韓 国 ・ 朝 鮮 国 2 0 0 2





<推薦図書>
『物語 韓国人』 田中 明・著 (文春新書)
 韓国史の考察を通じて、半島の文明がなぜ不可解にゆがんでしまったのかを解き明かす。
 田中 明さんは、もと朝日新聞の記者。ほかの記者たちが社内の支配勢力に媚びて、反政府運動一辺倒の韓国報道と思考停止の朝鮮国讃美を続けているときに、田中さんは韓国の生活文化をしっとりと書き綴ったみごとな連載記事を書かれた。昭和40年代の末ごろのことだ。
 
 コラム子が朝鮮に深い関心を抱き、今日にいたるまで、韓国・朝鮮国のことを書き綴らずにはいられないのは、田中さんのおかげである。
  田中さんは社内では相当冷遇されたようで、上述の連載記事もついに書籍として刊行されることはなかったと記憶する。朝日新聞記者出身の人で、韓国について今読むに堪える文章を書けるのは、結局この田中 明さんだけだ。


【目次】
朝鮮国の難民を受け入れるべき歴史的地域は?
ナショナリズムは軽やかに ― 韓国の長所・短所
桓武天皇と百済のゆかり ― 史実を掘り下げる


  朝鮮国の難民を受け入れるべきは




【平成14年6月8日ホームページ掲載】 
 このホームページでも、メールマガジンでも、コラム子は「北朝鮮」という用語を使っていない。
 もちろん、「朝鮮民主主義人民共和国」も普通は使わない。
 「朝鮮国」と言っている。
 まずこの解説から。
 
■ 用語にあらわれる世界観 ■
 
 日本で普通「韓国」「北朝鮮」というところを、現在の大陸中国はおおむね「韓国」「朝鮮」と言ってすませる。
 日本語の「北朝鮮」という用語は、「ほんらい朝鮮半島は一国家であるべきだ」というイデオロギーを図らずも助長しているように思える。「いつか『北』の一字を書かずに済む日を夢見て…」とばかりに。
 逆に大陸中国が、「北」だ「南」だと接頭辞をつけず、単に「朝鮮」「韓国」と呼ぶのは、「二国家並存」が当然と言わんばかりの用語法だ。コラム子にはこちらの方が好もしく思える。
 
 コラム子は、「朝鮮統一」などという考え方は一種の危険思想だと思っているのである。
 そんなスローガンを都大路にまかり通らせておくから、「統一」を錦の御旗に戦争勃発!というリスクが朝鮮半島に漂ってしまうのだ。言論の自由は尊重すべきだから、「統一」を叫ぶ人もいて結構だけれども、それが「錦の御旗」になるほど手放しに讃美するのは不健康だと思う。
 韓国と朝鮮国が、ドイツとオーストリアのような関係を持つことができれば、それでいいではないか。お互いに自由な行き来ができるところまで持っていけば、それでよしとすべきである。
 
 日本語で「朝鮮」というと、「朝鮮半島」全体を地域として指す用語、ということになってしまっているから、これと区別するために、現実の国家である「北朝鮮」のことは「朝鮮国」と呼ぶ。
 「中国」「米国」「英国」「朝鮮国」「韓国」……。
 ね、違和感ないでしょ? まさか「朝国」とか「鮮国」というわけにはいきませんから。
 
■ 朝鮮人の故地としての、遼寧省・吉林省・黒龍江省 ■
 
 瀋陽の日本領事館侵犯事件に関連して、「朝鮮国の難民を日本も積極的に受け入れるべきだ」という心にもないキレイ事を言う評論家が多かった。
 「それほどキレイ事が言いたいなら、まずご自宅で1名でもお受け入れになってはいかがか」という苦言をどこやらで読んだが、まったく同感だ。
 メディアの御用論者たちが、どうせ一週間ほどのあいだではあれ、何故アタフタと心にもないことを言ったかと言えば、歴史の知識に乏しかったからだ。
 
