まだ終わらない「沖縄戦」


琉球は、あきらかに「日本」であって、「中国」ではない ― という当たり前のことを声高に言うことなく済んでいるのは、明治政府が与那国島よなぐにじまの西に国境線を設けてくれたからである。
琉球語は、まぎれもなく日本語の一分派だ。琉球舞踊はアイヌ舞踊に近しい感じがする。琉球は、偉大なる縄文文明圏の南の覇者であったのだと思う。

 
 

【目次】
運動家の数字のトリック ― 歴史への真摯さを求めたい
展示物がバランスを欠く平和祈念資料館
反響: 「国家のビジョン」を語らぬがゆえ失われる「信頼と友好」


  運動家の数字のトリック ― 歴史への真摯さを求めたい
【平成14年3月19日配信】
 日米戦争末期の沖縄戦は、昭和20年3月26日に米軍が慶良間(けらま)列島に上陸した日に始まる。
 沖縄本島に米軍が上陸したのは4月1日で、それから6月22日まで、82日間の激戦が続いた。
 沖縄守備軍が降伏文書に調印したのは昭和20年9月7日のことだった。
 
 沖縄戦で愛媛県人も 2,065人が戦死している。
 四国他県の戦死者はそれぞれ、香川 1,177人、徳島 990人、高知 934人となっている。
 
  各都道府県別の沖縄戦戦死者数が分かるサイトがある。昭和50年発足、平成12年新館開館の「沖縄県平和祈念資料館」のサイトだ。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL100.htm
 
■ 沖縄戦の戦死・戦没者数に諸説あり ■
 
  沖縄戦の
日本軍将兵・軍属(従軍看護婦など)の戦死者は9万4千人あまり
 約10万人の日本軍のうち、9万4千人が戦死したのである。
 戦死した9万4千人のうち、
沖縄県出身者が2万8千人あまり、県外出身者が6万6千人ちかくであった。
  … とされている。
http://academic1.plala.or.jp/kisarazu/backnumber/bn2000/lagoon/lagoon8.htm
http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/report/000re-n.html
 
 対する米軍は、総勢54万8千人の軍勢で、うち1万4千人あまりが戦死している。米軍の「死傷者」総数としては、7万5千人という数字もある。
 
 沖縄戦は焦土戦だったから、沖縄の一般住民の犠牲も悲惨だった。
  それぞれの死にそれぞれの悲惨があり、その人につながる人々の深い悲しみがある。
 
 昭和12年の南京陥落戦および南京事件(捕虜殺害)の中国側死亡数に、さまざまの説があるのはご存知のとおりだ。
 ところが、
沖縄の「一般住民」の死亡者数にも、説によって異常な幅があることを知った。9万4千人説から15万人説まである。
 「犠牲者数」という曖昧(あいまい)な言い方をして、いつでも逃げられるような言説を弄する向きもある。
 
■ 不思議な偶然の「9万4千人」説 ■ 
 
 沖縄の「一般住民」死亡者数9万4千人というのは、さきに言及した「日本軍将兵・軍属(従軍看護婦など)の戦死者」9万4千人と、偶然にも同じ数である。
 
 教科書検定で文部科学省は、沖縄一般住民「9万4千人」死亡説を採用している。
 
 この沖縄一般住民「9万4千人」死亡説について安仁屋(あにや)政昭・沖国大教授のコメントは、
 
≪この数字は琉球政府援護課の統計だが、昭和19年の人口から戦後の人口を引いただけのあいまいで実態に基づかないもの。その後の沖縄県史などの研究を踏まえると、こうした古い数字を根拠にするのはおかしい。
これまでの研究では学徒兵も含め沖縄戦の犠牲者は15万人を超えるだろうとされている。県平和祈念資料館では十数万人と表記しているが、少なくとも10万人を超える犠牲者があったことは間違いない≫
というものだ。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2001/2001_04/010404b.html
(『琉球新報』平成13年4月4日報道)
 
