対談 「独立国家とコモン・センス」
 
 

 平成16年10月29日にタイ・バンコクのプラザ・アテネホテルで[国際派日本人養成講座」の伊勢雅臣さんと、常識の恢復かいふくについて対談をさせていただいた。
 
 伊勢雅臣さんのメールマガジンこそ、わたし自身がコラムを配信しはじめるきっかけを作ってくれた、偉大なるお手本だ。
 その憧れのメールマガジンの平成16年11月7日号に掲載された対談録を、転載させていただく。伊勢雅臣さんがまとめられたものだ。

 伊勢さんがつけたタイトルは、

独立国家とコモン・センス
「国際派時事コラム」泉幸男氏との対話

福沢諭吉曰く
「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」

 
【平成16年11月7月・国際派日本人養成講座配信】
 
 
  バンコクのタイ料理レストランにて
 
 「私は学生の頃、朝日新聞の記者になりたかったのです。」と思いもかけない言葉から、泉さんは話を始めた。
 
 所はバンコク中心街の高級ホテルにある静かで気品あるタイ料理レストラン。日が暮れて大きなガラス窓の外にはしゃれた小庭園の向こうに高層ビルの窓明かりが見える。
 前に座る泉さんは、見るからに折り目正しい日本のエリート商社マンという趣き。
 一瞬、赤坂あたりにいるような錯覚にとらわれる。しかし、その泉氏がタイ人のウェイターにタイ語でなにやら注文する光景が、そんな錯覚を吹き飛ばす。
 
 泉幸男さんはメールマガジン「国際派時事コラム・商社マンに技あり!」の著者である。最近はバンコクに長期出張しておられるというので、私がタイに立ち寄ったのを機に、初めてお会いした次第である。
 
 国際常識豊かなコラムを書く泉さんから、まさか「朝日新聞の記者になりたかった」などという言葉を聞くとは予想だにしていなかった。
 「国際非常識」を振りまく朝日新聞は、某実話系夕刊紙と同様、国際派ビジネスマンたる者が人前で手にすべき新聞ではない、というのが私の偏見だからである。
 
 
泉: 
学校時代は、毎日1時間半ほども、朝日新聞を読んでいました。名コラムニストの深代惇郎(ふかしろ・じゅんろう)さんや、ユニークな国際派記者の石弘之(いし・ひろゆき)さんが朝日の紙上で活躍していたころですよ。
 
大学は法学部で、卒業を前に朝日新聞社の入社試験を受けましたが、いま思えば幸いにも選に漏れました。
就職先もないのに、留年だけは絶対するなと親が言うので、教養学科に学士入学で入り直したんです。

 
 
 泉さんは卒業論文をロシア語で書かれたという。そのほか、エスペラントをマスターして、小学館の百科事典の「エスペラント」の項目も執筆。さらに商社マンとして中国語やタイ語まで駆使するようになる。
 国際派ビジネスマンとはこういう人のことを言うのだろう。そんな人が、なぜ「朝日」を?
 
  「朝日的な常識」の非常識
 
 商社に入っても朝日ファンだった。3年間北京に駐在し、帰国した翌年の平成2年、読むに堪えない天声人語が何度も続いて、百年の恋が冷めた。
 
 
泉:
朝日新聞は、国が溶ろけていくのは良いことだと教えていますが、その朝日が崇(あが)める中国では、逆に、国の枠組みを確立しようと一生懸命です。せっかく中国さまが教えてくれていることが、朝日には理解できないらしい。
 
 
 こういうワサビの効いた物言いは「国際派時事コラム」の語り口そのままである。
 
 その後、泉さんは『アジアン・ウォールストリート・ジャーナル』で、国家のあり方を論じた骨太の論説の数々を読んで、ものの見方に自信をもったという。
 
 
伊勢: 
やはり外国でしばらく暮らすと、日本の中の「朝日的な常識」が、実は非常に国際常識からはずれたものである、という事がよく分かるのではないでしょうか。
 
私も4年間、カリフォルニアで暮らして、外から母国を見ると、日本というのは一種の温室で、その中でしか通用しない非常識がずいぶんあるように思いました。
ですから、外国に出て、異なる常識に身を浸してみるのが一番の特効薬だと思っています。
 
たとえば、日教組で「朝日的」教育をしている先生がたも、1〜2年海外留学でもさせればすぐに、自分たちが教えてきたことがいかに非常識だったか、実感できるでしょう。
 
泉:
そうですね。典型的朝日記者も、中国の僻地でしばらく社会部記者をやれば、よく分かってくれるでしょう。
 
  学校が教えない常識
 
泉: 
私にも娘がいますが、学校って「国とは何か」というベーシックなことを教える仕組みには出来ていないのですよ。
せいぜい、「古代国家ができるとともに、人々は税金をとられて搾取されるようになりました」というレッスン。
 
