合もせず手術台を離れるわけにはいかないではないか。
 
  自衛隊撤退を唱えるのは、たとえて言えば、傷口がパックリ開いた患者のうめきを前にして、
「この患者には漢方薬を飲ませておけばいいのさ」
と、うそぶくようなものだ。
  これを愚劣と言わずして、何と呼ぼう。
 
  コラム子は、そこまで残酷にはなれないのである。
 
  空襲の見舞金5千ドル也 ■
 
  ニューヨークタイムズ紙3月16日号。ジェフリー・ゲットルマン記者 (Jeffrey Gettleman) の報道。
  被災したイラク人に見舞金を渡す米軍大尉のことが紹介されていた。
  題して「5000ドルとご愁傷さま」。
 
  読んでいて、やるせなかった。
 
  縫合することの不可能な心の傷のただれに、武骨な手でせめてもの軟膏を塗っていくような、そんな姿。
 
  それでも、相手国の被災民に見舞金を渡そうなどと考える国は、世界でも米国だけだろう。
 
  アリ・カデム・ハシェム (Ali Kadem Hashem) 氏。
  米軍のミサイルが自宅に命中し、妻は目の前で焼け死んだ。
  3人の子どもも亡くなった。
 
  米国政府の見舞金 (sympathy payment) は5000ドル。
  そして、27歳の大尉から I'm sorry. の一言。
  列を作って待った末に、順番が来てハシェム氏がもらったのは、それだけだった。
 
  「亡くなった方々が数千ドルで戻ってくるわけもない。でも、今はこれが出来るギリギリのことなのですよ」
とジョナサン・トレーシー大尉。
  さまざまな悲しみに遭遇するのが、とてもつらい仕事である。
 
  罹災者の福祉のための責任者は誰か ■
 
  正式な謝罪や、責任の認知ではなく、あくまで見舞金という扱いだ。
 
  負傷に対する最高額が1000ドル。
  死亡に対する最高額が2500ドル。
 
  週に2回の見舞金支払い日に、列を作って待つイラク人。
  ようやく順番が来て、イラク人が被災内容を申告すると、係官は米軍側の攻撃記録のデータベースと付け合せる。
 
  申告のおよそ半分は、却下されて見舞金受取りには至らない。
 
  妻と3人の子どもを亡くした人への見舞金が5000ドルというのは無残ではある。
  それでも貨幣価値として見れば、日本人にとっての5万ドルなり10万ドルなりの価値ではあるだろうが。
 
  国際法違反の空襲で罹災(りさい)した東京や広島・長崎の住民に、米国が見舞金を支給したことはない。
  罹災者の福祉のために政治を行うのは日本政府の仕事である。
  およそ、戦争のあとで相手国の罹災者に見舞金を支給する国がかつてあっただろうか。
 
  イラクの罹災者の福祉のために政治を行うのは、ほんらいイラク政府でなければならない。
  イラク政府が存在していない今だから、米国からの「見舞金」という特例中の特例が行われることとなった。
 
  人質たちが信仰する宗教は? ■
 
  国士気取りのイラク人ヤクザに誘拐された日本国籍保有者たちの「プライバシー」を、『週刊文春』4月22日号で読ませてもらった。
  さすがにあれだけ税金の浪費をすると、「私人」というわけにはいかないらしく、発行差止めの話はなかったようだ。
 
  コラム子の興味は一点。
  イラク人ヤクザたちに、「いかなる宗教を信じているか?」と問われて、日本国籍保有者たちは何と答えたのだろう。
 
  神ではなく、「地球市民」を信仰しています、とでも答えたのだろうか。
  それとも、「自分のことしか考えません」の、「自分勝手教」だろうか。
 
  あの日本国籍保有者たちは、妙な信仰にとりつかれているから、「イラクに残りたい」とウワゴトのように言ったりするのだ。
 
  「軍隊でなければできない貢献もある」という、ごく当たり前のことを絶対に認めたくない。
  だから軍隊に属さない自分が、イラク人のために「貢献」してみせねばならない。
  丸腰の自分がイラク人に「貢献」できれば、自衛隊が不要であることがきっと証明できる――。
 
  そんな「地球市民教」の狂信にとりつかれているのに違いない。
 
  あとしばらくは、あの幼い地球市民教の信者たちの言説に付き合わされるだろうが、日本に数千万人単位で存在する地球市民教教徒たちが夢から覚めるキッカケの1つにもなろうかと思えば、さほど不快とも思えない。
 
  
 イラク戦でイスラエルが変わる、そのダイナミズム
 
 
【平成15年12月15日配信】
 5年以上も前になるだろうか。
 
 パキスタンはカラチ南方のデルタ地帯に、大型発電所を建てようという話があった。
 投資家側の関係者とともに、カラチから建設用地へとパジェロをとばしていた。
 
 途中あるところで、スーッと車が道の脇に止まると、小銃を携えた若者が後部のドアを開けて荷台に乗り込んできた。
 コラム子の隣に坐る投資会社の仁は、建設用地に行き慣れていて、銃の若者と握手を交わしている。
 つられてコラム子も握手をしてしまった。
 
 若者の人なつこい笑顔を、今でも覚えている。
 
  緊張の十数分 ■
 
 「この先にちょっとした町があり、道の両側に市場が広がっている。こうやって警備をつけておかないと、やおらこの車を止めて、俺たちからカネを巻き上げようという連中もいかねないからね」。
 
 そんな話だった。
 
 確かに、ほんの5分ほども走ると町が見えてきて、バラック建てのような建物と屋台の群が渾然一体となっていた。
 映画の1シーンのような活劇を目にすることができないかな、などと不謹慎な期待が一瞬頭をよぎるが、体は正直に緊張して身をしっかりすぼめている。
 
 車の後部。若者は銃口を上にむけたまま銃を胸に抱えてしゃがみ込み、周囲を漫然と眺めているように見えた。
 
 町はあっという間に過ぎた。所定の場所で車が止まり、若者は再び皆と握手をして下りていった。
 あっけなかった。
 
 こうやって通過車を警備することで金を稼ぐ、それがこの町の1つのシステムだったのだろう。
 
 奥大使と井ノ上書記官の殉職の報に、パキスタンでのほんの十数分のできごとを思い出した。
 
 外交官の乗った車は警備者がついていなかったという。
 たとえ警備者が同乗していても、今回の自動小銃乱射には対抗できなかっただろうが、少なくとも物盗り・拉致狙いは阻止できたろうに。
 2人がテロリストに拉致されていたら、政治はどう展開していただろう。
 
  2人の犠牲が解いた呪縛 ■
 
 こちらが武装していなければ、相手から「敵」と思われることもなく、攻撃されることもない。
 武装していない人を攻撃すれば「非難」されるからです。
 ……。
 
 海外派遣の自衛隊の装備がこれまで全く不十分だった背景の1つに、こういう小学生のような論理の呪縛があったと思う。
 
 政治家もメディアも、そんな絵空事を心底信じていたではあるまいに、絵空事を言われたときの論駁が面倒極まりなかったのだ。
 
 痛ましくも神は、2人の有為の日本人外交官とイラク人運転手の命を召された。
 
 武装していなくても攻撃されるという、あたり前のこと。
 テロリズムに対して「世間の非難」など何ら抑止力にならないという、あたり前のこと。
 
 異文明体験に乏しい日本人に、そんな世の中の基本を教えるために、神は犠牲をお望みになったのだろうか。
 常識人たちが日本の非常識を打ち砕くことにあまりに非力であったことを、神がお怒りになったのだとすれば、それは私の責任でもあるのだと、そう思う。
 
  未来をして過去を葬らしめよ ■
 
 イラク統治の混迷が続いている。
 
 メディアの常として、「順調」は報道されず、「逆風となる事件」は報道される。
 だから、よほど主体性をもってメディアを選択・選別しないと、「ブッシュもイラクも真っ黒け」と言うことしかできないオバカへと洗脳されてしまう。
 
