靖國神社を考える 
 
 
 
海行きて美都久みつくかばね山行て草牟須むす屍 言挙ことあげせよ今   寺尾節子(東京)
 
国力の上り坂対下り坂見透かされをり靖国問題   
青山武美(岐阜)
 
進駐軍の靖国神社を燒く説に NO と応じしビッテル神父   
藤沢宗一郎(長野)
       
以上、日経歌壇 平成13年9月2日 岡井 隆 選 より

 
目次
 
 もののけ姫と小泉首相参拝
 (平成13年9月8日)
「8月15日には参拝しなかった」 ― 近隣諸国こそ望むべき8月15日参拝 ― いっそう宗教色を強めた「13日参拝」 ― 不思議に誰も反対しない、ある国営宗教施設 ― 怨念と祟たたりの世界を忘れた半西洋人のわれわれ ― 偶像崇拝的な神格化とは異なる神社の祀まつ ― 8月15日に代る日は? ― 約束の日 ― 後記 ― 反響
 
 もののけ姫と小泉首相参拝 (平成13年9月8日)
 「産業殉職者合祀慰霊式」という行事が、厚生労働省所轄の「労働福祉事業団」主催で、毎年9月に多摩の「高尾みころも霊堂」で挙行される。
 現在191,787名の殉職者の御霊
みたまがこの霊堂に合祀されている。
 
 合祀慰霊式は、5年に1度は皇太子ご夫妻もご臨席になる。
 平成9年にご臨席いただいたときの式次第を見ると、首相(代理)と両院議長も出席、君が代斉唱、霊位奉安…。
 驚いたことに、あの
社会民主党と日本共産党の代表も出席し献花している。(公明党は欠席。)
 
 慰霊式で、公人たる出席者たちは、合掌することを許されないであろうか?
 合掌は仏式ゆえ不可とて、「一礼」で済ませるであろうか?
 
■ 「8月15日には参拝しなかった」 ■
 
 一休さんのとんち話で、日本人ならおそらく誰もが知っている話に、こんなのがある。
 「はしをわたるな」という立て札を橋のたもとに立てられてしまった一休さん。熟慮の末に、けっきょく橋を渡る。
 
 「こら! はしをわたるな、と書いてあるだろうが!」
と言われて、
 「だから、ちゃんと、端ではなくて真ん中を渡りましたよ」。
 
 小泉総理の8月13日の参拝で、このとんち話を思い出してしまった。
 家内に、「一休さんみたいだね」と言ったら、「そうね」と答えが返った。
 
 最後までお読みいただくと分かるが、 日本人の立場からすれば 「8月15日」参拝にこだわる必要はないというのがコラム子の立場だ。
 
 また、どんな思想や信仰をもった人でも就任しうる「首相」という地位に、靖国神社での慰霊という役目を「制度」として負わせるのも無理ではないかと思う。
 
 ただ、8月15日に或る首相が公式参拝すると言うなら、それはそれで大いに結構なことだ。
 日本文明を十分理解していない他国・
自国の政治家からの干渉に屈するという政治的行為が余分だった。
 
■ 近隣諸国こそ望むべき8月15日参拝 ■
 
 結果として 首相参拝は、盆の13日に先祖の霊を迎えるために 苧殻
おがらなどを門辺で燃やす、あの「迎え火」の日に合わせて行われることとなった。
 
 霊迎
たまむかえの日である。
 それでよかったとも言える。
 
 宿命とあきらめ切れぬ霊迎     大間知山子
 
 8月15日であれば、「終戦の詔書の日」である。
 
 さまざまの無念の思いを残して戦場にたおれた戦士たちの霊に、「
忍びがたいことも忍び、一時の屈辱にも耐えて、長きにわたる平和と繁栄を築こう」という詔書の意味を確認し、再び戦争の災禍が起きることのないようにするにはどうすればよいのか、英知を与えたまえと祈る日となったろう。
 
 そして、昭和天皇が「
国民の苦しみを思うと、はらわたが引きちぎれそうになる」と謝罪された詔書をもって、戦士たちの霊よ鎮しずまりたまえ、わが国と世界を平和へと導きたまえ、と祈る日となったろう。
 
 だから本来、近隣諸国こそ、「日本の天皇、首相を始めとする三権の長は、しかるべく靖国神社に8月15日に参拝すべし。そして、戦争の犠牲者とともに終戦の詔書の意味を深く反芻
はんすうすべし。さすれば、二度と外国に侵攻しようという考えは 起きないであろう」 と言うべきところなのではないか。
 
