行ってみた沖縄

目次
沖縄戦のそれぞれの悲劇と償い(平成14年9月9日配信)
その反響
ああ、米軍構成員…(平成15年9月8日配信)
その反響

 
 
  沖縄戦のそれぞれの悲劇と償い
 
 
【平成14年9月9日配信】
  夏休みに家族で沖縄へ行った。
  コラム子は車の運転ができない。観光タクシーのお世話になった。運転手さんお2人から、図らずもそれぞれに異なる「沖縄戦」の話をうかがった。
  今日は、そのことを書かせていただきたい。
 
 琉球の歴史の全体像を知りたい ■
 
  沖縄行きの前に、沖縄の本をいろいろ読んでみよう ――
  小6の娘が「自由研究」用に図書館で本を数冊借りてきた。
 
  「ねえ、お父さん。沖縄の本、どれを読んでも明治から昭和のことしか書いてないよ。わたしはもっと昔の沖縄のことを知りたいんだけど、教えてくれる?」
  ああ、いいとも、と言って、扶桑社の『新しい歴史教科書』を開いてみても、明治維新前の沖縄については数行しか書いてない。
  歴史地図帳を広げて、琉球王国の貿易立国ぶりについて話し始めたのだが、15分ほど話すとネタが尽き、愕然(がくぜん)とした。
 
  あわててインターネットで教材を探した。
(残念ながらこの2つのサイト ↓ は平成15年11月現在、閉鎖されています。また開いてほしいです。)
<沖縄人物伝>
http://museum.mm.pref.okinawa.jp/city-2001/person/
<金城親方(カナグスクウェーカタ)の子ども教室  ふるさとの歴史と文化>
http://museum.mm.pref.okinawa.jp/city-2001/homehistory/
 
  文体は子ども向けだが、本土のごくふつうの日本人が知らないことがいろいろ書いてあって、実にためになった。
 
 琉球に感じる朝鮮の風 ■
 
  タクシーの運転手さんの案内で、首里城(しゅりじょう)、識名園(しきなえん)、牧志(まきし)第一公設市場をまわった。
 
  琉球文化というと、中国の絶大な影響のことが言われ、それはその通りなのだけれど、コラム子にはむしろ、韓国で見たさまざまな光景が二重映しになった。
 
  シーサー(琉球狛犬)の諧謔(かいぎゃく)みは、朝鮮の狛犬に近い。
  首里城の石垣のまるみも、朝鮮に独特の曲線美を連想させた。
  沖縄の勇壮な盆踊りの「エイサー」なども、韓国の「農楽」の気分を感じる。
 
  日本の敗戦がなくても、朝鮮は昭和30年代には独立を回復していたろうと思うが、もし朝鮮がいまだに日本領だとしたら、この那覇のような風景だったのだろうかと思った。
  日本語環境の不思議な異国として。
 
  沖縄県くらいの規模の独立国は、世界に珍しくない。
  琉球が独立国であったら、この風景はどう違っていたろうか、とそんなことを思い続けた沖縄4日間の旅だった。
 
 ウチナーグチの妖怪物語 ■
 
  娘は学校からこんな宿題をもらっていた。
「おじいちゃんや おばあちゃんから、 昔のころの話を聞いておいでなさい。」
 
  観光タクシーの運転手さんは、昭和13年生れだった。お名前を、ここでは仮に平良(たいら)さんとさせていただこう。
  家内が言った。
  「平良さんにお話をうかがってみたら?」
  「そうだね。でも、ただ『昔の話』と言われても平良さんも困るだろう。例えば子供のころの遊びのことなど、お聞きしてみたら?」
 
  那覇から恩納村(おんなそん)へと北上するタクシーのなかで、娘がおずおずと平良さんにお話をお願いした。
  平良さんは、はじめやや戸惑っておられたが、やがて川遊びのことや、おばあちゃんの昔話を夢中になって聞いたことなどを話しはじめた。
 
  おばあちゃんが沖縄ことば(ウチナーグチ)で語る妖怪物語は、2時間も3時間も次から次へと尽きることがなく、やがて夜道がこわくてとても帰れなくなり、家から出迎えに来てもらったこと…。
 
  娘が言った。
  「あの…… 今度は わたしが考えた質問をしてもいいですか?  これまででいちばん印象に残ったことは何でしたか?」
  「それはやはり戦争のことです」
 