「国」という面倒な仕組みを、なぜわざわざ作ろうとしたのか、という肝心なところが教えられない。
 
ある時代には常識だったことも、一世代経つと、親の世代の常識が失われる。子供の世代は、昔の出来事を判断する座標軸をもたぬまま、下手をすると巧妙な宣伝に騙(だま)されてしまう。

 
伊勢: 
朝日新聞などがふりまいた自虐史観は、その代表的なものでしょう。
まさしく、日本と世界の常識が一番ずれているのが、「国家とは何のためにあるのか」という点ですね。
 
戦後は、朝日新聞のように「国家は <悪> なのだから、溶ろけていくのが一番良い」という意見が罷(まか)り通ってきました。

 
泉:  
国家というのは、広く人々が受け入れる常識を確立して、非常識がのさばらないようにする仕組みを作るためにあると思うのですよ。
 
 
 最後の一節は深い含蓄を含んでいて、こういう事をサラリと言う所に泉氏の持ち味があるのだが、この点は後で立ち戻って考えよう。
 
  「良き農村の感覚」
 
泉:  
たとえば、日本の一部の政治家は、日本の良き農村の感覚を外交に持ち込み、全ての経緯を脇に置いて「ごめんなさい」と言えば万事が終わると思っていました。
 
私はこういう人を「悪辣(あくらつ)」ならぬ「善辣(ぜんらつ)なる人々」と呼んでいます。
 
謝罪が「終わり」ではなく、苦しみのはじまりだということを知らなかった訳ですね。そして、「日本式の善辣なる常識」を相手に押しつけようした報いがずしりと来た。
 
外交の世界の常識の線は、やはり英米の流儀でしょう。つまり、情報収集・分析を他人まかせにせず、歴史的経緯を絶対おろそかにしないことですよね。

 
 
 このあたりは、商社マンとしての体験がにじんでいるな、と思いつつ、うかがっていた。
 政治家は謝罪して、国庫から金を払っても業績になるが、国際ビジネスの常識はそうではない。
 
 
伊勢: 
そういう点では、「相手を信頼する」「謝れば水に流す」という日本人の「良き農村の感覚」は、実は世界の常識から数世紀進んでしまっているから「非常識」なのではないか、と思います。
 
江戸時代に立派な温室社会ができて、その中でお互いに信頼し、安心して生きていける、そんな暮らしを数世紀続けてきたからでしょう。
 
現在の国際社会はそこまで進んでいないので、お互いを不信の目で見る所から始めなければなりません。
そういう国際社会に日本人が慣れていかなければならない、ということに、一抹の寂(さび)しさも感じます。
 
田舎から出てきた人の良い青年が、「良き農村の感覚」を棚上げして、騙(だま)し騙されの大都会に身を投じなければならない、というのと同じです。
 
日本人は国家に対しても、実は内心の深い所では信頼をしている。だから国家に甘えて、国に守られつつ、国が溶けていく方が良い、などと虫の良いことを言っていられるのでしょう。

 
泉:  
中国は社会主義国を看板にしていますから、所得再分配はしっかりやっているのだろうと思っていたら、そうではない。
ニューヨーク・タイムズ紙で中国・安徽(あんき)省の農村ルポを読んだら、貧しい農村へ中央政府からの補助金はゼロ。村役場維持のために、極貧の農民からも容赦なく税金が徴収されると言う。
驚きでした。

 
伊勢: 
昔の中国の地方の役人には、給料がでなかったと言います。自分でその土地から税金や賄賂を巻き上げて、収入としていたわけです。
 
中国では、税金はまさしく国家による人民の搾取・収奪だった。だから中国人は内心では国家を信じていない。平気で国を捨てて、外国に出て行くという、一種の「国際感覚」もそこから来ています。
日本人の「良き農村の感覚」とはまったく違います。

 
  福沢諭吉の闘い
 
泉:  
福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、世の中の常識を説いた書物として、130 年後の今日でも十分味読(みどく)に耐えるものですが、明治5年に刊行が始まってからしばらくは、当時のマスコミに相当叩かれました。
 
明治7年になると、脅迫状まで舞い込み、身辺も危ないほどだったと福沢諭吉自身が書いています。
 
そのような世間の反発に対して、福沢諭吉はひるむことなく手をかえ品をかえて持論を説明する。
そういう努力のすえに、『学問のすゝめ』が新しい世の中の常識として定着するのですね。

 
伊勢: 
そうでしたか。『学問のすゝめ』は、明治のベストセラーとして即座に朝野(ちょうや)に歓迎された、とばかり思っていました。
 
そう言われてみると、長い平和な江戸時代を経て、弱肉強食の国際社会に直面した明治初期と、戦後の冷戦下、アメリカの庇護(ひご)の下で平穏な温室時代を過ごした後で、久しぶりに国際政治の荒海に漕ぎ出した現代日本とは、構造的に良く似ていますね。

