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日本鳴り砂浜の分布

〜2012.5.2 現在,207ヶ所〜


 地図に地名を入れる余白が取れなくなったので

情報は、項目No.に記し、その数を表に示した.

 

上記の鳴り砂分布図は、不鮮明ですので、『日本鳴り砂分布33』(pdf372.0KB)をご覧ください。

県別分布集計表へPDF 69.3kB(2008.9.8現在)

粉の世界(3)>『鳴り砂』から入り、『日本の鳴り砂浜の現状』へ。トップ画面の「日本地図」をクリックして下さい。鳴り砂浜の詳細資料がPDF書類でご覧戴けます。

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 現在、日本にはどれだけの鳴り砂の浜が確認されているだろうか。

2005年3月26日:大田高校地球科学部の研究で島根県に新たに発見!
2005年9月9日情報:瀬戸内海に鳴り砂の浜があった。新舞子浜!
2005年12月8日:鳥取市の姉泊海岸(気高町)が鳴り砂である
2005.10.22:山口大学理学部地球科学教室。大崎海岸
2006年年賀状:大阪府貝塚市の浜が鳴り砂だった!
2006.3.25:藤原重彦氏、舞鶴市三浜が鳴り砂と、発見!
2006.7.6:仙台湾、鳥の海が鳴り砂!早川紘之氏発見
2007.5.23:藤原重彦氏、兵庫県美方郡新温泉町「居組浜」発見
2007.8.1:名成高校石丸先生、青森県「老部浜」2ヶ所発見
2007.12.3:鳥取県東伯郡湯梨浜、メールメモより発見
2008.8.21:新潟県神林村塩谷浜、ファイルメモより、発見、199ヶ所目
2008.9.30:鳥取県東伯郡湯梨浜町宇野海岸、鳥取県博物館報告書より、200ヶ所目
2009年9月9日:岡山県倉敷市玉島黒崎沙美、沙美海岸、201ヶ所目
「地質情報展おかやま」産業技術総合研究所
地質情報研究部門 地質標本研究グループより
2012年5月2日:いわき鳴き砂を守る会、207ヶ所目



食江浜
石見海浜公園
ひろでん
野浦浜
鳥取県
ぎぎが浜
幸多里浜
赤屋の浜
岩屋海岸
室津海岸
舞妓の浜
大井佐々古浜
笹川流
温泉津町(1)
温泉津町(2)
温泉津町(3)
竹波海岸
知多/渥美半島
月ヶ浜
片添ヶ浜
福光海岸
油谷中学校
静狩
玄界灘の鳴り砂/金子孝憲氏
蛤浜

日本ナショナルトラスト

大田高校地球科学部

日本ナショナルトラスト(2)
藤原重彦氏
鳴き砂文化館館長:宇野氏

新舞子浜/兵庫県揖保郡御津町

姉泊海岸

大崎海岸
貝塚市
三浜
鳥の海

 実際に調査したところ、文献で調べたところ、仁摩サンドミュージアムに保存展示されてるもの、電話でその地の教育委員会などで確かめたところ、新聞などの報道で知ったところなどをまとめていると、以外とたくさんあることが分かっていた。

 kurae

 @ 情報は、2000.7.4 山口県萩市倉江浜である。調査の結果、102ヶ所が確認される。そのうち現在も鳴っている砂浜は、50ヶ所近くはあると思われる。仁摩町でも、琴ヶ浜を含めて3ヶ所あり、大田市にも3ヶ所、とまだまだ見つかっていない鳴り砂の浜があると思われる。

 iwami

 A 新しい鳴り砂の浜が見つかった。私はまだ確認していないが、邇摩郡温泉津町にある珪砂工場の方からの情報である。浜田市の石見海浜公園のほんのわずかな部分で鳴いているというのである。是非、足を運んでみたい。これで、103ヶ所になる。2000.9.4の情報である。

 

 もっとも多く確認されいるところは、鳥取県である。現在も、上の調査表の地の砂浜が鳴いているのかは追跡調査していない。ホームページをご覧になった方々の情報をお待ちしたい。いずれの時か、自分の足で調査したいと思っている。

 hiroden

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 B 仁摩町にもう一つ鳴り砂の浜が加わった。坂灘の一つ岩場を馬路の方へ行った小さな小さな浜、「ひろでん」である。ここは太鼓浜でもあることが、同時に発見できた。広い洗濯板のようは岩場が海の方に広がっている。「その向こうは急に落ちていますよ」という話を、馬路文化祭のときに聴いた。その発見をしたときの私が感じたのもそうであった。また一つ鳴り砂の浜が見つかった。104カ所

 noura

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 C 2000年12月31日、新しい情報が入ってきた。「12月30日、野浦浜を散歩していたら、赤崎で鳴いていた。」というのである。役場総務の森山達夫氏がその砂を持ってきてくださった。鳴り砂ガラス容器で鳴らすと、きれいに鳴った。私も直ぐに体験に行ったところ、鳴っていた。これで仁摩町には、2000.7.4 から、更に見つかり、

   1.琴ヶ浜

   2.ひろでん

   3.坂灘(つりがさね)

   4.大津辺

   5.野浦浜(赤崎)

 の5ヶ所が、鳴り砂の浜として健在である。

tottori 

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 D 2001.3.27/28鳥取県の鳴り砂海岸の調査を行い、新しく鳴り砂の浜を発見、確認することが出来た。

 

 発見された浜

   1.荒砂神社横の浜

   2.嵐ヶ浜

   3.東浜

 の三ヶ所

 

 鳴り砂の浜と言われていたところで、今回確認できた浜

   1.浦富海岸

   2.長和瀬

   3.下坂本河口

   4.浜村海岸

   5.船磯

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gigigahama 

 E 2001.4.23長崎県松浦市「ぎぎが浜」は、きれいな鳴り砂の浜であることを確認

koutari

 F 2001.4.23佐賀県唐津市「幸多里浜」は、鳴り砂の浜であると思われる。簡単な煮沸洗浄できれいな鳴り砂に復元。

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 H 2001.7.9山口県油谷町「赤屋の浜」の砂が油谷中学校の古谷先生から、浜でも鳴いているが、鳴り砂の特性を調べてくれということで送られてきた。きれいな鳴り砂の特性を示した。

 

 これまでに、108ヶ所がリストされた。2001.10.3,立待月

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 iwaya

 ?I北九州市若松区に鳴り砂の浜を発見

*** 若松半島・岩屋海岸 ***

 山口大学理学部、宮田雄一郎教授が、地質調査の際にこの海岸に降りられて発見された。サンプルが送られてきてスペクトル解析をしたが、良く鳴っている。この浜の発見は、「日本鳴り砂分布」における109番目のリストです。

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murotsu

 J 2002.5.19.萩市郷土博物館の学芸員、福田靖子さんから博物館に保存されている鳴り砂が送られてきた。その中には、山口県豊浦郡室津海岸の砂があった。私は、情報として、鳴り砂の浜として入手していたがいつも九州に帰るときに車窓からこの当たりの海岸を眺めていて、「この当たりが室津海岸だろうか、この当たりが涌田浜であろうか」と、いつかは下りて歩いてみたいと思っていたところであった。そんな思いが通じたのであろうか、その砂が送られてきた。うれしく感謝であった。早速鳴らしてみた。きれいな鳴り砂であり、揃った石英の砂だった。△から◎に換わった

 ooisasakohama

 K 2002.6.6.萩市郷土博物館の学芸員、福田靖子さんから山口県萩市大井町の大井佐々古浜の砂が送ってきた。1992年8月28日と1993年12月13日にサンプリングされていた保存サンプルである。早速鳴らしてみた。93年の砂はきれいな鳴り砂の発音特性を示した。110番目の調査鳴り砂になった。

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maikohama

 L豊浦町川棚『舞妓の浜』は鳴り砂だった

 私のメールに以下のような話しが入ってきた。

 

 『私は山口県豊浦町川棚の住民です。室津の隣です。町のHPの掲示板への書き込みで粉のサイトを知りました。

 

〜中略〜

 

鳴き砂の書き込みを見て、ここで育った私はなつかしい鳴き砂を思い出しています。川棚にも以前、舞妓の浜と呼ばれた遠浅の素晴らしい鳴き砂の海岸がありました。地図で見られたら分かりますが、小串に至る弓状の長い海岸です。

 私は全くの趣味でHPを作っています。その中の「ふるさと紹介」の未完成のページにそのことに触れています。

〜略〜

暑い夏のキラキラひかる浜辺を裸足で歩くと"クリックリッ、キュッキュッ"と鳴った音と足裏の感触を今でもはっきりと覚えています。』

 

http://ww5.tiki.ne.jp/~yamada-k/sub3-3-1.htm

に、以下の紹介がされている。引用である。

                

 

中央を国道191号とJRが横切り、中央で川棚川が交差しています。浮かぶ島は厚島です。

温泉街のある山側から海に向かってなだらかな丘状をなしており、画面では見えないが木の茂りの中には無数の池が点在し「リフレッシュパーク豊浦」はそこにあります。

海側はかっては美しい白砂青松の"舞妓の浜"と呼ばれていた海岸線があります。砂が上質で大変きれいなため高度成長時代に根こそぎ持っていかれ、後はガレキで埋め立てられ見るも無残な姿となってしまいました。

海岸に近いところに山口県史跡指定の弥生時代の中の浜遺跡があります。

漂泊の俳人、種田山頭火がここ川棚に逗留したおり、私のもっとも好きなところと絶賛した町です。

 

また、http://ww5.tiki.ne.jp/~yamada-k/sub3-3.htmに故郷紹介として以下のように鳴り砂のことが綴られている。全文である。

 『過去と言っても自分がものごごろついてから以降のことしか分かりませんが、今と比べて全く変わってしまったものは数多くあります。自然に変わったものとしては、身の回りに何処にでも有った大きな松の木が松枯れで無くなったことでしょう。しかし、それとて人類の文化生活の産物である大気汚染によるのでしょう。

環境の変化の大部分は人工的に加工されたものや破壊されたものです。その中でも無残に壊されたものが海岸線です。

 特に川棚川の河口から小串にかけての浜辺はみごとな白砂青松の遠浅の浜辺でした。裸足で歩くとキュッキュッと鳴っていました。海に入ると「まんじゅうがに」という蟹やカレイの子供を踏むことがあり、足の裏が"こそばい"かった感触を今でも思い出します。あの透き通ってキラキラとした浜辺は何処へ行ったのだろう。

 その"豊かな財産"は高度成長時代に売却され、その副産物である瓦礫で埋め尽くされてしまいました。埋めることの出来ない沖合いには目には見えない大きなクレーターのような深みが出来たままで、それに海岸の砂が流れ込み海岸線の侵食という深刻な事態に直面しています。

川棚平野は昔海だったらしく、砂には貝殻が多く含まれています。他のページにも書いていますが、地名にも多く残っています。川棚川は昭和34年の洪水による氾濫などのため堤防の拡幅工事とともにコンクリートで覆われ水棲動物が棲めなくなりました。それ以前の川は豊かでクマ海老、シラガ海老、うなぎ、なまず、つ蟹、フナ、鯉、ドンコなどがいて、子供の頃追い掛け回したものです。また、大きなスズキが産卵のためでしょうか遡上していました。』

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 sasagawnagare

M2002.9.24のメール情報

みなさま 兼子@産総研/地質標本館です

 新潟の地質情報展も無事終わりました.風邪で立っているのもつらかったけど,なんとかこなしました.

 

 来場者から,新潟の鳴り砂に関する新しい情報を得ました.新潟県北部の山北町,「笹川流れ」or「笹川流」というところに,ごく狭い範囲だが,鳴り砂がある(らしい)とのこと.

笹川流れ

http://kokomail.mapfan.com/receive.cgi?MAP=E139.27.43.5N38.22.48.9&ZM=10

笹川流 
http://kokomail.mapfan.com/receive.cgi?MAP=E139.27.33.0N38.23.28.4&ZM=10

 

 新潟県巻町で開催された,今年の「鳴き砂サミット」でも紹介されていたそうです.志波さんはご存じでしたでしょうか.

 

※その人,「鳴き砂サミット」を楽しみにしていて参加したのだけれど,実態は「巻原発建設反対サミット」と化していたので,幻滅してしまったと言ってました.

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島根県邇摩郡温泉津町に初の発見!

『太鼓浜』と『鳴り砂の浜』

-2002.9.24-

 

[新しい太鼓浜]

 十六夜の月(平成14年9月22日)を琴ヶ浜で地元の方達と楽しんでいたとき、「温泉津町の釜野というところに、鳴り砂の浜があるということを聞いたことがあるのですが、、、」という素晴らしい情報を得た。

 次の日(23日、秋分の日)、すぐに調査した。まずは、福光海岸に降りて、浜全体を歩いてみた。ここは、何度も来ているが、何時きても鳴る気配は無かった。今日もその状況は同じであった。それでも浜全体を歩いたことが無かったので、今日は全体を歩いてみた。「大きな川が浜を分断していて、川向こうには行けないかな?」波の動きを見ていると、ちょっとの間、浅い流れが出来ていた。そのタイミングを狙って、サッと渡った。何とか靴は濡れずに済んだ。

 砂は相変わらず柔らかかった。鳴る気配は感じられない。浜の西端まで来てしまった。「何となしに太鼓浜の特徴があるな、、、?」そう、感じ四股を踏んでみた。太鼓の音はしなかった。それでもそのあたりを何度が踏んでみた。するとほんの一部できれいな太鼓の音が響いてきた。「お〜、やった!」太鼓浜の発見である。久しぶりの発見でうれしかった。「ここは全く鳴り砂の浜ではないのに太鼓の音が!」それはこれまでになかった最初の発見である。これまで考えていた太鼓浜の音がするための条件を変えなければならないようである。戻りながら、砂を磨って歩いてみたが、鳴る気配は全くなかった。

 海は白波が折れていて少し荒れていた。数人の若者が、小さな波でサーフィンを楽しんでいた。歩いていても、汗が出るほどの秋分の日である。浜の反対方向まで歩いてみた。すべてが鳴らない。やはりここは鳴り砂の浜ではないのだろうか?