 朝鮮民族は、大きく分けて3つの系統から成ると言える。
 
 古代の百済・新羅の民は、北方からの侵略に頑強に抵抗し続けた「半島古来の民」
 
 一方、高句麗の民は、満洲の地を故地とする「北方民族」が主体だ。コラム子の知人のエスペランチストで徐吉珠(じょ・きつじゅ、ソ・ギルス)という人がいるのだが、この人、遼寧省・吉林省に今も残る高句麗の民の要塞跡を視察しては論考を発表している。「ホントはあの辺も韓国の領土さ」というのが徐吉珠氏の弁である。
 
 いま一つの系統が、「漢民族」である。ほら、『魏志倭人伝』の世界を思い出してください。卑弥呼の使者を受け入れた「帯方郡」というのを聞いたことあるでしょ? あれは要するに、漢民族が朝鮮北部につくった植民地なのですよ。
 
 遼寧・吉林・黒龍江省の、いわゆる「東北三省」は、もともと漢民族の領土ではない。
 万里の長城の北に位置していることで明らかだ。
 地球の気候が寒冷化した時期に、東北三省の北方の民は次から次へと南下して、漢民族領を侵略した(そして結局漢民族に吸収された)。最後の侵略が女真族による明朝侵略だ。これで東北三省は、空白地帯になってしまった。
 東北三省に、漢民族が本格的に入植するようになったのは、清朝末期、20世紀に入ってからだ。それまでは、清朝の支配民族たる女真族(満洲族)は、自らの聖なる故地として、漢民族の本格的入植は許していなかった。
 
■ 吉林省あたりに朝鮮国の亡命政権を作るべし ■
 
 朝鮮国がいまだに文化大革命状態なのは、大陸中国にもかなりの責任がある。朝鮮戦争中に半島に侵攻し、文化大革命も輸出し、その後も朝鮮国の独裁政権をサポートしつつ朝鮮国の宗主国としてふるまってきた。
 大陸中国は、朝鮮国をまともな国に戻すことに尽力する道義的責任をも負っていると思う。
 
 朝鮮国からの難民は、大陸中国の東北三省で受け入れるべきだ。漢民族は、東北三省においては新参者である。むしろ朝鮮国の難民にとってこそ、故地であると言ってよい。(だから朝鮮国領にせよとまで言うつもりは毛頭ないけれど。)
 難民摘発に暗躍する朝鮮国の諜報部員を東北三省にのさばらせるより、むしろ朝鮮人亡命政権を吉林省あたりに作ることを企図すべきだ。
 
 大陸中国は、朝鮮半島の北半分は絶対に手放すまい、というのがコラム子の読みである。
 であれば、朝鮮国がせめて大陸中国並みに開放された国になることを目標にして国際政治が企画されるべきではないか、というふうにコラム子の論理はつながっていく。
 
<後記 − 平成14年8月>
 どなたからも突っ込みがなかったが、「中国東北3省はもともと漢民族の領土ではない」というときの「漢民族」とは何なのか。「漢民族でござい」という人々の多くが、実は万里の長城を超えて南進した北方民族の末裔とすれば、「東北3省」は漢民族の故地でもある、ということになるが。
 この論理を推し進めると、「それじゃぁ、DNA鑑定でもやって、各々の人の故地を決めましょうか?」ということになる。
 うちの嫁さんなど、上海か杭州あたりが故地だよ、きっと。あの辺は美人が多い…。
 


 ナショナリズムは軽やかに




【平成14年2月14日ホームページ掲載】 
 塩湖城
冬奥会が熱い…。
 「塩湖城」は、ソルトレークシティー。「冬奥会」は「冬季奥林匹克アォリンピーコォ運動会」の略。さすが中国語はなかなかやってくれますね。
 入場行進、読者の皆さんにはどの国のコスチュームがお気に召しましたか。
 