  平良さんは堰(せき)を切ったように話し始めた。
  ああ、そうなのだ、やはり平良さんが語りたかったのは戦争のことだったのだ。
 
 7歳の子どもが見た惨劇 ■
 
  平良(たいら)さん御一家の里は、那覇北東の宜野湾(ぎのわん)市。
  昭和20年春、米軍上陸を前に、当時7歳の平良さんは、母と弟と2人の祖父ともに、5人で南へ逃げた。しかし沖縄島南端で米軍の爆撃に遭遇する。
 
  3歳の弟は、母の背におぶさっていた。その幼い背中へ爆弾の破片がグサリと突き刺さる。母の命を救いつつ、幼い命は天へ召された。
  祖父の1人も、頭部に爆弾の破片を受けて亡くなる。
 
  もう1人の祖父は、内臓が裂けて腸が母の体をめがけておどりでた。それでも息がある祖父の体に、母は内臓を懸命に入れ戻したが、助からなかった。
 
  戦後、平良さんは母とともにその場所へ戻ってみた。
  周囲は爆撃で地形がすっかり変っていたが、2人の祖父と弟の遺体を残した場所は不思議にもそのままで、遺骨を収めることができたのだという。
 
  亡くなった3人の名は、「平和の礎(いしじ)」に刻まれている。今でも毎年8月15日、平良さんは老いた母とともに摩文仁(まぶに)の丘に行って、追悼の人々に加わる。
 
 沖縄文化をになう ■
 
 平良さんは三線(さんしん、琉球三味線)の名手で、県立芸術大学で講師をしたこともある。11月には首里城での公演で、地謡(じうたい)の伴奏をされるのだとか。
 
  現在の沖縄では、小学校の音楽教育に三線(さんしん)が取り入れられていて、子どもたちの誰もが何かしらの曲を数曲、三線で弾けるのだという。
  すばらしい文化のあり方ではないか。
 
  平良さんは19歳のときからタクシー運転手をしておられ、現在まで無事故。何度も表彰を受けておられる。
  「あと6年間無事故で仕事が続けられれば、個人タクシーで50年間無事故ということですので、東京へ行って天皇陛下の前で表彰を受けられるのですよ」
と、その日を楽しみにしておられた。
 
  5人の子ども、9人の孫に恵まれた平良さん御一家に、幸多かれと祈らずにはいられなかった。
 
 出身と年齢の差が生んだ、異なる視点 ■
 
  その2日後にお世話になった観光タクシーの運転手さんは、昭和4年生れだった。昭和20年には16歳だったことになる。
  お名前を仮に新城(あらしろ)さんとさせていただく。
 
  万座毛(まんざもう)をさらに北へ向かうタクシーの中で、私が聞いた。
  「新城さんは、戦争のころ、沖縄のどの辺におられましたか」
  「…… 私は体が小さかったもので、砲弾を運ぶ役でしたがね。 私も軍属として働いたんだが、同年輩でも身長160センチ以上の体格のいい者は、前線へ出されて、ほとんど帰って来なかったね」
  新城さんは、淡々と語りはじめた。
 
  「沖縄島で激しい戦闘になったのは南部のほうだが、那覇やその周辺の人らは、沖縄はどこへ行っても同じことよと考えて家財を捨てられなかった者が死に、家財を捨てて北へ落ちのびた者が生き残ったのですわ」
  恩納村生れの新城さんの、ずいぶん突き放した言い方に驚いてしまった。
 
  「北へ行って、山の中へ逃げ込んだ者は助かった。不思議に戦争中はハブも出ませんでしたな。ところが南のほうは山が少なくて、隠れるところがない。兵隊も命惜しさに民間人の防空壕に入っていく。驚いて赤子が泣く。その赤子の口を兵士が押さえて窒息死させてしまうということが、ほうぼうで起きた」

  ほうぼうで、というのがどれほど「ほうぼうで」だったのか分からないが、赤子の母は、軍をどんなに呪ったことだろう。
 
 大田実少将のみごとな電報 ■
 
  「脱走兵が、見せしめに両腕両脚を切られて、頭と胴体だけで送り返されたこともあった。ああ、人間というのはこんなになってもまだ生きていられるものか、と思った」
 
  「それでも脱走する兵隊は少なくなかった。とくに中国戦線を経験した年配の人らは、軍服を脱いで民間人に紛れた。日本がもし勝っておったら、あの人たちは裏切り者として非難されたであろうが、敗戦しましたからな。若い兵士たちは脱走はしなかった。そしてどんどん亡くなっていった」
 