 「戦死者・戦没者」の数についての議論をしている文脈で、いつのまにか勝手に「犠牲者」という言葉に置き換えて議論を進めている。
 
■ 数字と文章のトリック ■
 
 いい意味でもわるい意味でも生真面目な日本の官僚が治めた沖縄の、一般住民の戦没者数が、これほどの振幅で振れるのは、異常なことではないだろうか。
 
 沖縄戦の「犠牲者」数は、特定の政治勢力による奇妙な数字のトリックの対象になっているとしか思えない。
 
≪本島が苛烈な戦場となり、軍人・軍属・住民あわせて死者は18万8千余、うち12万2千余が沖縄県民であった。味方である日本軍による県民の殺害・「集団自決」の強要などの悲劇も生じた。≫
(清水書院『新日本史A 改訂版』。平成9年3月文部省検定済、高校地理歴史科教科書)
 
 この教科書の記述をさっと読むと、沖縄戦での沖縄県「一般住民」の戦没者が12万2千人いたように読める。ひょっとして、文部省は12万2千人説も容認しているのか?
 
 いや、そうではない。
 「12万2千人」は、このコラムの冒頭に書いた「沖縄県出身の日本軍将兵・軍属の戦死者」2万8千人と、「沖縄県の一般住民の戦没者」9万4千人の合計なのに違いない。
 
 清水書院教科書の「うち12万2千余が沖縄県民」という記述は、たしかに間違いではない。沖縄県出身の将兵も一般住民も、みな「沖縄県民」である。
 しかし、前後の文脈が巧みで、「うち12万2千余が沖縄の一般住民」と書いてあるように読める。コラム子など、文章のトリックを感じてしまうのだが。
 
  ■ 「犠牲者15万人説」の欺瞞 ■


 さきほどの安仁屋(あにや)政昭・沖国大教授のコメントをもう一度よく読んでみよう。
 
≪学徒兵も含め沖縄戦の犠牲者は15万人を超えるだろうとされている。県平和祈念資料館では十数万人と表記しているが、少なくとも10万人を超える犠牲者があったことは間違いない。≫
 
  そして、今度は次のサイトをご覧いただきたい。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL00.htm
沖縄県平和祈念資料館の「出身地別戦没者数」のグラフである。
 
 これによれば、
  沖縄県出身者   148,341 名
  他都道府県出身者 75,325 名
  外国出身者     14,495 名(大部分は米軍兵士)
とある。
 
 安仁屋教授の「15万人超」説は、いわばこの「148,341 名」を四捨五入し、「未満」を「超」に変えたものだろうか。
 
 この「148,341人」と、清水書院の「12万2千人」の違いは何か。
 数字の「犯罪」が行われているのだ。
 
 「他都道府県出身」と「外国出身」は、昭和20年3月26日以降の戦死者数である。
 ところが、
「沖縄出身者」
昭和6年9月から昭和20年9月までの間に、県内外において戦争が原因で亡くなられた方と、 終戦後 おおむね1年以内に亡くなられた方など(ただし、原爆被爆者は、期限を定めず)≫
だそうだ。
 
 
昭和6年9月18日(柳条湖事件)から昭和20年3月25日(沖縄戦前日)までの沖縄県出身の日本軍将兵の戦死者が、「沖縄戦の戦死者」に勘定されている。
 
■ 沖縄戦は昭和6年に満洲で始まった? ■

 
 13年半にわたる沖縄戦開始前の沖縄県出身戦死者の数を、「沖縄戦の戦死者」に勘定する言い分がふるっている。
 
 ≪沖縄戦が昭和6年の満州事変に始まる15年戦争の帰結であることから≫昭和6年9月以降の戦死者は「沖縄戦」の戦死者として勘定するのだそうだ。
 
 これが許されるなら、日露戦争はおろか、日清戦争や戊辰(ぼしん)内戦の戦死者も、第二次世界大戦の戦死者の数に含めうるであろう。
 歴史を語ろうとするときに必要な真摯さを欠いているのではないだろうか。
 