■ デザインがナショナリズムに甘えることの醜悪 ■
 
 わたしはドイツのがよかった。白とオレンジのコンビネーションがすてきでした。
 民族色を出したもののなかでは、ネパールのが落ち着いてましたね。
 
 一方、最悪は韓国でしょう。
 うちの家内は「韓国ぅッ!って感じで、よかったじゃん」と言うのですけどね。
 白いジャンパーにショッキングピンクをはじめとする韓国式極彩色の5色の前垂れを付けて行進するあの姿 
―― ああ、見てはいけないものを見てしまった…。
 
 韓国文化の色づかいも、たとえば李朝の景福宮けいふくきゅうの柱の朱の色など、中国の朱色よりも橙色がかった、とても味のある色です。民家の窓枠の深い杏あんず色などもいい。
 この辺の中間色をうまく使うと、民族のゆたかなセンスがもっとアピールできたと思うのですが。
 
 今回の韓国の担当デザイナー、ちょっとラクをしようとしたのでしょうね。ファッションとしてのナショナリズムに安易に乗って、ナショナリズムをファッションに持ち込み、創造性を放棄してしまった感じがします。
 
■ 軽やかに因習を跳び超える少女たち ■
 
 その一方で、韓国の希望といえば、たとえば S.E.S. という 3人の女性ミュージシャンのグループでしょうか。リズム&ブルース系の、いいサウンドで、韓国で大人気なのは当然として、台湾中国でもヒットチャート1位になったことがあります。
 
 昭和55〜56年生れの、Sea, Eugene, Shoo の3人。頭文字をとって S.E.S. なのですが、この3人の出身がまたおもしろい。
 
 Sea は本名 Choi Sung Hee.  (漢字ならたぶん「崔聖熙」か「崔盛姫」あたりかな。まったくの推測です)。彼女がリードヴォーカルで、韓国生れ。
 Eugene は Eugene Kim.  彼女はグアム島生れ。叔父さんがグアム島で仕事をしていた関係だそうです。だから、英語はペラペラなんですね。
 そして Shoo さん。Yoo Soo Young.  (漢字なら「柳寿栄」とか「劉修英」とか書けそうですが、正確なところは分かりません。) この人は、神奈川県大和市生れで、中学2年のときに韓国へ渡りました。
 
 リードヴォーカルの崔さん、平成12年3月19日にソウルのオリンピック・スタジアムで1万2千人のファンを詰めかけた大コンサートで、「愛という名の誇り」という曲を日本語で歌います。
 
 当時韓国には、「2000人を超える会場では日本語歌曲は禁止」という実にアホなルールがありました (ひょっとして今でも?…)。これを軽々ひょいと超えちゃったんですね。
 時代錯誤のルールを墨守する韓国の愚かなオトナたちより、 S.E.S. のような韓国新世代に、韓国の希望を見るのです。
 
■ 韓国のマスコミの意外な国際性 ■
 
 もうひとつ、最近気がついた韓国のすごいところ。
 
 『朝鮮日報』 『東亜日報』 『中央日報』……いずれも韓国の代表紙です。
 これらの新聞社のホームページ。朝鮮語で書いてあることはもちろんですが、なんと英語と日本語にも主要記事を訳して英語版・日本語版のページを作ってあるのです。『朝鮮日報』と『中央日報』は、中国語版のページまで作ってある。
 上でリンクを張らせていただいたのは、それぞれの「日本語版」ページ。なんと社説やコラムまで日本語訳で読める充実ぶり。
 
 『中央日報』日本語版に 「韓日間で<清潔・親切>競争を」 というコラムを南悳祐なん・とくゆう元国務総理が書いておられました。文化論として興味深いので、ご紹介したいと思います。(題名のところをクリックしてご覧ください。)
 
 これに比べて日本の新聞社のホームページは、読売、日経、朝日、産経、毎日、中日と、どれも日本語だけで、英語による発信さえまともにできていません。
 韓国に学ぶべきところは、大いに学ぶべきですね。