  5月末に首里城が陥落した時点で抵抗を止めておれば、相当の数の人々が助かったろうに、と新城(あらしろ)さんは慨嘆する。
  歴史の後知恵(あとぢえ)と言わば言え、実際その通りで、月別に見ると戦死者・戦没者は昭和20年6月が最も多い。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL030.htm
 
  那覇南方の豊見城(とみぐすく)市(今年4月に村から市へ昇格した)にある旧海軍司令部壕。
  今回は行けなかったのだが、ここで6月13日に大田実少将以下、海軍部隊4,000名の将兵が自決している。
 
  大田少将は死の直前、海軍次官宛にこういう意味の電報を打った。
 
  「沖縄県民が今どういう状況にあるか、本来は県知事から報告されるべきだろうが、県庁はすでに通信能力を失っている。 …… 沖縄戦は末期状況にあり、草木一本とてない焦土と化そうとしている。食糧も6月一杯で無くなってしまうという。沖縄県民は献身的にみごとに戦った。どうか将来は、沖縄県民を特別に優遇してあげてほしい」。
 
 それぞれの償いの形 ■
 
  沖縄守備軍は 沖縄島南方で なおも6月23日まで戦闘を続けるのだが、大田少将率いる海軍部隊はこれと行動をともにせず、6月13日に自決する。
 
  米軍が、沖縄の一般住民を 虐殺することなく 収容しているのを知り、大田少将は
「わが部隊が戦えば戦うほどに、沖縄県民の犠牲もますます増えてしまう。米軍に沖縄を委ねることやむなし」
と思ったのではないか。
  かと言って、ただ戦闘を放棄するわけにはいかない。戦闘を放棄するには、自決の選択しかなかった。
 
  自決した 4,000名の将兵の、1人1人の思いはそれぞれに異なっていただろう。
 
  もしもわたしがその将兵の1人だったら、どういう思いで命を絶ったであろうか。
 
  大日本帝国万歳! では、とても死にきれなかったと思うのだ。
  もしもわたしがその将兵の1人だったとしたら、沖縄戦でのさまざまの悲惨を振り返り、沖縄県の母と子どもたち、未来ある若者たちを犠牲にしてしまったことを、せめてわが命で償わせてほしい、そう思って命を絶つのではないかと思う。
 そういう償いの意味をこめた死であれば、自決することも納得できそうな気がする。
 
  そういう思いで自決した将兵が多かったのではないか。同じ日本人だから、きっとそうだと思うのだ。
 
  それぞれの悲劇があり、そしてそれぞれの償いがあったのではないか。
  そんなことを思うと、涙がぼろぼろ流れた。
 
 
 
 後記
 
  平良さんと新城さんからの、異なる視点のお話を聞くことで、戦争の複雑さを娘たちにも少しだけでも分かってもらえたように思います。
 
  沖縄に行ったおかげで、島唄のCDをかけても娘たちはふつうに聞いています。
  以前は、わが家族は琉球の旋律になじめず、「何よ、この音楽は!?」とばかりに猛反発。島唄のCD演奏はわが家では御法度(ごはっと)だったのです。
 
  自称グルメの下の娘は、沖縄ソバの大ファンになりました。ソーキソバを食べに、来年も沖縄へ行く、と言っています。
 
 
===
 反響
 
 米国ハワイ州ホノルル市にお住まいの読者の方から9月9日に電信をいただきました。
 
≪9月9日号「沖縄戦のそれぞれの悲劇と償い」を、涙をこらえながら読ませていただきました。大きな感動と共感を覚えました。
 
沖縄への家族旅行を単なる観光旅行に終わらせることなく、沖縄の歴史に接する「生きた教育」の場にできましたね。
 
私はハワイに住んでおりますが、ご存知のようにここには沖縄出身の日系人が沢山住んでおります。その方達の同胞としての絆もとても強く、沖縄出身者の大きなコミュニティーが存在しております。
 
私自身は沖縄出身ではありませんが、母が奄美大島出身だった関係で、沖縄にもとても親しみを持っております。
沖縄出身者の多くはとても心優しい、穏やかな素敵な人たちで、やはり島育ちのハワイアンとも一脈通じるものがあります。
そんな訳で、沖縄出身者もハワイでとても自然に、心豊かに生活されているようです。
 