 フセイン大統領の圧政を逃れ国外脱出していたイラク国民300万人。
 イラク戦争後、帰国してイラク再建に取り組んでいる穏健派の努力のことを、あなたが接するメディアはどれほど報じているか。
 国際社会が盛り立てていかなければならないイスラム穏健派の動静を、日本のメディアはもっと報じてほしい。
 
 ニューヨークタイムズ紙のコラムニスト、トーマス・フリードマン氏が、11月16日に Wanted: Fanatical Moderates(熱狂的穏健派求む)と題して、イスラエルとパレスチナの穏健派のことを書いているのだが、その最後の下りに勇気が湧いてくる。
 
<<So moderates of the world unite!  We have nothing to lose but our pessimism.  Either we make the future bury the past, or the bad guys will ensure that the past buries the future.>>
 
≪だから、世界の穏健派よ、団結せよ。失うものは何もないのだ。ただ悲観を捨て去るのみ。我々が未来をして過去を葬らしめぬ限り、悪者は必ずや過去をして未来を葬らしめるであろうから。≫
 
  イラク戦争が変えたイスラエルのタカ派 ■
 
 そのフリードマン氏の12月11日のコラムに教えられた。
 イラク戦争がもたらした1つの希望について。
 
 思えば、イラク戦争の最大の動機は、イスラエル攻撃が可能な「核ミサイル、生物化学兵器ミサイル」の開発阻止だった。
 とすれば、イラクが変われば、イスラエルが変わる、というのは論理的帰結と言える。
 
 そしてまさしくその通りになりつつある、とフリードマン氏は言うのだ。
 
≪サダム政権を崩壊させ、イラクがイスラエルに及ぼしていた戦略的脅威の本質を失わせたブッシュ政権。これによって、イスラエルのタカ派たちも変わっていかざるをえなかった。≫
 
≪イスラエルのタカ派たちは、ヨルダン川西岸地区の占領、百歩譲ってもヨルダン川周辺の駐屯がイスラエルにとって必要だと主張してきた。イラクがヨルダン領を突き切ってイスラエルを再び攻撃してくるようなことが、また起きないとも限らない。そのときに備えた緩衝地帯として必要だ、というのが安全保障論の重要課題の1つだった。≫
 
≪この主張が今や通用しなくなったのである。≫
 
  イスラエルが人種差別国家と化する悪夢 ■
 
 ヨルダン川西岸地区はアラブ系のパレスチナ人たちが圧倒的に多数を占める。人口増加率はユダヤ系住民よりはるかに高い。
 ここをイスラエル領にしてしまうと、遠からずしてイスラエルの人口の過半数をアラブ系住民が占めてしまうというのだ。
 
 イスラエルをアラブ系の国にしてしまったら、苦労して建国した意味がない。
 
 ヨルダン川西岸地区をイスラエル領にしつつ、イスラエルをユダヤ系支配の国のままにしておくためには、何としたことか、かつての南アフリカのような人種差別政策を実施して、アラブ系住民の政治参加権を奪うしかない、というのだ。
 
 イスラエル国民にとっては悪夢のような話である。
 ユダヤ人差別の悲劇を免れんがために建国したイスラエル。中東の唯一の民主主義体制であることが、存在理由であった国。
 
 その国が人種差別政策に突入するなら、存在理由を失ってしまう。
 
 だから、イスラエルのタカ派陣営からも、ヨルダン川西岸地区の自主的放棄論が真剣に提起され始めているという。
 
  世界史のダイナミズム ■
 
 イラク戦争が世界史において持つ意義は、イラク領土内にとどまらないのだという、あたり前のことを知らされて、驚いてしまった。
 
 政治というものが、このようにダイナミックな広がりをもったものだからこそ、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのだ。
 
 極めて困難な任務に就く自衛隊員たちが、心のよりどころとするのも、このダイナミズムなのだと思う。
 
 風と砂にさらされ、灼熱の太陽のもとにある世界史。
 日本人もまぎれもなくその一員なのであって、その最前線に立つ人々がそれを証ししてくれることに、深甚の感謝をささげたい。
 
 
===
 
  後記 ■
 
 先週の週末、どうしても忙しくてコラムが書けませんでした。
 
 実はこんなことを書きたかったのです。
 
 「小泉首相! 自衛隊派遣を国民に説明するときは、憲法前文を読み上げてほしい。なぜいまイラク派遣か、と問われたら、ストライクゾーンのど真ん中の答は、日本国憲法前文なのだから。」
 
 平成15年12月9日の記者会見で、小泉首相は実際に憲法前文を読み上げてくれました。
 あの会見は、歴史に残る会見だったと思います。
 
 もしいま、河野洋平氏や加藤紘一氏が首相だったらと思うと、寒気がしてきます。
 彼らなら、自衛隊派遣の決断は無かったでしょう。そして、思考停止をさらけ出すことしかできぬ日本は、テロリストからも笑われたことでしょう。
 
  
 
 日本に米軍がかくも大規模に駐留しているのは、突き詰めれば、米国にとって日本がまだまだ信頼に値する国でないからです。
 
 安全保障について大人の議論ができない議員が過半数を占める日本。
 論理より既得権が重視される日本。
 その国から駐留軍を引き上げたらどうなるか。
 
 東アジアが危機的情況になったとき、日本が民主党の政権だったとしましょうか。
 「国連の決議があるまで、米軍に自衛隊は協力できない。米軍に基地を貸すこともできない」と民主党は主張するでしょう。
 
 米国の信頼を勝ち得るということが、沖縄の米軍用地削減という究極の目的を達成することにつながる、という巨視的な視点が、民主党には欠けているようです。
 
 そして、その信頼醸成が、おそらく一世代ほどの時間がかかる作業であるということも、民主党は分っていないようです。
 
 政権を獲得する可能性が出てきた民主党には、それなりの巨視的な視点を養ってほしいと思います。
 でないと、コラム子としては、いつまで経っても、入れたい一票も入れられないではありませんか。
  

  

 トーマス・フリードマンという座標軸
   

       
【平成15年10月6日配信】
 今年春、反米デモが咲き誇ったころ、イラク戦役支持論を書いた。
 
 たかがこのていどのメールマガジン(配信誌)ですが、世の風潮と違うことを書くときは、
「ああ、これで読者は1割減だよ…」
などと思いながら書くのですな。
 
 最近また、
「イラクは泥沼化した!」
とばかりに、悲しんでいるのか喜んでいるのかよく分からない反米論評がトレンド(流行)になってきた。
 
 またまた読者の減らしどきか。
 
 巨大な「森」として見るとき、イラク戦役は、まぎれもなく正しかった。
 復興に注力しよう。コラム子も税金たんと払うから。
 何なら多言語通訳としてわが国の防衛省に臨時採用されてもいい。
 
■ 論評に愛がある ■
 
 10月5日の日経2面の伊奈久喜「もう一つのアメリカ報告」、同日付の産経5面の山口昌子「フレンチ・キスの波紋」が共に、ある米国人コラムニストを、ここぞというところで引用していた。
 
 ニューヨーク・タイムズ紙で健筆を揮(ふる)うトーマス・L・フリードマン(Thomas L. Friedman)氏。
 
 お、あんたも読んでたか、と嬉しくもあったが、プロの皆さんに種明かしをされると、ちょいと困惑もしてしまう。
 
 フリードマン氏は昭和28年生れ。
 ニューヨーク・タイムズ紙のベイルート支局長とエルサレム支局長を歴任し、今は毎週2本ほど同紙に外交評論を書いている。
 
 この人が書く中東論は冴えている。
 遠い国々の個々の人々の息づかいが伝わる評論。
 
 「愛」があるのだ。
 幸運に恵まれなかった国々への愛、不運なる人々への愛。そして米国人としての祖国愛。
 愛があるから、書くことが ぶれない。
 
 9・11のテロの年に米国出張して以来、インターネットを通じて愛読している。
 
■ この戦争は「必要」か「選択」か ■
 
 フリードマン氏は、開戦前もイラク戦役そのものには反対しなかった。
 イラク戦役がイラク人に幸福をもたらす可能性があることを語った。
 そういう可能性があるからこそ、ブッシュ大統領にさまざまな注文を突き付け続けていた。
 