 砂防工事の看板が立っていた。浜の大きさは1,600mと表示されていた。

 

[釜野浜]

 軽自動車も天井を磨るのではないかと思わせような釜野隧道を抜けると、小さな集落に面した浜が見ててきた。隧道を抜けたすぐのところに車を停めて浜の全景を撮った。休日で家族づれやつ釣り愛好家が釣りを楽しんでいた。

 浜の方へ車を下げて防波堤の側に駐車した。浜に降りると、ここも柔らかかった。全体を歩いてみたが、鳴る気配はなかった。釣り人に聞いてみた。「この浜は何という名前なんですか」釣り人なら、小さな浜の名前でも知っているだろうと思った。「何というのだろうかね。ここは釜野というから、、、子供のころから釜野って云ってるがね、、、」私は猿野と聞いていたので、この人の方が、地元、というから正しいのだろうと、メモした。「どちらから見えたんですか?」「井田というところ、、、海と云ったらいつもここだったね」「ここは砂は鳴りませんか?」「そうだね、覚えないがね、、、それなら仁摩の琴ヶ浜が良く鳴るね、、、」「そうですか、、、ありがとうございました」釜野浜は、調査したときには鳴らなかった。この浜の集落側は、道路がついた堤防になっていて、その脇の砂浜の砂は動いている形跡が全くなく、深い根を張っているような草が生えていた。

 奥の方に見える浜の方へ行ってみた。ここも鳴らなかった。周囲は今にも壊れそうな岩場がむき出しになっていたが、大きな防波堤でその岩場ももう遮断されていた。まさしく砂岩で、ここの浜は砂岩の崩壊から出来ていると思えた。そして今もなお、崩れ落ちているであろうと思わるが、この岩場は砂浜と遮断されている。しかし、確認はしていないが、崩れた岩からの砂は、堤防を貫く土管から流れ込んでいると思われる。

 この浜から釜野浜や福光海岸、そして遠くに先日調査した、富士山に似た山並みが青空の元に望めた。その間にも点々と砂浜らしい光景が望めた。「あそこへ行っていよう、、、」

 戻る途中60歳くらいの奥さんに出会った。車を留めで、その方に聞いてみた「え、いい天気が続いたとき、こうやって脚で磨るようにすると今でも鳴りますよ。向こうの浜もそうですが、、、」もっと浜の様子を窺いたかったが、その情報だけを得るだけで貴重な情報であった。

 

[今浦地区の鳴り砂と太鼓浜]

 車で、その方向へ急いだ。それらしき道を探したが、何度か来ていたのでこの辺の大体の地形は覚えていて間違いだと分かった。「これでは行き過ぎだ」黒松の手前の漁港に来てしまった。後戻りして、川の傍の空き地(駐車場になっていた)に止めて、海岸へ向かう道を探した。その川の右側のあぜ道を海岸の方へ歩いていったが、薮で行き止まりになってしまった。戻って、道を探した。肩を添えるような細い道を見つけ、そこを入っていった。その向こうに海が見え砂浜が明るく目に入った。「素晴らしい!」秋の青空が映った紺碧の海が白い砂浜とともに広がってきた。

 浜は、堤防もなく自然の状態の浜であった。浜に降りると、人が入った形跡はなく、小鳥の足跡がきれいに延びていた。「ひょっとしたら鳴るかもしれない、、、」小鳥の足跡を観てそう思った。しかし、靴が埋まるような柔らかい砂であった。「これはだめだな(鳴らない)」汀線に近くなると少し砂が堅くなった。砂浜に鳴り砂独特の小さな穴が沢山空いていた。「これは、鳴る!」と、確信した。座って手で磨ってみた。「ヒュッ」と音が出た。「やった!」久しぶりの新発見に心がときめき、うれしくなる。調査の喜びである。

 もっと西の方へ岩場を伝って進んだ。山の場合でもそうであるが、こんなときはいつも行けるところまで行く。めったに行かないところであり、そうして歩き、調査する。岩場の向こうに、また砂浜が見えてきた。その浜に入ったら、足下からの抵抗を感じた。それは鳴り砂の感触である。手で磨ってみた。「キュッ」といい音がした。またもや鳴り砂の発見である。風紋が素晴らしくきれいであった。そこも太鼓浜の地形をしていた。四股を踏むと素晴らしい太鼓の音が響いてきた。「なんという発見だ」鳴り砂、太鼓浜が次々と発見できた。うれしくなり、さらに胸がときめいてしまった。

 風紋に踏み入れるのがもったいないほどの形をしていた。数枚の写真を撮って、砂のサンプルを採った。採ったサンプルはメモして、ここに置いて、さらに西へ進んでみた。波が打ち寄せていたが、少し上部の岩場を伝って向こうへ行けた。小さな祠があった。目の前に例の富士の山が見えてきた。そして、見覚えのある漁港がすぐに見えた。数枚写真を撮って、さらに降りてみた。ちょっとだけ砂が寄っていた。きれいな鳴り砂であった。

 もうこれ以上は、進めなかった。というより、砂浜らしき様子が見えなかったので、引き返した。海には点々と奇形に侵食された島が浮かんでいた。

 戻る途中、来るときには気づかなかった砂浜を踏んでみた(近浦と青浦の間。青浦浜に近い)。ここも素晴らしい鳴り砂であった。そして少し奥へ進んで四股を踏んでみた。どんどんとまたも響いてきた。再三うれしくなる。

 

[四つ目の太鼓浜]

 元の浜に戻ってきた。道筋が2本あって、どの道だったか忘れてしまった。それは後にして、今度は東の方へ歩いてみた。小さな川を横切りるとまた砂浜が見えてきた。この浜も砂浜には、点々と小さな穴が空いていた。これも鳴り砂の浜の特徴であることはすぐに分かった。そしてそれはきれいな音が歩いているだけで聞えてきた。ここも鳴り砂の浜であった。さらに奥に行って、四股を踏むと、またも太鼓の音が響いてきた。地理的にこの岬の東側は、最初に発見した太鼓浜と背中合わせの福光海岸であると思えた。この太鼓浜の砂は鳴らなかったが、浜の中央は良くなっていた。戻るときに砂を採取した。

 

 帰りの道は、足跡からすぐに分かった。少し陽が緩くなった秋空に大きなお寺の甍が光っていた。小さい神社の祠も見えてきた。

 別れにもう1枚浜の写真を両方向撮った。

 

[むかしはもっと鳴いていた]

 細道を帰っていたら、ハンドから汲んで砂地の畑に水やりしている老人と目が合った。「今日わ」声を掛けた。「この浜は何という名前ですか」「近浦」「今歩いてきたら鳴ったんですが、、、」「あ、昔はもっと鳴いていたがね。今は海が汚れて鳴りがわるくなったわね、、、」「そうですか」私は、完全に鳴り砂の浜であることが確信できうれしくなった。『温泉津にも鳴り砂がある』と。

 「近浦の向こうにも浜がありますが、あれは何というのですか」「青浦。その向こうが漁港で、下浦というだがね」「その向こうは、もう黒松ですよね」「あ〜。昔はあそこも砂浜だったがね」わたしは重たいリュックを下ろして、砂を入れていた袋に、いま教えてもらった浜の名前をマジックで書き込んだ。

 

 「温泉津はハンドが有名でしたよね」「え、子供のころは桶で水くみしたもんだわ、、、今は水道が出来て、便利になった、、、へへへ」親しみのわくお年寄りであった。水やりを終え、こちらにみえた。「この辺はなんという地名ですか」「昔は、、、と云っていたが、合併して、今は今浦と言うがね」表札を見ると、温泉津町大字今浦と書かれていた。「この家の方ですか」「あ〜」「ありがとうございました」細い路地をでて、その道を写真に収めた。

 福光の駅前の店で買った2リットル入りのスポーツドリンクを一気に飲んで潤した。結構汗ばんで、のどが渇いていた。小さな川は、「いまうらかわはし」と平仮名で書かれていた。

 天河内の田んぼは黄金色に実った稲が沈みかけた夕陽の光で輝いていた。家に着いたのはちょうど5時であった。沢山の砂を置いてミュージアムに車を置いてきた。

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温泉津町の砂浜調査(2)

-2002(平成14)年10月3日

 

 釜野浜の奥の湯戸港の砂浜が気になり、台風も過ぎて2日ほど晴れたので、出かけた。5000分の1の地図にはその浜まで行く道は出ていなかった。誰かに聞いていこうと考え、温泉津警察署に尋ねた。しかし、はっきりした返事は貰えなかった。温泉津警察署の前の道を山の方へ入っていくと、釜野へ出ることを教えてもらい走った。ちょっと間違えたが、先週来た釜野の集落へ入った。すぐに聞いた通りの海沿いを歩いていった。いけそうであったが、波が荒く小さな浜があり、そこまでしか、もういけなかった。突き出した向こうに荒れた浜が見えたが、あきらめるしかなかった。

 この小さな浜に行くにも、少々危険であり、リュックを下ろして、カメラと袋を持って注意深く移動した。その浜の砂は鳴り砂であり、太鼓浜になっていた。貝はすり減ったものが多く上がっていた。

 いつものようにビニール袋にサンプルを採った。帰りは、手がふさがってしまう、、、。リュックを背負ってくればよかった。サブサックが必要であると思う。両手が空いていなければ戻るには危険であった。砂の入った袋を口にくわえて、岩場に寄り掛かるようにして戻った。波が大きく打ち上げてきて、少々怖い思いであった。

 景色の良いところであり、数枚の写真を撮った。日差しは強くなく、遠くは、潮の小さなしぶきだろうか、展望は良くなかった。浅利富士がぼんやりとしていた。

 釜野を望めるところに出ると、釣り人が数人岩場にたっているのが望め、年寄りらしい姿も見えた。その人と話をするとは思いもよらなかった。

 郵便配達のバイクが山の方へ走っていくのが見えた。そのバイクはすぐに戻ってきた。人家があることが分かった。

 数ヶ所の滑りやすいような岩場を無事に通過ぎて浜に出た。何度が磨ってみたが、鳴りそうにもなかった。浜には小屋が軒を並べるようにして数件浜の方を扉として並んでいた。樋には大きなハンドがセットしてあり、水が溜まっていた。

 郵便配達の向かった方へ歩いてみた。犬と一緒に歩いてくるおばさんに出会った。「すみません、そこの浜の名前を知りたいのですが」「その浜ですか。それはツゴウと言いますが」「どんな字ですか?」「都という字に合うです。私はこの地のものではないのでくわしくないけね。あそこの車の停まっているうちの人に聞いて見なさいませ。あの人は地元のひとですから、、、」「ありがとうございます。どちらからです?」「釜野ですわ」えっ!釜野、、、地元も同じではないかと思った。

 10mも歩くと、車が見えてきた。奥さんがちょうど洗濯物を取り入れている最中であった。「すみません、あの浜の名前は何というのですか?」「都合といいます。」「その浜は鳴りませんか?」「そうね、鳴るとは聞いたことがないね。馬路の琴ヶ浜は鳴りますがね」「え、仁摩からきましたので、琴ヶ浜のことはよく知っています」「馬路には親戚がありますがね。何をされているんですか」「ミュージアムから来ました。鳴り砂を調査しているんです。先日、馬路の方から、釜野浜が鳴り砂だということを聞いたものですから、来たんです。あそこも鳴るそうですね?」「そうかね、、、?隣のおばあさんなら、子供のころからここに住んであるので知っとりんさるかも、、、いつも出かけられるから、先程もでられたな、、、」玄関から主人と思われる人が出てきた。「それなら島屋の永井さんならよく知っているがね。踏み切りのところの材木屋に勤めている。釜野の漁師じゃけんね。浜の名前や岩場、岬など全部知っとりんさるわ。出かける人じゃけん昼間に行ってもいないわね。」わたしは地図を出して、浜の名前や岬の名前を聞くと、そう教えてくれ、「福光駅にむかし浜の絵が描いてあって名前が全部調べてあったがね、、、あれはどこへ行ったろか?福光会館が出来てから、福光を宣伝しようと描かれたものだったけど、、、あれならよく分かるがね」そんな話をしていたら、後ろにおばあさんがやってきて話を聞いていた。「おばあさん、この人の話を聞いてくれんかいね。仁摩のミュージアムから来て、ここらの浜の砂をしらべとりんさるで。このおばあさんは隅々まで知っててね。」「湯戸へは行けるだがね。春の凪の時にはそこからズッと回っていけるで、、、。」私の広げた地図を見ながら、これは蛇島というて、これが沖蛇、こちらが中蛇という。これは、、、」「この道はどこへ通じているんですか」「あそこから二つに別れて、あの谷を行くと温泉津へでる。こちらの道は、海へでるわね。」「この辺のところには砂はありますか、、、」「そうだね、この浜にはないね」「ここの浜も鳴りますね」「そうかい、聞いたことないね。そこは小湯戸って云っているだが。」「いや、いま行ってきたんですが、小湯戸っていうんですか。それは良かった。」この小さな浜にも名前がついていたことにうれしくなり、私は地図にその名前を書き込んだ。「ほれ、、、」私は採ってきたばかりの小湯戸の砂を、赤いリュックから出して袋ごと叩いて見せた。『キュッ、キュッ』と音が出たのを聞いて、「あれ!ほんとだ」おばあさん達は驚いていた。

 「あそこで写真を撮っていたですね。見えなかったらどこへ行かれたかと思っていたんですよ」おばあさん達は、私の行動を遠くから見ていたのである。

 「おばあさんも、青笹というんですよ。ここはみんな青笹で親戚ですよ。家は、青笹優というです。」と言って、地図にその名前を書いてくださった。

 「都合の浜にハンドが水溜めにしてありますね。水琴窟って知ってます。」「え」「温泉津が水琴窟の街になればとやっているんですがなかなか賛同する人が出てきませんね。のがわやに作ったんですよ、、、」向こうに大きな瓶みたいなものが道路脇に見えた。「あれは何ですか、、、?」「あれですか、魚雷ですよ」「魚雷、、、?」「この前の家を解体したときに出てきたんです。もう、処理してありますけど、物入れにされている。みんなが不思議に思うんですよ」

 帰ることにしてお礼を言って別れ、その魚雷の所へ行って見てみた。鉄のフタがかぶさっていて、中を空けてみた。何か複雑そうなものが付いていた。魚雷を記念に撮った。

 お昼になった。食事は、駅前の店でパンでも買おうかと思い、福光海岸に行くと、会館の玄関が開いていた。中をガラス越しに観ると、3人の奥さんが席に座っているのが見えた。「食事が出来るのですか」「はい、出来ますよ」車に戻ってリュックを取ってくる。「カツ丼をください」海の見える窓際に席を取り、荷物を置いた。誰もいない食堂で、二つのテーブルにファイルや地図を広げて、教えた貰った小湯戸や都合、昼から行く予定の場所などを確認した。

 10分位してカツ丼が運ばれてきた。久しぶりの外食でおいしく戴いた。「あの島は蛇島と言うそうですが、あれ何となくそう見えますね」食事をしながら、海を見つめていたらまさしくそのような形の島に見えてきていた。「そうなんですよ、、、蛇に見えるでしょう」「先の方が沖蛇、右が中蛇と言うそうですね」「え、それは知りませんでしたね、、、」「先程、都合の人に教えてもらったんですよ。ところで、釜野浜の砂が鳴ると聞いたのですが、、、?」「私は、地元のものではないので良く知らないけど、琴ヶ浜は良くなりますが、、、。ね、釜野浜が鳴るということ聞いたことある?」他の2人に問うた。「え、一部分は鳴ると聞いているよ」今回の調査では釜野浜はどこも鳴いていなかった。顕微鏡で見ても、煮沸洗浄しても鳴りそうにはなかったが、季節によって砂の寄り方、淘汰の状態が違ってくるから、そのような時期があると想像した。そう考えたのも今回の調査で確証できたことである。

 海は白波が折れていた。「向こうの端まであの川を渡って行けるでしょうかね?」「ちょっと無理かもしれないね」「お宅はどこから見えたんですか?地元の人のようには見えないけど」「え、出身は福岡ですが、家族は神奈川です」「え、福岡、、、私は太宰府ですよ」親しみが湧いてくる。