いつも楽しみにしていますので、ますますのご健筆を期待しております。≫
 

 
 北海道北部にお住まいの読者の方から9月9日に電信をいただきました。
 
≪以前に一度だけ商用で沖縄に行きました。日帰りでしたので、観光の時間はなかったのですが、ひめゆりの慰霊塔や平和の礎、平和祈念資料館を案内してもらいました。
今にして思えば、単に案内してもらったというより、「沖縄を知って欲しい」という思いで接していただいたような気がします。
 
小生は北海道に生まれ北海道で育った48歳。祖父母や父母から終戦時のソ連が侵攻、あわや北海道分割という話などを聞いてはいましたが、実際の戦闘といえば敵機来襲による銃撃程度(こんな表現は不謹慎ですが)だったそうです。
 
沖縄の惨劇がその比でないことを、現地に行って肌で感じました。帰ってから、『鉄の暴風』など一連の書物を読みあさり、あらためて恐怖を知った次第です。もっと広く知られても良いことではないでしょうか。
 
「戦争に至るまでの一連の流れ」、「戦争を回避しようとした一連の動き」、「実際に起こった一連の事実」も、学校ではほとんど教えられていないようです。
今回紹介されていた大田少将の電文も多くのことを語ってくれます。
 
そのときそのときを生きた人々のひたむきな思いを子供たちに伝えていければと思います。≫
 
 
 
 ああ、米軍構成員…
  
  
【平成15年9月8日配信】
 昨年に引き続き家族で沖縄へ行った。
 沖縄本島北部に昨年開館した沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館では、ジンベイザメやマンタ(巨大エイ)の勇壮な泳ぎに魅せられ、いくら見ていても飽きることがなかった。
 
 さて、平成15年8月16日朝6時52分ごろ、NHKテレビのニュース。
 那覇編集のローカルのトップニュースは、米軍海兵隊員が街で犯した犯罪の報道だった。
 
 報道は、「詳報モード」だった。
 導入部で概要が述べられ、さらに改めて詳しい内容が語られつつ、画面には3人の米兵の名前と年齢が字幕となって映し出された。
 
 なかなかの大事件のようだ。
 
 やれやれ… と思いながら聞いているうちに、アリスの不思議の国に迷い込んだような気がしてきた。
 
 被害額を「スバリ」当てましょう ■
 
 20代の米軍海兵隊員3名が、駐車してある車からビールやウオッカなどを盗んでいるところを、駆けつけた人たちに取り押さえられ警察に逮捕された、という、まことにおバカな出来事であった。
 さいわい怪我人はなかったようだ。
 
 さて、テレビで報道するくらいである。
 それなりの金額のものを盗んだと思いませんか。
 
 3人で、6………円相当のものを盗もうとしたらしい。
 
 読者の皆さん、金額いかほどの盗みだったか、当ててみてください。
 
 600万円?
 ビール瓶にして2万4千本だ。まさか。
 
 では、60万円でしょうかね。
 ビール瓶2千4百本。うーん、なかなかの力仕事だ。
 
 違うんですよ。
 
 ……え? まさか6万円じゃないでしょ。6万円の盗みをテレビ報道しますかね。
 
 正解を言います。
 6千円です。
 
 報道によれば、ビール瓶20本とウオッカ1瓶など、全部で6千円から7千円相当を盗んだ、という犯罪の由。
 といっても、現行犯でつかまえられたから、実は被害額はゼロである。
 
 究極の米軍広報? ■
 
 このおバカな米兵たちがやったことは確かに悪いことだし、逮捕されるのも当然だが、テレビで仰々しく報道するべき内容だろうか。
 あまりにバランス感覚を失していないだろうか。
 
 米兵1人あたりわずか2千円余りの万引きの失敗をニュースに仕立て上げ、公共の電波に乗せるために、ウン十万円のコストがかかっている。
 
 ため息をついて、
「じつに変な報道だ」
と家内に言ったら、
「沖縄は平和なのよ」
と答える。
 
 確かにこのおバカな万引きがテレビニュースになるとは、何と牧歌的な社会であろうか。
 米兵の事件がたくさんあったら、6千数百円の盗みはニュースにならないだろう。
 
 そうか、分った。
 これって、米軍の広報部とNHKがグルになってニュースにしたんじゃないの?
 米兵は品行方正なので、わずか6千数百円の万引きの失敗でも、テレビニュースになりますよ、とばかりに。
 ……というのは冗談として。
 