 ところが、実際はその逆なのである。
 
近隣諸国の政治家諸君は、救いようのないほど愚かである。
 
■ いっそう宗教色を強めた「13日参拝」 ■

 
 「8月15日なら絶対ダメで、13日なら可」という理由を、近隣非友好諸国やその
代理人を演じた日本国籍者たちは論理的に説明できるだろうか。
 
 15日「終戦の詔書の日」の参拝であれば、「終戦の詔書という、国民および近隣同盟国への謝罪をこめた 平和の誓いを、 戦士たちの霊とともに確認する」政治的行為となりえた。
 
 ところが、
13日の霊迎たまむかえの日に参拝したがために、首相の参拝は、宗教的行為の性格をいっそう色濃く帯びることとなった。
   
 自ら宗教政党である後ろめたさゆえに政教分離を声高に唱える公明党こそ、霊迎の日に合わせた宗教的参拝には絶対反対すべきところではないのか。
 
 ところが、実際はその逆なのである。
 
 小泉総理が参拝の折に お祓
はらいを受けたことを、 さも大事おおごとであるかのように報道したメディアもあった。
 民主党の鳩山由紀夫氏も、この件で首相を批判していた。
 
 鳩山さんも、どこかの公共事業の地鎮祭に 公人として出席することが あろう。
 地鎮祭のお祓いのとき、神主さんによっては地鎮祭出席者に向かって御幣
ごへいを振るときもあるのだが、さて、鳩山さんは、御幣から出る「お祓はらい光線」に射られぬよう、椅子の陰か何かにさっと隠れるのだろうか。
  
■ 不思議に誰も反対しない、ある国営宗教施設 ■
 
 自衛隊を始め、警察、消防などの、公職に殉じる人々のために、我が国では実に多くの慰霊式が公によってとりおこなわれ、さまざまの慰霊の施設が設けられている。
 
 Yahoo! で「慰霊」を キーワードに検索してみると、日本人が決して忘恩の民族ではないことを確認できて、ほっとさせられる。
 
 そんななかで、「
産業殉職者合祀慰霊式」という国の行事が毎年9月に行われていることを、恥ずかしながら初めて知った。
 主催は厚生労働省の特殊法人、労働福祉事業団。
 
 この事業団、なんと「
高尾みころも霊堂」という施設まで作ってしまった。そこには神道の神殿、仏教の仏壇、キリスト教の祭壇まである。
 
(それにしても、国の機関がここまでやっても、「宗教活動」とは言えないのだろうか! コラム子はこの霊堂の趣旨に賛同するが、常日ごろ憲法第20条を気まぐれに振りかざす公明党や社民党・共産党の見解が聞きたい。)
   
 この霊園の設立趣旨を引用させていただく。
  
≪高尾みころも霊堂は、産業災害により殉職されたかたがたの尊い御霊
みたまをお慰めするため、労働福祉事業団が、昭和47年6月に労災保険法施行20周年を記念して建立したものです。≫
  
≪開堂以来、毎年秋に各都道府県の遺族代表をはじめ政財界、労働団体の代表等をお招きし、産業殉職者合祀慰霊式を挙行するほか、多彩な行事を催し、御霊をお慰めしております。また、慰霊式には霊堂が建立された昭和47年を初めとして5年ごとに、皇太子、同妃両殿下の御臨席を仰いでおります。≫
http://www.rofuku.go.jp/kanrenshisetu/mikoromo.html
(平成16年8月現在では、「皇太子、同妃両殿下の御臨席」のくだりは、削除されている。)
 
 皇太子殿下・皇太子妃殿下がご臨席された平成9年9月11日の式次第の、最終ページをご覧いただきたい。
 社会民主党や日本共産党の党代表も出席し献花している。
http://www.jil.go.jp/kisya/kijun/970908_01_k/970908_01_k.html
 
 ああ、かれらも日本人なんだなあ、とコラム子はほっとした。
 
 共産党の首相が誕生したら、靖国神社への参拝は声高に拒絶するだろうが、この合祀慰霊式への出席は欠かすまい。
 殉職者たちの御霊に「合掌」するかどうかはしらないが。
 
 今年(平成13年)の慰霊式は、9月28日に行われることになっている。

(追記:平成15年には9月19日に行われた。以下 ↓ はその記事。)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2003/1002/04.html
  
■ 怨念と祟たたりの世界を忘れた半西洋人のわれわれ ■
 

 われわれは幸か不幸か、西洋流の合理の世界に慣れてしまった。
 
 日本人がお社
やしろを建ててきたのはなぜだろう。お社を建てずにはいられなかった時代の、原初的な畏怖の世界を、われわれはすでに忘れてしまったようだ。
 
 宮崎 駿
はやお監督の映画 『もののけ姫』をご覧になった方も多いと思う。
 
 冒頭のシーンを思い出していただきたい。祟
たたり神となった大猪いのししが、日本北方の平和な村を襲う。主人公の青年が射た矢によって、祟り神は姿を消し(青年の腕のアザに乗り移り?)、後には腐肉が残る。
 