 米国一国で戦っても戦争には勝てるだろう。
 だが、戦後復興は難しい。多数の国々の参加が不可欠だ。それに備えた外交をしておくべきだ、と書きつづけた。
 その通りだったし、その通りになりつつある。
 
 民主主義の建前を前にして、ブッシュ政権は「核兵器・生物化学兵器の開発阻止」という大義名分を押し立てざるをえなかった。
 フリードマン用語では、それは「必要に基く戦争 (war of necessity)」だ。
 
 ブッシュ政権が、イラク戦役のことを「必要に基く戦争」だ、と主張せざるをえなかったのに対して、フリードマン氏はこう言い続けていた。
 「違うだろ。敢えて攻め入ることを選んでする戦争 (war of choice) だろ」
と。
 「選択に基く戦争」であることを正面から見据える誠実さがあった。
 
 その「胡散臭さ」ゆえにこの戦役を糾弾するかというと、そうではない。
 現実を生きる中東の民にとって何がいちばん仕合せなのか、いつも議論はそこを中心に展開される。
 
 だから昨今は、イラク復興(インフラと教育環境の整備)にカネを注ぎ込め、と盛んに論陣を張っている。
 イラク人社会の空気を伝え続けている。
 
■ 「自助」を援助する ■
 
 イラクで発生しているテロに対して、アラビア語も話せない米兵がイラク社会に入り込んで戦うことは到底不可能だ、とフリードマン氏は言う。
 イラク人からなる正規軍と諜報組織が、サダムの残党を掃討すべきなのだ、と。
 
 そういう座標軸をもって、9月29日の『ウォールストリート・ジャーナル』紙を読むと、米国がすくなくとも方向性だけは正しい方を向いているのではないかと、少し安心する。
 
 ラムズフェルド米国国防長官の寄稿があった。
 題して Help Iraq to Help Itself.
 「イラクの自助を援助せよ」である。
 
 振り返って思えば、米国が日本占領で犯した最大の誤りは「軍隊の解体」を美化する広報をやりすぎたことだった。(これはコラム子のつぶやき。)
 
 イラクでは、この愚を貫徹する寸前で踏みとどまった。
 イラク軍の再建が遅々としているという批判はあるのだが、ラムズフェルド長官によると、「戦後イラクではすでに5万6千人のイラク人が訓練を受けて武装し、新イラク軍を構成し、治安維持にあたっている」のだと言う。
 
 ≪これに比べて、第二次大戦後のドイツでは、警察力を整備するのに14ヵ月を要し、新ドイツ軍の訓練を始めるまでに実に10年を要した。≫
とラムズフェルド氏は書く。
 (これが本当なら、戦後日本のほうが戦後ドイツよりはるかに「まし」だった、ということになるのだが。)
 
■ トップニュースの陰で報道されぬものの多さ ■
 
 ラムズフェルド寄稿で引用に値するのは、米軍兵士の嘆きを書いた箇所だろう。
 長官自身がイラクで現地視察したときの話だ。
 
≪米国の衛星テレビが最近ようやく前線でも見られるようになった。故国での報道ぶりを目にした兵士のなかには、驚きの声もあった。
米兵たちが現に成し遂げていることが、米国内の報道ではほとんど取り上げられていないのだ。
バグダッドで会った一人の兵士はこう言っていた。
「数多くの橋をかけても、ニュースにはならない。ところが、1ヶ所でも橋が爆破されたら、トップニュース扱いだ」。≫
 
 そんななかでも、現地で海兵隊を指揮するジム・マッティス大将は、指揮下の2万3千人の米兵のうち、1万5千人を帰国させてしまった。
 
≪もし追加の将兵が必要だったら、要請を出す。しかし現実にはその必要はなかった。
イラクに残留する敵は、情報把握 (intelligence) さえ確立できれば、容易に粉砕できる。
わが方にさらなる兵力が必要なら、イラク人を徴募すべきだ。≫
 
 フリードマン氏の指摘と符合する米国政府の姿がある、と思えて、安心する。
 
 イラクをイラク人自ら治めていくためには、つまるところサダムの残党と戦うのもイラク人でなければならない。
 
 この哲学があるからこそ、わが国の自衛軍をイラクに派遣することもできるのだ。
 
■ 綿花農場へ30億ドルの補助金 ■
 
 メキシコのカンクンで、世界貿易機構(WTO)の交渉ごとが決裂したのは記憶に新しい。
 
 今回の焦点の一つが、先進国の農業補助金だった。
 先進国が農場経営者に補助金を出す。すると、農産物価格が人為的に下げられる。結果として開発途上国の農産物を先進国に売って外貨収入を得ることができなくなる。
 先進国の農業補助金を撤廃してくれ、というのが開発途上国側の主張だった。
 
 カンクンとイラクをつなげて論じた、9月25日付のフリードマン氏の評論はみごとだった。
 
 米国の2万5千人の綿花農場経営者のために、じつに年間30億ドルの補助金が支払われているのだそうだ。
 農場経営者1人あたり12万ドル(1300万円)という計算になるから、すごい。
 
 だから、パキスタンの貧農の綿花が米国へ売れない。
 貧農の子の行き場はというと、月謝なし・メシ付きの学校、つまり、イスラム極論主義のテロリスト養成所、ということになる。
 そして、挙句の果てに、米国人兵士がテロの犠牲になる。
 
 戦場の軍人が命を犠牲にしているとき、綿花業者も応分の犠牲を耐え忍ぶべきではないか。でなければ、世の中で犠牲となるのは戦場の軍人だけになってしまう ―― とフリードマン氏は書く。

 「フェアでありたい」という米国人の本能に突き動かされて書いている感じがする。
 そして、祖国へのいつくしみがある。
 だから、読んでしまうのだ。
 
===
■ 反響 ■
 
 東京都練馬区にお住いの読者の方から10月6日に電信をいただきました。
 
≪メルマガ、毎回楽しみにしています。
 
「フリードマン」というと、米国のレーガン政権時代に一世を風靡(ふうび)した、マネタリズムのミルトン・フリードマンと早とちりしてしまい、あのシカゴ大学の経済学者がイラク戦争について発言したのかと思ってしまいました。
 
読んでみたらジャーナリストということでしたが、なるほど我々のような昭和30年代半ばに生まれた人間が思い描く、「少々粗っぽいが誠実で正義感が強いアメリカ人」の姿を久しぶりにみたような感じがします。
 
政治も商売も「したたかさ」が必要ですが、それと同時に「信頼」がなければ、発展はありませんね。
 
「戦場の軍人が命を犠牲にしているとき、綿花業者も応分の犠牲を耐え忍ぶべきではないか。でなければ、世の中で犠牲となるのは戦場の軍人だけになってしまう」というフリードマン氏の弁には心打つものがあります。
 
ここで、日本において自衛隊員の名誉があまりにも ないがしろにされていることが気になります。
 
中国の靖国参拝非難その他の反日宣伝の裏には、
「日本は本当は強いのやから、負けたらあかん!」
と世論を喚起して、自国の国内問題への不満をそらそうという狙いがあると感じます。
 
その「負けたらあかん」相手は、在日米軍ではなく自衛隊なのですが、それだけ自衛隊は頑張っている。
 
しかし今の日本人は、自衛隊員とそのご家族の方々の痛みが判っているでしょうか?
 