 なぜこのようなことを沖縄県の公的機関が平然と行うのか。
 
沖縄県出身の「犠牲者」の数をできるかぎり多く書くことを称賛する勢力がいるからではないのか。
 清水書院の教科書の巧妙な書きぶりも、同じ理由からだろう。


 ■ 沖縄県出身の沖縄戦戦没者数の総数は約11万人か? ■


 同じ沖縄県平和祈念資料館の別のページを見てみよう。
 沖縄県出身者の月別の戦没者数がまとめられている。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL030.htm
 
 
昭和20年3月から9月までの沖縄県出身者の戦没者(軍人・軍属・一般住民の合計)は、106,933 人だ。
 死亡時期不明者の 3,475 人を全て加算しても
110,408 人
 
 昭和20年の月ごとに示すと、
   3月  3,073人
   4月 19,428人
   5月 24,597人
   6月 46,785人
   7月  5,616人
   8月  4,827人
      9月  2,607人
 この合計が10万6,933人。
 これに、「死亡時期不明者」の 3,475 人を全て足すと「11万408人」となる。
 
  この「11万408人」に対応する清水書院教科書の数字が「12万2千人」である。
 
  いったいどちらが正しいのか?
 
■ 沖縄の一般住民の戦没者数は実は8万2千人あまり? ■
 
 清水書院の数字が、軍人・軍属2万8千人 + 一般住民9万4千人の合計であろう、というのは前に述べた。
 
 実は、沖縄県軍人・軍属の戦死者には、「28,228 人」 という数字がある。
http://academic1.plala.or.jp/kisarazu/backnumber/bn2000/lagoon/lagoon8.htm
 軍人・軍属の戦死者数は、相当の信憑性があると思っていいのではないか。
 
 それに対して、一般住民の戦没者の数「9万4千人」は、さきほどの安仁屋政昭・沖国大教授によれば、
≪この数字は琉球政府援護課の統計だが、昭和19年の人口から戦後の人口を引いただけのあいまいで実態に基づかないもの。その後の沖縄県史などの研究を踏まえると、こうした古い数字を根拠にするのはおかしい≫
とのことだ。
 
 だとすれば、沖縄県の「一般住民」の沖縄戦戦没者数こそ、「110,408 人」から「28,228 人」を引いた数、すなわち「82,180 人」に近い数字ではないのか。
 この数は、沖縄戦で負傷し闘病のすえに昭和20年10月以降に亡くなられた方を含んでいないが、そういう方を加えても「9万4千人」にはならないのではないか。
  今回のコラムは、本当に心苦しいのだが。
 
■ 沖縄を知るために、こんな方法も… ■
 
 沖縄を語るメールマガジンのなかで、コラム子が信頼を置いているのはこれだ。
http://www.mag2.com/m/0000066872.htm
「ウィークリー沖縄 ― 本土に伝わらない沖縄の真実 ―」。
 
 毎号おおむね、沖縄の文化風物を語る「沖縄コラム」、世のマスコミ流と一線を画する「沖縄レポート」、イベント紹介の「沖縄インフォメーション」の3本立て。
 縄文につながる日本人が育んだ「沖縄」という異文化圏を定点観測する
には、なかなか重宝するメディアだ。
 
 平成14年2月25日号のレポートが衝撃的だったので、読者の皆さんにぜひご紹介したい。




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■沖縄レポート
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◎「反日展示物」並ぶ平和祈念資料館
 
 沖縄本島南部の糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)にある「沖縄県平和祈念資料館」は沖縄戦の実相を次世代に伝えることを目的に、二〇〇〇年四月にオープンした。
  しかし、展示物は旧日本軍の残虐さを強調する反日的なものばかりで、修学旅行生をはじめ全国から訪れる見学者は、反日感情を植え付けられている。
 
◎生徒の反日感情を醸成
 
 「一番印象に残った事実は、アメリカ兵は民間人だと分かれば殺されないということでしたが、日本兵は自分達が生き残るために民間人をも殺すということです」
(二〇〇一年十一月二十五日、女子高校生)
 
 「いくら戦争中だからといっても、人間のすることではないと思った。人間がゴミのように扱われていて、特に、日本兵の住民に対する態度は最悪だと思った」
(同十一月八日、神奈川県の女子高校生)
 