 村の巫女
みこは、この地に祠ほこらを建てて懇ねんごろにお祀まつりしよう、と言うのだ。
 
 大猪は、石火矢
いしびや(大砲のこと)の弾を受け、大きな恨みを抱いて死につつ、祟り神と化した。
 
 この大猪のごとく、非業
ひごうの死をとげた人の御霊をまつり、祟たたりを防ぎ、怨霊おんりょうからのがれようとする。それが多くの神社の成り立ちである。
 
 大和朝廷に敗れた大国主命
おおくにぬしのみことをまつる出雲いずも大社に、その典型がある。菅原道真みちざねをまつる天神様もしかり。
 
 神としてまつられる対象は、正邪二元論的な大陸(西洋・中国)の価値観でもって善玉として褒め称
たたえられるのではない。
 村の平安を乱した祟り神を祀るとき、村人はこの神に「恩義を感じている」わけでも、「褒め称えている」わけでもない。
 
 「鎮
しずまりたまえ、そしてその力で我らを宜よろしきへ導きたまえ」と日本人は日本の神々に祈るのではなかろうか。
 
■ 偶像崇拝的な神格化とは異なる神社の祀まつり ■
 
 だから、靖国神社に祀られる戦士たちの御霊も、正邪二元論でもって崇
あがめられ、褒め称えられているわけではない。
 
あらゆる恩讐を超えて、「無念なことも いっぱいあるでしょう。 どうか鎮まりたまえ」と祈るのが、靖国神社の原点なのではなかろうか。
 
 政治犯(A級戦犯)として連合国に処刑された政治家たちが、「わしはまだ戦い足りぬ」と化けて出て、怨霊として祟
たたったりせぬよう、しっかりお祀まつりしておくれ ―― 近隣非友好諸国は、むしろそう言うべきなのだが。
 
 御霊を「神様として祀る」と言っても、それは大陸流の「偶像崇拝的な神格化」とはずいぶん趣きを異
ことにする。
 
 
祀られる人のことを、清らかなる「善玉」だと宣言するのが、神社の祀りの趣旨ではない。
 
 祀られる人は「悪玉」なのかもしれない。靖国神社は、兵士の行状をいちいち審査して合祀を決めたりはしない。
 
 
それが非業の死である限り、祀るのだ。
 
 首相やその側近がこんなふうに日本文明論を語れば、少しは「理解を得る」ことができるのかもしれない。残念ながらわが政治家たちは、「日本人はみんな死んだら仏様になるのです」という程度の話しかできなかった。
 
 
われわれ自身がすでに西洋化しすぎて、非業の死をとげた人々の御霊を神として祀ることの意味に戸惑っているのではないだろうか。
 
■ 8月15日に代る日は? ■
 
 日華事変・第二次世界大戦において、終戦の詔書を知ることなく亡くなられた戦死者が抱いているであろう無念の思いを鎮めるという意味では、8月15日は1つの選択肢である。
 
 しかしそれでは、昭和20年8月18日に始まり8月22日に終わった北千島の祖国防衛戦を忘れると宣言するに等しい。
 
 北方領土のことを忘れないためにも、
8月22日参拝はどうか、と昨年書いたことがある。 怨み忘れまじのターゲットはロシアである。 大陸中国や韓国は、文句が言いにくいだろう。
 
 米国では、対日戦勝日 (V-J Day) といえば 昭和20年9月2日だ。降伏文書の調印日である。(よく「8月15日は終戦の日でなく、敗戦の日だ」と勿体つけてみせる人がいるが、ほんとの敗戦日は9月2日である。) 
 この日に参拝するとすれば、日本人としてはいかにも業腹
ごうはらだ。
 
 その一方で大多数の日本人は8月15日参拝には納得している。これも8月15日が、「敗戦」の日ではなく、「終戦」の日だからなのだろう。
 
 昭和26年9月8日のサンフランシスコ講和条約調印を記念して、
9月8日に参拝することもできよう。
 
 いや、むしろ 昭和27年4月28日の 主権回復の日(講和条約「発効」の日)を記念して、
4月28日に参拝し、祀られている御霊に独立国日本の繁栄をご報告するのが、いちばんの鎮魂かもしれない。
 
 真珠湾攻撃の日(12月8日) や 「A級戦犯」処刑の日(12月23日、今上天皇陛下、当時の皇太子殿下の誕生日がわざと選ばれた)は、公式参拝の日としては絶対に まずいだろう。
 