今でこそ「自衛隊は必要である」と、日本国内の政党は共産党も含め、ほぼコンセンサスが出来ていますが、それでも、十分な武装もゆるさずにイラクに派遣するというような議論になったり(私はイラク派遣には賛成ですが)、負傷者や殉職者に対する補償や名誉の確保がなおざりにされている感があります。
 
自衛隊員の自殺が多いことについて、社会全体でもっと真剣に考えるべきです。
 
自殺の原因は、「有事になったら大変」というような恐れではなく、金銭問題などによるといわれますが、やはり「自分自身の存在が報われていない」という思いが根底にあるのではないかと感じます。
 
一般国民に代わって戦争から国民を守り、災害時に危険をかえりみず助けてくれるのが、自ら志願して入隊した自衛隊員たちです。
そうであればもっと敬意を払うべきですし、それに見合った名誉が必要でしょう。
 
実際、自衛隊員は優れた体力と技術力をもつ集団です。
退職して民間の仕事をしても、立派な企業戦士になれる人が多い。
うちの会社にも若い元自衛官がいますが、集中力もあって頑張っています。
 
一部の不名誉な元自衛官の犯罪が報道されますが、「元自衛官」ということを殊更に強調した報道姿勢があるので目立ちすぎているだけだと思います。
 
これは報道における職業差別ですね。≫
 

 
 愛知県豊橋市にお住いの読者の方から10月6日に電信をいただきました。
  
≪わが国や欧州のみならず、最近は米国内においても、イラクの戦後混乱に「それ見たことか」式のブッシュ政権批判が繰り広げられ、そこにアナン事務総長の便乗非難も加わって、まるで世界中が反米の様相を呈しています。
  
日本のメディアからしか情報を得ることができない私は(日本語しか理解できませんから)、「ホントかいな」と訝(いぶか)しむことしきりです。
  
イラクから「大量破壊兵器が発見されない」ことと、戦後である現在も連日米軍が攻撃され、その余波でイラク国民にも犠牲者が出ているということが、米国非難の主な論点になっているようです。
  
しかしわたしはこの二点に関して次のように考えていましたので、これらの批判の沸騰には戸惑いを覚えます。
  
イラク問題の大本をたどってみることです。
  
国連などが過去10年にわたり度々イラクを批判してきたことに対して、イラク自身、「大量破壊兵器が無い」ことを挙証する責任があったはずでした。
  
しかし、仏・独などアメリカの同盟国とみなされていた国々が、国連を舞台に米国批判に終始し、イラク攻撃に反対。
フセインは「アメリカは攻撃できない」と読んで、この挙証責任を回避できると勘違いした。
  
つまるところ、仏・独のフセイン宥和(ゆうわ)策が、アメリカの戦争意思に弾みをつけてしまった。
  
フセイン政権が米・英軍に倒された戦後は、イラク国民自身が、「残党の掃討」に向けて国際世論をリードすべきときです。
それなのに、米・英国内での政権批判と欧州内の相変わらずの戦争批判で、イラク国内の不安定状況が増幅されてしまっていると思うのです。
  
国際社会における利権と国益の争奪の姿といえばそれまでかも知れません。「世界を支配するのは欲望だ」と考えてはみても、あまりに身の毛がよだつ ありようです。
  
こうした思いの中にあって、10月6日号で泉さんが「トーマス・L・フリードマンの評論に光が見える」と指摘されたこと、それも祖国愛から発する他者への愛が基底にあるとの解説を読み、ほっと心が熱くなるような気持ちを、実に、実に久しぶりに味わいました。
  
そして、国際問題を大きな流れとしてとらえることの大切さも教えられました。≫
 
 
 イラクは「マレーシア流」でやれないか
 

   
【平成15年4月20日配信】
 今回のイラク戦で、いちばん不思議だったのが、先進国からイラク入りした「人間の楯」志願者たちの論理だ。
 
■ サダムの善意を信じた? ■
 
 いとしの金正日さまが危うくなったとき、同じ人々が今度は平壌入りするつもりなのか、ぜひ聞いてみたいが、それはさておき。
 
 あの人たちは、自分たちがサダム・フセインの親衛隊に拘束されて人質にされるかもしれないと考えなかったのだろうか。
 
 「イラクへ侵攻してみよ。人間の楯たちの命は保証しない」とサダムが言えば、国際常識に従えば「サダム批判」が起こり、「人質救出」が米英側の格好の戦争目的として浮上するだけだ。
 
 先進国出身のヤワな「楯」さんたちが、牢屋で食中毒かなにかで間違って死んでしまったら、何を言われることか。全く、たまったものではないぜ……。
 
 …とは考えなかったろうが、とにかくサダムも国際常識に従って、「楯」の皆さんを人質には取らなかった。
 
 「楯の志願者」たちも、それを見越してイラク入りしたのだろうか。
 
■ 仮の話ですが… ■
 
 サダム・フセインの敗因は、世の中にサダム以上に非常識な人々がウヨウヨいることを知らなかったことかしらん。
 
 仮にサダムが「楯」さんたちを人質に取ったとしましょうか。
 
 そのとき、「日本人の人質を救うために、日本政府は米国支持を止めるべきだ」と大真面目に社説を書き、政治面と社会面を総動員してキャンペーンを張る新聞がゴロゴロありそうな気がする。
 
 この仮定の議論において、最大の悪人は「人間の楯」を人質に取ったサダムの方である。
 ところがキャンペーンを張る側は、サダム批判を2行か3行で済ませ、残りの数十行を「人質の人命・人権をないがしろにする日本政府」への非難に充てるであろう。
 
 そしてもちろん、戦後になってサダムこそ最大の悪者だという常識が戻って来れば、その日のために念のため書いておいたサダム批判の2行3行を特筆して「自己検証」してみせるのである。
 
■ 人間の楯がイラクにいる限り日本は米国支持だ ■
 
 「人間の楯」志願者が、本人たちの想定どおりサダムに拘束されることなく、日本が本人たちの想定どおりに米国「不支持」を表明し、イラク戦が想定どおり泥沼化したとしませんか。
 そして、想定どおり本人たちは泥沼の戦争のなかで行方不明となり、想定どおり日本の主流マスコミは「人間の楯の方々を救え」と呼号し――
 そして、どうするのだろう。
 
 運動家たちは、反米・反ブッシュで連日盛り上がり続けるだろう。
 しかし、「楯の方々を救え」の大合唱に包囲された日本政府は、本気で「楯」たちを救おうとするなら米英軍の力に頼るしかないから、米英支持を明確にするしかないだろう。
 
 「楯」の皆さんよ、日本政府が米国支持を表明したのは、実は諸君たちがイラクで行方不明になったときに米軍に助けてもらおうという魂胆だったのだよ。
 
 ――というのは冗談として、現実には「楯」の皆さんのおおかたは、楯の役割を果たすことなく、三食昼寝付きの苦行に適宜ケリをつけて帰国してしまったのである。
 まさかこの「楯」の皆さん、バグダッドの国立博物館を守りそこねた米軍のことを批判などしていないとは思うが。
 
■ 炸裂する曾野綾子節 ■
 
 考えれば考えるほど、「人間の楯」運動は原理的に破綻していると思うのだが、これを強烈に指摘したのが、『文藝春秋』5月号、曾野綾子さん「追う者と追われる者は、共に神の名を口にする」の一文だ。
 
≪「人間の楯」という人たちについてはもっと尊敬をもって扱うべきだ。彼らは平穏な日本の国家権力をわざと離れて、敢えて英雄的行為を全うするために、イラクへ行った。≫
 
 これをはじめ読んで、実はコラム子、目をしばたたいた。
 そしてページを繰ってみて、やはり曾野さんの一語一語が強烈な風刺であったことを知る。
 
≪大人が自分の哲学で決めたことは、国家は放置すればいい。彼らが安全な日本から「人間の楯」になりに危険地帯に入ったのは、勇気ある行為なのだ。≫
 
≪そのような志は全うさせるために死なせてやらねばならないのだ。死ぬ覚悟なしに「『人間の楯』になります」と言ったのなら、それは売名行為だ。政府はいかなる場合も助けに乗り出す必要はない。≫
 
 さすが曾野節の面目躍如。
 本質を短い言葉でみごとに言い当てるのが、作家の本分か。
 
 まことに「人間の楯」の諸氏こそ、そのほとんどが「人間の楯の方々を救え」の小児病的絶叫が世に満ちることをアテにして、それが「平和運動」なるものだというオダテに乗って、売名行為にいそしんだのである。
 
■ 伝統的部族社会に油田を委ねられるか ■
 
 今回のイラク戦役は、予想外の速さで進展し、文藝春秋5月号は、岡崎久彦・山内昌之・江畑謙介の三賢人の鼎談さえ、その発行の前に陳腐化してしまった。
 
 そんな中で、曾野綾子さんの一文は、砂嵐の向こうまで見透かして書いた作家の目が透徹している。
 まったく古びていない。みごとと言うしかない。
 
 曾野さんは予見する。
 イラクの「公(おおやけ)」のありかたが、血縁を基調とする「部族」の域を出ぬがゆえに、国民国家を想定した「民主化」は成功しないだろう、と。
 サダム・フセインを倒しても、また次に擬似サダムがのし上がって来るだろう、と。
 
