悪法「人権擁護法」の諸刃もろはの刃やいば
 

目次
 
本 編
ダメ押しの後記
読者メール
 

 

 「人権擁護法」という恐ろしい法律の成立を、公明党=創価学会が推進している。
 自民党のなかでも、公明党に魂を売った連中がこの法案の成立に向けて血眼ちまなこだ。
  
 コラム子は大反対だ。きょうも存分に論じさせていただく。
 このコラムの切り口は、例によって鋭いぞ。覚悟せよ。
 
【平成17年6月22日配信】
 
 「人権用誤法」、じゃなかった、「人権擁護法」って、何?
 
 明治以来の何もかもをご破算(わさん)にする法律
 
 基本的人権については、明治憲法にも昭和憲法にもそれぞれに記載がある。
 しかし、人権を侵害された人が その救済をうけるためには、これまでは民法第709条「不法行為による損害賠償」条項などを使って訴えるしかなく、何かと面倒だった。
 「立証責任」が訴える側にあるから、訴訟は成立しにくい。
 
 そこで、人権委員会という権力機関を新たに作って、とにかく人権侵害の疑いがあると訴えがあったら、捜査令状もなしで出頭要求や立入検査ができるようにしよう、というのがこの法律。 
 ようすれば、明治からこれまで日本国民が営々と築いてきた法律・制度・判例の山を事実上ご破算にして「人権」についてイチから考えましょう、というわけだ。
 
 「人権擁護法」案は、国家権力による思想統制につながると、日本共産党が反対している。
 たいへん珍しいことだが、この件についてはコラム子も「結果的には」日本共産党と共闘することになる。
 
 きょうは公明党に言いたいことがある。よォく聞け!
 
 何の利権がらみなのか知らないが、人権擁護法成立を今年度の最大課題としている「公明党」に忠告したいことがある。
 
 公明党の党員(公称40万人)は創価学会の信者がほとんどだろうが、信者でない者もいるだろう。
 創価学会信者でないことを理由に入党を拒否したら、人権侵害だから。
 いやしくも公党であり、与党入りまでしている公明党の規約には、党員が創価学会信者でなければならないなどとは、もちろん書いていない。
 
  創価学会と公明党の関係は、公明党側の説明によれば、宗教法人たる創価学会がいわば自主的に公明党を支持しているのであって、公の政治団体たる公明党のほうから宗教界に干渉しているわけではないから「憲法違反ではない」、ということになっている。
 
 さて、人権擁護法が成立すると、「信条を理由とする不当な差別的取扱い」は人権委員会という公権力による取締りの対象となる。
 すると、どうなるか。
 
 党の事務所に立入検査が入っちゃうよ
 
 公明党の党員だって、いろんな人が混じっているだろう。人権委員会へ こう訴え出る党員がいたら、どうするつもりだ。
 
 「創価学会信者でないばっかりに、公明党の会合で侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動の被害を蒙った」と。
 
 人権委員会へ この訴えが出ると、公明党は人権委員会から
「人権委員会への出頭」
「事情聴取」
「物件提出」
「立入検査」
などを令状もなしに要求されることになる。
 
 もちろん、罰金さえ払えば拒否は可能であるが、新聞・テレビをにぎわす格好のネタになるのは間違いないだろう。
 公明党・創価学会がウラから手を回して人権委員会を抑え込もうとして、それがもしバレたら、党の役員の首が飛ぶ。
 人権擁護法に基づいて、公明党は党員資料や党の議事録など、公権力側が望むありとあらゆる資料を提出するよう命じられるだろう。
 
  自分が推進した法律で自爆するとは、これ以上コミカルなことはないから、さぞやマスコミは盛り上がるだろう。
 
 言っておくが、公明党が連立を組んでいる自民党は、本音では公明党を潰したがっているのだ。
 分かってんのかね、公明党は。
 票がほしいから、あんたと組んでいるだけだよ。
 
 公明党が救われるためには、人権擁護法を過去に遡及して廃止する法案でも、次の国会で提出するしかなかろう。
 
 公党における信者と非信者のあいだの差別は?
 
 公明党の人たちは、「信者でない人のことを差別したりはしませんよ」 と自信をお持ちかもしれない。
 では聞く。
 党に非信者の人がいれば、「信者になればこんな優遇があるよ(つまり非信者への差別待遇があるのよ)」と思わず創価学会へ勧誘することもあろうし、非信者を入れずに信者の党員だけで集まることもあろう、と思うが……。
 
 そういうことって、絶対ありえませんか?
 