 食事を終えたころ老夫婦が同じように、店がやっているかと聞きながら入ってきた。店を出た。それでもと、海岸の左端を調査するために浜を歩いた。波は川の方までは上がってなく、先日より渡りやすかった。端まで歩くと、汗がひたいから流れた。前回調査したところの場所をコブシで叩いた。ほんの一部がちゃんと太鼓の音が響いてきた。MDを出して、録音した。MDの調子が悪く、録音には苦労した。マイクロフォンの接点がおかしいようである。それでも何とか音だけは録った。この浜は見た目はきれいな砂であるがやはり鳴らなかった。

 次は、近浦浜に向かった。途中、山陰本線の上を渡ったすぐのところの建設会社の飯場の中に入って、高台から福光海岸の全貌を眺め写真を撮った。浜の展望は良いところである。

 近浦浜に降りるには前に来たところと同じところに車を停めて、歩いた。

 近浦浜の様子を良く記憶に修めるために、良く観察した。青浦浜に向かう岬を歩くと、小さな太鼓浜を挟んで、現在もなおも侵食が起こっているのではないかと思える肌色の岩場の向こうがすぐに青浦浜であった。

 小さな浜を、磨ってみた。この岩場のそばだけが鳴り砂であるのは同じだった。砂や調査は帰りにすることにして、青浦浜を横切って先を急いだ。祠が見え、その足下も奇麗な鳴り砂の音を確認した。今日はさらに先まで行ってみた。今浦漁港の防波堤が海にせり出しているのが見え、そこまで歩いていける状態であった。近くに砂が寄っていた。歩くと、鳴りそうな感触が足に伝わってきた。流れ着いている15リットルのポリ容器や大きな発泡スチロールのゴミが集まっていたが、その間の砂は、良い鳴り砂の音を発し、太鼓浜であった。「すばらしい、、、」今日もまた、新しい発見が得られうれしく、一人、浜で喜びを噛みしめた。

 防波堤には、コンクリートの石段が数段続いていて、向こうへ移動できた。視野が広がり、数隻の烏賊吊り舟が停泊していた。降りたすぐのところには鳥居の付いた祠が建っていた。浜には砂浜は見えなかった。堤防から数枚の写真を撮り、来た道?を戻る。防波堤のすぐ側の砂の調査をした。サンプルを採り、太鼓の音を収録した。

 岬の先端にある祠の西側の小さな砂場を調べた。非常に良くなる。2日前に雨だったので、前回(9/23)の砂と比較するために今回もサンプリングした。

 10畳もあるだろうか、この場所でも鳴るところはこの岩の側だけである。如何に淘汰される条件によって砂の集まり方が大きく違っていることを教えてくれる。ここでは常に鳴り砂となる砂があって、研磨洗浄されているのであろうか。それとも、ある時期によって、この時期にだけ鳴り砂となるような砂が寄ってきているのであろうか。新しい疑問である。

 目の前の海に浮かぶ梵鐘の乳の様な形に削り取られた松島が周囲の小さな島とマッチして美しい。祠が松島を望むように建っている

 今回は小さな岬にあるその祠の下を戻ると、一段と黒い砂、砂鉄が寄っていた。琴ヶ浜の砂鉄と違うんだろうかという考えが浮かんできたので、重たくなるがその砂、砂鉄も採った。

 祠の岩場を回ると、すぐに青浦浜である。浜の陸側は手前、西側には数件の民家が高い防波堤で囲まれていて、浜の約半分東側に舟小屋があり、自然のままの景色である。その裾野は、自然な草が茂っていて、時には泥が流れ込んでいるのではないかと思われる様そうだった。海は自然に開けていた。

 リュックは次第に重たくなっていた。デジカメ、スチールカメラそしてリュックを草叢に置いて、浜の鳴り砂の状態をチェックした。あまり良い音ではないが、鳴り砂の音がかすかに聞き取れ、サンプリングした。陽も大分低くなり掛けてきた。リュックはまた重たくなった。「よっこらしょ、、、!」歩きにくい青浦浜を横切り青浦太鼓浜の太鼓の音を収録した。風の音と波の音が混じった。

 ビニール袋とマジック、カメラ2台だけを持って、青浦太鼓浜の前の海に横たわる岩場にいけそうだったので渡った。そこにも点々と砂が打ち上げられていた。粗そうに見え、一部乾いているところを磨ってみた。『キュッ』と音がした。またも驚きである。こんな岩場のすき間に、鳴り砂があるなんて、、、。採るのは後にして、岩場を進んだ。遠くに蛇島、都合などが霞んでみてた。360度の展望で要所の写真を撮った。

 戻りに岩場の砂を採取した。鳴り砂の感触が手に伝わってきた。「どうしてこんなところにも鳴り砂んがあるのであろうか、、、」いままでに鳴り砂のある場所は、大きな川が無いとか湾になっているところとか云われているが、そのような条件は次第に覆されてきている。いずれも調査不足による文献である。

 青浦浜と近浦浜の間の浜に来た。U字に湾で、その近浦側の先端のみが良くなる鳴り砂である。少し奥に入ったところが太鼓の音が響いてくる。録音をした。

 近浦浜に出る。ここでの調査は、この浜の奥の”ひつて”の太鼓浜である。あまりにも重たいリュックから砂袋を全部浜に置いて、出来るだけ軽くして歩いた。額からは汗が流れ、咽が乾いてきた。タオルを首にかけ、軽くなったリュックを背負って浜を歩いた。人は誰も歩いていないことが、きれいな風紋から察せられた。「え?」誰かが葉っぱを浜にさしたのだろうかと思えるような光景に出あった。葉っぱの根元の砂は風に吹かれてす擂り鉢状に穴がき、葉の影が砂浜に長く落ちかけていた。

 太鼓の音を収録。この場所は鳴り砂ではなかった。

 浜の後ろは高い絶壁。西側は地形から想像して、福光海岸の太鼓浜である。太鼓の音がする海の方向には低い岩盤が迫っていた。浜全体は、開けている。

 浜全体を撮るために西側の崖に登って撮ったが、あまり高く登れずやっと視野に入るくらいだった。崖を降りると、カニが2匹姿を見せていた。あまりにもジッとしているので、そっと寄ってみた。それでも逃げなかった。それもそのはず、足が無く片方の目がないとかで、死んでいたのである。生きているかのような格好で死んでいた。23日に来たときには気がつかなかったが、その後から死んだのであろうか、、、。

 ひつて浜の中央で砂のサンプルを採る。あまり良い音ではない。

 今浦川を渡ったところの小さな岩場に登って、ひつて浜の全貌を数枚撮った。

 近浦浜への下り口に置いていた砂の全部をリュックに入れた。カメラはもう入りきれなく、2台を首にかけた。『むかしはもっと鳴いていた』という前回の調査のときの地元のお年寄りの言葉が浮かんできた。「あまりならない、、、どれだけの感度でその頃は鳴っていたのであろうか」と思いを馳せた。

 リュックの肩ひもは私の身体を後ろに引き倒さんばかりであった。細道を帰ると、前回のお年寄りと網戸越しに出あった。「こんにちわ、また、来ました」停まることなく挨拶した。「ごくろうさん」と言う返事が返ってきて、ほっとした気分になる。

 車に戻り、持ってきていた、姉から送ってもらっていたジュースを続けて2本飲んだ。砂を整理して、次の調査場所に急いだ。今回の目的の場所、吉浦を探すことである。その前に今浦漁港の西側に行ってみたいと、その道を降りていったが、通行止めになっていた。歩いていけば行けないことは無かったが、時間的に辞めた。

 引き返してさらに西へ走った。吉浦港らしい雰囲気の地形になり右に降りていった。突き当たりにフェンスが見え、「水上バイク禁止」の看板があり、吉浦に入ったことがわかった。小さな舟が防波堤の内側に引き上げられている。見るからに浜は疲れた砂の様子であった。深いU字の小さな湾になっていて、波消しブロックなどはないが、人工の波消しブロックのように、沖には天然の岩場が細長く横たわっていた。

 浜に降りると、砂は柔らかく、全く音を発する様子は無かった。まずは左端から全体の写真を撮り、右の方へ歩いていった。岩場の向こうへ出たが、あまり奥まではいけなく、一つ目の湾は礫浜でそこへも行けず、引き返した。砂浜全体が鳴り砂ではなかった。ここは何時の時期でも鳴り砂の浜ではないであろう。小さな川口にはブロックが並べられていた。浜の入り口の町中には立派な大歳神社が海の安全を祈願していた。

 背後にはお寺の甍が光っていた。これが敬願寺の甍であることは道に出て分かった。懐かしい敬願寺が左手に見える。帰りは、黒松から国道9号に出る予定で、黒松の方へ走った。黒松漁港の看板が見え、降りてみた。烏賊釣り船が、二重の防波堤で囲まれて停泊していた。浜は完全にコンクリートで作り上げられていて、クルーザーも何挺かがコンクリートの浜に停まっていた。漁港の奥まではチェーンが張ってあって入れなく、手前に留めで歩いて調査した。浜の吉浦側に歩いてみたが、途中までしか行けず、最初の湾は岩場で礫浜となっていた。引き返す。遠くに霞んだ浅利富士が逆光の中に浮かんでいた。

 漁港の黒松海岸側に歩いてみた。コンクリートの船着き場には、砂が打ち上がっているところもある。”あ〜、むかしはきれいなすなはまであったのだろうな〜”そんな思いをした。その船着き場が切れた防波堤の内側に砂が集まっていた。磨ってみたが、期待は外れた。叩いてみた、、、。太鼓の音が響いてきた。「こんなところにも太鼓!」分厚い防波堤が海側にあり、陸には小さな岩場となっている。人工の太鼓浜なのであろうかと太鼓浜の構造を思い浮かべてみた。新しい研究テーマのヒントになる場所であると思える。砂のサンプルは後でとることにして、岩場をさらに歩いていった。黒松海岸へ出るのかと思ったが、大きな岩が、海を隔てて迫っていた。先の方に橋が見え、その向こうに見慣れた景色が小さく見えた。「あ、あそこは黒松海岸の端っこだ」懐かしく思えた。

 戻った。太鼓浜の砂を採る。MDを車に置いていたので、もう疲れ果て取りに戻る気力が無くなってしまっていた。

 漁港の入り口にドリンクの自動販売機でジュースを買って飲む。暑くて冷たいジュースはおいしい。

 黒松海岸にでる。降りることなく右手に海を見ながら黒松を後にして国道9号を東に走った。 琴ヶ浜も気になり、浜に降りいつもの4ヶ所の砂を舟津側から採った。ちょうど夕陽が沈むところであった。もう少し浜の中央でと思って、急いだ。途中、民宿の木屋に立ち寄り、高山会館の横の例の鶏の卵を買った。10ヶ入りで170円。生で食べるのが楽しみであった。

 店での話が長くなり、夕陽には間に合わなくなった。またの機会をとあきらめる。

 網屋側の浜は道路側に分厚く砂が堆積し、幅も広く堆積していた。非常に良く鳴っている。

浜全体はゴミ一つ落ちていないほど奇麗であった。地元のUターンの方のボランティアの方の掃除であることを先月の月見の宴で知った。

 家に着いたのは、6時となっていた。砂を下ろして車を戻した。

 風呂を沸かし汗を流した。朝から出かけて8時間、思い砂を背負って、歩きにくい海岸線の岩場、砂場を歩いての調査はさすがにつかれていた。湯船に浸かって沢山の目に見える情報や考える情報が得られたことに満足を感じた。

 風呂から上がると、どっと疲れが出た。

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yunotsu(3)

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温泉津町砂浜調査(3)

2002年12月15日

 

 2002年12月15日、天気予報通り小春日和の山陰である。昨夜、ベッドの中で「明日は温泉津を調査しよう」と予定を決めた。10月に調査したときのまとめをしている中で、浜の名前や福光海岸を望む碑の文章を解読したかったのである。しかし、ミュージアムのマックが調子悪いという電話も入っていたので、朝からは行けない状況にあった。

 カーテンを開けると天気予報通り、青空がさしていて、暖かい空気が開けた窓から入ってきた。布団をすぐに出しミュージアムに出かけた。

 「おはよう」「おはようございます。志波さん、やっぱりだめだよ。power saveがでて、すぐに消えるンだけ」問題は簡単に解決するだろうと、調整にかかったが、なるほど起動しない。ディスプレーが悪いのか、他のディスプレーを設置してみたが、結果は同じだった。私の、ノートをディスプレーに接続してみるとちゃんと表示された。マック本体がおかしい、、、。重症かと、頭を痛める。事務の仕事も、このマックでやっているので、今後の問題をどうすればいいか考えたりもした。

 まずは、マックの修理である。再起動や、ディスクトップのクリアーでもダメであった。最終の手段で、システムを入換えたところ、正常に戻った。事務の仕事のチェックを手伝って10半を過ぎた。行くのを迷ったが、11時になって、やはり行くことに決め、家に戻って準備し、家をでた。11時5分である。

 釜野に入るのにどのルートにしようかと考えながら、9号線を西に走った。琴ヶ浜の松が鼻には白い波が砕けていて、これなら温泉津はもっと高い波だと想像しながら走る。出来るなら、湯戸灘へ行ってみたいのである。

 時間があまりないので、9号線を福光まで行き、警察からの山のルートは避けた。福光海岸の見えるところに来ると、よそう通り、波は高かった。「これが灘波か」三井さんが教えてくれた言葉が理解でした。遠くは、静かに見え、沖波は静かであるということである。すぐに釜野浜へ行って、その様子を見た。大きな灘波が浜に打ち寄せていた。「これはもう完全に湯戸灘はダメだ!」とあきらめた。遠くには釣り人が前回よりたくさん見えた。青空で海の白波と緑の海が奇麗だった。数枚の写真を撮る。浜に降りて砂をチェックしてみたが、やはり鳴らなかった。浜の向こうまで、歩数を数えながら歩いてみたが、それでも鳴る気配は全く無かった。363歩あった。忘れないうちに、リュックを下ろしてファイルにメモした。これだけ歩いても、トレーナとセーターだけでも、ちょっと汗ばむような小春日和の気持ちいい天候であった。右端まで行って、戻りはすこし道側を歩いたが、草がたくさん生えて浜の砂は動いていないことを示していた。砂は細かく柔らかい状態であり、鳴り砂となるには難しい条件のように思えた。草むらには、マムシに注意の立て看板が立っていた。

 小湯戸までは行けないと思い、都合浜まで行ってみた。遠くに浅利富士が奇麗に映えていた。都合浜の船小屋が開いていて、舟の修理がされている様子で、道具などが散乱していた。浜の大きさは108歩。浜の大きさは変わってはいなく、波の動きを見ると、都合浜には大きな波は寄せていなかった。浜を歩くと右隅が何となく鳴りそうなすなで、磨ってみたが音は発しなかった。

 お昼を過ぎていた。温泉津海岸を望むところにある、碑の拓本をとろうと準備していたが、乾式では自然石に書かれていたので無理であった。すぐにあきらめて、福光会館で昼食をとることにした。日曜日でやっているだろかと思って会館まで行くと、中に人の動きが見えほっとする。