  桓武かんむ天皇と百済くだらのゆかり



 
【平成14年1月23日配信】

   知らずしてわれも撃ちしや
      春闌
くるバーミアンの野にみ仏在さず
 
 昨年3月にタリバンが爆破したバーミアンの石仏。
 人間はどこまで虚無的に、破壊的になれるのか…。
 
 その出来事に、「知らずしてわれも撃ちしや」という独白。
  「石仏の破壊を止められなかったわたし。知らないうちに、図らずも、私自身もまた、石仏を破壊した一人だったのかもしれない…」
 
 異文明の悲劇をここまで我が身に引き寄せて、哀しみをうたえるものなのか。
 衝撃とともに三十一文字(みそひともじ)の強さを知った。どなたの作った歌かは、コラムの最後に披瀝しましょう。

 
≪王が新笠(にいがさ)を召したのは、天平(てんぴょう)の初年(西紀729 年)、王がまだ二十歳前後の若かりし日のことであって、おそらく、王にとって新笠は最初の女性だったのであろう。しかも、愛情は静かに、そして永く続いた。身分の違いのために新笠が正妃の地位に置かれなかったことはいたましいが、彼女はあまんじて側室の立場を通した。≫
(村尾次郎『桓武天皇』(吉川弘文館)12頁)
 
  「王」とは、白壁王(しらかべおう)、のちの光仁(こうにん)天皇。
  「新笠」とは、高野新笠(たかぬのにいがさ)、桓武(かんむ)天皇の生母(せいぼ)であられる。
 
■ 「韓国とのゆかり」 ■
 
≪私自身としては、桓武天皇の生母が百済くだらの武寧王ぶねいおうの子孫であると続日本紀しょくにほんぎに記されていることに韓国とのゆかりを感じています。≫
 
  昨年12月18日に皇居で行われ、23日にマスコミが発表した天皇陛下の記者会見の一節。全文は、宮内庁のサイトで読める。
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h13.html
  これが、「朝鮮半島ゆかり発言」(日経の見出しより)として、注目を集めることとなった。日本よりも、むしろ韓国で。
 
  今日風に言えば、桓武天皇は、光仁天皇と「在日韓国人」の間に生れた皇太子だった、と韓国側は言いたいのだろうが、もちろん桓武天皇が韓国・朝鮮国の国籍をもっていたことなど一瞬たりとてありはしない。
 
  時系列を追ってみると、こういうことになる。
 
百済・武寧王(西紀462−523、在位 501−523)
百済滅亡      660年
白村江(はくすきのえ)の戦(いわば日唐戦争)  663年
高野新笠(?−789)
白壁王・光仁天皇(709−781、在位 770−781)
山部王・桓武天皇(737−806、在位 781−806)
 
  光仁天皇と高野新笠が結ばれるのは、武寧王の御代の200年あまり後である。
  新笠は、武寧王から数えて9代目の子孫らしい。
 
  新笠が白壁王と結ばれたころ、百済という国そのものがすでにこの世になかった。新笠が生れる50年ほども前に滅びていた。
  武寧王の血をひく新笠の父は、和史乙継(やまとのふひと・おとつぎ)という下級官僚。土師宿禰真妹(はじすくね・まいも)と結ばれ、美しいむすめ新笠を生んだのである。
 
■ 対日友好度は、渤海ぼっかい・唐・新羅しらぎの順 ■
 
  このころの東亜情勢は複雑だ。
  唐と新羅が組んで、百済を663年に滅ぼし、高句麗を668年に滅ぼした。
  だから、すぐに統一新羅が出来たか、というとそうではなかった。
 
  要所要所に唐は都督府を置いて、朝鮮半島の植民地経営に乗り出した。
  674年、唐と新羅の間に戦争勃発。
  698年、かつての高句麗の勢力が、満州に「渤海」を建国。
  735年になって、ようやく唐は 朝鮮半島から手を引くことを決めた。天下晴れての「統一新羅」の成立は、この年とされている。
 