 これは平和祈念資料館に寄せられた見学者の感想文だ。資料館を訪れた生徒が旧日本軍に対して強い反感を抱いていることが分かる。
 
 資料館は老朽化した旧資料館の代わりとして、大田昌秀(おおた・まさひで)前県知事時代に計画され、沖縄戦の犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に隣接する形で建設された。
 屋根は全て沖縄の伝統的な赤がわらを使用するなど豪華な造りで、七十四億円もの事業費がかかっている。
 
 二〇〇〇年度は四十八万人以上が来館。
 二階が常設展示室で、 (1)沖縄戦への道  (2)鉄の暴風  (3)地獄の戦場  (4)証言  (5)太平洋の要石(かなめいし) の5つのセクションに分かれ、沖縄戦のパネル写真や模型・資料などが並べられている。
 
◎ジオラマ展示で「残虐さ」を強調
 
 中でも反日的展示の象徴ともいえるのが、沖縄戦当時のガマ(洞窟)の様子を再現した模型だ。
 
 銃剣を持った日本兵の前で住民がおびえているという構図で、住民の中には泣く赤子の口を手で押さえる母親の姿もある。人形は小学生くらいの大きさでリアル感が漂う。
 模型に説明文はないが、日本兵が住民を虐げていたことを連想させるものであることは間違いない。
 
 このほか、左足を失った負傷兵とそれを看護する衛生兵の横で、日本兵が青酸カリ入りのコンデンスミルクを作る場面や、投稿ビラを取ろうとする住民を日本兵がスパイ視して銃剣を向けるという模型もある。
 
 ガマの展示をめぐっては、検討段階で"騒動"が起きている。九八年十一月の知事選で大田氏を破って稲嶺恵一(いなみね・けいいち)知事が誕生すると、県は日本兵の人形から銃を取り外させるなど、展示内容の変更を進めた。
 
◎沖縄戦は「米国との戦い」ではなかった?
 
 だが、これに対して大田前県政時代に任命された資料館の監修委員や市民団体などが猛反発。
  結局、県は左翼勢力の反対キャンペーンに屈する形となり、銃剣を元に戻すなどほぼ原案通りとなった。
 
 また、館内に掲示されている解説文も「反日」のオンパレードだ。
 
「日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった」
「食糧を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食糧強奪が相次いだ。なけなしの食糧を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった」──等々。
 
 沖縄戦では米国との戦いで多くの犠牲者が出たにもかかわらず、資料館の展示は沖縄の住民は日本軍の犠牲になったかような記述ばかり。
 見学した生徒が米軍よりも日本軍に敵意を覚えるのも無理もない。
 
◎一面的な展示が踏み躙(にじ)る沖縄の心
 
 資料館の開館前に、県議会に陳情書を提出して展示内容の変更を求めた国旗国歌推進沖縄県民会議の恵(めぐみ)忠久会長は、
二十万人の沖縄守備の日本兵には、民間からの召集兵もおり、いろんな人間像があるのであり、追い詰められた死の恐怖から生じたごく一部の兵士の行動をもって、すべての日本軍の行動と勘違いさせるような展示をすべきではない」
と指摘する。
 
 日本兵の残虐さを強調する一方、県出身者を含む日本兵が沖縄防衛のために尊い命を捧げて戦い抜いたことを示す展示は一つもない。
 海軍司令官の大田実少将は
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜タマハランコトヲ」
と、作戦に対する沖縄県民の献身的な協力に理解を求める電文を送っているが、資料館にはこの電文さえ紹介されていない。
 
 恵会長は
大田少将が訴えたように、日本兵が県民と和合一体となって戦い抜いたことは間違いない史実だ。戦死された多くの将兵や県民の犠牲のおかげで、われわれは平和を享受できたのであり、それを不確定な資料や他人からの聞き取りなどで判断してはならない」
と語る。
 