 「今日わ」前回話をした人が応対してくれた。「今日も砂の調査ですか」そんな声を掛けられ「あっ、覚えてありました?」「え、覚えていますよ」今日は何しようかとメニューを見ると、前に食べたカツ丼が見えなかった。「何なさりますか」海側のテーブルには、ここの職員である男性が座っていたが、私が来てすぐに立った。「あそこの碑には何を書いてるんですか」「さ〜、、、。お父さん、あそこになんて書いてある?」「いや、知らんね」「写真を撮ろうと思って撮ったんですが、うまく写らなく、拓本もとってみたんですけど、ダメだったんですよ」結局、何が書いてあるか分からなかった。リュックからファイルを出して、浜の名前を聞いた。「いや〜、分からないね。小川さんじゃないとね、、、。小川さん、、、」しばらくしてその人が見えた。「あそこは、ひつてだし、そうね、、、何と言うかね。主人なら知っているかも、、、。わたしは入ってきたもんだしね」「こうやってみると、いつも見ている浜も奇麗だね。」

「あそこは、蛇島というんでしょう」「そう、あの形がそうみえるけど、、、。あれには伝説があるんですよ。『むかし釜野にきれいな娘さんがいて、村でもその美しさは評判であった。ある日、海から大きな大きな蛇が現われ、その娘を嫁にくれと言い出した。娘のお父さんは困って、条件を出した。”あの島を8回巻いたら娘を嫁にあげよう”と云うことになった。蛇は島を1回2回と巻きはじめた。終わりかけたが7回半で終わってしまった。約束通り、蛇は泣く泣く海に帰ってしまい、娘は蛇のおよめさんにはならずに済んだ。』と言うような、、、伝説とか。」「おもしろいですね」私は記憶に留めた。

 「ここは韓国からのゴミが多くてね。むかしはこんなではなかったんですがね。自然の浄化力はすごいと思うんですよ。海藻なんかは見る見る家に腐敗して浜は奇麗になったんだけど、プラスチックスではね」「そうなんですよね。琴ヶ浜も同じですよ。先月、知多半島に行ってきたんですが、あそこには全くゴミ一つ無いんですよね。また、数年前韓国に行ってきたんですが、日本で云う日本海ですが、そこは全くゴミが落ちていないんですね。テレビで言っていたけど、ハワイには日本のゴミがたくさん漂着しているそうですね。日本も人事ではないようです。自分たちも投棄しないようにしないといけないですよね。この辺のことは世界規模というかいや個人のモラルの問題ですね」

 食事が運ばれてきた。「どうぞ」私のファイルを見ながら、「これは何ですか」「蔦です。黒松漁港へ降りるところの家に這っていました。これは面白いいわれがあるんですよ『これは葉っぱが先に落ちて、後に松葉のような茎が2本残るんです。その後にその茎が落ちるんです。これは葉を子供に見立て、子供が巣立ってからその後に親が落ちていく』という、親心の植物なんですよ。」「へー、そんなことがあるんですか。今度、よく見てみよう。さー、食事は冷えないうちに食べてください」

 窓際に座って、箸に手を付ける前に、食事(豚カツ定食)の写真を撮った。この浜は、波消しブロックがなく右手には蛇島が見え、左手は松島などが見えて自然の景観が保たれて、気持ちいい景観である。ガラス窓は大きいが、コンクリートの手すりがあって、ちょっと見にくい。ガラス窓がもう少し奇麗だともっとすっきりするのだが、海風に当たった窓ガラスは曇りがあった。遠くに浮かぶ島には、ウミネコが数十羽止まって羽根を休めているのが点のように見えた。食事を終えて、ガラス戸から外にでて、デジカメの望遠でウミネコを撮った。小春日和で気持ちよさそうに羽ばたいているのがレンズを通して大きく見えた。「ことしは遅かったようですわ。先日、日御碕にはウミネコが来ているということをテレビで言っていたんですけど」「そうですよね、日御碕にはウミネコが来るんですよね」何度か日御碕に行ったときにそのようなことを聞いた覚えがあった。「あの松島と右の島は、引き潮の時は繋がるんですよ。むかし、どこかの大学の先生がウミネコの調査に見えたことがあるんですよ。」

 海を、5,6人の若者が立ちっぱなしで私が食事を終えるまで長い時間見つめ、沖では数人のサーファーが波に乗りを楽しんでいた。

 850円×1.05のお金を払って食堂をでた。「お気を付けて!」後ろから挨拶の声がかかった。「はい、ありがとうございます」

 近浦へ急ぐ。途中、石見福光の駅に立ち寄り、乗車駅証明書のでるボックスのボタンを押した。馬路のものと同じ音を発しながら、ガチャガチャガチャという音を立てて、一枚のカードが滑り出てきた。7830番目で時刻は13時06分を記録していた。駅前の古びた家の横にはたくさんの配管工事ででた切り刻まれた大小の直径のパイプが散乱していた。ふと、水琴窟を思い出し、重なり合っている中から、直径30φくらい、ながさ70cmほどのパイプを引き抜いて貰った。水琴窟の音を、このパイプを水琴窟の孔に当て、一報を耳に当てて聞くと、外界の音が遮られ集中した音を楽しむことが出来るのである。たいていの水琴窟の音を聞くところに竹の棒などが置かれている。

 山陰本線の上を越える。そこには赤レンガで縁取りされたトンネルが趣深く見える。車を停めて数枚の写真を撮った。左側には、今浦トンネル、226M14と書かれていた。

 前回と同じところに車を停めて、ウインドブレーカーは車の中において出かけた。海に向かうところのおじさんの家は戸が締まっていた。そのまま、近浦浜にでた。浜の砂は強い海風で表面が吹き飛ばされ、埋もれていたゴミが浜一面に顔をのぞかせていた。「どこの浜も同じか」冬の浜は琴ヶ浜でも汚かった。

 どちらから調査しようかとちょっと迷ったが、今浦の方を先に見ることにした。近浦浜の左隅の砂は奇麗に揃って見えた。ちょっと磨ってみた。何となく音がしそうである。サンプルを採るのは後にして、先を急いだ。

 青浦に行く手前のすぐのところに、太鼓浜があったが、何とほとんど砂が消えており、しかも青浦に渡るにも危ないような岩場になってしまっていた。岩には緑色の苔がたくさん生え、ちょっとでも滑るような状況であった。「行けるだろうか」その浜に注意深く渡ると、砂は非常に粗かった。湿ってもいたが、鳴り砂の音はしそうになかった。青浦の浜にでるには、無理かと思えた。波の近くの岩は完全に苔が生えており、今にも滑りそうである。よく見ると、人が歩いたような跡があり、その上を伝って渡っていった。青浦太鼓浜も狭くなっていたし、岩礁の前には大きな青いビニールシートが漂着していた。ここの調査も後回しにして、青浦の歩数を測りながら祠の方へ歩いていった。

 祠の岬の雰囲気が違っていた。砂がここも無くなって、ごつごつと岩が顔を出していた。さらに今浦漁港へ急いだ。堤防にはたくさんの釣り人の姿が見えた。まぶしいような光が海面を照らしまぶしかった。この砂浜はそんなに狭くはなっていなかった。「確か、大きな流木があったはずだが、、、」漂着しているゴミの種類が違っていた。

 今浦漁港の防波堤に立って、浜の写真を前回同様に撮った。今度は、パノラマでも撮る。パノラマで意識して撮ったのは初めてで、天候もよくきれいな風景になりそうで、現像が楽しみである。

 戻ることにして、この浜のデータを取ることにした。磨ってみると、非常よい発音特性である。最近考えていた鳴り砂の解析のための音のデータを、手でするようにして出来るだけ長い時間発音するようにした音の録音をした。砂も輝きを示している。前回にくらべて非常によい状態に変わっていた。やはり、鳴り砂が集まる海流の最適な条件があることを教えていた。その条件とは、粒度、比重、形状を鳴り砂の特性にあったものになることであるが、さて、どのような条件が揃えばいいのであろうか。波打ち際にある砂は鳴り砂になっているものがたくさんあるはずであるが、それを砂浜に打ち上げるにはどんな波動条件なのだろうか。同じ浜でも場所によって鳴るところと鳴らないところがあるし、季節によってもその変化が大きい。

 祠西のところの砂も無くなっていて、しかし、大きなロープはそのままになっていた。砂をすこし採って戻る。青浦のところの西橋で砂を採る。浜の中央で浜を磨っていたら「何されている?」と浜の方から声がかかった。チャンスと思って、下げていた砂袋をそこに置いて近づいていった。「仁摩サンドミュージアムから来ました」「あ、そうなの」65歳くらいのお爺さんとおばさんであった。「ちょっと教えて欲しいですが、あそこの岩の向こうに浜があるでしょう。あの浜の名前は何か付いているんですか」「あの岩が、コブシ岩だし、なんだたかいね、兄さん」「ひつて、、、コブシ、、、・・・。忘れたの・・・ふるがし、、、」ひつてという聞いた名前が出てきた。「ひつては近浦の向こうの浜でしょう」「そうだったかいね。それじゃ、ふるがしかの、、、コブシ?」「あの岩が、たぼ島というでね。あれが、飛び込み島。こどものころあそこから飛び込んでいたし、その前の小さな岩が、桃太郎岩というです。むかしはもっと深かったし、良く飛び込んだもんです」老人は、海の方を見ながら説明してくれていた。「じゃ、あの浜は、コブシ浜にしときましょう」私はコブシ岩のあることろであるから取り合えずそう決め後で訂正すればいいやと思って決めた。ひつてと近浦のところの間を、こぶてと言うからね」「あの今浦川が注いでいるところですか」「あ〜」あれでも浜を分けて名前が付いているのだろうかと思った。それでも名前が増えることはうれしかった。

 「今浦漁港のところに小さな浜があるでしょう」おばさんが話しはじめた。今浦東と名付けた浜であることはすぐに分かった。「あれは”犬捨て浜”と言うでね。むかし犬を良く捨てていたところでね。ゴミが良く寄ってきているところですよ」「あの祠は何ですか」「あれはご利益があるんですよ。むかし難船が通っていたとき、神様が光を出して港に導いたという話しもあるんですよ。」「あそこからは展望が利きますか」「あそこの上に私がお参りしているですけど、大きな松の木があってね、今は枯れてしまった。信じられるかどうかだけど、このお大師さんは、私のお爺さんのはなしで、むかし漁に出たら舟の後から、このくらいの光がずっとついてくるんで、網で救ったら、素焼きで作った仏像だった。都合の神社に持っていったら、あそこの松の根っこに祭りなさいといわれたそうです。それは不思議で、都合からここに松の木があるということは分からないんですよ。急いで戻ってきて早速祠を作って祭ったらしい。それからいろいろなご利益がでてね、、、」「わしはまだ一度も上がったことが無いわね」ぼそっと、老人は口を開いた。私も上がってみたいと思ったが、干していた布団が気になって今日は登ることはあきらめていた。コンクリートで作られた幅の狭い階段が森の中に消えて登っていた。

 「この堤防はどうして半分なんですか」「そうさね、地元の漁師さんが反対してね。ここへ道路がつくはずだったのに、反対しあがって、、、。家も古くなって修理せんといかんようになっているんだけど、車が入らないので見積がたかいんですよ。道が出来ていたらずいぶん違うんだがね。救急車も入らんし、汲取りもなんもかんも道路が無いから大変ですわ。冬になったら風が大変でね。ばあさんが云ってたけど、二階建ての家は絶対に作るでないと云ってたけど、息子が帰ってきたんで2階にしたら、揺れて揺れて仕方ないですは。それだけ風が強いところですよ」時間が気になっていたので、ここを離れることにした。「ありがとうございました。今度来たときにあそこに上らせてもらいます」「え、どうぞ。気をつけて帰りや」「はい、じゃ〜」砂を下げて青浦を後にした。砂は、ビニール袋が伸び切れるのではないかと思えるほど重たくなってきていた。近-青浜を渡るのに帰りはさらに注意して渡った。コブシ岩を数枚写真に撮った。

 近浦浜に出て、そのすぐのところの砂をサンプリングした。ここから浜の大きさを歩幅で測るようにしてひつて浜の方へ歩く。帰り道の入り口の付近に砂を下ろして先へ進んだ。近浦浜を何処までにしたらいいのか迷ったが、今浦川が注いでいる岩の手前の岩の先とした。どうしても、ひつてと近浦浜の間に浜があるというようには見えなかった。そこ先端からさらに新しく歩数を数えはじめた。今浦川はきれいな水が流れ込んでいた。水は浅く、急ぎ足で川中を入っていってひつての端まで歩いた。あの時のように蟹はいなかった。近浦浜もひつて浜も105歩である。太鼓の音が響き、ひつて浜の砂も鳴り砂の音を発していた。ひつて太鼓浜(浜の右端、仁摩側)の鳴り砂は、以前より良い発音特性を発している感触であった。

 今日も砂の入った袋は重たくなり、浜に置いていた砂を下げ、帰路についた。針金屋さんだろうと云っていた青浦浜で話していた人の言葉を思い出して、その人と思われる玄関を叩いた。「ごめんください、、、すみません!」ちょっと間を置いて返事が返り、70くらいのおばあさんが出て見えた。「仁摩のサンドミュージアムから来たんですが、ちょっと浜の名前を教えてもらいたいのですが」リュックからだしたファイルを見せながら「青浦と近浦浜の間の浜の名前は付いているんですか」「さー、ね。私は分かりませんね」ダメかと思った。丁度、開けていた玄関の前を一人の人が通った。「〜〜さん」と言いながら玄関を出て聞いてくれた。「今浦のところの浜は、犬ヶ浜というがね、、、」すると、50を過ぎたくらいの男性の人が通りかけ、訪ねてくれた。「ひつては近浦の右の浜で、あそこは何だったかね、、、。」「ひつての手前は”こぶて”だし、”ふるがし”というね」男性は奥さんらしい人と急ぎ足で立ち去った。時間も大分過ぎていたようなので、お礼を言ってここを後にした。

 今浦漁港には寄らずに、黒松漁港へ急いだ。すぐに太鼓浜のところへ行って、浜を叩いた。乾燥した砂の層は薄かったが、コブシで叩くと太鼓の音が響いてきた。MDをセットして音を録った。防波堤を歩いて、白波の立つ間をぬって、浅利富士の見える位置で、逆光になる風景を撮った。東の空には、白い月が昇ってきていた。十二夜の月くらいだろうか、膨らんできていた。

 黒松側から帰ろうか戻ろうかとちょっと迷ったが、国道を走ったほうが速いと思い黒松の方へ向かった。黒松海岸の見えるところから浜の全体写真を撮った。黒松はそのまま通過して9号線を仁万に向かった。琴ヶ浜が見えるところで、わき道に入り、浜をとり、国道にバックで出て急いだ。馬路では、陽はまだ当たっていたが、家についたとき、私の棟のベランダはもう陽が陰って布団は冷たくなっていた。

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takenami 

Q

福井県に初の鳴り砂の浜発見される

Fri, 15 Nov 2002 16:08:04に東海大学の木村教授から鳴り砂情報が入る。

 

 

 志波靖麿様

 

東海大学の木村です。

 

 金沢での学会の合間をみて、いくつかの海岸へ行き砂のサンプルをとってきました。鳴き砂に関連したことをいくつかお知らせします。

 

竹波海岸(福井県敦賀半島の西側の中央付近の海岸):発見です!

