昭和という時代の圧倒的スケール



  昭和天皇のせつせつとした終戦の詔書(平成13年8月15日)

8月15日が近づくと、昭和天皇の玉音放送の一節を流すテレビ番組に必ず遭遇する。あの「終戦の詔書しょうしょ」である。

  昭和天皇は、あの訥々
とつとつとした口調で語りかける。

「わたしは、世界の大きな流れとわが国の現状のことを深く考えた末、事態の打開には非常手段によるしかないと思い、忠実で良識ある国民の皆さんにお伝えしたい。」

「時代の荒波のなかで、耐え難いことにも耐え、忍び難いことも忍んで、これからさき長い長い未来のために、和平を求め平和を切り開きたいと思う。」

  現代のテレビ放送で引用されるのは、たいていこの2つの部分だ。
  実際の詔書は、当然ながらもっと長く、実に多くの事柄を語っている。

■ 「はらわたが引き裂かれそうになる」 ■

  「昭和天皇は、いちども国民に対して謝っていない」という類の非難を、いまだに目にすることがある。そのたびにコラム子は、論者の無教養をわらってしまう。

  昭和天皇は、終戦の詔書で国民に向けて深甚なる謝罪をしておられる。
  これほどの深い謝罪をした為政者は、空前絶後ではないか。

「わが国の国民でありながら、戦場で亡くなったり、職場で殉職したり、敵の攻撃に巻き込まれて犠牲となった人々 および その遺された遺族の皆さんに想いを致すとき、わたしは、はらわたが引き裂かれそうになる。」

「そして、戦争で負傷したり、戦災により財産を失ったりして、仕事をするすべを無くしてしまった人々の生活のことも、わたしは非常に心配で思い悩んでいる。」

  大失政をおかした為政者は世に多いが、「はらわたが引き裂かれそうになる」とまで言って国民に対して謝った例があるだろうか。
  読者の皆さんの記憶に浮かぶ、自民党の政治家や、野党の政治評論家たちも数しれぬ失政をおかしてきたが、その口から、「はらわたが引き裂かれそうになる」とまで深甚なる言葉が出て来たためしがあっただろうか。

  詔書の文言がかくもなまなましいのは、御前会議での昭和天皇のお言葉をもとに起草されたからだ。一介の書記官が詔書の草稿を書きつつ勝手に皇帝のはらわたを引き裂いてしまうことなど、できるわけがないではないか。
  昭和天皇はほんとうに「はらわたが引き裂かれそうになる」と御前会議でおっしゃったのだと思う。

■ 国民の教養がついていけないことの悲劇 ■

  失礼ながら、ここまで読まれて、「あれ?  はらわたが引き裂かれそうだ、なんて、そんな表現があったかな?」と首をかしげておられる読者の方もおられるかもしれない。
  詔書は、あまりに格調の高い漢文調が邪魔をして、国民によく理解されていないところがある。

  本日号では、一連の引用をあえて現代語訳して掲げた。

  詔書の原文では、「はらわたが引き裂かれそうになる」というところは「五内
ゴダイタメニ裂ク」という表現になっている。
  「五内」とは、「心臓、腎臓、肺、肝臓、脾臓の5つの臓器」のこと。
  皇帝が国民に対して肉声でもって「内臓が引き裂かれるほどだ」と言われるのである。これ以上の謝罪の言葉があれば、どうか示してほしい。

  「仕事をするすべを無くしてしまった人々の生活のことも、わたしは非常に心配で思い悩んでいる」というところは、「家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ、朕ノ深ク軫念
シンネンスル所ナリ」。
  「軫念」というのも 大変難しい語句だ。この「軫」 は「曲がりくねっている」という意味。「軫念」で「心があちらへ行き、こちらへ行くほど思い乱れ心配する」という意味になる。

