ロゴマーク
 

 

 

 

*** 砂時計からの観想 ***

 

  時間とは何だろうか。人は一日という中で、目に見えないもの、感じようとしても感じられない何かの長さを感じる。それは宇宙全体、全てのものが必ずや感じている。しかし、それを意識するのはやはり人間だけかもしれない。時間とはそんなものなんだろう。

 ハイテクデジタル時計は、なるほど正確な時の間隔も知ることができる。それは砂時計も正確さは違うけど、時の間隔を直接に知ることができる。しかし、デジタル時計の時間というものは、人が自分の中でつくらねばならない。デジタル時計 では、たくさんのことを大勢の人が同時に進行できる。その人の行動は、きっと時間という何かに追い回されているであろう。

人の行動は、全てが砂時計感覚である。一つの行動が、一つの砂時計に割り当てられる。ある行動に対して、その行動の砂時計がスタートする。

 砂時計、それは三際 [サンサイ](現在、過去、未来)を現していると、はっきりと感知できる。今という意識が動いているということを感じ、自分の行動がどうであったのかという意識を砂時計の時間の中で見ることができる。

 思い出として落ちたであろう一粒の砂の思いを砂粒の形として拾い出すことはできないのが砂時計である。しかし、意識の中の思い出というものは、どんな遠い過去の時間でも、瞬時のうちに拾い出せる。砂時計は、よく人生にたとえられるが、砂時計と人生にはそのような大きな違いがある。違いがあるが、過去というものはやはりやり直しが効かない。その意味では、まさしく人生は砂時計である。いま流れていってしまったその砂粒をもう一度拾い出せないとの同じように、、、。

 今という時間をどう生きるかということを、だから砂時計は教えてくれているのだと私は思う。単純すぎると思われる砂時計が、もっとも複雑な人間の意識というものを変える力を持っているんだと、砂時計を観想しながら自分の思考回路が動き回っている。

1999.3.19、志波靖麿




<<< To-timelogic>>>