  当日砂は湿っていましたので、鳴きませんでした。研究室に持ち帰り、煮沸洗浄、乾燥後には発音しました。

 

琴ヶ浜:

  まだ健在のようです。ただし鳴く場所は限られているようです。

千代浜(センダイハマ):

  あまりきれいな海岸ではありませんが、場所によっては鳴きます。

関野浜:

  関野鼻岬と琴ヶ浜の間の小さな砂浜はありましたが、下りていく道がないようです。残念ながら遠くから写真だけ取ってきました。

片野海岸:

  海岸にはゴミがたくさん落ちていました。当日砂は湿っていましたので、鳴きませんでした。研究室に持ち帰り、煮沸洗浄、乾燥後には、小さい音ですが発音しました。

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R

知多半島・渥美半島の砂調査

2002.11.24、ガイド:紀子さん

 

 7時05分出発。豊田市朝日ケ丘から国道155号線を西に走り、知多半島の西側を南下する。目的は、お吉が浜と千鳥が浜である。この近くに鳴り砂があるという情報を聞いたことがあり、豊田のsさんにドライブしてもらって出かける。sさんとは、1996年12月31日、仁万の城福寺で知り、健ちゃんの水琴窟にも興味を持っている方である。中国語を専攻され、今は中国の交通公社に勤められ何度も上海に出張されるなどの活躍をされている。

 伊勢湾を右手に見ながら、薄曇りの知多。常滑など20年ほど前だろうか一度行ったことがあり、その名前だけで懐かしさを覚えた。もちろんその時何処を走ったかは全く覚えていない。粉体技術工業協会の粉砕・ふるい分け分科会の勉強会で陶器会社の工場見学を兼ねて行ったときのことである。

 町中を走ると海辺らしい建物、風景になり、一方方向に向いた松林などが目に飛び込んできて、海岸が近いことを教えてくれた。最初の海岸線にでると、堤防側はコンクリートで固められた波堤で砂があるなんて想像もつかない状態である。遠くに工場らしい建物が曇り空の中に浮かんで見えた。その少し手前に緑が見える。人工的なものであるが、黄色い土手、砂浜らしいものが見えた。「行ってみましょうか」「そうだね」少し戻るような位置で数分、細い道を引き返した。

 

[マリンパーク?]

 やはり公園になっていた。その場所が、自然の半島(?)だったのか人工的に加工されたのか、それとも人工的に作られたのかは分からないが、砂の動きはほとんどないように思えた。それでも少しの砂をサンプリングした。小雨がちょっとぱらついた。目的の場所へ移動することにし、今度は私が運転した。ちょっと具合の良くない清水さんである。助手席で眠った。道は、もう一本道で南下するだけで、途中、海岸線を気をつけておけば良いくらいの地理である。

 

[小野浦浜]

 十数分走ると、地図にない砂浜らしい景色が見え、道路脇には小野浦海岸と看板が立っていた。車を道路脇の空き地に停め、海岸へ一人で降りてみた。飛砂があるのであろう、飛砂防止の柵が、むしろを横にしてあちこちに張られていた。そこにはこの海岸で細い砂がきれいにたまっていた。砂のサンプルを採ったが、ここの砂ではなく、海岸線の砂で、波動で動かされ堆積している砂を少しだけ採った。この砂の方がこの砂浜の自然の形をしているからである。砂は当然のごとく鳴るはずはなかった。それは、砂浜に入った途端、柔らかかったのである。

 日本海に比較して、風はないのに、寄せる波は高くたくさんの若者がサーフィンを楽しんでいる。砂浜の護岸に立ったとき、波打ち際にはたくさんの小鳥が集まっていた。これが千鳥なのだろうかと思った。千鳥が浜が近くにある。この鳥は千鳥だと決めロマンに浸った。♪♪浜千鳥、、、の詠が思い出された。

 車に戻り、千鳥が浜やお吉が浜の位置を地図上で思い浮かべながらさらに南下した。彼女はまだ疲れ、眠っていた。師崎7kmの標識。そんなときに清水さんはが目を覚ました。「どの辺に来ているの」地図を広げ、確認した。「あれ、もうこんなところ。志波さん、行きすぎているよ」もう先端に近い町まで来ていた。漁業組合場のようなところに入り込んむ。たくさんの人で、朝市らしい様子で10時の開店であろうか。地図を確認して、ここでUターンし、地図上での千鳥が浜を目指した。

 

[千鳥ヶ浜]

 運転を変わったところの近くまで戻ってしまった。紀子さんが地図を見ながら、それらしき道へ入った。細い道になってしまい、家の合間から海が見えてきた。もう動きが取れないようなところへ入った。ちょっとした駐車場があってそこに停めて様子を見に降りていった。「行けそうだよ」一方通行の道に出るとそこが千鳥が浜であった。道路は狭く、倒産したと思われるホテルの玄関前に車を停める。砂が道路の近くに散っていて、飛砂が多いことを教えていた。海浜に入ると、トイレの回りには砂で埋まるような状況であり、海岸は、遠くまで飛砂防止のためのネットがジグザグに張られていた。海には、たくさんの竿が立っていたが、何のためなのか分からない。その合間で、たくさんのサーファーが、あたかもアシカが群れになって泳いでいるかのように波と戯れていた。

 砂は細かく柔らかかった。「何処に書いてあったっけ。世界でいちばん小さな砂とあったよね。」「どのガイドブックだったでしょうね、、、」「ここだったかな〜」きれいな砂をしていたが、鳴り砂の性質は感じられなかった。「煮沸したら鳴るかな」「煮沸すると、鳴りだすの」「え〜、むかし鳴り砂だったなら、今鳴らなくでも煮沸すると鳴りだしたならば、汚れていると判断できるんだよ」「そうなの。楽しみだわ。先程の方の鳴り砂の話しがここの砂浜だったいいわね」先に撮った小野浦浜の小鳥の群れを思いだしていた。砂を少し採って車に戻った。

 旅館街が海の傍まで迫ってきていて、ビルの間の狭い道には、松の木がむかしを思い浮かべるように狭苦しそうにコンクリートの合間からニョキッと立っていた。「面白景色ね」森林に興味のある紀子さんはその景色にすぐに反応した。

 

[お吉が浜]←リンクをたどるに際して、『鳴り砂』コーナーからお入り下さい。

 地図からするとお吉が浜はもう少し戻ったところで、ここと思えるところから左に入った。ホテルの入り口で、さらに海岸の方にある駐車場に停めた。降りてみると、どうも砂浜は見当たらない。千鳥が浜と小野浦浜の間にある砂浜であり、遠くに千鳥が浜が見え、先には小野浦浜らしい景色が見えていたので、この辺がお吉が浜であることは間違いないと思った。それにしても砂浜は全く見えない。「あの人に聞いてみよう」ホテルの従業員らしい白い服を着た人が掃除をしている姿が数十メートル先に見えた。近づいていったら姿が消えたが、手前の広場で洗濯物を干している方がいたのでそこ方に聞いていた。「お吉が浜は何処でしょうか」25000分の1の地図を広げて見せた。「見にくい地図ですね、、、」地図の向きを変えながら「・・・」「ここに神社があるんですが、、、」「あ、そうね。こうだね、、、ここがお吉が浜ですわね」「砂が見えないのですが、、、」「この位置からするとこの先は小野浦海岸だから、間違いないね」「この辺は岩場ばかりだよ、、、」「そうですね。じゃあ、少し歩いてみます」さらに北の方へ進むと、先ほどのおじさんが水道ホースでガラス窓を洗い流していた。「すみません、お吉が浜はこのあたりでしょうか」「そうだね」「砂浜が見えないのですが、、、」「あちらの方が砂浜はきれいだね」「小野浦海岸でしょう」「そうだね」「砂浜どうなったんですか」「ここらは岩場ばかりだね」先ほどの人と同じ答えだった。「そうですか、ありがとうございました」

 「ちょっと向こうまで歩いてみようか」「そうね」ちょっと歩くと、先ほどの小野浦海岸が見えてきて、、今歩いてきたところがお吉が浜であることは地図の上からも間違いなかった。周囲の風景の写真を数枚撮った。

 

[師崎フェリー乗り場]

 「じゃ、南下しようか」「そうね」車のところまで海に沿う私道かと思える人通りのない道の海岸線を歩いて戻った。「今度は私が運転するわ」「やろうか」「また眠たくなったら代わって」「じゃ、お願い」渥美半島に渡るフェリーは11時55分である。10時半を過ぎたほどで、余裕の時間であると思えた。師崎までは一本道で、信号も少なく快適なドライブであった。

 「お茶飲みますか。後ろにポットがあるから飲んで」「ありがとう」咽が渇いていたので戴いた。「紀子さんは、、、」「ありがとう」暑いので少し冷やしで口に差し出した。「お〜暑いわ」「そう、ごめんごめん」少し冷やして今度は手渡しに挙げた。オートマチックのカローラ、静かに走った。

 師崎に着くとたくさんの車が止まっていて、順番を待っていた。観光客はさすがに釣り人が多かった。「この辺に停めましょうか」「そうね」狭い通りに停め、切符を買いに降りた。紀子さんは、サッと降り、私は彼女を追うように切符売り場に入ると、紀子さんは窓口で予定していたフェリーを頼んだ。「車の車種は?」聞かれて手際よく切符を購入した。「伊良子まで」「何人ですか。車の運転者と他に、、、」「一人です」「6300円」高いだろうと予想はしていたが、結構するものだと思った。「良い値段ね」「でも、回っていくと思えば安かもね。時間もかかるし。どれだけ乗るの?」「12時35分に着くから、40分ね」「速いね」「2番、3番に行ってください」切符売り場は、売店になっている。その中をちょっと見回した。

 「フェリー乗り場に行きましょう」「あの車の後ろについておいてください。大丈夫だからね」折畳み椅子に座って切符の点検をしていた男性は女性ドライバーともあってか、優しく声を掛けていた。「観光バスがたくさんだね」「45分までに着いてください」ちょっと降りて海を眺め、写真を撮った。天気も良くなってきて、もう雨の心配はなくなっていた。「トイレに行ってくる」「わたしも」私の方が遅かった。「これおいしいよ」紀子さんが勧めた「じゃ、買おうか」梅味のスナックかしであった。「アイス食べない?」「いいわ、身体が冷えるから」

 

[フェリー]

 時間はすぐに来て、車に戻った。ふと気がつくと、フェリーが大きな口を開けて、乗船を待っていた。停まっていたバスが全部は行っていくのだろうかと思っていたら、マイクロバスと我々の乗用車ともう1台くらいしか乗らなかった。「あれ、少ないね。日間賀島へ行くのでしょうかね」船に乗ったかと思ったら、もう動きだし、桟橋から離れていった。船内は20名程であり、ぱらぱらの人であった。客室に座っていたが、すぐにデッキに出てみた。風はそんなに寒さを感じなく、気持ち以くらいの天候で、素敵な眺めであった。紀子さんも携帯のカメラで数枚の写真を撮っていた。「撮ろうか」紀子さんにカメラを向けたが「いいわ、お化粧もしていないし、、、」とカメラを避けたが、数枚の写真を撮った。「志波さんを撮ってあげるわ、、、」遠くの島々、何年か振りの乗船からの景色がきれいに感じられた。こうして紀子さんと乗っていることがさらにそのことを倍増していた。伊良子から来たの船であろうか、同じような大きな客船と遠くにすれ違っていった。

 「下に行こうか」あたたかかったが、さすがに風に当たりっぱなしでは寒い季節であった。同じ席に座って、窓越しに海の景色を楽しんだ。40分の時間はすぐに過ぎてしまった。「紀子さん、この船に乗ったことあるの?」「ウ〜ン、初めてよ。いい記念になったわ」「そう、塩尻にいたとき、日間賀島へ行ったことがあるけど、どうして来たかもう覚えていないね。でも、渥美半島は初めてで、、、いいね」あっという間について目の前に伊良子港が迫ってきた。乗客は少なく、フェリーの車は3台ほどであった。

 

[ヤシの実博物館]

 伊良子岬港は師崎より大きく、駐車場にはたくさんの車が停車していた。ここはあの島崎藤村の作詞で有名なヤシの実の歌の発祥の地で、ヤシの博物館があった。館内は人が少なく、ゆっくりと見学できた。たくさんの種類のヤシの実があることを知る。車で船外に出ると、恋路ヶ浜の看板が大きく出ていて、浜はすぐに分かった。大きな白波が浜に寄せていた。位置的に船を降りた港がすぐ裏のように思えた。駐車場も広く、たくさんの同じような店が浜に面して寄せ合って立っていた。駐車場は幅広い浜の中央付近にあった。

 

[恋路ヶ浜]

 浜は広く、左端の高台には大きなホテルが、その下には崖を這うようにして道路が走っていた。右側は自然の景観で、岩場が広がっている。寄せる波は、白波ではなく特に左側の波は、黄色い泡のようなものが浮かび波立っていた。

 浜に入ると、砂は粗く柔らかい感触であり、鳴り砂ではなかった。波打ち際の濡れていないところを西(南)側に歩いていった。どの位置もやはり鳴りそうにはなかった。先端は岩が多くなり、きれいなタンポポに似た黄色い花が咲いていた。

 浜の全貌を見たかった。岬には灯台があるはずであり、そこへ行く道を探した。それらしき細い坂道を上っていくと、道筋に白い花が咲いている。デジカメに収めた。広い道に出た。ここからすこし展望が出来た。きれいな砂浜の稜線である。「これは車が通るね。」まだ頂上に行くには距離があるようであった。「一度戻ってから車で行こうよ」「そうね、、、。済みません、灯台はまだ遠いですか」通りすがりの60くらいの夫婦に紀子さんが問いかけた。もうこし距離がありそうであった。来た道を下っていった。 

 

[おみやげ]

 「昼食にしよう」「そうね、どの店にしようか」浜から上がると5,6件の店が、どの店も磯料理かと思える構えをしていた。「何処でもいいね」「うん」「じゃ、目の前の店にしよう」二階が食堂になっていた。たくさんの魚メニューである。紀子さんは牡蛎が嫌いである。「わたし、これにするわ」太刀の魚の定食である。「じゃ、私もそれに」太刀の魚は、子供のころ良く煮付けで食べていたことを思い出す。身が骨から喜齢にとれるので食べていても楽しいというような気持ちがあったことを思い出す。

 「中国で買ってきたブレスレット、、、ばらして必要なところだけ使って、、、」小さな細工がしてある象牙のブレスレットの中国出張でのお土産であった。「ありがとう」「これもう昨年のものだけど、あの時の写真、、、速いね、楽しかったわ。健ちゃんにもこれあげてください。健ちゃん元気にしていますか。」「うん、元気だよ。今年は馬路の子供たちと琴ヶ浜の体験教室をしたり、つい先日は馬路の文化祭と、健ちゃんと一緒で、活躍でした」「そう、たのしそうね。私も参加したいな〜」いろんなことに興味を持っている紀子さんである。今は伐採にはまっていて、電動鋸で枝落とししたり、時には木に登るとか、、、。電動鋸での安全服や安全長靴、ヘルメットなどを一式そろえているのである。「安全服ってどんなものなの」「電動鋸の歯が足に触れたら、鋸が止まるというものなの」「へ〜、すごいズボンだね」どんな材質なのだろうかと、興味が湧き、「私も欲しくなっな、そのズボン」山を歩くのに良いと思ったのである。

 太刀の魚は、両方ともしっぽの方であったので、身が薄かった。そして、焼き魚であるが、焼がすこし弱かったので、身のはがれは思った程よくはなかった。それでも味はよく、おいしかった。紀子さんには量が多かったようである。残した刺し身をもらって食べた。