■ 約束の日 ■
 
 戦場にたおれるあなたたちのことを決して忘れることはない ―― そう約束して、国家は兵士たちを戦場に送ったのであるから、国家は約束を果たさなければならない。
 
 しかし、戦場に散った兵士たちは、8月15日の終戦の詔書など想像だにしていなかった。
 まして、日華事変以前の戦死者にとって、8月15日は関係がない。
 靖国神社の春季・秋季の例大祭
れいたいさいの参拝でも、じゅうぶんに戦士たちへの約束を果たすことになるのではないか。
 
 首相による靖国公式参拝を制度として定着させようとすることに、コラム子は積極的には反対しない。
 しかし、
所詮は「世俗」の主にすぎぬ首相が、日本文明のもっとも「霊」的な部分に係わることを「制度」として定着させようというのは、いささか無理があるのかもしれない。
 
 
日本文明において、「霊」的な部分に係わる国家機関は、天皇ではないか。
 
個々の歴史的出来事の日付にこだわらず、春季または秋季の例大祭に、毎年または数年に1度ずつ、天皇皇后両陛下が公式参拝されるのがいちばんよいとコラム子は思う。
 
 
首相の役目は、みずから参拝することではなく、むしろ、参拝される天皇皇后両陛下に降りかかる非難や中傷を、陛下にかわって受けて立つことではなかろうか。
 
===
■後記■
 
  毎回、独創的なコラムを目指していますが、 今回の「靖国神社」は ある意味で語り尽くされている感があるテーマです。
 
  なんとか受け売りでなく、自分の頭で考えようと思い巡らすうちに、「そうだ、もののけ姫の祟(たた)り神のことから書き始めよう」と思いつき、途中まで書いたところで、「ひょっとして、同じように靖国神社をもののけ姫で論じた人はいないかな」と興味が湧いてきました。
 
  Yahoo! で 「靖国、もののけ姫、祟り」で検索してみると、いらっしゃいました!
http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG137.HTM
「戦士は産土神になった」という、 志野原 生(しのはら・いきる)さんのコラム。
  これには参りました。

  驚きついでに、「靖国、祟り」で検索すると、これまたスリリングなコラム
がありました。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-87.htm
「祀られるべきはA級戦犯?」という逆説で勝負する三宅善信さんのコラム。
 
  それぞれの論者が自分の頭で考えている、切れば血がふきだすような生き生きコラムです。
 
  「産業殉職者合祀慰霊式」と靖国神社を結んで 論じたコラムは、Yahoo! で検索した限りではまだないようです。
  思索の切り口としては、面白いのではないでしょうか。

===
■ 反響 ■

9月8日号「もののけ姫と靖国神社」の後記でご紹介した三宅善信さんから、9月9日にメールをいただきましたので、ご本人の了解を得て、読者のみなさんにその一部をご紹介します。

≪「もの」は、実は、日本文化を理解する上で、重要なキーワードのひとつです。
王朝的な「もののけ」の世界
(「ものがたり」のテーマとなった) を打破していったのは、東戎あずまえびすであるところの「もののふ(武士)」たちでした。源頼光の鬼退治をはじめとするパワーを持った武士の台頭…。
そして、もうひとつ 重要なのは、「ものしり」 と言われた宗教家(僧侶神官等)の人々です。
カミやヒトの霊性はタマと呼ばれ、それ以外の森羅万象の霊性はモノと呼ばれました。≫

≪モノについてはかなり書きましたが、分かりやすいところでは、3年前に上梓
じょうしした『もののけの正体とは』
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-15.htm
や海外でのレクチャー用に英語で書いた
"Mono: It exists in the Japanese deep awareness"
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-22.htm
が読みやすいでしょう。≫

≪それから、公的な慰霊祭の扱いについてですが、 日本人の特質 (アニミズム)は、ご指摘のような ヒト の慰霊だけでなく、各国立大学の医学部などでも、毎年、僧侶を呼んで、実験用動物の慰霊祭が行われています。
大阪城公園(大阪市)内に、日教組が建立した「教育塔」なるものがありますが、ここでは、日教組の委員長が「斎主さいしゅ」となって毎年、教育現場での死者の慰霊祭を行っていたと思います。≫

≪航空機の墜落事故や大規模な災害など、かならず「合同慰霊祭」というものが行われます。これも注目すべき事実でしょう。
長年、「運輸省・警察」 vs. 「反対派住民・支援団体」間の対立が解けなかった 「成田(三里塚)空港」 問題でも、ある人が「犠牲者の合同慰霊祭をしよう」という「智恵」を出して、それをきっかけに、両者が同じテーブルに着けるようになったのです。
日本人は「慰霊祭」には、逆らえないのです。≫