 親米は伏流水 ■
 
 外出のときに鍵をかけないことが、今でも珍しくない。
 雨が降れば、お隣さんの洗濯物も取り込んであげる。
 那覇市内を一歩出れば、今でもそんなウチナーンチュ(沖縄人)社会がある。
  
 「弟の家に上がり込んでね、弟が帰るまで弟の子どもたちを風呂に入れてやって、ゴーヤーチャンプルー(苦瓜と豆腐の卵とじ炒め)なんか作って、待っていることもあるよォ」
とタクシーの運転手さんに言われて、つくづく異文化だと思った。
 
 それでも、6千円の万引きをテレビ報道せねばならぬほど、沖縄は「平和」な島ではない。
 沖縄県警のホームページを見ると、昨年(平成14年)1年間の110番受理件数が20万5,765件。
 このうちイタズラ電話などを除いた「有効受理件数」が11万7,067件である。1日平均320件の110番通報だ。
 
 「今朝のニュース報道にはあきれました」
とタクシーの運転手さんに話すと、
「マスコミは米軍関係の事故や事件は大きく報道するけど、いいことは書かないさァ」
「6千円の万引きの失敗がニュース報道なら、バランスから言うと米軍関係の良いことも相当報道しないといけませんね」
「そうですよ。……基地のアメリカ人たちと話してるとね、沖縄の女の子と結婚して沖縄に住みたいっていう人がけっこういるよ。子どもを沖縄で育てたいって。やっぱり沖縄だと安心さァ」。
 
 この運転手さんは、親戚が移民してハワイに10名、シカゴやテキサス州にもいるのだと話してくれた。
 おかげで、米軍基地に入ってタクシー営業するためのステッカーも簡単に取ることができて、数年前までは基地に出入りして米国人を乗せる仕事が多かったのだという。
 
 「米軍構成員」という差別語 ■
 
 6千円窃盗のニュース報道をしたNHKが「反米」というわけではない。
 万引きをしたのがアメリカ人「旅行者」だったら、テレビ報道はしなかったろう。
 
 「反・米軍」とすら言えるかどうか。
 6千円窃盗は、米軍の公務中に起きたものではないし、公権を濫用して起きたものでもない。
 兵士のハメ外しである。
 
 インターネットで米軍人の犯罪について調べると、「米軍構成員」という業界用語があることに気がついた。
 「米軍人と軍属(軍人ではないが軍に所属している、たとえば従軍看護婦・従軍記者など)およびその家族」を称して、米軍構成員というのだ。
 インターネットで犯罪統計を調べると、「米軍人」による犯罪件数統計は少なく、「米軍構成員」の犯罪件数を対象にしたものがほとんどだった。
 
 これはおかしなことではないだろうか。
 
 たとえば「国家公務員による犯罪件数」を統計にとるとして、公務員の家族が犯した犯罪まで統計件数に含めようとするだろうか。
 そんなことをしたら、「江戸時代じゃァあるまいし」と笑われるだろう。
 
 ところが米軍に限っては、家族の犯罪も軍人の犯罪に合算されて、「米軍構成員の犯罪」とされるのである。
 それによって、「米軍の犯罪」件数は倍増する。
 それをひそかに喜ぶ運動家たちがいるのではないか。
 
 コラム子の用語で言うなら、「米軍構成員」はほとんど「バルタン星人」扱いされていると言ってもよい。
 正真正銘の「差別」の世界だ。
 
 6千円分の酒を盗もうとして失敗しても、それがバルタン星人の仕業となれば、テレビニュースになるであろう……。
 そういう感覚でニュースを作っているのではないか、沖縄のマスコミは。
 
 米軍側に多々問題点があるのも事実だが、これに対するマスコミの気分は、陰湿な「いじめ」のノリではないのか。
 
 「当て逃げ」で車のドアガラスが破損 ■
 
 さて、8月16日に戻ろう。
 きらきらした珊瑚礁の海でダイビングを楽しんで、ホテルの部屋に戻って見た正午のNHKニュース。
 那覇発は「米軍トラック当て逃げ」がトップニュースだ。
 