  朝鮮人(韓国人)や台湾人は、当時は日本国民であったから、昭和天皇の深い謝罪は朝鮮人・台湾人にも向けられていた。

■ 近隣友好国への思い ■

  では、その他近隣諸国に対して詔書はどう言っているか。

  これまた知らない人があまりに多いのだが、実は昭和天皇は「力及ばず申し訳ない」と謝っておられるのだ。

「わたしは、わが国とともに東アジアの欧米植民地解放のために協力してくれた同盟国の国々に対して、残念であり申し訳ないという気持ちをぜひとも伝えたい。」

  タイ王国や 満洲帝国、中華民国(汪兆銘政権) などが、この「同盟国の国々」に当たる。
  「日本側に加担した」という苛烈な糾弾が、諸国の為政者とその国民に降りかかってくるのだ。「親日派」のあぶり出しのために、凄惨
せいさんな拷問を受ける人も出て来よう。しかし、条件付きではあれ連合国に降伏する日本に、もはやこれら同盟国を助ける道はないのだ。
  それが「遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」の意味である。
(注。原文は濁点を使わぬ書式となっている。)

■ では同盟国以外の国々へは? ■

  敵国である連合国に対しては謝っていない。

  当たり前である。

  つい先ほどまで、それぞれに大義をかけて戦ってきた相手に、いきなり謝罪すること以上の軽佻浮薄
けいちょうふはくがあろうか。
  わが国と同様、敵国諸国もまた数多くの罪を犯している。しかも降伏のための具体的な条件交渉はこれからだ。この敵国に対して、終戦の詔書でもって謝罪するはずがないではないか。

  終戦が遅れた原因が、「国体が護持されるか」の確認に時間をかけたためだということが、いまだに天皇制への非難のポイントとなっている。
  これまたコラム子に言わせれば無教養のなせる業である。

  「国体が護持される」とは「植民地にならずにすむ」ということなのだ。  当時のアジアは欧米植民地で満ち満ちていたことを思い返してほしい。大戦開戦前のフィリピンやインドネシアのような、欧米諸国支配の植民地へと日本が転落することを、為政者は真剣に心配したのだ。
  「植民地にされることはなく、究極的に独立国としては維持される」のかどうか、連合国側の意図の確認に時間をかけざるをえなかった。

  日本国を誤らせた近衛文麿以降の一連の「軍事社会主義」政権は、親ソ気分に浮かれて、最後まで ソ連 を通じての和平を追求して、貴重な時間を浪費した。
  糾弾されるべきは、親ソ・親露のあやまちの方ではなかろうか。

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■後記■
 
  米国から戻って、兵庫県へ出張しました。帰りの新幹線で、廊下をはさんだ隣の3人席がさわがしい。
  ちょうど小学1、2年生くらいの男の子が、席を立ったり坐ったり、はては携帯電話の着信メロディーのメドレーを披露しはじめました。
  母親は、疲れがたまったのか目がとろんとしていて、子どもの活発ぶりを放任しています。

  これは一言注意してやらねば、と思って耳をすますと、子どもが中国語をしゃべっていました。北京語ではなくて、広東語でした。

「香港から来られたのですか?」と北京語で話しかけました。
「いいえ」と母親が答えます。
「あれ? それじゃ、ひょっとして台湾から?」
「広州から来ました。夫が岡山にいましてね」
「広州ですか。私も何度も行きましたよ。いい町ですね」
「日本にはいつ移住してきたんですか?」
「いや、私は日本人ですよ」
「あら、中国人かと思ったわ」

  そんな会話をした後、男の子に北京語で話しかけました。
「坊や、学校ではいい子にしてるだろ?  学校にいるときみたいに、いい子にしてようね」
  そう言うと、男の子は目をくりくりさせながら、姿勢を正しました。
「そうそう、いい子だね。まるで大人みたいになったよ。中国人としての誇りを守らなきゃね」
  わたしがにっこり笑うと、男の子もにっこり笑いました。

  新大阪駅で広州の家族はひかり号を下りました。関空から広州へ飛ぶのでしょう。
「さきほどはどうも」と母親。
「一路平安!  再見!」と答えると、男の子も「再見!」と手を振ります。廊下を歩きながら、男の子は2回もわたしを振返って手を振ってくれました。