◎監修委員に一坪反戦地主
 
 さらに、「展示内容が反日に偏っているのは、
大田前知事が選任した監修委員に大きな問題がある」とも恵(めぐみ)会長は続ける。
 
 十三人の監修委員のうち、会長を務めた宮城悦二郎・元琉球大教授をはじめ、石原昌家・沖縄国際大教授、内海恵美子・雇用開発推進機構調査研究部長、著述家の安里英子氏の四人は、米軍基地内にわずかな土地を共有する一坪反戦地主だ。
 
 約三千人いる一坪反戦地主の中には、極左過激派や共産党員も多数含まれており、こうした偏った思想の持ち主たちと関係のある人が、公正さの求められる資料館の監修に携わっていたことは明らかに不適切である。
 宮城氏は現在も、資料館の運営委員として関与している。
 
 開館以来、県内だけでなく全国から児童・生徒が数多く訪れている。
 二〇〇〇年度の小中高、大学の団体見学は県内が三百七十八校、三万二千四百七人で、県外は千五校、十五万九千三百六十四人にのぼった。
 
修学旅行生の約半数が来館しているといわれ、多くの児童・生徒が修学旅行の最中、反日感情を植え付けられていることになる。
(C) 2002, 世界日報
 

  
■ 高笑いしているのは誰か? ■


 反日運動に熱心な人々は、世間では「左翼勢力」と呼ばれて、米軍基地反対運動をしている人々と全く重なっているように見える。
 
 本当のところはどうなのだろう。
 もしもコラム子が米国の情報部のエージェントなら、手っ取り早い「対日工作」の手段として、沖縄で反日運動を行う勢力を密かに支援するだろう。
 
 日本の「左翼勢力」をうまく使えば、「日本軍の罪業」を暴(あば)くことに人々を駆り立てるのは簡単だ。米軍が行ったもろもろの破壊と残虐は、その陰にみごとに覆い隠される。
 反日を高(こう)じさせ、自衛隊を沖縄に本格展開しにくい状況を作れば、米軍基地は安泰である。
 
 ありがたいことに、この「左翼勢力」は反米運動もやってくれる。米国情報部のエージェントが潜(もぐ)り込んで糸を引いても、気取(けど)られることはない。
 
 …… というくらいのことがあっても、おかしくないのが、 この世の中である。
 このコラムで、「右」だ「左」だという二元論的用語をいきなりナマのまま使わないようにしているのもそのためで、世の中で「左」と言われる勢力が、意外や意外、米国に奉仕していた、ということだってあるのだ。
 
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■ 反響 ■


 愛知県豊橋市にお住まいの読者の方から平成14年3月20日にメールをいただきました。
 
≪突然のメールで失礼いたします。
 
私は、琉球の歴史に興味を持って、先月初めて沖縄を訪ねました。
 
そのおり、写真で知っていた「平和の礎(いしじ)」を見たくて平和公園に行きましたが、立派な建物の 沖縄県平和祈念資料館に入ると <妙な臭さ> を感じて違和感を覚えたのを思い出しました。
いろいろな史実を展示しながらも、どうも妙な思想臭に支配された表現技巧を使っていて、腹立たしい思いが残り、実は途中で退館してしまいました。
 
まさに泉さんの指摘されたように、「沖縄県出身の <犠牲者> の数を、できるかぎり多く書くことを称賛する勢力がいるからではないのか」という疑念が起きたのです。
 
◎ 国としてのあるべき姿 ◎
 
沖縄の「県民感情」ということがよく言われますが(琉球以来の歴史から本土における一般的な県民感情とは異なることはよく分かりますが)、この表現の本来の意味は、現在のような「反日的」な意味合いは持っていなかったのではないかと思うのです。
 
しかし、戦後の沖縄の置かれた戦略的な地位から、沖縄の米軍基地化が進み、その意味するところの深刻さに本土の日本人と日本政府が気づかないでいる間に、沖縄県人は反日の左翼思想に染まって「われわれだけが犠牲になっている」と強く考えるようになってしまったのではないでしょうか。
 
