こんな日本国憲法がほしい

  ほんとは怖い「日本国憲法前文」

 5月3日は、在京一般邦字紙すべてを買い込んで、憲法特集を読んだ。
 『毎日新聞』の京大・東大教授3名の座談会が秀逸で、読み応えがあった。
 『朝日新聞』は、得意の「逃げ」モード。いわゆる「護憲派」も、気がついてみると朝日にも骨を拾ってもらえなくなるかも。
    
 さて、わがコラムでは、憲法前文に隠された恐るべき思想をあぶり出してみたい。

 日本国憲法の前文は、熱烈なファンが多い。

 『読売新聞』5月3日号掲載の「憲法シンポジウム」の司会をした御厨 貴 教授が挨拶して曰く
《私は戦後民主主義教育の洗礼を受けた世代だ。かつての教育勅語と同じように、「日本国憲法の前文を全部暗唱せよ」と言われたが、何を言っているか分からなかった。(中略)先生は前文と第9条を合わせてたたえた。「ここに日本の戦後が象徴されている。日本はいい国になった。変えることがあってはならない」とたたき込まれた。》

 将来は教授になる人が「何を言っているのか分からなかった」というのだから、小学生時代であることは間違いないだろう。
 御厨教授は挨拶の後半で、この小学生時代の刷り込みの呪縛からのがれる苦労を述懐するのであるが、それはさておき。

■諸外国に比べて実に念入りな日本国憲法前文
 わが憲法の前文、まるで中学の公民科の教科書みたいだ。相当に長文である。
 「民主主義」の西欧流解釈を敗戦国民の頭脳にたたき込まんと言わんがばかりで、マッカーサーの何とも心温まる教育的配慮がうかがえる。
 
 諸外国の憲法も、こういう長々とした前文があるのかと思った。
 ところがさにあらずで、実は日本国憲法の前文こそ異常に長いのである。
 
 フランス共和国憲法など実に名文が楽しめるであろうぞ、などと思って読んでみると、憲法制定の由来がそっけなく数行書かれ、「自由、平等、博愛」の国是で結ばれているだけだ。

 ドイツ連邦共和国の憲法前文。
《ドイツ国民は、神と人類に対する責任を自覚し、統一ヨーロッパの平等なる一成員として世界平和に貢献しようという気概をもって、憲法制定の権能を行使し、この憲法を採択する。》
 いきなりの「神の国」宣言。これが前文の前半である。
 後半は、連邦を構成する州の名前が延々と書き連ねられ、それらの州が自ら連邦加入を選択した、と書く。だからこの憲法はすべてのドイツ国民にとって有効なものなのだ、と。

■憲法前文の本来の役目とは

 マッカーサーの本国アメリカ合衆国の憲法前文も短い。
<<We, the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common Defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.>>

 これだけ、である。
 その短い文章に、ちゃんと「力を合わせて自衛を図り」と書いてある。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」などとは、どこにも書いてはいない。

 いろんな国の憲法を読んでみるとなかなか面白い。これから数回、比較憲法論を書かせていただこうかと思っている。
 実は、ありがたい武器があるのだ。
 International Constitutional Law という、ドイツのヴュルツブルク大学作成のサイト。
 このサイトで、世界各国の憲法の英訳が読める。

 さて、憲法前文の役目は? と、他国の憲法の実例に即して考えてみると、「制定の経緯」をうたうのが本来の姿なのだと知れる。
 たしかに、大日本帝国憲法もそうなっている。

■日本の謝罪と米国の弁明
 日本国憲法は、制定の経緯がもっとも書きにくいもののはずだ。

 「敗戦後、憲法改正を試みたが、占領軍から内容不可と言われ、代りに英文の草案が提示された。目からウロコが落ちたような感激を覚え、この草案に跳びついた。それがこの憲法である」
とまでアケスケには、いくら自虐の徒でも書けまい。

 日本国憲法公布の勅語も、制定の経緯は含みのある書きぶりだ。
《朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎
いしずゑが、定まるに至つたことを、深くよろこび…》
 「定まるに至つた」である。「定めた」でも「定まった」でもないところが、微妙ではないか。