 ここでコラム子に口を挟ませてもらう。
 
 もしイラクが伝統的部族社会のままで踏みとどまるのなら、それも結構だが、その場合はまことに申し訳ないが、その分際の部族たちに世界有数の石油資源を管理させるわけにはいかない。
 
 国際管理下に置かせていただくしかないだろう。
 
 部族社会とあまりに次元の異なる富が、未熟な族長によって軍備と奢侈(しゃし)のために蕩尽(とうじん)されぬように。
 
■ イラク人の能力に賭けてみたい ■
 
 イラク人が石油資源を自らのものとして管理し続けようというのであれば、それに合わせてイラクにおける「公」のあり方を進化させてもらうしかないのだ。
 
 ほとんど賽(さい)の河原の営みなのかもしれないけれど。
 
 アラブ世界で、イラクは最高の教育水準を誇る。サダム政権のもとで貧困化する前は、多数の国費留学生を欧米へ送っていた。
 イラクは、女性の社会進出もアラブ世界で最も進んでいる。
 
 欧米諸国で生活する亡命イラク人も、少なくとも数十万人単位。
 その人たちは、欧米の民主社会と引き比べつつ、祖国のあるべき姿を日々考えながら生きてきただろう。
 
 イラク人はアラブ世界のなかで「日本人」のような存在だとも言われる。
 勤勉、緻密で、義理堅い。
 そういうイラク人に期待したいとも思うのだ。
 
 博物館は空っぽになってしまったけれど。
 
■ 元首が輪番制というマレーシアモデル ■
 
 同じイスラム国であり資源国のマレーシア王国では、権力政治はマハティール首相の長期政権が司ってきたが、その上に国家元首としての国王がいる。
 
 州ごとにいるスルタンが、何と「輪番制」で国王の地位に就く。
 
 国全体を統治する王朝が存在しないマレーシアでは、全部で13の州のうち9つの州のスルタン(州の元首)から、国王を互選で選ぶ。
 「互選」と言っても、実は州に順番がついていて、その順番に州のスルタンが国王に選ばれていく輪番制なので、争いもないのである。
 任期は5年で、延長はない。
 
 マレーシア以上に、異なる民族・宗教間の矛盾の激しいイラクにとって、マレーシアの政治制度は参考になると思う。
 
 伝統的な部族社会であってみれば、国民はそれぞれの部族の代表者を選び、代表者たちが合議で国のリーダーを選んでいくという、間接選挙スタイルが似合っているように思える。
 
 それとも、日本の自民党政治の妙を、イラクに移植するというのはどうか。……
 
■ 英国の意地 ■
 
 イラクの国の形を、一足飛びに米国流に仕立てようなどとは、まさか米国出身の暫定統治者たちも考えていないと思うが、この辺で英国の知恵にも期待したいところである。
 
 イラクは、ほんとうは「大トルコ帝国の一部」のままでいた方が幸せだったのかもしれないが、とにかくこのイラクという領域を人工的にトルコから そぎはずして、国に仕立てたのは英国である。
 
 今回、英国が断然イラク戦に参戦したのは、イラクをまともな国に戻す歴史的責任を全うしたかったからではないかと、そんなふうにも思うのだ。
 
 そう言えば、マレーシアもかつて英領植民地であった。
 
  NATOの新しき戦線
 
 
【平成15年4月7日配信(後記)】
 ニューヨークタイムズ紙で健筆をふるうトマス・L・フリードマン氏が、3月30日に注目すべきコラムを書いていました。
 題して「NATOの新しき戦線 (NATO's New Front)」。
 
 米・欧の軍事同盟組織であるNATO(北大西洋条約機構)こそが、バルカン半島、アフガニスタン、イラク、そしてやがてはイスラエル国境の、秩序創造の役割を果たしていくべきだ、というものです。
 
 コラム子の言葉でいえば、国連は「学者たちの国際シンポジウムの場」と化してしまった感があります。
 大陸中国をはじめとする独裁国の票を、民主国家がゼニを払って買わねばならない場。
 
 「論壇」としての国連は、現代社会に不可欠です。
 戦争が継続しながらも、イラクと米国・英国の外交官たちは国連というフォーラムを共有しています。
 ちょうど「新聞」が現代社会に不可欠であるように、国連も現代社会に不可欠な存在です。
 
 そして、「新聞」に戦後イラクの統治を創造していく能力がないのと同様に、「国連」にもまたその能力は不足している。
 「価値観の共有に裏打ちされた ちから」 こそが、新しい秩序をリードできるのだろうと思います。
 
 イラクの新政権が、のっけから米国・英国の傀儡政権というレッテルを貼られて、不安定な出発をすることを防ぐためにも、NATOという枠組みが秩序創造の役割を担うことに賛成です。
 日本も、NATOと価値観を共有するものとして、この枠組みに加わっていくべきです。
 
 「米・英」か「国連」か、という二者択一に、「NATO+α」という選択肢が加わりました。
 4月4日のウォールストリート・ジャーナル紙も、"NATO In, U.N. Out" (NATO登場、国連退場)と題する社説で、この考え方を支持しています。
 
 わが外務省が、時代をしっかり読み取ってくれることを祈ります。
===
 
■ 反響 ■
 
 愛知県豊橋市にお住まいの読者の方から、4月7日にメールをいただきました。
  
≪今回の米英のイラク攻撃の前、国連は安保理を舞台に延々と国際政治の表裏を見せてくれました。
  
各国の、エゴ丸出しの演説。大国の狭間で、顔色を伺いながら票の価格を吊り上げる非常任理事国。
わが政府の言う「国連外交」なるものの実態を、よく見せてくれました。
  
私は、安保理という壮大な田舎芝居の理不尽を痛烈に感じていました。
 
日本が非常任理事国にさえもなりえていないこと。
日本の経済援助先の中国やロシアが常任理事国として君臨していること。
非常任理事国に選ばれている10カ国のほとんどに対して、日本が経済援助していること。
コフィ・アナン事務総長をはじめとする、国連職員の給与の5分の1は、日本が出していること、などなど。
  
第二次大戦の勝敗をもとにした世界支配の構造を維持する仕組みであるだけの「連合国組織」を、あたかも世界連邦政府が樹立されたかのごとくに「国際連合」と意訳した日本。
 
後生大事に、国連こそが世界平和を希求する正義なりと信心し、「国連中心の外交が国是」と標榜するなど、半世紀前の吉田茂内閣の世渡り術ならともかく、戦後60年が近い現代にあって、独立国家の正気とは思えません。
  
国連は、およそ地球上の全ての国を加盟国として包含しようとするがゆえに、かえって国際間の安全保障維持の実行部隊の役割を担いにくくなっているのではないかと思います。
 
せいぜい人権や環境、保健など、価値観の対立が比較的起きにくく、多国間の協調が明らかに有用な分野において役割を果たす存在にすぎぬ ――
国連のことを、そのように割り切って考えるべきかもしれません。
 
スピードと初志貫徹を要求される「安全保障」の仕事は、政治体制や価値観を共有する国々の提携を核として進め、賛意を表明する国々の参加協調を働きかけていく。
それが現実的な国際秩序ではないかと思います。
  
泉さんがコラム後記で、NATO's New Front (NATOの新しき戦線) というトマス・フリードマンのコラムを紹介され、
「イラクの新政権が、のっけから米国・英国の傀儡政権というレッテルを貼られて、不安定な出発をすることを防ぐためにも、NATOという枠組みが秩序創造の役割を担うことに賛成です。日本も、NATOと価値観を共有するものとして、この枠組みに加わっていくべきです」
と書かれましたが、主旨にまったく賛成です。
 