 食事を終え「あそこの灯台に車で行けますか?」紀子さんは、店の人に聞いた。「いけません、あそこは関係者以外は入れません」「あれ、残念。しかたないね」

 

[石ころと蔓]

 「運転しようか」「いいわよ」「つかれたでしょう」「眠たくなったら、また代わってもらうから」あまり無理を言ってもと、助手席に座った。

 浜の左側を走り、帰路に入った。ホテルの下の道路から、恋路ヶ浜の全景を撮った。「あのホテルのところへ行ってみようか」もっときれいな展望が出来るかと期待してドライブで登ったが、恋路ヶ浜の展望はホテルが占有していて、全く望むことは出来なかった。しかし、その反対側は長く続く浜が一望できた。「あの荒波や浜の形では、鳴り砂の浜ではないね」「そうなの」「波が荒いから砂粒が粗いだろうし、、、」数枚の写真を撮って、すぐに下った。

 しばらく走って、紀子さんは海岸へ通じる道を探して入っていった。もっと、たくさんの砂浜を見せてあげたいと思ったのである。細い道になり、わき道に入って車を停めた。この先はもう海に通じると言うようなところで、そのまま入ってしまえば、Uターン出来ないような道である。その手前で降り、浜へ行った。浜は、ごつごつした岩場で、砂利の浜、、、海に浮かぶ大きな岩に汐たかく打ち砕ける波しぶきが見事であった。「映画のシーンみたいね」「そうだね、、、あの東映映画のシーンのようだね」そん風景であった。紀子さんは、両手にコブシほどの角の取れた丸い石ころをたくさん拾っていた。「何するの?」「蔓で巻いて飾るの」「そうか、良いね」貝殻も拾った。石は両手で持てないほどで、私のリュックに数箇入れた。

 持ち切れないほどの石を両手に持って戻ることにした。覆いかぶった通りの細道の両脇には蔦が巻き付いていた。紀子さんはそれを採りたく一本を引っ張った。私は手伝った。そしてもっとたくさんの蔦を引き下ろし、丸く輪を作った。太いものや形が大きく変形したものなどをたくさん採った。これで先ほどの石に巻き付けるのである。そのためにはと、もう少し細いものも数本採った。「うれしい、、、こんなに柔らかいんだね。これならやりやすわ」「硬くなったのは、水に浸けておいてからすると柔らかく、加工しやすいんだよね。私も以前蔓での工作を習ったことがあるんだよ。たのしいよね」車のトランクに石や蔓、貝などを入れ、紀子さんが運転である。4時を廻っていた。この時間なら、6時くらいには着くだろうと思えた。

 

[帰路と夕食お総菜]

 紀子さんは携帯で家に電話を入れていた。道路は順調に走っていった。わたしは助手席で時々地図を見てガイドした。それよりも紀子さんの方が大きな地図を頭に入れて走っているのである。国道1号に入ると車は渋滞に入った。岡崎に入るともう後は紀子さんの領域である。途中、紀子さんが使っているスーパーに入った。「今日は何にしようか。食べたいのも何かありますか、、、。水炊きにしようか」大きなスーパーで広い店だった。水炊き用の材料を買い求める。

 紀子さんの家に着いたときは、7時を廻っていた。料理はもう準備されていた。みんなでビールを頂き、浜の話に花が咲いた。

 食後、少しの時間、二階の紀子さんの部屋で、紀子さんのパソコンに昨日の水琴窟巡り皆で行った写真と今日の砂調査の写真を、私のデジカメから取込み、観て楽しんだ。

 広いお風呂で疲れを落とさせてもらった。紀子さんは、少し体調を壊したみたいで「、明日の仕事は明日の朝の調子によっては休むことにするわ」。広い一階の畳の部屋で休ませてもらった。

 やはり朝は調子が悪く紀子さんは会社を休んだ。雨の中を豊田駅まで紀子さんが送ってくれ、そこで別れた。リュックは砂で重たくなっていた。その足で名古屋から近鉄で大阪に向かった。電車の中でブレスレットを忘れてきたことを思い出した。しかし、部屋に忘れてきているはずはなかったが、、、。リュックとバックの中には何処にも見当たらなかった、、、どこかに落としたのだろうか?あの食堂に忘れてきた?いや、テーブルにもなかったはずだ、、、。後ほど、車のシートの下に落ちていたと連絡があり送ってきた。

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月ヶ浜

S鳴り砂メーリンググループから、沖縄の竹富村のリゾート開発で鳴り砂の浜がなくなるかもしれないというので力を貸して欲しいという話しが入ってきたという。調べてみると、月が浜という浜が鳴り砂の浜であることがわかった。砂のサンプルをインターネットを経由してもらうことになっている。3/25日お願い。

 2003年4月13日砂を受け取った。私の郵便受けには、不在者票が入っていて4月11日に郵便局についていた。早速鳴らしてみると、高い音で鳴った。黄土色の粒の揃った細かい砂である。データは後日報告します。

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片添えが浜
(21)九州の友人は、ビーチクリーナーの仕事をしている。その友人が山口県大島郡東和町へ行った時の情報で、ここの片添ヶ浜が鳴り砂の浜であったという情報を得て、知らせてくれた。東和町の観光課に問い合わせてみた。

 はじめまして、島根県邇摩郡仁摩町の仁摩サンドミュージアムの志波ともうします。
我々のところでは、砂の展示をしているところで、各地の砂浜などの調査・情報を収集しています。
友人から貴町の片添ヶ浜はきれいな砂浜で、昔は砂浜を歩くと音がする砂浜であったとの情報が入りました。
つきましては、その情報をもう少し詳しく知りたいと思いまして、メールさせてもらいました。

 1)いつごろまで鳴っていたのでしょうか?

 2)現在、砂浜のどこかの位置でも鳴いているところがあるのでしょうか?

 3)季節によっては鳴るのでしょうか?

ご多忙中のところ、お時間がありましたら、お答えくださいませんでしょうか。お願いいたします。

 

 

返事がすぐ来た。

『志波 様

 いつもお世話になります。
さて、メールを拝読いたしましたが、そういった事実は確認できませんでした。ただ、整備以前の砂浜は、町のお年寄りいわく、「昔はどこの砂浜もそうだと思うが、歩く時に足が砂に沈む感じが、キュッと音が鳴っているようだった」とのことです。「人によっては、音が鳴っていたという人が居てもおかしくない」とも。

*************************************

〒742−2592 山口県大島郡東和町大字森933−1

 東和町 経済観光課 商工観光係

TEL(0820)78−2202 FAX(0820)78−0751
E‐mail keizaitowa@towatown.jp
URL http://www.towatown.jp <http://www.towatown.jp/>

************************************* 』

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福光海岸

22)2003年6月27日メモがあり、福波小学校教頭特留先生に電話した。福光海岸が鳴りますよ。会館の前あたりです。という情報が得られた。

 

油谷中学校

23)2003年10月1日山口県大津郡油谷町立油谷中学校の古田幸広先生より、綾羅木、安岡、只の浜、青長谷の砂が送られてきた。

 

 メールには、現地では青長谷も只の浜も鳴りませんでした。安岡と綾羅木は試していませんが,以前下関に住んでいたとき,綾羅木は昔鳴り砂だったということを聞いたことがあります。それから安岡付近では今だにか最近までかわかりませんが,石英砂の採取をしていたそうです。

 

青長谷に関しては,うちの学校で試したときには乳鉢と乳棒で鳴ったんですが。何ででしょうかねえ。

洗浄を行っての実験を青長谷と安岡,綾羅木はしていませんのでまた砂を取ってきてやってみます。そのときはまた出きるだけ多くの砂を送りたいと思います。

またよろしくお願いします。

759−4711 

 

 山口県大津郡油谷町大字後畑267 

油谷中学校 古田幸広

電話 0837−32−1149

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おしゃまんべ

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長万部・静狩
24)長万部・静狩

長万部の砂

1.サンプル

 

 VSQの高岡氏から100gほど送られてきた。2003.9.9採取されている。

 長万部の砂とは、イタンキ浜だと思われる。→イタンキ浜ではなく、”静狩の浜”だと分かった。

この付近は、礼文華海岸、大岸海岸などの鳴り砂の浜がある。さらに、東へ室蘭まで行くと、イタンキ浜。

2.粒子

 ・着色粒子が多く含まれている。

 ・イレギュラー粒子が多い。

 ・粒度は、300μ程度である。

3.サンプルの状態

 ・何とか鳴り砂の性質を示している。

 

fukuoka

25)福岡県の数々の鳴り砂の発見は,福岡市博多区在住金子孝憲氏による.これにより島根県を一気に抜いて日本一たくさんの鳴り砂の浜を有する県となった.

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hamagurihama

262004.7.12

 金子さんより以下のメールの返事が来た.「上五島、有川町」に「蛤浜」が鳴り砂であるというのである.

 

 暑中お見舞いのお便り有り難うございました。私の方は7日より32才の甥の不幸で鹿児島に昨日まで行っておりました。まだ若いのにガンで逝ってしまいました。なにやら色々と用事がたまりやっと片づきました。テレビでは梅雨が20日ほど早く明けたように言っておりました。御地は如何でしょうか?。「梅雨明け10日」と言う言葉もありますのでこれからが暑いと思います。博多山笠の「追い山」はきっと賑わうことでしょう。変な話ですが幾人もおります甥、姪のなかで甥の嫁さんが「五島」出身のがおりまして通夜の席で海の話をしておりましたら「上五島、有川町」に「蛤浜」と言うのがあり、そこの海岸では「砂が鳴ります」と言うではありませんか。佐世保から高速船も出ておりますし是非行きたいと思いました。「ホントかな?」と疑いつつ。早速、町の観光協会などに電話をしましたが知りませんでした。地図を見まして、ネットで見ましたらまんざらでもないような気もしました。「熱中症」には氣をつけながらぼちぼち行きたいと思います。「現代農業」、買い求めてきました。部屋の中の「水琴窟」とはうらやましいことです。これから選挙に行きます。

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27)鳴り砂の浜が,今年は一気に発見されている.九州では友人の小まめな調査により,現在34カ所が確認でき,全国で一番の県となった.

 物事は何でもそうだと思うが,いつも自分の中で思い続けていることで,情報が集まってくるものである.それは外から入ってくる場合もあるし,自分が遭遇することもある.

 私はいつももしか袋を持ち歩いている.見える袋(実際のビニール袋の様なもの)と見えない袋(自分の脳裏の情報の引き出しとでも言おうかアンテナを張っておくこと)である.

 

 日本ナショナルトラストが発行している『全国鳴き砂(鳴り砂)ネットワークNews』No.9 MARCH ,p5,(2004)を見る機会が今日(2004.7.20)できた.その中にわたしの日本鳴り砂分布にない新しい鳴り砂の浜が記載されていた.それは

  1)青森県八戸市 「種差海岸」

  2)福井県美浜町 「水晶浜」

  3)愛知県渥美町 「恋路ヶ浜」

の3カ所である.

 

 恋路が浜は,わたしも2002年11月に二人して歩いているが,残念ながらその時発見することはできなかった.その時のサンプルがあるが,非常に粗い砂であり,現地の浜を相当の距離歩いたが,ダメだった.1

 この情報が,現在鳴っているのかそれとも,昔は鳴っていたという情報なのか分からないが,鳴り砂の浜を発見するのは,にわかの調査ではなかなか見つからないものであると常々思っていることがここで私も出くわした.

 上記3ヶ所の砂を診てみたいものである.そしてもう少し詳しい情報が欲しいところである.

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28)日本鳴り砂分布が昨年は一気ににぎやかになった.福岡市天神在住の金子孝憲さんのくまなく調査された結果である.島根県を抜いて日本で最も鳴り砂の浜の多い県になった.琴ヶ浜の鳴り砂の音より良いところも発見された.これにより,鳴り砂分プは160を越えた.

 

nasyunarutorasuto

29)2005.3.15の朝日新聞に日本ナショナルトラストが調査した鳴り砂情報で,私のところにないあらたな浜が見つかった.現在そこは音を発していないということであるが,むかしは鳴いていたという.

 太櫓海岸 北海道北樋山町:30年前くらいは下駄をはいて歩くと,キューキュー鳴ったという.

 折腰内海岸 青森県小泊村:オートキャンプ場建設で消滅した

 瀬波温泉海岸 新潟県村上市:流れ込む川の上流にダムが造られて砂が無くなった.

 網代浜    新潟県聖籠町:60年代の高度成長で海が汚れたため鳴らなくなった.

 白鶴浜    長崎県天草町:60年代の高度成長で海が汚れたため鳴らなくなった.ここは5,6年前天草の観光協会や珪砂工場へ鳴り砂の件を問い合わせたことがあるが,その時は鳴り砂の浜であることは知らないという返事だった(志波)

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chikyuukagaku

30)2005.3.26 ”平成16年度島根県高文連自然科学専門部研究集録”担当(松江市立女子高等学校)持参,より

大田市高校地球科学部(指導担任:辻)が出雲市から江津一帯の海岸を調査して発見した.

 朝山 大田市多伎町:煮沸してもならない.粒度が粗いようである.鳴り砂ではない.

 田儀 大田市多伎町:水の洗浄で鳴った.

 砂原 大田市多伎町:水の洗浄で鳴った.

 久村 大田市多伎町:水洗いで良く鳴った.

 板津 簸川郡湖陵町:水の洗浄で鳴った.

 向原 出雲市:水洗いで幽かに鳴った.

 稲佐の浜 出雲市:鳴らない.

 中荒木  出雲市:鳴らない.

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nihonnasyonaru

 31)2005.5.21日本ナショナルトラストから,”観光資源としての鳴き砂(鳴り砂)の浜の総合調査報告書,2005.3”が送られてきた.

その中に,新しい浜が発見されたとして,以下の所が記載されていた.

 静狩浜 北海道長万部

 太櫓海岸 北海道北檜山町

 種差海岸 青森県八戸市

 吉浜海岸 宮城県大船渡市

 浪板海岸 宮城県大館市

 水晶浜 京都府美浜町---藤原氏の詳細な調査,2005.5.28.で,鳴り砂の場所があることが分かった.32)参照.

 青浦・吉浦 島根県温泉津町

 倉江浜 山口県萩市

 赤屋の浜 山口県油谷町

 月ケ浜 沖縄県竹富町

 紫色の浜の情報は,すでに私がとっくに発表したところである.

 日本ナショナルトラストの調査で新たに発見したという表現は全くおかしいと思う.アメリカ大陸は日本ナショナルトラストが発見したというような報告と言っても過言ではない.さらに,吉浦浜は,全く鳴らない浜であり(温泉津一帯は,私がくまなく歩いて調査し,新聞にも発表した),もっと慎重な調査をしてもらいたいものである.

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fujiwarashi

32)2005.5.28,京都府在住,藤原重彦氏--->詳細な記録があり,公表の了解を得ていますので後日報告いたします.

 私のHPをご覧になり,京都府と鳥取県を調査され,詳しい報告が送られてきた.数ヶ月,私が歩いていたところや新しいと浜など詳細な調査をされたものである.その中で,新しい砂浜が発見された.

 ・水晶浜 福井県美浜町---これは日本ナショナルトラストが鳴り砂の浜であると言っていたが,ほんの一部のところであり,詳細に歩かないと見つからないようなところであったと,藤原さんの快挙報告である.