  唐・新羅・渤海の3国、互いに牽制しあって、仲が悪かったらしい。
  唐・新羅と対立し孤立した渤海は、日本の友好国となり、朝貢の使節も来日した。
 
  新羅と日本の仲は最悪だった。国交断絶とまではいかぬにしても。
  遣唐使の渡航ルートに、如実に表れている。
 
■ 桓武天皇の御代の遣唐使が避けた「新羅ルート」 ■
 
  第1〜6回の遣唐使(630〜669年出発)は、玄界灘を突き切って、百済の海岸沿い(朝鮮半島の西海岸)を北上するルートで、山東半島に至る。
  誰が考えても、いちばん安全確実なルートだ。
 
  ところが、第7回(702年出発)以降は、奄美大島や沖縄島まで わざわざ南下してから、東シナ海を突っ切ってみたり、日本海側を北上して渤海国経由で唐に入国してみたり。
  このルート、海難のリスクが高かった。
  度重なる難破に苦しんだ鑑真(がんじん)和尚の話は、このころのこと。
 
  要は、百済が滅びてから、朝鮮半島は近寄りがたい場所になったのである。
  新羅は、尚武の気迫と緊張感に満ちた国だったようだ。
 
  桓武天皇の御代の 第16回の遣唐使は、最澄や空海も参加して804年に出航する。
  天皇が百済の王家の血も引いているからといって、友好の旗をかかげて旧百済国経由で行った、などということはない。
  なんと、東シナ海をまっすぐ南下し、福建省の福州に至るコースをとった。
 
  桓武天皇の生母が百済王家の血を引いていたからと言って、今日流の日韓友好親善物語があったわけではないようだ。
 
■ 想定外だった白壁王即位 ■
 
  今回も、コラムを書くためにいろいろ勉強させていただいた。
 
  高野新笠の話は、日本の歴史教科書には出ていないが、これは出ていないのが当然で、責められるべきものではない。
  白壁王(光仁天皇)が高野新笠を愛したのは、「対百済外交のための政略結婚」などでは全くなかったのである。
  もう百済は滅んでいた。半島は、日本・百済の共通の敵国たる新羅が支配していた。
 
  しかも、高野新笠と結ばれたころの青年白壁王は、そののちまさか自分が62歳で天皇として即位することになろうなどとは想像だにしていなかった。
  前代の孝謙天皇と白壁王は、8親等(しんとう)も離れている。白壁王は、皇族ではあったが、天皇即位の可能性がほとんどない家系に属していた。
  白壁王の光仁天皇即位は、たまさかの運がもたらしたものだった。
 
  今回、韓国の中学・高校の「国史」教科書も読んでみた。
  百済中興の王として、武寧王のことは当然書かれているが、桓武天皇に至る縁(えにし)については言及されていない。
 
  4世紀以降、日本(倭国)はさかんに半島へ出兵するのだが、韓国の中学「国史」の書きぶりが興味深かった。
 
≪百済は、中国の南朝と緊密な関係を維持し、ときには倭の勢力を韓半島へ引き込み、三国抗争に利用したりした。≫
 
  ものは書きようである。
  三国とは、百済・新羅・高句麗のこと。
  日本から見れば、鉄の産地を確保すべく半島に出兵した、ということなのだが(そして、今日流にいえば「半島南部を侵略した」ということになるが)、それをあえて「倭の勢力を…引き込み…利用した」と書く。
 
  智謀を尽して国を維持した先人たちへの、切ないほどの愛を感じる。
  こういう書きぶりもまた、ひとつの歴史ではないか。
 
■ 泣きたくなるような『東亜日報』の掲示板 ■
 
  天皇家の韓国とのゆかりと言えば、李氏朝鮮の垠(ぎん)皇太子殿下に嫁がれた 梨本宮方子(なしもとのみや まさこ)さま、すなわち李方子妃殿下のゆかりに勝るものはないが、それは別の機会に触れさせていただこう。
 
  今回の天皇陛下のご発言、韓国政府やマスコミではきわめて好意的に受け取られているのだが、韓国のインターネット掲示板を見ると、絵にかいたような「日韓友好」というのはつくづく難しいものだと思う。
 