 それらすべてを「不当な差別的言動」と言いつのることは、十分可能なのですがねェ。
 
 これまでは、そういうことは社会常識・社会通念によって許容されてきた。建前はどうあれ、公明党のことを創価学会政治部だと、みんな思ってきたからだ。
 「不法行為による損害賠償」を定めた民法の第709条で訴えようとすると、立証責任は訴える側にあり、ハードルが高かった。
 
 ところが、人権擁護法というまことにあつかましい「第4の国家権力」が成立すると、事情は変わってくる。
 非信者の公明党党員の人権擁護のために、法律は文字通り「一人歩き」を始めるのだ。
 
 騒ぎを起こす非信者の党員を除名しようとすれば、「信者でないから安易に除名しようとした。人権侵害だ」とますます騒ぎを大きくすることができる。
 
 コラム子など、これを書きながらさっそく公明党党員になってやろうかとまで思った。
 2名の党員の推薦があればなれるのだ。
 コラム子だって、数名の公明党党員と面識があるから、頼めば推薦してくれるだろう。
 ♪ 腕が鳴る、鳴る…… ♪
と鼻歌が飛び出してしまった。
 
 「普通の人の萎縮」をバネにした、とんだ革命
 
 人権擁護法案には「〜的」とか「〜等」というような、解釈をいくらでも広げられるような表現が目立つ。
 
 たとえば 「人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」
  (「理由としてする」という表現の稚拙さも嘆かわしいが!)
 
 これまで弱い立場にいた者が、国家機構を巧妙に利用して「革命」を起こせるように、というのが法案の発想だ。
 だから「言いがかり」でもって人権委員会を動かし、判例も十分に確立していない新分野の「人権」議論を振りかざして、反対派を萎縮させることができる。
 
 ヒマをもてあます反社会勢力には、こたえられない武器だろう。
 
 もちろん、訴えられた側も最高裁まで頑張る覚悟で闘争すればいい。
 しかし、普通の個人・法人は(マスコミや言論人の大多数も含めて)そこまでヒマではないから、簡単に白旗を上げて、あとは萎縮モードに入るしかない。
 
 世の中の圧倒的多数の国民は、争いごとを避けて安穏(あんのん)に生きていこうとする人たちだ。
 世の中は「萎縮」だらけになる。
 
 世の中の風景が変わる
 
 そんななかで、失うものの少ない「弱者さま」だけが、三権分立の枠を微妙にはみ出した第4の権力たる人権委員会を盾に、社会にのさばることになる。
 
  これに対抗するために、訴訟も激増するだろう。
  社会常識・社会通念が総見直しを迫られる、殺伐(さつばつ)とした世の中になるだろう。
 まさに、「こんなはずでは……」の世界。
 
 ここまで読んでもまだ人権擁護法案を本気で支持する公明党の人間がいたら、まず知能検査をやったほうがいい。
 バカは、まず選挙で落とすことだ。
 
 たしか、都議会議員選挙も近かったな。
 
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▲ 後記 ▼
 
 人権擁護法案は、「社会的身分、門地(もんち)」を理由とする「不当な差別的取扱い」も公権力による取締りの対象です。
 
 「差別的取扱い」というじつに曖昧な用語。
 言いがかりは簡単にできます。
 
 私立の学校の入試合格者を決めるときには、有名人の子弟に優先枠を適用したり、ボーダーライン上の受験者を選抜するにあたって、親の収入レベル(寄付金期待可能度)を考慮したりしているはずです。
 
 今までは社会常識の範囲内では暗黙のうちに許容されてきましたが、人権擁護法が成立すると人権委員会による取締りの対象となります。
 
 受験失敗者が、「差別的取扱いを受けた」と人権委員会に訴え出れば、それがたとえ単なる言いがかりであっても、人権委員会という公権力は学校長の出頭要求、事情聴取、受験資料提出や立入検査の要求を行うことができます。
 
 そんな常識外れのことが頻々(ひんぴん)と起こりうるわけです。
 何しろ、常識を覆すことによって人権意識を革新しようというのが、法律の趣旨ですから。
 
 学習院も、お笑いも、辛口コラムも…
 
 実質的に皇室・旧華族優先の学習院など、反皇室勢力により真っ先に槍玉に上げられるでしょう。
 歴史ある学校法人として存続しえなくなるのではないでしょうか。
 自民党よ、それでもいいのか!?
 