 
  共同体とコモン・センス
 
 「常識」というテーマから、いきなり『学問のすゝめ』を持ち出してきたのは「国際派時事コラム」でおなじみの、読者の意表をつく泉さん一流の語り口だ。
 
 当然そこには巧妙な伏線が敷かれている。まず「常識」という言葉から考えてみよう。
 
 よく「そんなことは誰でも知っている常識だよ」などと言うが、この場合の「常識」とは「誰でも持っている知識」というほどの意味である。 
 一方、「常識」にあたる英語は「コモン・センス (Common Sense)」である。
 
 「コモン」とは、「社会に共有された」という意味であり、「センス」は感覚、ひいては考え方や価値観までも含む。
 したがって「コモン・センス」とは、その社会で共有された感じ方、価値観であり、「良き農村の感覚」とは、まさしく農村社会のコモン・センスなのである。
 
 コモン・センスは、一つの共同体社会がその歴史を通じて、育ててきたものである。その共同体社会の文化、伝統、慣習を、一人一人の心の中で支えているのが、コモン・センスだと言ってよい。
 そしてコモン・センスを共有することで、人々は同胞意識で結ばれ、それが共同体の統合を内から支える。
 
 「国家というのは、広く人々が受け入れる常識を確立して、非常識がのさばらないようにする仕組みを作るためにあると思うのですよ」
と、泉さんが言ったのは、こういう意味だと私は受けとめた。
 
 親の世代のコモン・センスを子供の世代に伝えていくというのが教育の役割であり、またコモン・センスを磨いたり、新しい時代環境に適合させていくのが、学問の役割である。
 
 いずれにしろ、健全なコモン・センスを維持し発展させるには、絶えざる意識的努力がいるのである。福沢諭吉の『学問のすゝめ』も、そのための努力であったと言える。
 
  福沢諭吉の危機感
 
 『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との冒頭の一節から、人間平等を謳(うた)ったものと思いこんでいる人が多いが、すぐに次のような一節に続く。
 
≪人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。≫ (一編)
 
 ここから『学問のすゝめ』となるわけだが、こう諭吉が説く背景には国際政治上の危機感があった。
 
 当時の国際社会は「学問を勤めて物事をよく知る」西洋諸国が、「無学なる」アジア・アフリカ諸国を植民地支配していたからである。
 
≪我(わが)日本国中も今より学問に志し、気力を慥(たしか)にして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。≫ (三編)
 
 福沢の勧める学問とは、このように一身の独立から一国の富強をもたらし、国際社会においては道義ある振るまいをなさしめるものであった。
 
 「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」
 
 諭吉は
≪国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能わず≫
と言う。
 
 このあたりは、世界有数の経済力と技術力を持ちながら、国際政治では存在感の薄い現在の日本に見事に当てはまる。
 
 そして、その理由の第一にあげるのが、≪独立の気力なき者は、国を思うこと深切(しんせつ)ならず≫である。
 独立の気力のない国民は、他国に従属しても自分の暮らし向きさえ安泰なら、それで良いとする。そういう人間は、自国が植民地化されても気にしない。

 しかし、一国が独立してやっていく、というのはどういうことか。
 それは経済的自立ばかりではない。自分たちの考え方・価値観で自ら国家を運営していく、ということだろう。
 言い換えれば、国民が自分たちのコモン・センスに従って行動していくということだ。それが国民主権ということでもある。
 
 たとえば、中国が小泉首相の靖国参拝を批判するのは、「死者に鞭(むち)打つ」のを憚(はばか)らない中国固有のコモン・センスの表れである。
 それは「死者の罪を赦(ゆる)し、恨(うら)みも水に流す」という我が国のコモン・センスを踏みにじるばかりでなく、内政干渉という形をとることで国際外交の常識すら逸脱している。
 
 こんな他国流のコモン・センスに従属することこそ、独立の一部を失うことに他ならない。
 
 そう言えば、タイはアジアで独立を維持した数少ない国の一つだが、それを成し遂げたのが「国を思うこと深切」なる多くの愛国者たちであった。
 
 タイこそ諭吉の言葉に似つかわしい国である。
 泉氏の用意してくれた車で空港に向う途中、バンコクの賑(にぎ)わしい夜景を眺めつつ、そんなことを思った。
 (文責:伊勢雅臣)
 
 
 泉 幸男のあとがき (平成17年1月1日配信から)
 
 伊勢雅臣さん。
 温厚にして、飄々(ひょうひょう)。
 
  本業は、電気機材メーカーのサラリーマン。勝手ながら、師匠と仰がせていただいております。
  インターネット時代の「発信するサラリーマン」の原点みたいな人です。
 
 毎週日曜、歴史コラムで「日本人の生き方」について熱く語ってくれる。
 「国際派日本人養成講座」というネーミングがいい。自分の国のことをしみじみ知ってこそ、「国際派」だ。
 「国際派時事コラム」という私の配信誌名に、3文字だけいた
だきました。
  
  
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 タイの愛国者列伝は、こちらです↓。
 
a. JOG(063) 日泰友好小史(上)
  日本と同盟したタイ
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog063.html
 
b. JOG(064) 日泰友好小史(下)
  終戦後の日本を支援してくれたタイ
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog064.html