 この同じニュースを午後6時ごろのラジオでも聞いた。美ら海(ちゅらうみ)水族館から恩納村(おんなそん)のホテルへの帰りのタクシーで。
 
 いやはや、つくづく「米軍構成員」ニュースに縁のある1日だった。
 
 「当て逃げ」ニュースが如何なるものか、『琉球新報』8月16日夕刊の記事を引用させていただく。
 
≪米軍トラック当て逃げ  
浦添(うらそえ)署が行方追う
 
16日午前7時半ごろ、浦添市牧港の国道58号線で、左車線を北上していた米軍車両3台のうちのトラック1台が、駐車車両を避けようと右側車線に進入、同車線を走行中の普通自動車に衝突した。米軍車両はそのまま走り去った。≫
 
 これは相当に悪質だ。しかも公務執行中である。ひき逃げに近い重大犯罪ではないか!
 
 ここでまた1つ教訓なのだが、報道というのはあるていど詳細でないと世を惑わすものらしい。
 この報道の続きを読んでいただきたい。
 
≪普通乗用者を運転していた女性(39)にけがはなかった。浦添署が当て逃げ事件として捜査している。
同署によると、衝突後、米軍トラックは約100メートル離れた地点で いったん停車したが、しばらくして走り出し、牧港交差点から右折して伊祖方面に走り去った。
衝突された乗用車は左後部のドアガラスが破損した。≫
 
 バルタン星人報道に自己規制なし ■
 
 米軍車両側が3台もいながら、いやはや稚拙な対応。情けない。
 女性に怪我がなかったのは何よりだ。車体に損傷がなく、左後部のドアガラスだけ破損したというのも不幸中の幸いか…。
 
 あれ?
 「左後部」のドアガラスだけが、なぜ破損したのでしょうね。
 
 対向車線の普通乗用車に米軍車が衝突したのであれば、普通自動車の右側に損傷があるのが道理じゃありませんかね。
 ≪左後部のドアガラス≫というのは、「右後部」の誤植でしょうかね。
 
 コラムを書きながら、この謎にたったいま気がつきました。名探偵コナンになった気分。
 
 さて、琉球新報の8月16日号には、この記事のすぐ下にこんな記事もある。
 
≪住居侵入で米兵を逮捕  沖縄署≫
 
 お! これはたいへんだ。まさか強姦事件じゃないだろうな。
 ま、続きを読んでください。
 
≪16日午前3時半ごろ、沖縄市中央二丁目の2階建て民家屋上に設置された小屋の上に人が寝ていると、110番があった。沖縄署は同日午前5時ごろ、住居侵入の現行犯で、説得に応じて屋根から下りてきた米軍嘉手納基地所属の空軍兵長、アダム・リチャードソン容疑者(27)を逮捕した。≫
 
 夕涼みだろうか? ひょっとしたら精神異常者かもしれない…。
 ……。
 
 読者の皆さん、こういう事件を報道するとき、昨今の日本のマスコミはどう対応しているでしょう。
 精神異常の疑いがあるときは、実名報道をしないことにしているのではなかったか。
 バルタン星人についての報道は、規制の範囲外なのだろう!
 
 報道のたこつぼから脱するには… ■
 
 「米軍構成員」による犯罪は、沖縄だけで起こっているわけではもちろんない。
 沖縄県に次ぐのが、厚木基地のある神奈川県。沖縄県の米軍構成員犯罪発生件数の6割弱。
 これに続くのが岩国基地のある山口県、佐世保基地のある長崎県、三沢基地のある青森県、そして東京都。
 
 これらの地域で「米軍構成員」は「バルタン星人」並みの扱いを受けているのかどうか。
 大学の卒論あたりの格好のテーマになりそうだ。
 
 米国国防省の昨年末の資料によれば、在日米軍部隊は約4万2千人。
 同盟国への駐留人員数としては、ドイツが7万2千人。以下、韓国3万9千人、イタリア1万3千人と続く。
 
 これら他の先進諸国で、米軍は如何に受け入れられ、如何なる待遇を享受し、いかなる問題を起こし、いかなる貢献をしているのであろうか。
 そういうテーマの取材番組があってもよさそうなのだが、見たことがない。
 NHK特集あたりで、在独米軍「構成員」の素顔について報道していただけぬものか。
 