ただ、ソ連崩壊後のNATOは拡大しすぎて、実態が変化していくような気もしますが。≫
 
 
  「バランス感覚」という生き物 
     
 【平成15年3月11日配信】
 
  逆 ら へ ば 話 題 に 上 る 存 在 感
     ま づ そ の 辺 り ま で 計 算 が あ る
 
 愛媛県今治市の波頭迪男(みちお)さんの作。
 3月2日の日経歌壇、岡井 隆 選で掲載された。
 
 コラム子は、歌人 岡井 隆さんのファンで、その選になる日経歌壇も楽しみにしている。
 波頭さんの冒頭の歌は、仏独の外交家たちの思惑のほどを詠んだものか。一般世相の一首としても読めるところが、時事の歌として秀逸だ。
 
 それにしても、仏独がわざとらしく驚愕してみせるのは、いつか。
 「え!? フセイン様がそんな大量破壊兵器をお持ちだったの? こりゃ、許せませんな」
と押っ取り刀で中東に馳せ参じて見せるタイミングは、いつか。
 
■ デモはあくまで <青き> に徹すべし ■
 
 先月は、旧英領植民地の某国に出張していた。
 
 ホテルで2月16日付の The Observer 紙(The Guardian 系の日曜紙)と The Sunday Telegraph 紙(The Daily Telegraph 系の日曜紙)を買った。
 同時多発テロならぬ「同時多発デモ」が、ロンドンをはじめ世界各地で企てられた翌日の号だ。
 
 この「反戦」デモの勢いを見て、旗印を変える論者も少なくなかったようだ。
 コラム子はと言えば、この「反戦」デモの欺瞞(ぎまん)が堪え難く、ブッシュ政権路線への一層の支持を心に決めた。
 
 戦争に真に反対なのであれば、数十万人の群集はまずイラク大使館に向かい、国連決議第1441号の即時遵守をこそ、大音声(だいおんじょう)で要求すべきではなかったか。
 サダム・フセインの「軍国主義」に対して、「武装放棄」を求める最後通牒。昨年11月8日に国連安保理が一致して採択した決議1441とは、そういうものだ。
 戦争回避のために群集は、イラクの譲歩をこそ迫るべきだった。
 少なくとも、東京でデモをした日本国憲法の子たちは。
 
 こんなことを言うと、「イラクがデモ隊ごときで態度を改めるものか。<青い>きれいごとを言うな」と嘲笑されるかもしれない。
 しかし。
 <青い>のがデモの真骨頂ではないのか。
 
 デモが<青さ>を失うとき、それは特定の運動家にみごとに操(あやつ)られた大衆の盲動にすぎなくなる。
 
■ 大量のプラカードは誰が作った? ■
 
 試みに、サンデー・テレグラフ紙の1面の、プラカードを掲げもった群集の写真を眺めてみよう。
 縦24センチ、横21センチの写真の領域には、ざっと数えて300名ほどの人がいそうだ。(大部分の人の顔は、プラカードの陰に隠れているのだが。)
 
 主なプラカードが、種類ごとに何枚あるか数えてみた。
 出張中の商社マンはヒマである。
 
 Don't Attack Iraq(イラクを攻めるな)53枚
  Not In My Name(私は反対だ)26枚
  No War On Iraq(イラク戦争反対)22枚
  NO(「ノー」に赤い数個の弾痕を散らした図)17枚
  Freedom for Palestine(パレスチナに自由を)14枚。
 
 Disarm, Saddam(サダムよ、武装解除せよ)とか Obey the UN(国連に従え)とか、コラム子ならそういう手製のプラカードをもって行進するところである。
 ところがこの群集は、お仕着せの、みごとにプリントされたプラカードを掲げもって、サダム・フセインへの忠誠を誓うがごとくだ。
 
 ロンドンだけで75万人以上がデモに参加したらしい。
 仮に60万人が同じようなプラカードを持っていたとすると、この新聞写真の2,000倍の人数だから、Don't Attack Iraq のプラカードだけで10万6千枚がロンドン市街を覆ったことになる。
 
 いかなる組織がこれを準備したのか。
 そのためのカネはどこから来たのか。
 「パレスチナに自由を」を、このデモに滑り込ませた「知恵者」は誰だ。
 
■ 無垢(むく)を求めることのあやうさ ■
 
 もしこのロンドンに、クレムリンや天安門のようなお立ち台があれば、サダム・フセインが満面の笑みを浮かべてそこに立ち、数十万の群集の歓呼に手を振って応えていたことだろう。
 お!
 お隣には、何と、いとしいキム・ジョンイルさまのご英姿が!
  
 いみじくもサンデー・テレグラフ紙は、こう見出しをつけてみせた。
 
   ≪トレンディーでリッチな人々、学生や勇壮なヒゲ男たち… 
      行進はサダムのために≫
 
 9・11事変のころちょうど米国にいた。
 サダム・フセインをも討つべしという論説が、『ウォールストリート・ジャーナル』紙に出始めたときには、戸惑った。
 主権国家の形をなさぬ未知なる敵とアフガンの地で闘おうというときに、敵を広げるのは無謀だ、とコラムに書いた。
 イラク以上にアフガニスタンは謎めいて怖かった。
 
 ビンラーディン勢力へのサダム・フセインの支援関係がついに明らかにならぬまま、9・11事変の反撃として今回のイラク総攻撃があることに、いささか以上の胡散臭さを嗅ぎ取る向きがあるのは承知する。
 しかし、海千山千のサダムにあえて対する米国に、ウルトラマンやスーパーマン並みの純粋無垢を求めるのは、ハードルが高すぎないか。
 
 論者によっては、米国に追い詰められるイラクを、昭和の軍事社会主義の日本に二重映しにして、イラクに対して妙な共感を抱く者までいる。
 これなどはとんでもない話だ。
 昭和前期の日本こそ、ビンラーディンのような抗日テロ集団に大陸で散々悩まされた挙句、ブッシュ政権のごとくに打って出た側である。英米まで敵に回したのが愚かだったが。
  
■ 本当に心配なのは、サダムを継ぐ独裁者 ■
 
 サダムの腐臭の第一は、「国軍」とは別に、私兵としての「特殊親衛隊」、「親衛隊」を有していることだ。
 アドルフ・ヒトラーの親衛隊SSを彷彿(ほうふつ)とさせる。
 
 腐臭の第二は、今日只今イラクの政治権力のナンバー2が、サダムの息子クサイ (Qusay)・フセインであることだ。
 イラクにも、「いとしのキム・ジョンイルさま」症候群あり、だ。
 クサイは、イラクの公安部門を掌握する地位に就いている。
 
 そしてクサイの兄ウダイ (Uday) がまた曲者(くせもの)だ。
 ウダイは、もともとサダムの後継ぎと目されていた。兄ゆえに。
 ところが、その粗暴な性格ゆえに疎(うと)んじられ、後継戦線から脱落。それでも依然メディアを牛耳り、子飼いの部隊も有する。
 
 よき伝統の息づく社会においては、象徴的地位の世襲は安定の要(かなめ)となりうる。
 しかし、抑圧社会の独裁権力が世襲されるときは悲劇だ。初代が曲りなりにも持っていた現実感覚が、2代目には備わっていないのだ。
 クサイとウダイの暗闘が熱くなったらどうなるかと思うと、とても心穏やかにはしておれない。
 
 2代目が世襲したら、サダム政権以上に危険なテロ国家になるだろう。直感的にそう思う。
 イスラエルがイラクのミサイルの射程外にある今なら、イラク独裁政権を叩ける。
 
■ 女の平和とバランス ■
 
 3月7日付のニューヨーク・タイムズ紙の記事に感銘を受けた。
≪生徒が向き合う戦争論  バランス感覚求める学校側≫
と題したサム・ディロン (Sam Dillon) 記者の報道だ。
 
 古代ギリシャのアリストファネスの喜劇『女の平和』。戦争がやむまで男たちとの交わりは拒むと宣言し、平和を取り戻そうとするアテナイとスパルタの女たちの物語。
 これを舞台にかけると言い出したのが、シカゴのウォルター・ペイトン (Walter Payton) ハイスクールの生徒たちだ。
 