 実は、憲法前文の国際相場から言えば、全体4行ほどの勅語の内容で十分だった。
 それなのに、わざわざ長文の前文を起草したのはなぜか。

 
第9条2項の「戦力不保持」条項をすんなり受け入れさせるための、知性に対する快い麻酔薬ではないか。

 そして日本の謝罪と米国の弁明を恒久化しようという目論見もあった。

■戦争の惨禍は「政府の行為」がもたらしたか
 《政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…》
 日本が戦った第二次世界大戦は、「(日本)政府の行為」が原因でした、と謝罪している一節だ。ドイツの憲法にもない謝罪文が、日本の憲法には入っているのだ。
 そして、これは1つの歴史観の表明でもある。

 本当に「政府の行為」が戦争の原因なのか。
 コラム子はむしろ「政府の不作為」が原因だったと言いたい。

 大陸中国で、政府の方針に反して出先の軍が暴走するのを止めなかった不作為、命令に反した軍人を「結果オーライ」でろくに罰しなかった不作為。
 日独伊三国同盟という愚劣な軍事同盟を結ぶにいたる、国際情勢分析の怠慢という不作為。
 米国国民に日本の主張を宣伝して理解を求めるという努力をしなかった不作為。開戦前の日米交渉に有能な交渉者を派遣しなかった不作為。真珠湾での空爆開始前に宣戦布告文を米国側に渡し損ねた不作為。
 国民に戦況を正確に開示しなかった不作為。そこまでせよとは頼んでもいないのにプロパガンダに浮かれる新聞を、制止しなかった不作為。愚かにもソ連の仲介をアテにし、終戦への戦略をまじめに練ろうとしなかった不作為。

 くやしい話だが、およそ日本が昭和の前期に道を踏み外したのは、不作為の連続によるのである。
 だから、
戦争を防ぐためには、タイムリーな「政府の行為」こそが必要なのだ。

 ところが、憲法前文に誤って「政府の行為によって…」と書いてしまった。
 そこから、
「政府が不作為を決め込む限り、平和は保たれる」という誤った考え方を産んだ。
 この驚くべき病は、憲法前文の歴史観から来ているのだ。

■「内政干渉肯定」を「ODAの勧め」に誤訳
 日本国憲法は、英語のオリジナルを何とか日本語にしようと官僚たちが苦闘した手術の跡が、いまも痛々しく残っている。
 そのなかで、ほとんど誤訳に近い意訳をしている箇所がある。

 《…いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、…》
 「自国のことに専念する」のが当然であって、他国に手を出したから戦争の惨禍をもたらしたのではないか。それにしても、「自国のことに専念する」とは英語でどう書いてあるのか。

 そう思ってオリジナルを読んでみると…
<<... no nation is responsible to itself alone,>>
 わずか7語のこの一節が、「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」という文に変貌した。まるで、ODAの勧めみたいである。

 誤訳だ。
 「いずれの国家も責任は自国のみに及ぶものではなく、…」と訳するべきだった。

 「あなたの国の責任は他国にも及ぶのです。だから、他国民ながら、あなたの国の戦争犯罪者を裁かせてもらいます」と読めば、東京裁判肯定のロジックだ。
 「わたしの国はあなたの国をも教化し、文明化する責任がある」と読めば、米国による日本侵攻のロジックだ。

 これを訳しつつ、日本の官僚は思ったのではないか。
「俺たちだって、Japan is responsible to Korea too と信じて、その究極の責任の取り方である日韓併合までしたのではないか!」と。

■前文に欠落する「民族自決権」の思想
 前文を読むと、「これは人類普遍の原理であり」「政治道徳の法則は、普遍的なものであり」などと、いかにも米国人が好きそうな文言
もんごんがでてくる。

 この「人類普遍の原理」に合致せぬと米国が見なした国には、原爆投下を含む制裁を与えてよい、というのが、実は前文に隠された思想なのだ。
 前文は、米国が日本に侵攻したことを正当化するための弁明文にもなっている。そう思って読むとスッと理解できるから、読者諸賢は試みられよ。 

 前文には、民族自決権の思想が欠落している。極論すれば、日韓併合をも肯定する憲法だ。
 自国の信奉する政治原理を「普遍的」と称しさえすれば、これに従わぬ他国へのいかなる内政干渉も許される、というのが「前文」の思想である。
 普通の軍隊をもっている国が、このような憲法を持ったら、危険このうえない。

 だから、前文は第9条とセットなのだ。

 そして、表向きは軍隊を持てぬ国がこの前文を奉ると、まったく受身の、内政干渉大歓迎のマゾヒズム国家になってしまう。
 日本が、なかなか自分なりの外交ができず、近隣の独裁国の内政干渉に弱いのも、もっともなことである。

(平成13年5月6日)