 ・ダイヤモンド浜 福井県美浜町---水晶浜と近いところであるが,岬を挟み水晶浜の位置とは違っている.また,地元の方の浜の名前も違っているということも確認されている.

 ・丹生海岸 福井県美浜町

 ・小羽尾(こばねお) 鳥取県岩美町

 ・小栗ヶ浜 鳥取県岩美町

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宇野様

33)2005.6.22

 京都府網野町,鳴き砂文化館館長の宇野様から,網野町在住のかた(平井様)の丹後半島の砂浜調査結果が砂と同時に送られてきた.

 ・袖志 宇野氏2002.10

 ・中浜 2005.6.20,藤原氏確認○

 ・大久保の浜(平) 40年前は鳴り砂だった(平井)

 ・長浜東

 ・長浜西(キュキュ場か?) 2005.6.3,宇野氏確認◎,2005.6.18,藤原氏確認◎

 ・砂方海水浴場 2005.6.18,藤原氏確認×

 ・砂方漁港 2005.6.18,藤原氏確認×

 ・砂方キャンプ場 2005.6.18,藤原氏確認◎

 ・ねこ浜 狩野氏発見2005.6.4. 藤原氏確認2005.6.13

 ・小浜東(水晶浜)2005.6.13,藤原氏確認

 ・小浜海水浴場 2005.6.13,藤原氏確認

 ・夕日ヶ浦(浜詰)

 ・八丁浜 平井氏判定△,2005.6.13藤原氏確認,全く鳴らない.

 

この時点で,私の調査での鳴り砂浜の集計は

 186カ所である.

たくさんの浜が詳細に調査されてくると,私の調査の中で,重複している浜もあるようである.この辺のことも随時調べていかねばならないと考えている.

     ※ 31)〜33)=2005.7.25記載する(志波)

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新舞子の浜

34)兵庫県御津町の新舞子の浜が鳴り砂だった!

 

掲示板に以下のような情報が入ってきた。瀬戸内海での鳴り砂の浜として非常に興味ある、重要な情報である。

 

 

 『中学のころ(50年前か)兵庫県の西に御津町に新舞子の浜がありました。その奥のほうに鳴き砂の浜があり同級生と不思議におもいました、当時は「鳴き砂」など話題になっていませんので、それ以上追求していませんでした、昨年孫をつれて潮干狩に行った際にその浜に行き鳴るかとおもったが、砂がどっしりと重たく感じました。

石英質のすなでしたのでもしかしたら。煮沸洗浄すればなるでしょうか、ただ粒度の問題だありますねかなり細かいです、

もし機会があればサンプル持ち帰ります、 』

 瀬戸内の浜だけど 投稿者:TOM太田  [メール送信] 投稿日:2005/09/10(Sat) 18:28  No.76    [返信]

anedomari

35)鳥取県鳥取市の姉泊海岸が鳴り砂の浜であるという

 2005年全国鳴き砂(鳴り砂)サミット IN 横浜の資料が送られてきたが、姉泊海岸が鳴り砂([鳴り砂]>[鳴り砂の最新情報]22.項)であるという情報が記載されていた。『〜調査・確認の上これらを鳴り砂の海岸として認定し、鳥取市として〜』とある(鳥取市教育委員会文化財課あおや郷土館tel 0857-85-2351)。この近傍には、長和瀬、水無瀬、青谷、船磯、浜村、水尻などの鳴り砂の浜がある。

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大崎海水浴場 

36)2005.10.22,山口大学理学部地球科学教室(宮田雄一郎研究室)

二宮 崇 君が鳴り砂の浜を新発見!

-大崎海水浴場,相賀北浜-

(情報2005.12.20Up)

以下のようなメモが,砂(6ヶ所)と一緒に同封されてきた.

--------------

 

志波先生

 

 科学の祭典ではお世話になりました.津島の調査の帰りに帰省した折りに採取した砂のサンプル送ります.12月9日更新鳴り砂リスト拝見しました.サンプルした浜が載っていましたので,参考になればと思いお送りします.唐津市の相賀の浜はリストにありませんでしたが,鳴りましたので送ります.状況は以下の通りです.

1.長崎県松浦市 ぎぎが浜 2005.10.22採取

・きれいに清掃してありました.非常に鳴りが良いと思いました.

・すり足で現地確認

2.長崎県松浦市 大崎海水浴場 2005.10.22採取

・きれいに掃除してありました.なぜか鳴りました.

・ワイングラスとすりこ木で現地(乾いたところ)確認.

 

※電話で市役所に確認したところ,リストにある下田海水浴場(鳴らない評価)は人工砂浜だと言っていたように記憶しています.(再度確認が必要です)

3.佐賀県唐津市 幸多里浜(海に家の下) 2005.10.29採取

・ゴミが陸側に散乱.ご指摘通り,煮沸しないと鳴りが悪いようです.

(志波レポート)

4.佐賀県唐津市 相賀(おうが)北浜 2005.10.29採取

・ゴミが陸側に散乱.(幸多里浜よりひどい).海水浴場.ウミガメが産卵する浜として知られています.場所は,幸多里浜から3キロくらい先(呼子の方へ)にある浜.

・一袋だけ(波側から採取したもの?)煮沸なしで(鳴りの持続は短いものの)鳴りました.帰省の折り,確認したいと思います.

・濡れていたので,持ち帰って天日乾燥させて確認.

5.福岡県二丈町 姉子の浜 2005.11.13採取

・トイレと展望室があるところの西側にある(唐津側)の駐車場の下のものです.(一番西側駐車場)幽霊ホテルまでは行きません.

・すり足で現地確認.

 (志波レポート[鳴り砂]>[日本の鳴り砂浜の現状])

 山口大学 宮田研 二宮 崇

-------------------

九州玄界灘に面した海岸線にはたくさんの鳴り砂の浜が分布している.鳴る程度はさまざまであるが,鳴り砂の浜が無くならないように何らかの保護を訴えねばならないと思う次第である.

 二宮君のレポートにもあるように,幸多里浜や相賀北浜など汚れがひどいということが気になる.今の時期は観光客はサーファーくらいであろうが,ここで言う汚れは漂着物であろう.漂着物が直接鳴り砂に打撃を与えるというわけではないが,汚れているという印象は,やはりモラルの問題であり,目に見えない鳴り砂に影響する汚染物質もあると考えるほうが妥当であろう.

 幸多里浜や相賀北浜の鳴り砂の時代的変化がどうなっているのかを知る余地はないが,きっとの野放しの汚染が進行していると想像される.2005.12.20(志波).

貝塚市 

 

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37) 2006年の年賀状に鳴り砂浜情報

「子供のころ,貝塚浜は鳴っていましたよ」

と大学の先輩からの年賀状の挨拶に書かれていた.

うれしいお年玉である.

ところでどの辺りなのか.また,聞いてみる.速報として報告した.

地図を見ると砂浜の形跡は全く見られず,埋め立て地の海岸線といったところである.

 

38) 2006.2.5親族が集まる機会があ あり,佐賀在住の従兄弟が佐賀新聞を持ってきてくれた.それは鳴り砂の記事で仁摩サンドミュージアムのことがでていて,私のここも書かれていた.

幸多里浜や相賀の浜(おうがのはま)の砂を煮沸したら見事にすばらしい音を発したというのである.玄界灘一帯から唐津湾,伊万里湾と友人がくまなく歩いたが,相賀の浜が鳴り砂であったということはチェックできなかった.このような発見は,地元の強みであろう.

 この浜は、”相賀北浜”(二宗君)と同じ浜かもしれない!

 

  192カ所となった。

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三浜 

39)福井県”三浜”。鳴り砂発見!(2006(18).3.25)  2006年8月7日受ける。

  京都市在住の藤原重彦氏からの情報で、詳細な調査資料とともに砂が送られてきた。

 

「3月25日,今年3回目の鳴り砂調査だ。京都府内においては丹後半島以外では鳴り砂は見つかりそうにないが宮津,舞鶴市の海岸部には花崗岩が分布しているところが多く,鳴り砂浜がありそうに思えてならない。郷は手始めに舞鶴市の北部に位置する若狭湾に面する浜(瀬崎浜・三浜)に行く。〜80才台のおばあさんがおられたので「鳴り砂の調査をしています。ここの浜は鳴りますか?」と聞くと「はい,鳴りますよ。今は湿っていてだめだがワカメのときには良くなります」とのこと。「ワカメのときとはいつですか」と聞くと「4月,5月,どこでも鳴ります」とのこと。大変重要な話しを聞けた。三浜が良い鳴り砂の浜であることは確かなようだ。〜その音を聞いて50才台の犬の散歩中の男性が「鳴っていますね」と話しかけてこられた。その男性は「7〜8年くらい前まではすり足で鳴いていた。離岸堤と突堤ができてから砂がこなくなった。東の突堤の東の浜には細かい砂があります。久しぶりに鳴り砂の音をきいた」とおっしゃった。先程のおばあさんの話とは少し違うが,4月のおわり頃にもう一度来て確かめでみよう。〜鳴り砂ポットで特別良い音ではないがキュッキュッと鳴った。

 藤原氏のレポートから抜粋。

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 193ヶ所

鳥の海 

40)仙台湾の鳴り砂、”鳥の海”鳴り砂発見!

 仙台湾鳴り砂研究会代表、早川紘之氏から調査資料とサンプルが送ってきた(2006(18)7月6日)。亘里海岸の一角である。よく鳴る!。平成17年5月23日に発見されている。

「〜宮城県の中央部から南部にかけては,40〜50kmの長さの砂浜がありますが,本当に鳴り砂が存在しないのだろうか?もし,存在するとすれば手遅れにならないうちに,保護対策などがとれるのではないか?と思ったのがきっかけで「仙台湾鳴り砂研究会」を平成15年10月に立ち上げ,調査を開始したものです。昨年10月まで約2年間をかけて,仙台湾内の主だった35の砂浜(98ポイント)の調査を完了し,その結果,下記の2ヶ所の砂浜に,Aランク(かなり良く鳴る)と思われる砂を発見しました〜」という手紙と同時に砂が送ってきたのでチェックさせてもらった。いい鳴り砂である。鳥の海---新発見,室浜---確認

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居組浜

41) 兵庫県に鳴り砂浜発見!『居組の浜』195ヶ所目 
       ー兵庫県
美方郡新温泉町居組

YShiwa 7/16(月) 21:12:28 No.20070716211228 返信 削除

  京都市在住の「藤原重彦氏」から、久しぶりに鳴り砂情報が以下のように入ってきた。久々の鳴り砂浜の発見である。

========
 志波靖麿 様

 ご無沙汰しております。東京にお住まいとのこと、いかがお過ごしですか。さて、遅くなりましたが去る5月23日に兵庫県の西端に位置する新温泉町(旧浜坂町)居組の浜に行ってきました。

 この浜は古い地形図では非常に小さい浜ですが、最近砂の量が増えて比較的大きな浜なったようです(原因が人為的な砂の投入かどうかについてはまわりに人がほとんどいなくて聞くことが出来ませんでした。添付ファイル「居組25000地形図カシミール.jpg」「居組・西北西から.jpg」参照)。


 砂はわずかに褐色かかった白灰色の非常に細かい砂(細砂サイズ)で太陽の光を受けて所々(3〜10cm間隔)でキラキラ光っていました。

 浜の西端付近を除き、満潮時の波打ち際から2〜3mくらい陸側のゾーンにおいてどこでも長靴のすり足でキュキュ鳴りました。当日は良い天気で太陽の光は強く、風も弱く、熱くて裸足では到底歩くことが出来ませんでした。さぞ、鳴り砂ポットでは良く鳴るだろうと期待しましたが期待したほどではありませんでした貫入時の抵抗が少し弱く感じました

 この地は、鳥取県東端部の嵐ヶ浜,東浜、小羽尾浜等の鳴り砂浜に隣接し、後背地に鳥取花崗岩が広く分布するという共通点を有しています。

 また、時間が出来れば調査記を作成しお送りしたいと思います。

=====ここまで
-藤原氏は、丹後半島などたくさんの鳴り砂の浜を発見確認されている。以下のHPを参照。

http://yspowder.hp.infoseek.co.jp/

『鳴り砂』>『鳴り砂の最新情報』>『丹後半島の鳴り砂』

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老部東通村

42)「老部浜」 青森県東通村 宮城県仙台市名成高校/石丸一男先生

 青森県東通村老部浜
<アオモリケンヒガシドオリムラオイッペ>

 2007(19)年9月1日,宮城県仙台市の明成高校教諭、石丸先生から以下のようなメールで鳴り砂情報が入ってきた。
 メール内容と添付書類で送られてきた報告書をそのままアップさせてもらいました。
 情報によると素晴らしい鳴り砂の浜であることが伺える。どのような感度なのか、先生の検査を待ちたい。
 日本にはまだまだ知られていない素晴らしい鳴り砂の浜があり、そのような場所が消えてしまわないよう、保存を考えねばならない。
-
[メール]
皆様,ご無沙汰しています。

仙台の石丸です。こちらはやっとすごしやすくなりました。
さて,この夏休みの7月末に,研究会で函館に行きました。車で行ったので,その帰り,海岸の調査をしました。添付に示しました通り,鳴り砂の新産地を見つけました。かなり広いと思われます。砂のサンプルは少量しかとってきていませんが,
良好な音がしました。

 取り急ぎ報告まで。

−−−−−−石丸 一男  Ichio Ishimaru


〒981−3222
仙台市泉区住吉台東1−6−4
Tel 022-376-3887
E-mail:ishimaru49241@mni.ne.jp 

勤務先 明成高校
〒981−8570
仙台市青葉区川平2−26−1
tel 022−278−6131

−−−−−−
[報告書]

   青森県の下北半島東側で新たに見つかった,鳴り砂海岸について
 日時 2007年 8月1日 
 場所 1 青森県
東通村老部(おいっぺ)
       老部(おいっぺ)川の河口南の海岸です。
 
      白色部と,砂鉄部が明瞭に分かれています。海岸部に露出している岩石はdacite
地元の昆布漁をしていた人と話をしました。
      
      
石丸「ここの砂浜は歩くとキュッキュッ鳴りますね
      猟師「そうそう,
昔から鳴っていた
      石丸「あまり広く知られてないですよね 」
      猟師「そうだ,広めて欲しい」
      ・・・人が来ない地域なのでしょうね

 
    2 青森県六カ所村尾鮫の海岸・・・北部にも老部(おいべ)川と1と同一の漢字を使う川 がありました。
良く鳴ります。乾いていて,厚いところはすこぶる良い音です。
 
  六ヶ所村の東海岸は,自衛隊の演習場(海岸が射爆場になっている)なのであまり出入りがないのと思いますが,見るからに白砂。かなりの範囲が鳴るのではないかと思います。無断ではいって後で何かあったら困るので,立ち入りませんでした。ちょっと後悔しています。いつか生徒を連れていってみたいです。
[ここは、猿ヶ森砂丘であろう、鳴り砂の浜である(志波)]
 
2007年8月1日
 1 東通村老部の地図・・・老部川の河口南 300m以上
   緑色の部分が鳴ります。

 2 六ヶ所村の海岸
ーーーーーーーーーー 
ここまでが報告書

  詳細な資料は後日、石丸先生から送られてくることになっている。楽しみにしてください。

 本文中にもあるように、老部の地元の方が鳴り砂の性質をよく知っていただき、大切な宝物としていただくことを願うものである。地元の方の話しをもっと聞きたいものである。地域とのネットワークを作ることを提案したい。仁摩町琴ヶ浜も素晴らしい鳴り砂の浜ですが、単独の行動であると感じる。

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老部六ヶ所村

43)老部浜 青森県六ヶ所村 名成高校、石丸一男先生 197ヶ所
  ー老部の鳴り砂/2ヶ所ー

◎アオモリケンカミキタグンロッカショムラオオアザ ブチ(サメ?)
   