 そういう番組が無いというのは、ひょっとしてテレビ局の番組制作者諸君にとっていささか都合が悪いテーマだからなのではないか。
 「米軍構成員」を特別扱いする一部の人々のメンタリティーが異常であることが明らかになってしまうから、在独米軍を取材する番組が作れないのではないか。
 
 本当の問題を見据える目を ■
 
 外国人犯罪で最も深刻なのは、「米軍構成員」の犯罪ではなく、中国人犯罪のほうだ。
 国籍別で外国人犯罪全体の40%以上が中国人犯罪だ。今年上半期の件数は昨年に比べて42.4%も増えている。
 
 『北國新聞』(金沢市)の9月5日の社説が、
「中国人犯罪増加 犯人引渡し条約を」
と題して論陣を張っている。
 
≪国外逃亡した容疑者の引き渡しは国際的な取り決めがなく、各国が2国間条約を結ぶ形を取る。日本が締結しているのは 米国(1980年)と 韓国(2002年)との間だけだが、現状を見れば日中間にこそ必要なのは明らかだ。≫
 
 福岡の一家4人殺しは、おそらく何かの裏取引の約束破りへの制裁だったのだろうが、その雇われ殺人犯(?)は本国の中国へ逃げたらしい。
 これを引き渡すかどうかが「外交交渉次第」だ、などと北京政府に言われては、中国への国民感情が悪化してしまう。
 
 両国政府が悪を峻厳(しゅんげん)に取り締まれる環境を作ることこそ、善なる中国人が望んでいることのはずだ。
 
≪事実、さまざまな「被害」を受け、アルバイトやアパート探しでいやな思いをしているまじめな中国人留学生の声が聞こえ始めている。いわれのない不信や差別感を生まないようにしなければならない。≫
 
 「米軍構成員」の犯罪は、善処を申し入れる先(米軍当局)が存在する。また、上述のように1980年以来日米間には犯人引渡し条約もある。
 
 NHKをはじめとするマスコミが、世の中に青臭く立ち向かいたいのであれば、その対象は「米軍構成員の犯罪」ではなく、中国人犯罪であるべきだ。
 そしてその過程で、「いわれのない不信や差別感を生まない」報道の仕方を、徹底的に考えるべきだ。
 
 ところで、ふと思ったのだが、犯人引渡し条約が大陸中国との間で締結されたら、コラム子など「中国共産党を侮辱した」かどで引渡し要求の対象になってしまうかもしれませんな。
 
=== 
 反響
 
 愛知県豊橋市にお住まいの読者の方から9月10日に電信をいただきました。
 
≪9月8日号のコラムを読んで、沖縄旅行の折に入った空港や街の食堂で(2ヶ所だけでしたが)色紙が張ってあったのを思い出しました。
 
筑紫哲也氏の 「正義」 と書かれた色紙。
 
何でまた? と思ったら、以前彼は定期的に沖縄を訪ねて来ていたんだそうです。
そして、有名人ですから色紙を書くんですね。
県庁の役人にも筑紫信者が多いとも聞きました。
  
沖縄本島ではあまり気が休まる思いがありませんが、石垣島はいいですね。
いいコラムでした。≫
 
<コラム子から一言>
 筑紫哲也さんは、返還前の沖縄で、朝日新聞の那覇特派員だったことがありますね。
  

 
東京都港区にお住まいの読者の方から9月14日に電信をいただきました。
 
≪私は高校3年のときに、まだ身分証明書が必要な時代の沖縄へ友人と二人で旅行しました。
日本人には珍しい、アメリカ風生活を垣間見て、内地では食べられないコクのあるアイスクリームや分厚いステーキなどを賞味。脱脂粉乳の世代にはとてもうらやましく思える体験でした。
  
その後も返還後の沖縄を数回訪問しましたが、最後は3年ほど前の家族旅行。改めて「守礼の門」など、いわゆる典型的観光地を訪問しました。
またレンタカーを借り、近郊をドライブしました。
 
そして、思った事がふたつあります。
  
一つは、沖縄は歴史的に本当は日本に属するのではなく、独立国ではなかったかという事です。
もちろん台湾にも中国にも属するのではなく、琉球という一つの国であったのを、地政的な情勢と、中国との当時の軍事力の関係で、ずるずると日本に従属しそのまま事実上日本に組み入れられてしまった、という事ではないかと思います。
 