それにしても、
なぜ展示の内容が、攻め込んだ米軍への批判に向かわず、自国への非難攻撃としか理解できないような方向になってしまうのでしょう。
どうもこれは、
戦後日本が「国としてのあるべき姿、国家戦略」というものを、持たず示さず議論もせずに来てしまったからではないかと思います。
 
泉さんは、沖縄戦の戦死者数を例にあげておられますね。沖縄人である安仁屋(あにや)政昭・沖国大教授が、沖縄県人被害を大きく言いたいのは(正当性は無いが)感情として理解できます。しかし、それが全国で使われる教科書で、さらに擬装をこらして載せられるのでは、国を危うくすることになりかねません。
 
どうも文部省にしても法務省にしても、そして外務省にしても、役人は細かな整合性については辻褄合わせをやるのが上手ですが、全体を見ないというか大きな視点をまったく持たずに、国の根幹を無造作に左右しているような気がして怖いです。


 ◎ サイパンと日本の縁 ◎


昨年サイパンに2泊3日の観光で行きましたが、地元住民は私の姿を見ると「こんにちは」と上手な日本語で挨拶してくれますし、私も挨拶を交わしたり、日本語と英語のチャンポンで会話を楽しみました。
 
その中で、彼らが一様に「若い日本人へは挨拶しないのだ」と、いささか怪訝(けげん)に思われることを言うので驚きました。
「礼儀知らずで返事してもらえないから」というのが理由でした。
 
この島でなぜ日本語が話されているのか、その歴史を知らない若い日本人側から言えば、 日本語で話しかけられたとき、 何か売りつけられるか絡(から)まれるかもしれないといった警戒感が起きたのかもしれません。
 
かつてサイパンは、スペイン植民地、ドイツ植民地でした。第一次世界大戦後の1914年パリ平和会議で、日本が南洋諸島(サイパンやパラオなど)を委任統治することになりました。
以来、伝染病対策や公教育を持ち込み、島内で砂糖産業などを育成しました。
 
南洋諸島の振興策として、国の直轄行政機関「南洋庁」(本庁はパラオ)が開設され、海軍と一体になって開発が進められた歴史があります。日本からの移民もかなりの数が入ったはずです。現地の島民は過酷な労働に従事する一方、日本国籍を得るため兵役の権利獲得の嘆願書も出されたそうです。
 
しかし、第二次大戦で日本軍はサイパン玉砕に追い込まれ、日本統治は終わった。その後はアメリカの信託統治を経て、10年程前に独立か属領かを問う国民投票が行われたそうです。
 
◎ サイパンで語られた「将来の選択」 ◎
 
そのとき島内では、「独立」という選択のほか、アメリカの属領となるか、はたまた日本の属領となるかを巡って、議論があったようです。
 
当時アメリカは熱心にキャンペーンをしましたが、島民が親近感を持ち続けてきた日本は何も行動を起こさず、結局アメリカの属領になった、というような話を聞きました。
当時の日本では何も報道されなかったし、私自身はそんなことがあったということさえ知らなかったので、驚くような話でした。
それまでは、祝日などに日章旗をあげる家が多かったが、今ではまったく無くなったそうです。
 
サイパンの空港や島内の戦跡の説明も、すべて英語で米国からの見方のみが 書かれ、日本人が 開拓した 砂糖産業や 鉄道にしても、英語で Sugar King Park として残る始末で、その公園や病院跡(現在は図書館)などは日本の旅行社の観光コースにも入っていませんでした。
 
台湾にしても、マリアナ、サイパンにしても、パラオにしても、いずれも貴重な親日国家です。
そういう貴重な親日国を、ただただ失っていくのみとは、無戦略国家日本の象徴的姿を見る思いでした。
 
政界、官界だけでなく、最近は、一流といわれた経済界も倫理観が失われ、責任をとらないことが権力者への道となっているようで、暗澹(あんたん)たる気持ちです。
 
アメリカの政官民あげての国益追求は、中国と並んで行き過ぎの感もありますが、その一方「私」のみで「公」がない今の日本、廉恥心を無くした日本人はあまりにも危ういと強い危機感をもちます。≫