 校長のゲイル・ウォード (Gail Ward) 先生は これを認めるが、それとともに上演のあとパネル・ディスカッション(壇上討論会)を必ず行うよう念押しした。
 異なる視点をもった人々の意見も聴くようにと、退役軍人にも壇上に立ってもらうことにした。
 
 「生徒たちにはバランス感覚を養ってもらわないと」とウォード校長。
 「私自身戦争には反対です。でもね、反戦派の人たちが『軍人なんてイヤね』と言うのを聞くと、『ちょっと待ってよ。私たちを守ってくれているのよ』と言いたくなるんですよ」。
 
■ 「わたしの意見がばれたらダメ」 ■
 
 ヴァージニア州ファルマス (Falmouth) のスタフォード (Stafford) ハイスクールのサラ・レスケ (Sarah Roeske) 先生は、国際関係論を教えている。
  
 イラク政策の討論を行ったとき、生徒たちの意見は真っ二つに分かれた。
 地元に海軍基地をかかえる土地柄。
 舵取りは微妙だ。
 
 レスケ先生は、わざと自分の意見とは逆の発言をしてみせたり、ひねった質問を生徒たちに繰り出して、議論を盛り立てた。
 
 「生徒たちに、自分の頭で考えてもらいたいんです。私の意見が子どもたちにばれてしまったとしたら、教師としては失敗なのだと思っています。」
 
 このレスケ先生の一言にはゾクッときた。なかなか言える言葉ではない。
 
 生徒への信頼。言論と思想の自由を尊ぶ心が、借り物としてではなく、いきいきとレスケ先生の胸に脈を打っているのがわかる。
 
 米国という国のみごとな厚みに感銘を受けるのは、こういうときである。だから米国の新聞を読まずにはいられないのだ。
 
■ 今やポイントは戦後ビジョンだ ■
 
 サダム・フセイン一派の逮捕が、短期戦で決着することを祈るばかりだが、大事なのは戦後イラクの政治再建ビジョンだ。
 
 サダム親衛隊の解体は当然として、国軍は縮小しつつ温存が必要だ。
 イラクの独裁党「バース党」の組織は、当然解体するのだろうと思いきや、最近ではこのバース党をもある程度温存するべきだという考え方も出てきているらしい。
 
 亡命イラク人で、米国マサチューセッツ州で教鞭をとるカナン・マキヤ (Kanan Makiya) 教授が、2月16日付オブザーヴァー紙で訴えていた。
 
 「サダム後のバグダッドに、米国は軍事政権を立て、各省庁の長官に米国人を充て、湾岸アラブ諸国やサウジアラビアに覚えめでたいイラク人連中を集めて参議役に据えるつもりらしい。もしそうだとしたら、民主イラ
クの樹立を求めて闘ってきた我々の思いとは相反する。」
 
 「イラク北部からトルコ軍が侵攻しようものなら、クルド人の自治が再びズタズタにされることも懸念される。民主イラクを夢み、サダム・フセインと戦ってきた我々をこそ、米国はぜひサポートしてほしい」。
 
 マキヤ教授は、サダム後のイラクのために、憲法草案を起草していることでも知られている。
 
■ マッカーサー政治の陰陽 ■
 
 イラクの戦後がよりよきものであるよう叡智が求められるなか、日本が負うことのできる役割もまた大きい。
 
 長らく自らを「唯一の被爆国」と呼号してきた日本は、じつは米国主導の政治実験の明暗をいまだに引きずる数少ない国でもある。
 
 戦後イラク統治に生かせる教訓は少なくないはずだ。
 
===
■ 後記 ■
 
 「口先介入」という言葉があります。
 円高を阻止しようというとき、ドル買いの代りに為替相場に論評を加えて市場を左右する、あれです。
 
 ブッシュ大統領の発言は何かと攻撃的に聞こえて評判が芳しくないところもありますが、わたしはあれこそあっぱれな「口先介入」の典型だと思います。
 本格的実弾戦に入る前に、そこそこイラクが譲歩の振りをするに至ったのは、ブッシュ流の口先介入のおかげでしょう。
 
 衛星監視、電子制御、レーザー、ロボットなどなど、湾岸戦争以来飛躍的に進歩しているはずの技術を駆使して、戦争が短期に終ることを祈っています。
 
 「バグダッド市街地の絨毯(じゅうたん)爆撃に逃げまどう女性と子どもたち」を口先で描いてみせる論者に、わたしはロンドンの「反戦」デモ群集と同じような欺瞞を感じてしまうのです。
 もはや絨毯爆撃の時代ではない。(劣化ウラン弾使用は監視・阻止する必要がありますが。)
 戦争死を語るとき、男の死と女・子どもの死を差別して語る論者を、わたしは信用しないことにしています。
 
 悲しい犠牲は避けようもないでしょう。
 しかし、その犠牲が決して無駄ではなかったと言えるようなイラクの再建のために、わたしたちの知恵と富を役立てることがきっとできるはずです。
 わが政府が、そういう政府でありますよう。
 
 
 
  「イラク国民」の誕生

 

 
【平成14年10月16日配信】
 いい国はみんな似通っているが、邪悪な国はそれぞれに邪悪である…
 
 というと、トルストイみたいだが、イラクと朝鮮国はまさに「それぞれに邪悪」とでも形容するしかない。悪たれぶりのスケールと、指導者のお下劣さが、それぞれの顔をしていて、比較の天秤にのりにくい。
 
 朝鮮国には大油田があるわけではないから、占領してもその出費を取り戻すすべがない。イラクは担保価値が地下に眠っている。
 かくして、金正日(きん・しょうじつ)政権は安泰、サダム・フセイン政権は崩壊と、東西で命運を分かつこととなった。
 
 イラク攻撃のあと、どういう国を創るのか。
 
 戦争が回避されるか否かにかかわらず、すでに関心は「フセイン後」にあるのだが、この「フセイン後」の絵がなかなか示されない。
 それでいて、いかにもアメリカらしい「ぶちかまし」のような言辞ばかり聞かされるから、イラク報道は人を憂鬱にさせる。

 来年の2月にイラク攻撃開始という見方が有力らしい。年末のラマダン(断食月)、年初のハッジ(巡礼月)を避けて。
 とすると、あと4ヵ月あまりの時間だが、どういう国創りをするのか、叡智(えいち)を結集しなければならない。
 
 及ばずながら、コラム子もいろいろ考えた。
 
■ イラクが作ったサダム? ■
 
 平成14年9月1日のニューヨークタイムズに、トーマス・フリードマン氏が書いた「サダムなきイラク」という論評コラムが示唆に富んでいた。
 
≪今日のイラクがこうなってしまったのは、サダム・フセインのせいなのか。それともイラクという国がそもそもこんな国だから、サダム・フセインのような人間が支配者となったのか。≫
 
 こんな問いかけから始まるのである。
 
 今日の「イラク」地域は、1638(寛永15)年にオスマン帝国の属領となった。オスマン・トルコは第一次世界大戦でドイツ側についたばかりに、英・仏の餌食となってしまう。
 今日の「イラク」のあたりは、北部はクルド人地域、中部はスンニー派イスラム教徒地域、南部はシーア派イスラム教徒地域だ。ほんらいこの国境線では「国」としての態(てい)はなさない。
 しかし英国はここに、ハーシム家のファイサルを王に据えて、人工的な王国を作った。1921(大正10)年のことだ。
 
 「王国」とはいえ、英国による委任統治が続く。イラク王国が「独立」したのは、1932(昭和7)年の秋。
 すぐさまイラク王国は国際連盟へ加盟する。日本が国際連盟を脱退したのが、その翌年。
 
 ファイサル国王は昭和8年に急死するのだが、晩年になっても国家統一の難しさを嘆いていた。
 「イラク人というべき国民はいまだ存在せず。あるのはただ、愛国心に欠け、宗教に呪縛され、共通のきづなのないバラバラの人間たちだけだ。」
 