中国に属するより、相対的に日本に組み入れられたほうが良かった、さらにいえば独立国でいるより、日本に属していた方が経済的に豊かな結果になったのかもしれませんが、独立を保っていたらそれなりの行き方があり、そのほうが琉球の人々にとって幸せな事になっていたかもしれません。
 
「たら、れば」は歴史にはありませんが、ひょっとすると世界大戦に巻き込まれず、米軍の上陸もなく、当然現在のような沖縄ではなかった事でしょう。
 
◎ 米軍の占有する空間 ◎
 
もう一つは、沖縄は現状において防衛上の要と位置付けられていますが、それでも果たして米軍が専有しているような大規模な軍用地が必要なのかという事です。
 
ドライブすると、至るところが基地で、これでは開発もままならず、ひさしを貸して母屋を取られるというような、情けない気持ちにいつもさせられるのではないでしょうか。
 
この辺はもっと日本政府も交渉をして、誰が主権者であるのかが形となって表わされ、そしてそれが沖縄人自身の誇りに結びつくような、そういう配慮が必要なのではないかと思います。
 
あれほど非難されても、米兵の性的犯罪やその他の犯罪が無くならない。
恐らく彼らの心の奥底に「俺たちが日本を守ってやっているのだ」と思っている部分があることも理由でしょう。
 
そして残念ながら彼らの性的欲望を助長させるような、恥ずかしい行動を取る女性がいるのも事実で、少々情けなくなりますが。
(景気の良いアメリカで今どき兵隊になるなどという若者のレベルを想像も出来ず、外人と付き合うのがかっこいいと信じて群がる女性が少なからずいて、粗暴な若者が自制心を忘れるような結果を招いている部分もあると思います。)
  
◎ マスコミの課題 ◎
 
もちろん、だからといって、マスコミの偏ったというかバランスと常識を欠く報道にも問題はあり、いたずらに些細な犯罪を取り上げ、殊更に針小膨大に米軍構成員の犯罪を取り上げ、煽り立てるのは問題がありますが、マスコミの馬鹿さ加減は残念ながら今に始まった事ではないので、あまり皆さんが興味を持って読んでいるとも思えず、かえって問題を風化させてしまうのではないかと思ってしまいますが。
 
私の上記のような推測が正しいかはどうかは別として、なぜこのような犯罪が再発するのか、真の原因を掘り下げた報道がもっとあっても良いのではないでしょうか。
 
たとえば米国の国務省と国防省の、犯罪再発防止に関する考え方はちゃんと整合がとれているのか、それとも軍のほうが権益を守ることに執心していて、実は本気で取り組んでいないのではないか、等などです。
 
私は、沖縄に関してはかなり米軍の「唯我独尊」意識が働いていると思います。
  
今回の私の見解は泉さんのお考えとは多少異なるかと思いますが、泉さんも米兵犯罪、とりわけ少女に対する性犯罪などを容認されているわけではないと思いますので、考えを申し上げました。≫
 
<コラム子から一言>
 
 琉球語の語彙は、古典日本語を今日に伝えてくれています。沖縄は、数ある日本のルーツそのものです。
 
 その前提であえて言えば、沖縄は、ヨーロッパの感覚で言えば今日でもまさに一国をなすべきところだと思います。
 立派な国家機構を備えて、国際貿易に生きた「琉球王国」の歴史もありますし。
  
 ヨーロッパでいえば、エストニアやラトビア、リトアニアのように、あるいはアイスランドのように、生きることができるかもしれません。
 
 そうするにはあまりに美しすぎ、あまりにみごとな位置にあったことが災いだったでしょうか。
 たとえれば、沖縄は「砂浜の美少女」ですから。
 
 沖縄が独立したとき、その安全保障をどう確保するのか。
 
 琉球政府は、琉米安保条約と琉日安保条約を結ぶのか。
 はたまた、まさかとは思いますが、琉華安保条約を結ぶのか。
 
 いずれにせよ、今日の沖縄ほどに同盟国へ軍用地を貸与することが、必要の域を超えているというのは同感です。
 
 人間の本性として、一定の比率で犯罪が起こることは避けられないことだと思います。
 沖縄の米軍「構成員」の犯罪比率・犯罪内容がいかほどに異常なのか、客観的な国際比較報道があればありがたい、というのが前号の趣旨でした。