青森県上北郡六ケ所村大字鮫

◎アオモリケンシモキタグンヒガシドオリムラオオアザ シラヌカ  
   
青森県下北郡東通村大字白糠

1)老部の二ヶ所情報
2)老部、出戸、小田野浜の確認情報
   1)項の私の質問に対する回答ーーー>「出戸、小田野浜と老部は全く別のところ」です。
-
 名成高校、石丸先生から以下のようなメールが入ってきた。老部川は2ヶ所ありその河口の両方とも、正しく鳴り砂であるというのである。地図を見ると、全く同じ老部川とある(上地図参照)。知らないものは、間違ってしまう。先生のご指摘は、私の日本の鳴り砂分布でもう一ヶ所追加されるのではないかということである。
 地図を調べていたら六ケ所村の老部川河口から北へ4.1kmのところに、出戸川が太平洋に流れ込んでいる。「出戸(デト)」も鳴り砂の浜である。太平洋側六ヶ所村から下北半島先端の尻労(シッカリ)までの鳴り砂の位置は、
六ヶ所村老部←4km→出戸←17km→東通村老部←3.5km→小田野沢←11km→猿ヶ森砂丘←9km→尻労
と続いている。

 ここで気になるのは、出戸と小田野沢である。
わたしの情報の「出戸」と「小田野沢」が、

  出戸=六ヶ所村老部
  小田野沢=東通村老部

とならないか心配である。3~4kmの距離の差であるが、地図を見るとこの一帯は広い海岸線であり、情報の交絡があるかもしれない。
 この一帯の詳細な調査が必要である。GPS計測等が出来ればこのような間違いは無くなるのだが。

-on 07.9.2 9:23 PM, Ichio Ishimaru at ishimaru49241@mni.ne.jp wrote:

志波様

HPありがとうございました。
大変感激です。学校でも学園祭の準備をしながら,生徒と見させて頂きました。

 ふと気づいたことがありましたので,お知らせします。
老部川が2つあるので混乱しますが,

 
1つは東通村オイッペ
 2つめは
六カ所村オイベ

の河口付近の砂浜で,これらは21km離れています。2カ所の鳴り砂海岸ということになります。196とあるのは産地数だと思いますので,カウントは2となるのではないかと思います。

 資料はすぐには送れない(学園祭・期末考査と続いてしまうのですみません)のですが,間違いなく現地でなりますし,地元の証人もいます。

すみませんが,よろしくご検討ください。
−−−−−−−−−−−−
石丸 一男  Ichio Ishimaru
〒981−3222
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−−−−−−−−−−−−
-
-メール02[2007.9.5]
「出戸、小田野浜と老部について」
志波様
 台風の様子はいかがでしょう。(台風9号のことーーーしわ)ここ仙台も大雨です。連絡ありがとうございます。

 ・出戸=六カ所村老部

 ・小田野沢=東通村老部

ではありません。

 志波さんの鳴り砂分布図から小田野に行こうと最初は考えていたのですが,全く場所は違います。小田野沢と報告された方が,この場所(老部)と勘違いしていたら別ですが,地区が全く違うので,勘違いという可能性はないと思います。
 小田野沢は国道338から離れ,集落があって,その東が海岸です。
老部は,北から来ると,同じ国道が東に曲がって,すぐ海岸で,この砂が鳴り砂海岸です。残念ながら海岸の名称まではわかりません。場所はここに間違いありません。北から,小田野沢,小老部川,老部川となっています。

 出戸も同様な関係だと思います。六ヶ所村の老部川の河口は写真でもわかるとおり,南に漁港が写っています。出戸は私はいっていませんが,同じ場所を示すとは考えにくく,地図で見ても明らかなように,この場所は尾鮫ということになります。もしこの場所を出戸としていたら,それは地名の間違いです。むしろ,出戸に鳴り砂があるかどうかの問題になると思います。

 いずれにしろ,この海岸線は連続しているので,ひょっとしたら,山陰地方と同じように,鳴り砂銀座(?)になるのではないでしょうか。
 すぐにはいけませんが,いつかチェックしてみたいと思います。


[志波意見]
※ 了解した。
※ 尻労、小田野浜、出戸などの情報は、文献からの「はじめに」項の情報で、「その地域が鳴り砂の浜です」という程度で、実際に地図や科学的報告ではありません。ーーー2007.9.6資料を探し、確認しました。
※ 長い海岸線の鳴り砂の調査、楽しみにしています。福岡県、島根県、鳥取県、京都府などにたくさんの鳴り砂の浜があるということは、地元の方の詳細な調査があるからだと思っています(たくさんの宿題が残っています)。日本全国まだまだたくさんの鳴り砂の浜があると思われ、宮城県、岩手県、青森県〜などもっと発見されるでしょう。秋田県、山形県などに見つかっていないのは、きっと調査されていないと考えられます〜。少しずつ調査しまとめていかねばと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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44)東伯郡湯梨浜 198ヶ所目

誰が山の陰と名付けたのだろうか

その風景は陰なんかではなく、むしろ日が照りだして、いまもきれいな自然がある。

僕の母親は鳥取県東伯郡泊村の生まれで、僕は、25年ぐらい前から20年前まで毎年夏この海岸に来ていた。

今は丘の上に風力発電用の大きな風車がそびえ立ち、村の電力をまかなっているのだろうか。力強く回っていた。

この景色を見ると祖母を思い出す。

祖母は早くに旦那(祖父)を亡くし、女で独りで4人の子供を育てた。その中の娘の独りが母だ。祖母は良い所のお嬢さんだったらしく、東京の女子大学を卒業した。女学生時代の寮には洗濯機があったという話だから、恵まれたいたほうだっただろう。学生時代に習った和裁の先生をしながら、4人の子供を育て、皆大学に行かせた。僕が見た祖母は、すでにおばあちゃんだった。しわくちゃだったが、厳しく、優しい人だった。祖母の家から泊の海岸には歩いて5分、走って1分程度だった。

昔は、足を踏み入れると、砂が鳴る、鳴り砂のきれいな砂浜だった。鳴り砂は、粒子がある程度の大きさに適当に配球されたものが、ある程度均一に保たれていなければ鳴らない。不思議で絶妙な自然の神秘がソコに集まった砂浜。今は珍しいらしい。

永遠と続く遠浅の砂浜には、桜貝が落ちていて、当時いがぐり坊主だった僕は、割れていない桜貝を探して、いつまでも浜辺を歩いていた。大好きな祖母に、きれいな、壊れていない桜貝を見せて、ほめてもらいたかった。祖母に取っては何でもない桜貝を、自慢げに見せる孫だったろう。

14、15年前だったか、突然祖母が脳死の状態になり、家族全員で田舎に行くことになった。病院では、すでに自分では呼吸することすらできない、祖母が居た。呼吸器を外すまでの大人たちの会議の時間が続く中、僕は手持ち無沙汰になって、小雨の中、この海岸へ行き、永遠と走り続けた。部活を休んで来たので、体力を落とさないためと皆に伝えて、海岸を走った。桜貝を探して。

愛着を込めて田舎と呼ばせてもらうが、こんな田舎でも海岸が開発され、遠浅のきれいな砂浜は姿を消してしまった。今では砂が鳴るのかさえもどうでも良くなってしまうほど、どこかのゲームに出てきそうな基地みないな無機質な建物が海岸を占領している。たまに来る昔を知っている僕のような人間は、あれを見るとがっかりする。地元の人はそういう価値観で見ていないかもしれないが。

丘の上に行くと、そんな思いを吹き払うかのように、”びゅんびゅん”と大きな風車が力強く良く回っていた。

祖母が厳しく、優しく、前に進めと言っているかのように。


初めまして。yasuyshiwa32さんのホームページ拝見しました。とても勉強になりました。鳴り砂はとても神秘的ですね。絶妙なバランスで音が鳴る。砂が鳴らなくなったら、それは何かのサインなのかもしれません。なくならないようにしたいですね。

泊村でも、小浜や石脇海岸の方では無く、泊漁港のすぐ横あたりの小さな砂浜です。一枚目の写真は丘の上から泊漁港を撮ったものですが、砂が鳴っていた場所には、今は漁港の横にある何かの施設が建設されていて、昔の形跡はありません。記憶が正しければ、たまに砂を脇町かどこかから運んできていたかもしれません。砂が多くなっているときがありましたから。

奥の砂浜は今でも砂が鳴るかもしれません。
形は変わりましたが、それでもまだ、とてもきれいなです。
以下は奥の砂浜のリンクです。印の右側(何かの施設がある)が実際昔砂が鳴っていた浜です。
http://map.yahoo.co.jp/print?ei=UTF-8&lat=35.30.37.361&lon=133.56.16.488&sc=4&mode=aero&type=scroll&layer=1&po
2007/12/3(月) 午前 0:19 [ shedfourre ]

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45)新潟県神林村の塩谷海岸  199ヶ所

2008.8.21二見正憲氏のメモ 
 この方は、仁摩サンドミュージアムに長年、きっと10年位は各地の砂を送ってきてくださった方である。沢山の砂を倉庫に入れていたが、いつの間にか全部捨てられてしまった。1997年9月の二見さんからのメモが私のファイルあることが出てきた。そこには、新潟県神林村の塩谷海岸が鳴り砂だったという情報であった。
 早速電話をした。8月30日(土)小田急町田で会って話しをすることになった。
関東地方の大雨のため中止。9月21日に延期した。 

  新潟県にも少しずつ、鳴り砂の浜の発見が増えてきた。 

 199ヶ所となった。

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46)宇野海岸が鳴り砂ー鳥取県東伯郡湯梨浜大字宇野ー

 資料を整理していたら2008(H20).9.30、

星見清晴(鳥取県立博物館学芸員):”郷土と博物館”鳥取県立博物館、第37巻 第2号(通巻74号)平成4年(1992)3月

「鳥取県下に分布する鳴り砂について」

の文献が出てきた。

 鳥取県下の岩美郡岩見町の東浜から西の弓浜半島(半島は除く)までの鳴り砂調査の詳細な報告があり、そこに私の鳴り砂分布に無い個所があった。

東から以下の浜が調査されている。以下の表示で、”−−−”の右に示した海岸名は、私のHPの鳴り砂分布に表示されているところの浜であろうと思われる。

星見氏の調査で私のリストにない浜は、宇野海岸である。宇野海岸の調査結果は、星見氏の報告では感度良好◎の鳴り砂の浜である。

東浜海岸◎
浦富海岸○
大谷海岸×
福部砂丘
ーーーー湯山海岸
浜坂砂丘◎==福部砂丘と浜坂砂丘の間に、このように三個所の鳴り砂の浜の印(◎◎○)が付いていて明確な浜の名称は記されていない。この間は、鳥取砂丘と記されている。
    ○  
浜坂砂丘までのこの二ヶ所は私のリストにないところである。
湖山砂丘×
末恒砂丘×
白兎海岸ばつ
小沢見海岸◎
水尻海岸◎
宝木海岸○ーーーー下阪本河口
浜村海岸○
船磯海岸◎
青谷海岸(小塩脇)◎
井出浜◎
みなせ浜◎
石脇海岸◎
泊海岸○ーーーーーー湯梨海岸
宇野海岸
宇谷海岸×
橋津海岸×
北条砂丘×

宇野海岸の追加で、200ヶ所の日本の鳴り砂分布となる。

 福部砂丘と浜坂砂丘間の鳴り砂の浜の地名をもう少し詳細に分類すればもう二つの浜が加わるであろう(2008.9.30)



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47) 岡山県に、初の鳴り砂情報
=80年前沙美海岸に鳴り砂があった!〜鳴り砂メーリングより=

 鳴り砂メーリンググループの産業技術総合研究所地質情報研究部門 地質標本研究グループ(兼子氏)は2009年9月の「地質情報展おかやま」に出展。今回の展示ブースには例年にない沢山の方が来展され貴重な情報が飛び込んできました、とメーリングの報告があった。
 毎年,鳴り砂情報がいくつか寄せられますが,今回得たのは以下のような内 容でした.

・岡山にもかつて鳴り砂の浜があった
来場者の話:祖母から,若い頃に砂浜が鳴っていた,と聞いた.約80年前のこ と.現在は,砂浜浸食が激しく,外部から砂を補給している.
場所:岡山県倉敷市玉島黒崎沙美(沙美海岸)

志波さんの鳴り砂データベースでは,岡山県は鳴り砂が報告されていません ので,初の情報になるかも知れません.来場者の多くは,岡山に鳴り砂がない ことを残念がっていましたが,この情報を伝えるとほっとしたような,さらに 残念なような,複雑な思いを抱いたようでした.
 ・JR「新倉敷」から南西へ直線距離で約8kmほどの瀬戸内海に面した海岸。想像するに、地名の通り沙美ということから、きっと砂が美しいところであったのであろう。80年前というと昭和初期であるがそんな先までさかのぼらなくても、昭和30年代も奇麗な海で砂浜は鳴り砂の音を発していたのではないだろうか。 ・海岸の浸食が激しく外部から砂を補給しているといるというが、この浜近傍に昔からの砂が堆積している場所がないだろうか?この一帯の調査で発見できるのではないかと期待している。また、この灘一帯は工業地帯が目立つが海岸の汚れはどうなのであろうか? ・海岸の浸食が何故発生しているのか。このような砂の移動・浸食は鳴り砂に対しては最悪の状況である!

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i

48)いわき市の海岸線の鳴り砂調査情報が入った.
 入手したのは2011年10月であったがアップが遅くなった.アップが遅くなった(2012.5.2)
いわき鳴き砂を守る会が平成9年から13年にかけて調査した報告である.岩城の海浜16ヶ所を調査している.
以下のような結果である.詳細データは入手していない.


 

▲久之浜 砂利.全く鳴かない.昔は鳴いていた.
 ・四倉 やや鳴く
 ・新舞子 450 μm(平均粒子径) あまり鳴かない
 ・沼ノ内 360 μm
 ・薄磯 150 μm 良く鳴く
 ・豊間 200〜110 m 
 ・兎渡 180 μm かなりよく鳴く.昔は「轟」と言った.
 ◎合磯 210 μm 
 ・永崎 170 μm
 ◎下神白 200 μm
 ・照島 210〜140 μm
 ・小浜 250〜200 μm
 ◎岩間佐糖 190 μm
 ◎菊多須賀 310〜280 μm
 ・関田多須賀 260 μm
 ◎勿来 150 μm


この情報で、新しく6ヶ所(◎、▲)が増えた.207ヶ所.

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鳴り砂の情報があり、お持ちでしたらここまでメールくださればうれしいです。HPにその旨をアップさせてもらいます。

 

 

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