 そういうバラバラの人間たちを束ねるには、サダムのような強権者が必要ということなのだろうか、とフリードマン氏は問うのだ。
 
■ イラクと日・独の大きな差 ■
 
 フリードマン氏は、イラクを「アラブのユーゴスラビア」と呼ぶ。
 そこにいま米国は攻め入ろうとしているのだが、「サダム後」に、いかなる国を創るのか。
 
 ≪これに対する回答は極めて重要だ。というのも、米国がイラクに攻め入るからには、米国はイラクでの新たな国創りに責任を負うことになるからだ。≫
 
 フリードマン氏は昭和28年生れ。
 ニューヨークタイムズのベイルート支局長とエルサレム支局長として、ピューリツァー賞を受賞したこともある「中東通」である。
 今でも同紙に外交評論を毎週書いている。
 
 ニューヨークタイムズは、日本でいう「朝日新聞臭さ」が鼻につくことも、ままあるのだが、フリードマン氏の記事は別格で、コラム子もできるだけ毎回読むようにしている。
 
 ≪イラクの国創りは、ほとんどゼロから始めなければならないだろう。
イラクは資源に恵まれ、教育もそこそこ行き届いてはいる。しかし、国を形づくるベースとなるべき 「市民社会 (civil society)」も 「法治主義 (rule of law)」も存在していない。 
第二次世界大戦後に、ドイツと日本で廃墟のなかから民主政治を短期間で築くことができたのは、両国に「市民社会」と「法治主義」がすでに存在していたからだが、イラクにはそれがないのだ。 
イラクで法治主義に基いて国を治めた指導者はと言えば、紀元前18世紀のバビロンのハムラビ王よりこのかた、いないのではないか。
そういう国だから、サダムなきあとの権力の空白のなか、クルド人・スンニー派イスラム・ シーア派イスラムの間で、血の報復や せめぎあいが起こりかねない。≫
 
■ 国創りにどう関与していくのか ■
 
 だからイラク攻撃は止めよ、と続ければ正真正銘の朝日新聞だが、フリードマン氏の論点はそうではない。
 
 サダムは追放せよ。
 そして、そのあとのイラクの国創りに米国民はしっかり責任を持とう、と言うのである。
 イラクの再建は、時間もカネもかかるだろう。それを支える世論を形成せよという。
 
 10月11日付のニューヨークタイムズ報道で、「戦後日本」が妙な脚光を浴びた。
 デイビッド・サンガー、エリック・シュミット両記者の報道。
 
 ≪ホワイトハウスは、日本における戦後占領政策をモデルに、サダム・フセイン後のイラクに 米国主導の軍政を敷くための 詳細計画を立案中であると、10月10日に複数の高官が語った。
計画によれば、イラクの指導者を戦犯として裁く法廷が開かれ、数ヵ月から数年を経て、選挙によって選ばれた民主政権に移行する。
(中略)
しかし、この計画はまだ正式な承認を得たものではなく、また米国の他の同盟国との協議が行われているかどうかも 明らかではない。≫
 
■ 昭和20年の再演など見たくもないが ■
 
 10月11日のホワイトハウスでの記者会見で、フライシャー米大統領報道官は、この報道内容を表向きは否定している。
 
 それはそうだろう。
 
 21世紀版のマッカーサーを中東に仕立て、憲法を書き与え、マスコミと教職員組合を動員して イラク国民を洗脳し 平和国家を創りますから、日本もカネを出してちょうだいネ、と言われたら、まともな日本人なら心の疼(うず)きを覚えるはずだ。
 
 ドイツ・日本とイラクは全く別物だ と論じる フリードマン氏の論評を読んだあとで、ホワイトハウスの「日本占領をモデルに」論に触れると、その浅薄さに苦笑せざるをえない。
 
 曰く、昭和20年以前の日本には、今日のイラクと同様、民主主義など存在しなかった。日本に民主主義をもたらしたのは、ひとえにマッカーサーである。イラクでも占領下の日本と同じことをすれば、イラク人に感謝されるだろう ―― そんな浅薄な歴史観でももっていない限り、「サダム後」と「昭和20年の日本」を同一文脈で論じることなどできないだろう。
 
 コラム子など、昨年「9・11事変」直後にアメリカのメディアが「真珠湾奇襲」にしきりに言及したときと同じような不快感を覚えてしまうのだ。
 
■ 立憲君主制の偉大な求心力 ■
 
 あるいは、思いっきり好意的に解釈するなら、「戦後日本をモデルにする」とは、立憲君主制が国を救ったことを言ったものだろうか。
 
 日本国民が、戦後の未曾有の国難のなかで、それでも整然として敗戦を受け入れ、国の再建に邁進できたのは、昭和天皇の求心力によるところが大きい。
 サダム・フセインなきあとのイラク国民が、整然として敗戦を受け入れるための求心力は、いったいどこに求めることができるだろう。
 
 アメリカ人の軍司令官や、国外からいそいそと戻ってくる亡命政治家では、決してその役割を果たせないだろう。
 
 唯一思いつくのは、1921(大正10)年から1958(昭和33)年までイラクに曲がりなりにも君臨したハーシム王家である。 
 
 ハーシム家はもともとメッカの名門で、預言者ムハンマド(モハメット)の曽祖父を共通の祖先とする家系である。
 イスラム世界では特別な存在で、いわば日本の天皇家にあたると言ってよい。
 サウジアラビアも、英国が戦さ上手のサウド家に肩入れしたばかりに、サウド家が支配する国となってしまったが、英国が異なる選択をしていれば「ハーシムアラビア」になっていた。いわゆる「世が世なら」という話だが、ハーシム家というのはそういう家系である。
 
 現在ハーシム家が君臨しているのは、イラクの隣国「ヨルダン・ハーシム王国」だ。国家元首はアブドラ国王。
 そのヨルダンのハッサン王子(といってもアブドラ国王の叔父にあたり、当年とって55歳)を、イラク国王に推戴しようという動きもあるらしい。
 
■ 「イラク国民」誕生の瞬間 ■
 
 イラク・シリア・ヨルダンの連合国家を作ろうという構想が、第二次大戦後に一部で支持を得たことがあった。
 その後、1979(昭和54)年にも、イラクとシリアの合邦が構想されたことがある。
 
 1958(昭和33)年7月14日、イラクではアブドゥル・カーリム・カセム准将の率いる軍事革命が起き、たった1日の市街戦でカセム准将の軍が勝利を収めた。
 国王ファイサル2世をはじめ、皇太子や王族のほとんど全員が粛清された。
 
 ファイサル2世は、1953(昭和28)年に18歳でイギリス留学から帰国したばかりの若き君主で、人柄も立派で国民的人気が高かったという。
 
 イラクとヨルダンの連合王国を作り、連邦制を敷いてイラク北部のクルド人たちに広範な自治権を与える、という選択肢など、なかなか魅力的ではないだろうか。
 イラクの人々も、かつてのハーシム王家を再び戴(いただ)くことにすれば、カウボーイの末裔たちを前に一敗地にまみれようとも、辛うじて民族の尊厳を保つことができるのではないか。
 
 ハーシム王家の時代をイラクの人々みなが共に振り返るとき、はじめて「イラク国民」が誕生するのではないか。
 
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■ 後記 ■
 
 正直を申し上げますと、「中東」はコラム子の不得意科目です。
 コラム執筆を機会に、いろいろ勉強させていただきました。
 
 アラビア語には学生のころ一度挑戦したのですが、1つの文字がどこで始まりどこで終っているか判然としないのと、発音が難しそうなのに恐れをなし、恥ずかしながら3日で降参しました。
 
 その代り、ヘブライ語はかなり勉強しました。だって、文字がプツプツ切れていて、少なくとも文字の区別だけは誰でもできますからね。
 発音もアラビア語に比べると簡単です。
 教材も、日本ではヘブライ語のほうがアラビア語より充実しています。
 
 語学というのは、チンタラやっても決してモノにはならない、と信じています。
 学習の過程で、あるとき しゃにむに 集中する時期があって初めて離陸できる…。
 飛行機が時速100キロで走っても、地球一周分走っても離陸しない。
 離陸に必要なスピードというものがあります。
 
 じつはヘブライ語は、北京駐在のころ、盲腸炎で日中友好病院に1週間入院したときに朝から晩まで集中して勉強して、離陸したのです。
 ライト兄弟ていどですが。