  韓国の有力紙『東亜日報』(なにかと日本の朝日新聞に例えられる)の読者掲示板をのぞいてみた。(朝鮮語のサイト。平成14年4月に改めて見てみると、すでに内容は削除されていた。)
http://comm.donga.com/commbbs/bbs_vl.md?bz=t&bkind=010103&bcode=69840
 
  まず、比較的ましなものから…
≪天皇帰国歓迎(我が国を訪問するというなら…)。もともと韓国人だったのだから…「帰国」でしょ。≫
 
  え?  日本の皇族は「韓国人」ですか?  なにか勘違いしてませんか。
 
≪うむ…  天皇が百済の末裔なら、百済大王金大中大統領閣下へ跪(ひざまず)け〜  定期的に朝貢もしてくることだ。分かったか?≫
 
  ペンネーム「007」さん。
  あのね、わたし、こういうのを見ても、怒りませんよ。日本のインターネットでも、いろいろひどいのがありますからね。
  でもね、天下の『東亜日報』のホームページへの書き込みでしょ。いかがなものでしょうか。
  「金大中は、百済王の血を受け継ぐ天皇陛下へ跪け」なんて投稿をホームページに載せたままにしておく新聞社など、日本ではとうてい考えられないでしょうねぇ。
 
≪日本人たちは違うことを考えているんだ…。日本は、百済と新羅を植民地扱いにしているらしいが、だから百済王が天皇と血縁関係にあるという天皇の発言について、たぶん日本人はこういう解釈をするのだろう。
「やっぱり百済はわれわれ(日本)が支配していたんだよな」
うーん!  そうかね?≫
 
  ペンネーム「おしゃべり」さん。
  これは逆に被害者妄想に過ぎるのではないか。日本・百済・新羅は、それぞれに、したたかにわたりあっていた、というのが、一般に受け容れられているイメージではないか。
  日本が百済・新羅に対して日本への朝貢を求めたのは事実だけれど。
 
■ 個々の出来事の実相を知ろう ■
 
  インターネットの掲示板は、しばしば「便所の落書き」状態となる。だから品位がどんどん落ちていくのは仕方ないのだが…。
  これとほぼ同レベルの投稿が37名。
  日本人を嘲(あざけ)る差別語(いわゆる「アメ公」「露助」の類)も散見した。
  これが、韓国の有力紙『東亜日報』のホームページの掲示板かと思うと、ほんとに情けなくなった。
 
  12月18日の記者会見で、さきの「韓国とのゆかり」についてのご発言に引き続いて、天皇陛下はこう述べておられる。
 
≪ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。≫
 
  ある「こだわり」をもって『東亜日報』の掲示板に集った韓国人たちにも、陛下のそういう思いを知ってほしいのだが。
 
■ 冒頭の短歌の作者は… ■
 
  さて、最初に掲げたバーミアンの石仏にまつわる短歌は、皇后陛下の御
歌である。
  いくつかの新聞の元旦号に掲載された。
 
  ご参考までに、The Japan Times 紙に掲載された英訳を ―
 
All unconsciously
Have I too not fired a shot? -
With Spring well along
On the plains of Bamian
The stone Buddhas are no more.
 
===
 
■ 後記 ■(平成14年1月24日ホームページ掲載)
 
「桓武かんむ天皇と百済くだらのゆかり」は、資料を読むのに存外時間がかかって、苦戦しました。
 
 『続日本紀しょくにほんぎを図書館から借りてきて、桓武天皇の生母、高野新笠たかぬのにいがさに言及した箇所を見つけるまでが一苦労。延暦えんりゃく8年12月から翌年1月のあたりに記述がありました。
 
 亡くなった新笠、いや、いまや天高知あめたかしらす日之子姫ひのこひめのみことというお名前の皇太后を弔とむらって、≪后きさきの先は百済の武寧王の子純陀じゅんだ太子より出づ≫と記されていました。
 
 けっきょく『続日本紀』読みの成果についてはコラム本文では触れませんでしたが、やはり原資料にあたることで、自信をもって書けたような気がします。
(平成14年1月23日配信、後記は1月24日にホームページ掲載)