 慶応幼稚舎のような名門私立小学校も危ないでしょうね。
 これまでは学校側が建前を述べていればすんでいましたが、人権擁護法が成立すると、言いがかりをつけて人権委員会を動かし学校を大混乱に陥れてやろうという愉快犯的な受験が出てくるでしょう。
 
 「お受験」の世界など、序の口です。
 「お笑い」も「辛口コラム」も公権力による言論封殺を覚悟せねば。まあ、コラム子は辛口の方針を変えませんがね。
 
 人権委員会は、世の人々からは特高なみに恐れられるでしょう。「人権委に訴えてやる」が流行語になるでしょう。
 世の中に、信じられないような殺伐とした「意識革命」が次々と起こります。
 挙句の果て、「人権」ということばは、蛇蝎(だかつ)のごとく忌み嫌われるでしょう。
 
 健全な保守主義に戻れ
 
 人権問題に取り組むには、まず既存の法律や制度が明治時代から1世紀以上もかけて築いてきた常識に基づくべきなのです。
 社会常識の力を信じ、これをさらに健全化することに努めていく。そういう迂遠(うえん)な道を行くべきなのです。
 
 公権力介入という即効を求めて健全な保守主義を逸脱するとき、それは必ず塩酸のような劇薬となってあなたの顔や子どもたちの心に降りかかってくるでしょう。
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▼ 読者のメールから ▲     
 
 大阪府八尾(やお)市にお住まいの読者の方から6月23日にメールをいただきました。
 
≪6月22日配信の「悪法 <人権擁護法> の両刃の刃」を読みました。読後に、いろいろと思いが広がりました。
 
 権利の実現のためのコスト
 
私事で恐縮ですが、最近親しい知人の会社がある騒動に巻き込まれ、裁判所の判断をあおぐ ということがおきました。
経営をめぐる問題で身内同士が争う、という世にも醜い争いでした。
 
幸い、原告である相手方の請求は却下され、訴えられた側の知人の言い分が 100% 認められましたが、問題はその後です。
 
弁護士・会計士がつきっきりで裁判所提出用の資料・文書を作成してくれたのですが、そのための費用(+成功報酬)として500 万円近く請求されました。
 
 正当性を主張することの厄介さ
 
もちろん、有資格者の先生方を数日間、その案件にはりつけてしまったので、それが相場だといえばそうなのでしょうが、知人の会社のような中小企業だと決して安いとは言えない負担です。
 
今回の事で、われわれが改めて身にしみて理解したことは、
「訴訟はカネがかかる」
ということでした。
 
特に、民事で賠償を請求できるものとは異なり、自らの正当性を主張するだけの裁判沙汰は、よっぽどの根気と経済力がなければ困難であると思います。
 
訴えてきた相手は、こう言いたかったらしいのです。
「わたしは、株主だ。わたしは、当然の権利を主張している」
 
そうです。そう主張することは、なんら違法ではありません。法律にもきちんと該当する条文があります。
 
ただ、その主張のために、わたしの親しい知人をはじめ幾人もの人々を巻き込んで一大騒動となり、その結果、双方に過大な心労をもたらし、業務は停滞、さらには多大な費用負担を強いたのは事実です。
 
 「この世は、やったもん勝ちやな」
 
話は変わりますが、最近ライブドアの株式取得手法に関して、一騒動ありましたね。
 
ここで焦点となったのが、「社会通念には反しているが違法ではない」という判断だったと思います。
 
あれだけ、
「違法の疑いが強い」
            「卑怯だ」
                 「社会常識に反している」
云々と言われていたのに、大臣が
「違法ではない」
と言い切ったのを見て、ぼくは、
「ああ、この世は、やったもん勝ちやな」
と思いました。
 
「法治国家」というのは、人類の最大の成果の一つと思いますが、逆に法律次第で物事が決まってしまう、という側面もあります。
 
法律に書いてあることは、当然認められる。
法律に書いていないことは、認められない。
法律でよくわからないことは、解釈次第。
 
 法治国家のおそろしさ
 
おそらく泉さんが「人権擁護法案」で最も懸念されているのは、この3つ目の
「法律でよくわからないことは、解釈次第」
という部分だと思います。
 
そして、この部分こそが、「やったもん勝ち」の要素が、最も強い部分でしょう。
 
たとえ、自分の主張が通らなくとも、「訴訟」という行為を行うだけで相手への経済的・精神的プレッシャーは相当なものになると思います。
結果として、泉さんの言うように、<世の中の圧倒的多数の国民は、争いごとを避けて安穏(あんのん)に生きていこうとする人たちだ。世の中は「萎縮」だらけに>なってしまう。
 
訴訟に費やすパワーを考えると、結局泣き寝入りせざるを得ないのだと思います。
 
 行き先は「ゴネ得(どく)社会」
 
最近、日本全体がゴネ得社会になった感がありますが、人権擁護法のような恐ろしい法律が通ってしまうと、ますます「やったもん勝ち」の風潮が強まるのではないかと、一市民として懸念します。
 
こういう問題にこそ、マスコミには情報収集能力を発揮して論陣を張ってもらいたいのですが、他人のあら探しには一生懸命なくせに、日本の本質にかかわる問題に関しては、ほとんど触れてくれませんね。≫